命のバトン

《安心して終わるために…》

体の大きな猫だったのに、2年ほど前から痩せてきて、何度か血液検査しても何にも引っ掛からなくて、食欲は旺盛だった『どんぶく』が、ピタッと全く食べなくなりました。お腹の膨らみに気づき受診すると、「腹水が溜まっています。おそらく腸に腫瘍があるのでは…」との診断でした。高齢でもあり、対処療法しかなく、薬を入れた皮下点滴を家で続けました。
日に日に弱って、それでも健気にヨタヨタとトイレにたどり着くも、その前でお漏らし…翌日はトイレの中で動けなくなって、次の日はトイレの前に敷いたペットシーツで、オシッコをしたまま横倒しになっていました。もはや自力では動けないと判断して、目が届くように、キッチン・リビング兼私の机と寝床がある隣の部屋に連れて来て、ペットシーツを敷いて、どんぶくをベッドの上に寝かせました。
掃除しながら、猫達のごはんを作りながら…「どんぶく~おっかあ、居たから、大丈夫だよ」と何度も声をかけます。やむなく出かけて帰って来た時は、玄関を開けるや否や「どんぶく、大丈夫か?おっかあ、帰って来たからね~」と叫んでいました。
先週は固有名詞が『クリオ』で、同じことをやっていました。奇しくもクリオが昇天した日の夜から、どんぶくが急変したのです。クリオは心臓病から胸水が溜まり、毎週抜いてもらっても呼吸が酷そうだったので、酸素テントに入れていたのですが…本人は閉じ込められるのが嫌らしく、扉を開けると、窓辺に行って風を感じていました。だから、最期もその場所で終わりを迎えました。

クリオが亡くなったのが6月26日で、どんぶくは7月6日。その前は、『ハニー』が4月18日で、『よれっぴ』が25日と…続けて居なくなるケースが多くなりました。私が夢や希望を携えて、精力的に活動していた時期に、増やしてしまった子達が老齢期になったこともありますが、《介護》が日常生活でかなりのウエイトを占め、W介護や時にはトリプルもあって…《看取り》から解放されると、活動報告を書けるというのが、最近のスタイルになりました。
ハニーとどんぶくにはかつては飼い主がいて、よれっぴとクリオは元は野良猫でした。クリオとハニーは、震災前に来たので、アニマルクラブで10年以上を過ごしました。

大好きなしのぶちゃんがお見舞いに来てくれたら、どんぶくは穏やか~に甘えていました。

はなちゃん危篤の知らせに、10カ月ぶりに飼い主が面会に行き、お別れの時を過ごした、最後の1コマ。

『永遠のかわい子ちゃん~ハニー』

東松島市の保健福祉課から、「一人暮らしの老人が入院して、家に7匹の猫が残されている」という相談が来たのは12年前のこと。竹藪に囲われた古い家を開けた瞬間、糞だらけの部屋…一緒に行った大学生はショックで、ボランティアを辞めてしまいました。
男子高校生を引き連れて世話に通うと、「すんげー、布団にキノコが生えてる~」と興奮していました。その布団があった物置に仕掛けた捕獲器に入ったのが、ハニーです。オレンジ色の長毛で、あまりにも可愛くて、「こんな所にこんな猫がいた!掃き溜めに鶴とは、まさにこのことだ~」とびっくりしました。
ボランティアのちえさんが掃除隊長を買って出て、腐った畳剥がしから竹藪切りまで始めると…「おじいさんは変人だから、勝手にそんなことして怒られるよ」と近所の人に注意されたとか。同行した高校生はまた興奮して、私に報告します。「俺、ちえさん、尊敬するよ。あんな汚ねぇとこでさ、立ったままホカ弁食うんだよ、すげー強い人だ~」
近所のオバサンが、「おじいさんは鎌を振りかざして暴れたこともある。奥さんは自殺して、息子は犯罪者だ」などと脅かすので、私は、おじいさんが退院してくると聞いた前夜に、置き手紙をして、馴れている猫5匹を連れて来ました。

すると、おじいさんから丁寧なお礼の電話がきて、そこから私達とおじいさんとの交流が始まりました。おじいさんはインテリで優しい人で、なかなかの男前で、ちえさんがどこからか集めて来た赤や黄色のセーターもよく似合いました。自分を解ってくれる人が周りに居なくて、寂しかっただけです。
掃除もして、身ぎれいに暮らすようになりました。私はたまに料理を差し入れました。お正月におせちを届けたら、喜んでお礼の留守電を入れてくれた声が、今も耳に残っています。その二月後、おじいさんは2匹の猫と共に、東日本大震災の津波に、家ごと流されてしまったのです。

高校を卒業して、浪人中だったあの青年~かずまくんも、震災後アニマルクラブに駆けつけてくれました。
4月初め、おじいさんと同じ町内の方から、「流された家の中に沢山の猫が残っている」という相談を受け、かずまくんと一緒に捜しに行きました。川と化した水田に流れ着いた家は、ドアも窓も壊れ、瓦礫が入り込んで、ベットの上で死んでいた猫1匹を発見することしかできませんでした。
帰り道、市役所に寄って調べると、おじいさんも橋の向こうまで流されて亡くなっていたことがわかりました。家はどこにあったのかさえわからないほど、町内は変わり果てていました。「竹藪の跡があるから、ここだね…猫も生きてはいないね」と、かずまくんが寂しく呟きました。

しかし、東松島市役所では、一つの出会いもありました。かずまくんが高校の同級生に声を掛けられたのです。新任の職員として、奔走していました。「泥だらけで目の見えない猫が連れて来られたんだけど、今、役所は人間のことで手一杯なんだ。助けてもらえないだろうか?」と言われたのです。
その日、助けられなかった命の代わりに、連れ帰った老猫は、仙台在住のボランティアさん宅で大切にされて、長生きしています。おじいさん宅から連れて来た猫はちえさんが♂2匹を引き受け、アニマルクラブでは『めめ』、『こぐり』、『ハニー』の♀3匹を引き取りました。一昨年から看取りが続き、ハニーが最後でした。

 ハニーは腎不全と老衰で日に日に痩せ細っていきましたが、やはり12年前の不妊予防センタースタート当初に新卒で入ってきた獣医さんが、ベテラン先生になって今年からボランティアで来てくれるようになり、あれこれ薬を考えて、特製の点滴パックを作ってくれたので、一時期は持ち直しました。しかし、体力が落ち風邪症状が抜けなくなって、食べる量がめっきり減り、体重は1.5キロまで落ちました。認知症も進んでいましたが、相変わらず可愛いままでした。
2日前までごくわずかに食べていましたが、もうフラついていたので、私のベッドに寝せて、その後はシリンジで水だけ飲ませました。朝晩皮下点滴をすると、少し動いて、口をパクパクさせて甘えました。苦しむことなく、早朝に私のベッドの上で、穏やかに息を引き取りました。

 震災から歳月は流れ、一昨年の夏、私は息子のお嫁さんが出産した知らせを受けて行った産婦人科病棟の廊下で、かずまくんにバッタリ会いました。彼もまたお父さんになっていました。
命が途絶えた人の歩みはそこで止まり、生きていく人だけが進んでいけることを実感すると、預かった猫達は天寿を全うさせたことが、おじいさんへのせめてもの供養かと感じます。

 

可愛いくて、気立ても良いのに、何故か里親運がなく、生涯をアニマルクラブで過ごしたハニー。

 

 

あの時、東松島市大曲から連れて来なければこの子も達の命もなかったから、長生きできてよかったね、めめ。

 

 

こぐりは伝染性白血病のキャリアでしたが、数年後に陰性に転じて、昨年まで頑張りました。

 

 

『よれっぴと私の麦畑』

よれっぴはこの家で4年間生きて、昇天しました。最後はちょっとケイレンも起きて苦しかったけれど、ずっと付いて撫でて励まし、飼い猫として看取れたことに安堵しています。
町内の空き家の庭から摘んで来たラベンダーの花影で、笑い顔のような表情でたたずむ写真に目がいけば、「♪オラと一緒に暮らすのはよれっぺ、おめえだと~ずっと前から決めていた、おらいさ来ておくれ~♬」と自然とテーマソングが出ます。

出逢いは近所の野原。草むらに身を隠しながらこちらを見ている褪せたオレンジ色の野良猫は、ボサボサ毛のヨレヨレで…若くは見えません。通る度に気になりましたが、縁があれば繋がると思いました。

ある時、家の猫達に朝ごはんを配っていると、私の動きに合わせて、サッシの向こうをオレンジの影が行き来するので、外に出ると…野原のヨレ猫でした。その日から毎日来るようになり、捕獲器で保護しました。
野良猫とは 不思議な関係を築きます。それまでの生活は何一つ知りませんが、知らないままその日から一緒に暮らし始めて、最期は一番近くで命の灯火の番人になるのです。

よれっぴは、当初野良猫気質が強く、手を出すと反射的に攻撃してきました。即興で「♪神様見ている、よれっぴを~ちんとんシャン、ちんとんシャン♬」と歌って聴かせると、不思議にその間はじっとしていました。歌好きなスナックのお客さんのような、親近感が湧きました。
ものすごく汚かったけれど、勿論シャンプーなんてできるわけもないので、2段ケージの中に入れておきました。1段目に抜け落ちてくる毛の固まりには、草の実や瘡蓋やゴミがいっぱいくっ付いていました。毛が全部が生え替わり、部屋に出せるようになるまでに1年以上かかりました。その間にボランティアさんを噛んで、外科で切開するケガを負わせ、その後も私以外の人は体を触ることもできませんでした。

私にだけ馴れたから、きっと野原で私に一目ぼれをして、後を追って来たのだと想い、洗濯物を干しながら「♪オラも前からよれっぺを好きだと思ってた~♬」と供養の歌を空に送ります。

一緒に暮らした時間は長さではなく、どんな日常があったか…だと想います。補液が大好きで、恍惚の表情で喉を鳴らしていました。

『強引な命拾い~クリオ』

 震災の2年ほど前の出来事です。私が仙台市の里親希望者宅に子猫のお見合いに行っていた時、見ず知らずの人から電話が来ました。突然、「家の犬小屋の中に、酷いケガをしている猫が入っているので、何とかして欲しい」と言われました。「ここへ電話すれば良いと聞いた」と言い張るその男性に、「私は今仙台に居るので、動物病院に運んで欲しい」と頼みました。
「何で俺がそんなことしなきゃないの?家の猫でもないし、いつもエサ食いに来ている猫でもない。初めて見たんだよ」と、取り合おうとしないその人に、必死に食い下がって「しなきゃないとかでなくて、他に連れて行ける人がいないんですから、何とかお願いします。大ケガしているのなら、早く連れて行かないと、そこで死ぬかもしれませんよ。後のことはこちらがやりますから、そこまで何とか繫いでください!」と必死に頼みました。

電話口から、相手の男性の大きな舌打ちと「あ~あ~」という言葉にならない声が聞こえた時、「何とかなるかな」と胸をなで下ろしました。その人とは会うこともなく、名前は最初から覚えていませんが…仙台からの帰り道、指定した動物病院に立ち寄ると、大ケガをした野良猫は、そこにいました。
すごい化膿臭は、背中の大きな傷からドブ水のように湧き出る滲出液からで、何日も繰り返し溜まりました。クリオは気の弱い、穏やかな性格なのに、なぜこんな攻撃を受けたのか…猫ケンカはすさまじく、治療を受けることもできなければ、命を落とすことを実感しました。
かなり時間をかけてケガが完治しても、クリオの背中には、指先ほどの丸い毛の生えない部分が残りました。心にも小さな穴があいているように、集団に入りきれないでいたので、子猫ばかりの部屋に入れたら、何とかうまくいきました。

10年以上経ち、里親が見つからずに残った子猫達もみんなクリオより大きく、強くなって…クリオは、おとなしい『レモン』や『つよし』と《ひっそりトライアングル》を結成して、♪目立たぬように~はしゃがぬように~♬に暮らしていました。
でも、この春、呼吸が速くて浅いことに気づき、検査してもらうと、胸水が溜まっていました。高齢による心臓病のせいだろうと診断されました。残された時間がどれくらいあるのか…よりラクに呼吸ができるように、酸素テントを用意して、アニマルクラブから私の住まいに連れて来ました。
いつもなら皮下点滴で大分命を繋ぐことができるのですが…体内にあまり水分を入れてはいけないそうで、量を制限されました。どうしてやるのが良いのか、よくわかりませんでしたが、ただひたすら、「クリオはどうしたいのか?」と考えて寄り添い、声を掛けて「傍に付いているよ」と伝えるようにしました。
末期には空気も溜まって呼吸はますます苦しくなりましたが、それでもケージの外に出たがるので、時々出すと、窓辺で風に顔を向けていました。

いよいよ危なくなってきた日も、飼い主が脳梗塞で倒れ、里親探しを頼まれた犬のお見合いの約束が2軒あり、気が気でありませんでした。帰って来て玄関で鍵を回しながら、名前を呼んでドアを開け…クリオが生きていたからホッとしました。
待っていたかのように、クリオは顔を持ち上げたのですが…歩めません。ステロイドを注射すると一瞬起き上がり、酸素テントに戻りたくないと意思表示しました。
前の日からウンチやオシッコも垂れ流し状態で、ずっと食べていないのに、その前の日から少量の下痢も続いていたので…体ももう終わり支度しているように感じていました。
窓辺でお尻や目ヤニを拭いて、水で口を湿らせてやりました。最期は少しだけ息苦しそうにしたけれど、微かな風を感じて、満足そうにも見えました。静かに、穏やかに…12年前につなぎ止めた命が終わっていきました。

アニマルクラブにいた頃から、窓際族だったクリオ。

 

 

酸素テントを準備して、酸素量と温度を管理して入れていましたが…

 

 

本人は、窓辺で微かな風を感じる方が好きでした。

『なぜ、どんぶくなの?』

これまでも、何度か聞かれました。《どんぶく》が何なのか?この辺の方言でしょう…綿入れ半纏のことです。震災の2年後に、「出先で飼い主が急死してしまい、行き場がない猫」の相談を受けて行ってみると、生活保護を受けて暮らしていた女性の借家に転がり込んでいた男性は、「自分も住む所が無くなった」と慌てていました。
お弔いで集まったのでしょうが、50~60歳位の友人2名も、私が「これから去勢やワクチンなどの費用もかかるから、少しずつでもお金を出してくれませんか?」と頼んでも、顔を見合わせてニヤニヤするばかりでした。「こんな生活もあるのか…」と、カルチャーショックでした。猫だけ連れて出て来た時、彼氏が故人の赤いどんぶくを持ってきて、黙って私に差し出しました。それしか渡せるものがなかったのだと感じ、受け取ってきました。年齢は7歳だと聞きました。

どんぶくは、よく食べて体格は大きくなりましたが、穏やかな性格で、誰とでもうまくやれました。亡くなった女性の家にいた居た年月に、アニマルクラブで暮らした歳月が追いついた頃からめっきり痩せて、吐くことも多くなりましたが、病名は判らず…自宅で見守ることにしました。どんどん痩せていきましたが、食欲は旺盛で、明るく元気でした。時折すっとんきょうな声で鳴くので、認知症になったのかと思っていました。

どんぶくはクリオが亡くなった日の夕方から、突然全く食べなくなりました。あんなに食いしん坊だったのに…何を見せても食べる気はなくて、吐き気止めやステロイドを入れた点滴を家で続けましたが、日に日に弱っていきました。歩けなくなっても、這うようにしてトイレに向かい、這うこともできなくなってからは、私のベッドの上にペットシーツを敷いて常に傍にいました。
目が見えなくなってきても、名前を呼ぶと尾っぽを振り、前足を伸ばして私の手を求めて、最期はどこかに行く夢を見ていたのか、一生懸命前後の足を動かしていました。
苦しむ様子はなく生涯を終えたから、どんぶくを手渡したあの男性に、「あの子は立派に生き抜きましたから、天国へ行って、子猫の時から育ててくれたお母さんに会っても、褒めてもらえますよ」と伝えたいと思いました。

アニマルクラブで生活していた頃のどんぶく。おやつ大好きの甘えん坊さんでした。

 

 

訃報を聞いて駆けつけた森さんが着せてくれました。天国でお母さんに会ったら、すぐに判るようにね!

 


《お伝えすべきこと》

クリオが亡くなった夜から、介護リレーのタスキを受け取ったようにどんぶくの容態が悪くなった一方で、命がバトンタッチされたかのような事件が起きました。静まりかえった深夜の町内に、子猫の鳴き声が響き渡ったのです。一昨年は『夜鳴きソバーズ』、去年は『朝イチくん』…毎年町内で野良の子猫を保護してきた、夏の風物詩です。

外に出て声の出所をたどると、お向かいの物置付近からでした。訪問できる時間ではなかったので、『向かいの阿部ですが、お宅の敷地内で鳴いている子猫を保護したいと思います。すみませんが、深夜なので、勝手に捕獲器を置かせてもらいます。入ったら、お知らせ下さいね』とメモを付けました。丑三つ時、自宅から丸椅子を持ってきて上がり、その家の塀の上に乗って、懐中電灯で照らして置き場所を定め、振動で扉が閉まらぬように、長ーいS字フックで捕獲器を吊して、そおっとブロック塀の向こうに置きました。見ている人がいたら、110番通報されるところでした。
そして朝になり、まだ生後1カ月ほどのサビの子が入り、昼前には三毛が入りました。どちらも手のひらサイズの無垢でふわふわのきれいな子猫でした。世間の寒風に晒されて風邪で目鼻がグチュグチュになる前に保護できて幸いでした。サビ猫は顔の真ん中が♪の様な柄だから、『おんぷ』、三毛は背中に3つの〇が並ぶから『シグナル』と名付けました。

その日、同じ様に「近所で子猫の鳴き声がするから、捕獲器を貸して!」と、数日前に借りに来た人が、肩を落として返却に来ました。「近所の人が嫌がって騒ぐから、子猫は逃げてしまった。飢えているのではないかと心配」だとガックリしていました。私は捕獲したことを知ると、「阿部さんは何で捕まえることができるのー?」と聞かれました。

「目的至上主義だから」が正解かもしれません。「どうやったら犬や猫を助けることができるか?」ということだけを考えて、その他のことは全て後回しにして、空いたスペースに言い訳や謝罪のピースをはめ込むのが、私の《人生パズル》のような気がします。その生き方のせいで、時に人と別れ、お金を使い、疲れ果てました。「もっと辺りに気を使って、穏便に対応すれば…」と意見されようと、命を箱舟に乗せるまでは、振り向くことができないのが私の性なのかもしれません。

深夜の泥棒作戦で保護した野良猫姉妹。サビは顔の真ん中に♪模様があるから『おんぷ』、三毛は背中に丸模様が三つ並んでいるから『シグナル』~すごい食いしん坊で、ぷくぷくです。

 

前回の活動報告以降、皆さんにご心配おかけしたことを申し訳なく思っていました。虐待されていたかもしれない柴犬『ここちゃん』の一件が、収束に漕ぎ着けたことを報告します。所有権がこちらに移行して、ここちゃんは今の里親さんと一緒に暮らしていくことができます。細かい経緯は公表できませんが、和解することができたので、アニマルクラブが攻撃される心配ももうありません。

ここちゃんから皆さんへ感謝のメッセージ~登録や避妊手術も済ませて、元気に平和に暮らしています。  

 


《犬と猫と老人と》

『年だから…と言う免罪符』

人口に占める高齢者の割合が、かつてないほどに多くなったから、アニマルクラブに来る相談も、70代80代の方々からの、一方的な要求が多くなりました。共通の背景は、
①お金がない
②頼れる人がいない
③責任が持てない
だから、「何とかして!」と訴えてきます。そして電話1本通じると、一挙に難問全てを肩代わりしてもらえると思い込む、
④他力本願な虫の良さ
があり、
自分がやらなければならないことを指摘されると、
⑤「年だもの」「体調が悪い」と逃げ口上を並べ、問題と向き合おうとしない人が多いです。
近年、社会は「立場の弱い人達をいたわるべき」だとやたら敬語を使い、手を貸すことをスローガンに掲げています。だから老人たちには、自分が餌を与えて増やした命のこの先は、社会が解決してくれることだと思っている節があります。
しかし、日本の法律はそこまで動物たちの生きる権利を保障してはいないので、市役所や保健所に相談しても、曖昧な返事しかもらえず、答えに窮した職員の中には「アニマルクラブさんに相談してみたら?」と、公的支援は一切受けていないボランティアに丸投げする人もいます。

昨年もさんざん泣き言を並べて、餌付けした野良猫が生んだ5匹の子猫を押し付けてきたおばあさんは、「庭に来ている猫全部に避妊手術する」約束を途中で反故にして、支払いも滞っていたのに、1年後、ケロッとして電話をよこしました。「今度は親の調子が悪くて、2匹は死産して、1匹だけ生きているけど、母猫は具合が悪くて痩せ細って、おっぱいも出ないの~」と緊急事態宣言をすれば、我々が放っておかないと踏んで、仕切り直したつもりです。
去年担当した若いボランティアさんは、このおばあさんの嘘や調子の良さにうんざりして避けていたので、今年は《アニマルクラブの秘密兵器》ちえさんに登場願いました。

「行ってみたらさー、家もごちゃごちゃ散らかっていたから、こんな汚くしてっから人も寄りつかない。人も来ないから、猫しか相手がいなくて、責任が取れないことしてんだから、まず、家ば片付けて、頭の整理しらいんと言ってきた」そうです。言うだけで終わらないのがちえさんだから、早速一回戦おばあさん宅のゴミを、猫と一緒に車に積んで来ました。「また取りに来るから、ゴミ集めておけと行ったら、そんなこと言ってくれるの、あんだだけだと泣いて喜ばれた」そうです。

老人たちのバックグラウンドの黄昏空には、果てしない寂しさが漂い、認知傾向が澱んで雲が広がり、雨が降ることもあります。その雨が黒い雨にならないように、国は現場を知っているボランティアを登用して、お役所仕事では網羅できない《動物の命を保障する行政》を実現するべきだと痛感します。
その遠い道のりのあちこちで今日もまた、宛のない命が生み出され、支えもなく、ただ苦しめられ消えていくことが繰り返されています。多くは誰も知らない場所で起きていることを、国会まで持っていくためには、皆さんの気づきと拡散が必要です。何らかの行動をお願いします。

この柴犬の飼い主の老人は入院が長引き、周囲が里親探しを勧めても拒み続けていましたが、鬱状態が酷くなり、意思の疎通もままならなくなりました。

 

 

老人宅に入り込み、子猫を産んだ野良猫。この機会に避妊手術を勧め、捕獲してケージに入れたら、出たくて暴れて顔を擦り剥きました。

 

その猫が産んだ子猫達は、酷い結膜炎を起こしていました。

 

 

毎日おばあさん宅に通って目薬を点け、やがておばあさんもできるようになって、完治しました。

 

 

人里離れた、山の麓の一軒家に住むおばあさんは、生まれてはカラスに襲われる子猫に胸を痛めていました

 

 

アニマルクラブに相談して、親に避妊、子猫の里親探しをする決心をしました。

 

 

 

兄弟が迎えられたお宅は、仙台市街地のマンション。至れり尽くせりのお部屋が用意されていました。

『助け船、間に合わず…』

家と頭の整理ができないおばあさん宅から連れて来たのは、体重2キロにも満たない痩せ細った母親と、今月初めに生まれた子猫1匹。兄弟2匹は死んで産まれてきたそうです。母猫は酷い風邪を引いて、目ヤニで目が塞がり、黄色い鼻水が口の周りにこびり付いて、息を吸うのも大変そうにしていました。自分のことで精一杯だからか、子猫には関心がなく、おっぱいも全然膨らんではいません。子猫にはおばあさんが牛乳を飲ませていたそうですが、体重が60グラムしかなくて、明日まで生きているのかも分からない状況で、命の危機に瀕していました。

母猫は、「風邪が重症化して食べられなくなって、弱っている」と診断され、抗生剤やインターフェロンの注射をしてもらいました。その後も皮下点滴や点眼点鼻薬を続け、柔らかくて美味しいパウチやちゅーるをあげてみたら、どんどん食べて、みるみる元気になっていきました。
一方、子猫にも猫用のミルクを買って来て与えましたが、なかなか飲めず、殆ど口から溢れ出てしまいます。しかも、授乳しようと手に乗せる度に、数時間前より体も声も小さくなって、ミルクの飲みも悪くなっているように感じました。
栄養を取って回復してきた母猫の母乳が出ないものかと期待しましたが…全く気配はなく、精神的にも母親になった自覚はないようで、自分が食べることに夢中になって、子猫を踏みつけにしたり、蹴り飛ばしたりしていました。別々のケージに入れてみましたが、子猫が母親を探して鳴き続けるので、戻してしまいました。

どうすることが良いのか、分からないまま、連れて来て3日目の午前2時に授乳に行くと、手のひらに乗せた瞬間に、まもなく命が消える予感がしました。ホッカイロに乗っていたのに、足先が冷たくて、肛門から初めてウンチがはみ出ていました。ウンチを出してやって、もう声にならないのにパクパクしている口の中に…一縷の望みで、そおっとミルクを流し込んでみましたが、入れた分だけ溢れ出てきました。
もうここには置いておけないと判断して、ホッカイロごとタオルで包んで、胸元に入れて自宅に連れて帰りました。歩き出したら、Tシャツの胸の中で、もぞもぞと動き出しました。掠れていた声も少し出るようになって、「もしや元気になってきたのでは…?」とドキドキしました。

テーブルの上に出してみると、両手両足を精一杯伸ばして懸命に動いていました。「まだ目も開かないのに、何も見ないうちに、この子は命を終えるのだろうか?もしかしたら、まだ頑張れるのだろうか…」と想って、見つめていました。しかし、すぐに動けなくなりました。なので、また懐に戻すと、落ち着くようでした。老猫を看取る時にいつも感じることですが、もう食べることも見ることもできなくなった命が、最期に求めるものは温もりです。
午前2時に冷たくなっていた足先は、懐の中で温まると再び血が通ったように、鳴き声も上げるようになりました。『たけし』の時のような奇跡は起きませんでしたが、午前7時半までわずかな時間を、偽物のお母さんの鼓動を聞きながら過ごして、温もりの中で静かに呼吸が止まりました。それしかやってやれなかった悔しさ、虚しさは、社会が変わらなければ繰り返される不条理だと思います。

連れて来られた時は、母猫もぐったりして、声も表情もありませんでした。

 

 

治療が進むと食欲が出て、モリモリ食べましたが、母乳は全く出ませんでした。

 

 

体重60グラムの子猫は、ミルクを飲ませても、殆ど口から溢れ出てきてしまいました。

 

 

確かにこの世に生まれ出た証に、お骨は鉢植えの底に入れて、植物を育てることにします。

『北風と太陽』

 アパートの駐車場に、賢くて綺麗な秋田犬が繫がれていました。『はな』の飼い主は、人生の半分を刑務所で暮らしたおじいさんで、室内でも犬や猫を飼っていました。さらにあちこちから猫を拾って来るし、飼えなくなった人の犬を引き受けて来ては、SOSをよこす困った人でした。

傷害事件を何度も起こしている人ですが、動物には決して大声を上げたり暴力を振るうことはなく、優しく接していました。そして、体調が悪くなると、「病院に連れて行ってもらいたい」と電話をよこすのです。これまで、5回入院費を立て替え、猫の避妊・去勢は10匹以上しましたが、もう一つの常習犯が『無銭飲食』だけあって、支払わなくて良いと思っているようです。
生活保護の担当職員の態度に腹を立て、ハサミを突き付けて脅かして捕まった時は、警察からアニマルクラブに連絡が来ました。「留守中の犬と猫の世話を頼みたいと本人が言っているんですが…」との伝言に、さぁ、大変!毎日朝夕、東松島市まで犬猫の世話に通いました。真夏の茹だる暑さの中、早く出て来てもらわないとこちらの身がもたないので、私は保釈金を払って、裁判に証人として出廷しました。

そして、昨年の初夏、「はなちゃんの腹が膨れて血が出てきた~」と狼狽したおじいさんから電話が来て、ボランティアの吉田さんが動物病院に連れて行くと、乳がんが自壊したとわかりました。数日後に手術を受けましたが、癌は卵巣まで転移していたそうです。でも、14歳と高齢で、麻酔を長く掛けておくのは危険という判断で、乳腺だけ全摘しました。
もっと若い時に、無料でやるからと避妊手術を勧めたのですが、「はなは血統の良い犬だから、子供を取る」などと…とんでもないことを言って、言うことを聞きませんでした。勿論相手も見つけられないだろうと高を括っていましたが、ここへ来てとんだしっぺ返しが来ました。術後も心配で、「とてもアパートの駐車場には置けないからね」と、返さない旨を伝えました。

退院後に面倒を見てくれたのは、高校時代ずっとボランティアに来てくれて、今では老犬ホームを営むまりえちゃんです。その愛情と適切なケアで、術後の1年間、はなは幸せな、恵まれた日々を送ることができました。何回か危機も訪れたのですが、その都度、生来の丈夫な体と気丈さ、運の強さで乗り越えました。

6月半ば、「今度はいよいよ危ない」と聞き、おじいさんも連れてお見舞いに行くと、はなは立ち上がり、みんなとお別れをしました。はなのために駆けつけたアニマルクラブのボランティアさん達、手厚く介護してくれているまりえちゃんとお母さん…おじいさんも、人々の優しさが身に染みたようです。帽子を脱いで禿げ頭を何回も下げて、お礼を繰り返していました。
5日後、はなが苦しむことなく息を引き取ったとお知らせが来ました。お骨は、まりえちゃんのお母さんお手製の骨壺袋に入れられて、歴代の愛犬達と一緒に並んでいるそうです。

「おじいさん、それで構わないかしら?」とまりえちゃんは気を使っていましたが…そんな気遣いなんてどこ吹く風~「金がなくなって、エサも自分の米も買えない」と電話をよこしました。
「何でなくなったの?パチンコに行ったんでないの?」と聞けば、「行ってねえ~借金返したからだ」だって。その借金は、何でしたんだか…。いつもおじいさん宅の犬猫の病院への送迎や、ホームセンターへの買い出しに乗せて行ってくれる吉田さんは、「お金支給されたら、あるうちに必要な物を買っておこうと言っても言うこときかないし、この間はパチンコ屋から出て来るところ見てガッカリした~」と言いながらも、時々おかずの差し入れなどもしてくれる、お人好しです。

「ダメな人だからこそ、そこに動物達がいるから、見に行かないと…。いざというときには連絡が来る間柄でいなくてはならない」のです。騙されているとわかっていても、北風より太陽の方が功を奏することを知っているから、私達はこういう人達と関わり続けています。けなげで利口なはなちゃんが、幸せな晩年を送ることができて良かったから…このおじいさんにも、米や惣菜を届けて来ました。

おじいさんはアパートの駐車場で、他にも犬を飼っています。やはり老犬で目の周りが爛れていたので、薬を届けました。

 

 

はなちゃんと10カ月ぶりの再会。はなは、おじいさんの姿を見て、嬉しそうでした。

 

 

良いところを見せたかったのか…立ち上がってケージから出ようとするはな。

 

 

みんなに支えられて、外に出ました。

 

 

自分の力で立つことができました。この後また部屋に戻り、おじいさんは皆さんに何度もお礼を言って帰りました。

『一筋縄では届かない人達』

老人でなくても、コロナ禍になってからは、収入が減って、不妊予防センターの費用が払えない、中にはフードやトイレの砂も買えないと頼って来る人達もいます。経済的問題だけでなく、精神的に弱かったり病んでいる人もいます。
私達が関わっている中には、そうした社会の底辺や隙間に取り残されて、動物達と先が見えない暮らしをしている人達がいるのですが…例えばそういう人達に、県が実施している『飼い主のいない猫の不妊手術の助成金』を使って野良猫の手術を進めようとしても、申請書を満足に書くこともできないことが多いです。また、支払えなくて、こちらからお金を借りているのに、自分の銀行口座に助成金が振り込まれるとその分さえ持ってこないケースが過去にあったので、申請人をその人ではなく、その人をこちらに紹介した人なり、事情を知っている近しい人にお願いするなどの手間もかかります。

ポスターやホームページを見て、自分で申請書を貰って書いてくるような機転の利く人達は、本来は助成金を貰わなくても手術するつもりはあった方々です。社会問題の病巣となっている層を、制度に照らし合わせて実動させるまでには、手順があります。役所は「税金を使うのだから、キチンと書類を書いてハンコを捺すように」と言いますが、形より「税金を使うのだから、基本理念を守ろう、生かそう」とするアニマルクラブは、度々県獣医師会から、「当日のFAXでの報告に書類の不備あり」の注意を受けてきました。月末の締め切りまでには、チェックして完成させて送っていますが、手術当日には間に合わないのです。

そもそも、捕まって手術に来れるかどうか…その日にならないと分からない野良猫なのに、前もって、野良猫であることの証人2名の記述まで入れた申請書を準備しておくというやり方に、無理や不合理を感じました。
今年度は、申込みがあった人達には先に用紙を渡したので、50枚綴りの1冊が6月でなくなりました。獣医師会からは、「各動物病院で年間40匹が目安。アニマルクラブさんにだけ多く申請書を渡すことはできない」と言われました。でも、助成金を受けるのは病院ではなく、猫に関わっている人達なのだから、どんどん増えている場所で、もう繁殖が起きないように連続して手術すれば、効果は上がります。野良猫の手術数は、動物病院によってまちまちなのだから、各病院に同等な割り当て数を確保することより、ニーズに応じて効果を上げることが重要なのではないのかと感じてきました。
今回、申請書を先渡しした中で、1割は捕まえられませんでした。また、2匹で予約していたが、1匹しか捕獲できなかったとか、その週は捕まらずに翌週は捕獲器に入ったとか、血液検査の結果、2週間延期になったとか…いちいち変更のFAXを送る作業も大変でした。

週1回動物病院事業を行う木曜日は、私1人で受付と会計と事務仕事、時々は診察室の助手に呼ばれて…夕方お迎えに来る飼い猫を返した後は、放すまでここで預かる野良猫の入院準備をします。木曜日は朝4時から家の猫達の世話を始めて、帰れるのは夜10時です。前日の水曜日から、捕獲器に入った野良猫が来ることもあるし、思うように入らない週は、来週の予約を明日に持ってきて、来週を空ける算段など、実務で手一杯~脳は「申請書の回収やチェックなどは、猫が来て手術ができてからで良いでしょう」と認識してしまっています。
捕獲器に入ってパニクっている猫、中でウンチして踏んでる猫、「あれ~かなりお腹大きいんじゃないかな?手術できるかな~」とか「こっちは妊娠中と聞いていたけれど、お腹は膨らんでない。もしや産んだのでは?」などと…前日の午後~当日の朝は、手術を受ける猫に専心しています。だからこそ、捕獲器を開けずに洗濯ネットに猫を入れて、手術室に運ぶことができるのです。

つまり、「アニマルクラブの不妊予防センターでは、今の助成金申請の手続きを遵守することは無理ではないか」という結論に至りました。獣医師会の事務長さんも、その結論にホッとしたようでした。「アニマルクラブさんの活動は崇高だと思いますよ」とおっしゃってくださいましたが、その崇高な活動の展示会場に足を運んでくれた県議会議員が、「活動の一助になれば…」と骨折りして、獣医師会が運営している事業に参加できるようになったのが経緯です。
議員さんはアニマルクラブの活動と、自らが目指す野良猫の不妊手術の普及の理念が通じてご尽力くださったのかもしれませんが…どんなことでも、本当にやりたいことの実現には、システムから構築していくべきではないかと感じました。

飼えない借家で、避妊手術するお金なく、メスが一斉に出産したという相談~多頭飼育崩壊です。

 

 

しかし、性格の良い子達で…黒猫は親子で里親さんのお宅に迎えられました。

 

 

この子も、こんな《へのへのもへじ》みたいな顔なのに、「可愛い!」と言ってくれる方がいて、里親決定しました。

 

 

はな垂らしの『蒼(あおい)』くんでしたが、栄養取って元気になってきたよ~里親募集中!

 

 

前にも同じことをして、また野良猫に子供を産ませて、持て余して連れて来た人…威嚇していた母猫もすっかり馴れました。

 

 


 

《捨てる神あれば拾う神あり》

毎度おなじみの私の座右の銘ですが…今回も、宮城県獣医師会の賛助会員を辞めることを決めてから、「今後も助成金があれば進みやすい場面はあるよな~」と想っていたら、横浜の獣医さんから電話がきました。日本動物福祉協会の理事もされていたことから、震災後色々助けていただいたのがご縁で、お付き合いさせていただいています。『動物たちの大震災』の横浜での上映会には、バイクに乗って駆けつけてくれた、カッコいいおじいちゃんで、本も何冊か出版されています。
3、4年前に日本中の動物病院が麻酔薬不足に陥った時も、この方のお陰で不妊予防センターは休業せずにすみました。その先生も80代になられて…昨年財団を設立して、あちこちのボランティア活動などを応援してくださっています。
「今年もまた10万円振り込んだよ」という連絡でした。なんとタイムリー、そのお金を1匹5000円の助成金に充てれば20匹分確保です。そんな風に、アニマルクラブに来た寄付金の中から不妊手術の助成金を捻出していければ、保護して1カ月以内だの、連署人2名必要だの、飼い主が居ては対象外…などという制約も受けずに実施できます。

そして、また、先生は…「人生が終わりに近づいてきたから、遺していくべきものの準備をしたい」というお話をされて、震災の時の動物たちの記録を本にしたいとご相談くださいました。もちろん喜んでお手伝いすると応えました。助け合って、話し合って願いが形になっていくのは、何よりの活力です。

平川さんと森さんが絵を描いて、私がそれぞれのストーリーを紹介するアニマルクラブの画集も、ようやく完成に近づいてきました。今年の動物愛護週間には発送できると思います。
私達が本を出版する目的の一つは、支援者の皆様にお届けしたいからです。寄付金を振り込んでくださる人の中には、住所が書かれていない方もいます。これを読んだら、メールにてご住所や本名をお知らせいただければ…送ることができるので、どうかよろしくお願いします。

アニマルクラブで暮らした子、里親さん宅で幸せをつかんだ子…ボランティアの平川さんと森さんがひとりひとりへの想いを込めて、丁寧に描き上げた画集が、動物愛護週間までには完成します。お楽しみに~

『どんぶく』

 

 

 

『ハニー』

 

 

『よれっぴ』

 

 

『はな』

 

 2021年7月13日 記

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