『行政への蜘蛛の糸』

【 ここに来るまで… 】

この前活動報告を書いたのは、3月初めでしたね。野暮用で東京まで行って、残してきた老猫が危なくなったことを聞き、居ても立ってもいられないような心境で帰途に着き、何とか最期のひとときを共に過ごして、腕の中で見送ることができたのでした。あの『チャチャ』と同じように、私の人生の波乱万丈期に、住む場所も経済状態もめくるめく変わる暮らしを共に生きてきた猫たちが、今、終末期を迎えています。あの後も2匹看取りました。

そして、同時進行で新しい命が次々と誕生しました。春から夏は猫の出産シーズンですが、今年は例年をはるかに上回るベビーラッシュです。「物置で野良猫がお産した」「近くの公園に子猫が捨てられている」と訴える人達は、口を揃えたように「引き取ってください」と懇願するか、「どうしたら良いのですか?」と解決を委ねてきます。3月から現在も続き、5月6月のピーク時には、メールを開けば連日、似たような内容が続くので、つくづくこれは政治が取り組まなければならない社会問題だと痛感しました。
その人たちには、「アニマルクラブは公的援助もない、有志のカンパで運営しているささやなかなボランティア活動で、引き取って世話をしていく力はありません。不幸な動物を救いたいなら、まず自分が動かなければ何も進みません。助ける努力をする人には、保護するケージを貸したり、週に1度開院する病院で治療やワクチン、親猫の避妊手術などのサポートをして、ホームページに掲載したり毎月里親会を開いて飼い主を探す協力をするので、何とか頑張ってください」と応えます。過半数は返事をよこしません。自主的に対処する前向きな人たちには、こちらも足りない部分を手伝う努力をします。

野良猫の溜まり場で、昨年秋に生まれたばかりだというのに、風邪をこじらせ、ヨレヨレの状態で、避妊予防センターに連れてこられた『コトラ』。すでに妊娠末期でした。

 

風邪がようやく落ち着いた頃に出産。未熟児1匹は亡くしましたが、2匹は立派に育て上げて、アビシニアンっぽい美人さんになり、避妊して里親募集です。娘達もママそっくりです。

 

人に馴れてない野良猫母さんは、ケージから出たくて、頭を擦りすぎてハゲができ、子猫達は風邪がなかなか治らない。目を擦るから、茶トラには小さなカラーを作って付けました。

 

目は完治していませんが、里親さん宅へ。迎える兄妹も初々しい~「大変なこともあるけれど、楽しみや学ぶことはより多いから、頑張って!目薬点けから、よろしくお願いします」。


【 社会を写す鏡 】

昨日も2軒、相談者宅を訪ねました。どちらも高齢者からの相談でした。
先に行ったお宅には、ヘルパーさんが来て介護を受けている70代のおばちゃんが、1人で暮らしていました。体を斜めに傾げて、やっと歩いて出てきたおばちゃんの周りを、生後2ヵ月ほどの子猫5匹が駆け回っていました。おばちゃんは、「早速来てくれたんだね~まさか今日来てもらえるとは思わなかった~」と感声を挙げました。来る前に電話をかけたのに通じなかったのは、詐欺被害に遭わないように、知らない電話番号には出ないからのようでした。おばちゃんは、やや興奮気味に、台所で寝そべっていた、まだ半分子猫のように小柄な母猫が、家に入って来て、自分の目の前で次々と5匹産んだことを説明しました。
さらに、6年前に亡くなったご主人が猫が大好きだったこと、3年前に大腸ガンの手術を受けてから体調が良くないこと、子育てを微笑ましく見守りながらも、この先を想うと、日に日に不安が募って、眠れない夜が続いていたこと…堰を切ったように話し続けました。感傷的な話にも、私が一つ一つ現実策を提案すると、おばちゃんはみるみる顔つきが明るくなって、「猫のことをこんなに話せる人に会えて良かった!自分の体もままならないのに、なーに、猫のことなんか~と言われそうで、誰にも相談できなかった」と泣き出しました。

最近では子猫たちも外に出ようとすると聞き、道路に飛び出して車に轢かれたり、追いかけたおばちゃんが転んで骨折したら大変なので、早速ホームセンターへ行き、三段ケージを買って来ました。その近くにお住まいの協力者宅に電話して、ご主人にケージの組み立てをお願いしました。どんどん積み上げられていく三段ケージを嬉しそうに見つめていたおばちゃんは、私を振り返り、「このお金も払わなきゃないの?」と聞いてきました。「ずっと使うわけでない物は、こちらで買って貸します。だから、親の避妊手術、子供たちのワクチン代はちゃんと負担してくださいね」と答えました。
庭には、他にも野良猫が来ていました。三毛猫の姿も見えました。「来ている子を手術しないと、また生まれて、同じ繰り返しになりますよ。県から助成金出してもらえるうちに手術して、あとは無理のない金額の分割でいいんだから、この機会に全部手術してください」とお願いしました。里親募集に掲載するために、子猫たちの写真を撮って、次の家に向かいました。

今度は、先週、避妊手術をした野良猫の傷の確認です。ケージを貸して、茶の間に置いてもらっていました。洗濯ネットに入れて、少しずつ手術服をハサミで切って、お腹を見ると傷はきれいに乾いていました。
野良猫は手術したら即日か翌日に放す、という動物病院も多いですが、特に妊娠後期と出産直後だった場合は、その猫が栄養不良だったり、何度も妊娠していると子宮が脆くなっていて、術後に腹腔内で出血を起こす恐れがあります。出血が止まりにくい体質の子もいます。
だから、地域猫の不妊手術を進めている他の地域のボランティアさんと話した時に、「術後に放した野良猫の中には、姿を見せなくなる子もいる」なんて話を聞くと、人知れず隠れて死んでいったのではないかと、辛くなります。それなりに食べて自由に暮らしていた野良猫を、騙して捕まえて手術するのですから、子供を生まなくて良いようにしたら、元気にして帰すのが、携わった人間の務めです。

避妊予防センターでは、術後の管理ができそうな人には、ケージに入れて帰して、7~10日間見守ってもらいます。逃がしそうな人、ちゃんと世話できないんじゃないかと不安な人の場合は、こちらで放せるまで管理しています。
ここのおばあちゃんは何匹も手術しているベテランなので、お宅でお世話してもらっていました。「今日シロの傷ば見っさ来たら、物置も見てもらいたいのよ。やっぱりクロが、子猫運んできた~まぁだおっぱい飲んでるんだべか…クロはまだ手術できないのか、見てけらいん」と言われていたのです。
物置のダンボール箱の中に、生後3週間ほどの黒白の子猫が5匹居ました。母親は不在でした。餌が豊富で隠れ家のある庭には、次々新しい野良猫がやってきます。80歳前後のこのおばあちゃんは、いつまで野良猫をお世話できるでしょうか…。ちらりと見かけた息子さんにも愛想良く話しかけ、猫の話に引き込んだのは、何とか彼に母親の意志を継いでもらいたい、私の老婆心に他なりません。

捨て猫や野良猫は、戦火の中をさ迷う難民のようです。誰に会うか、どのタイミングかで、ごく一部の命だけがすくい上げられるのです。そして、その子たちに手を差し伸べる人々も、余裕のある人とは限りません。しかし、余裕があっても気持ちがなければ何もしてくれないのですから、助けようとする手には力添えするのが人の道です。
アニマルクラブは、火が燃え盛る戦地の海辺に小船を停めて、運良く火をくぐり抜けてきたすすだらけの子や、やけどを負った身重の母親をできるだけは舟に乗せます。そして、漕ぎ手がいるなら救命ボートを降ろします。もっと助けたくても、船にはすでに80匹以上の命が乗船しています。『ノアの箱船』が転覆したら、みんなが溺れてしまいます。
「もっと助けたい」想いで突き進んで、劣悪な飼育環境になったり、多頭飼育の崩壊になった保護団体も見聞きしてきました。「誰のためにやるのか?どこまでならやれるのか?問題の根本は何で、どこにどうアピールしていくことが解決につながるのか?」を考えながら舵取りしていかなければ、いつまで経っても灯台の明かりは届かず、船は沈没してしまうでしょう。できることは「1匹でも多く助ける」ことではなくて、「この現実を1人でも多くの人に伝えて、社会を変える方策を実現していく」ことだと認識してます。

ここ数ヶ月、来る日も来る日も…疾風怒濤の中を身をかがめながら、風が凪ぐ方へ、日が射す方へ懸命の舵取りをすることで精一杯でした。避妊予防センターにも、もはや生まれんばかりの妊婦が次々連れてこられて、獣医師から「手術は危険」と診断されて、保護して生ませる決心が続くと、負担と心労で疲れ果て…1日がどこで終わって、翌日がいつから始まったか分からない日々が続きました。
毎度8~9時になってしまう自宅の晩ご飯作りは、老猫や慢性病が多いため、25匹みんなメニューが異なり、1時間かかります。もっと遅くなってしまった時は、立って動いているのにうつらうつらしてきて、療法食や薬を入れまちがえてハッとしたことも何度かあります。
自分もお腹が空いて、作りながら、バナナやヨーグルト、食パンを焼いてそのまま食べていました。それも手間に感じる時は、せんべいを食べ続けることが定番になりました。水替えて、トイレ掃除して、下げた食器を水に浸けて、やっと美味しいコーヒーやハーブティーを淹れたところで、飲まずに寝てしまう夜も続きました。毎朝4時、淹れっ放しのコーヒーをチンして飲んで、渋くなった紅茶は薄めてうがいに使って、「あーあ」とシンクに山積みの食器を横目で見て、悔恨から翌日がスタートするのです。

老いてトイレも跨げず、歩くのも危なっかしくなった猫や、痴呆が進んであれこれ食べてしまう猫は個室管理が必要となり、住空間は猫のケージでどんどん狭ばまり、まるでスーパーの陳列棚の通路みたいに、手にお盆やカゴを持って体ギリギリが通過できる位の隙間しかなくなりました。「太ったら通れなくなる~」と笑っていたのに、ある日ジーンズが急に緩くなって、腰まで落ちて下がって裾を踏んづけてつまづき、ガホガホになったシャツの袖口が引き出しの取っ手に捕まって、動けなくなり…ビックリしました。
被災動物や、空き家で生まれた子猫が押し寄せた震災直後…その翌年に風邪がいつまでも治らないので病院に行ったら、血液検査して「栄養不足」だと言われたことがありました。今回はそうなる前に、週に2日は、野菜いっぱいにお肉も入れて、スープや味噌汁を大鍋で煮て、りんごも煮てストックしました。パスタに掛けたり、雑炊にしたりして、小出しに食べることにしました。週に1度はボランティアさんにもご馳走するランチ日を設けて、作らなくてはならない習慣をつけました。そして、ボランティアの森さんが煮てくれるブルーベリーのお陰で、眼精疲労も大分楽になりました。夏は紫蘇ジュースも作ってくれる、森さんは私の健康応援管理人です。

訪ねて行った時、風呂場で遊んでいた子猫達。暴れ回って蓋が外れたら、浴槽に落ちかねない~老人の管理は危険が多い。

風邪で目やにと涙が出ていたこの子には、早速、目薬開始。3日で治って翌週にはワクチンも受けて、仙台へお見合い、トライアル中。

ホームセンターに走って購入、すぐに組み立ててもらったのに、その後、出して外に逃走騒動あり~老人は目先の感情で動き、言われたことを守らない。

「白い子は残したい」などと言っていたが、里親さん宅に行った子の幸せそうな写真を見て、自分では責任を取れないことに気づいたようです。

残るは、この3匹(白♀三毛♀茶白♂)。何とか良いお宅に送り出して、母猫は室内で飼ってもらい、外猫は全員手術したい。

 

 


 

【 記憶の引き出し 】

次の課題は、活動報告を書くことでした。こうして箱船に乗せた子達に、必要な食事や手当てを与えることができるのも、ご寄付くださっている支援者の方々がいるからこそです。それが途絶えたら、船は航海を続けられなくなります。活動を続けていくには、『体力』『経済力』『気力』が必要です。40年余り続けてきて誰よりも知っているのに、やることが終わる前に寝てしまう私は、体力も気力も衰退したことを認めざるを得ません。そんな私に喝を入れるように、5年も前に亡くなった猫『チップ』が夢に出てきました。
チップは、小さなお寺の観音様の下にいた若い雄猫で、緩くなった首輪がたすき掛けになって脇の下に食い込んでいた可哀想な子でしたが、捕獲してみると、穏やかで甘えん坊で、とても良い子でした。治療後はまるまる太って、誰とでもと仲良くして、幸せに暮らしていたのに…真冬の真夜中に見回りに行ったら、トイレに倒れて体が膨れ上がっていました。翌朝病院に連れて行くと、血栓と言われて入院しました。面会に行っても芳しくないので、よほど連れて帰りたかったのですが、この病気は初めてで、血栓を溶かす治療は病院でしかできないのだろうと任せてしまい、3日後の朝に「来たら、すでに亡くなっていました。苦しくなってもがいたようです」と病院から電話が来て、ものすごく後悔した一件でした。

年を取るのは悪いことばかりでないと想うのは、経験したことが知恵と力を生むことです。最近、何かをしなければならないのにその一歩が踏み出せない時に、頭の引き出しの中から私を動かす思い出が現れることがあります。今回はチップへの《後悔》でした。チップの愛らしい寝姿や可愛い肉球が目に浮かび、震災に遭ったわけでもないのに、ひとりぼっちで苦しませながら死なせてしまった判断ミスを思い起こして、取り返しのつくうちに動かなくては…と思い、書き始めました。

戦争に行った人や原爆を浴びた人が、長年口を閉ざしてきたその過酷な体験を、老齢になって語り始めるという話を聞くと、心境がよくわかります。自分がいなくなったら、誰も知らないままに、このドキュメンタリーはなかった話になってしまう~それでは自分の人生を賭けて、重ねてきた苦労も、味わってきた想いも、そして学び得たことも、水の泡になってしまうから、《瀬戸際のパッション》が、重い口を開かせるのだと思います。
2年前から本を書こうと思いながら、活動報告だってなかなか形にならない日々を過ごしていますが、自分の一生涯では成し得なかったことを、同じ願いを持つ次世代の人たちに伝えておきたいという信念は、私も同じです。犬の散歩しながら、猫のトイレ掃除しながら、運転しながら、本の構想は次々湧き出ては、忘却の彼方へ消えて、また巡りきて…いつか遺言の書を残せるのか、藻屑となり「あーあー」とぼやいて消えていくのか…頭の引き出しが私を突き動かすパワーを送ってくれることと、自由時間ができるように、仕事を担ってくれる人が増えることを期待しています。

「お母さん、生きている間に、やるべきことをやってください。ぼくにできなかった分も、やってみせてください」。


 

【 再び行政と向き合って… 】

私の動物愛護は、4歳の時、生ゴミを養豚業者が集めに来ると聞いて、「親豚の肉を子豚が食べたら可哀相だから」と、嫌いだった脂身を無理して食べたことに始まります。小学校に入ってからは、学校帰りについて来る野良犬にパンを買って与え、拾った捨て猫を押し入れにかくまったりしていました。中学生の時、仲良しだった近所の飼い犬が、引っ越し先の借家で禁止されて、保健所に渡されたことを聞いて、保健所に送られた動物がどうなるのかを調べて、「アウシュビッツと同じだ~」と感じたことが、行動を起こすことにつながりました。高校生になってからは、ボロボロの小屋に入れられていた近所の犬のために、男友達を集めて犬小屋を作らせたり、『河北新報』の『声の交差点』欄に、投稿したりしていました。
大学1年の動物愛護週間、いつものように投稿した原稿が『論壇』に掲載されました。心理学科に入学したての私は、その頃新聞の片隅に載っていた動物虐待事件などを列挙して、「日本人は動物に不慣れで、付き合いが下手だ」と批判しました。数日後、新聞社より「読者から是非会いたいと編集部に連絡があった」と電話が来ました。石巻市内に住む、今の私と同年代の主婦でした。
会員第1号となったその方は、2年前98歳で亡くなるまで、ずっと動物達と私の身を案じてくださいました。活動当初のその他のメンバーは、小学生。保健所の不要犬猫の引き取り日に見学に行って、見聞きしたことで紙芝居を作らせて、学校やイベントで公開。私自身はレポートを石巻の夕刊に投稿して、掲載してもらいました。

23年前に、『石巻市にペット条例を制定しよう!』と8400人余りの署名を集めて市に提出したこともあります。地元紙にも何度も大きく取り上げられましたが、市からは何の返答も来ませんでした。たまたまNHKのニュース番組に出た時、今の問題を問われたので、そのことを話すと、翌日石巻市議会から「議員の勉強会に来て、話して欲しい」と電話が来ました。
そして、出向いた《勉強会》…今から20年以上も前の石巻市の市議会議員は、「命の大切さはよくわかります。とても高尚な活動をしていると思います。しかし、残念ながら、今の石巻市には動物のために予算を取る余裕はないですね~」と言う人や、「鳴き声や糞尿被害もあって、動物好きな人ばかりでないから、税金使えないね~」なんて、合いの手を入れる人もいました。「阿部さん、私も動物好きで、犬飼っているけどね、いくら可愛くても、家には上げない。人間と動物の間には一線引かなくてはダメだよ」なんて諭すオジサンまで出て来ました。オジサンは慰めるように、「家の犬に、迷子札注文すっからね~」と言うので、「犬は何の種類ですか?」と聞いたら「シーズー」と答えたので、「シーズーは室内犬ですから、それを真夏も真冬も外で飼うのは動物虐待ですよ」と言ってやりました。
その後しばらく経ってから、また呼び出され、密室で1名の市役所職員から「今の石巻市では実現できないことなので、訴えを取り下げた方が良い。このままでは何も得られないが、取り下げれば、市報への掲載など、予算のかからないことはできる限り協力していく」と説明されました。勉強会で失望していたので、燃えないゴミのように告知していた不要犬猫の引き取り日のお知らせなどの改善や定期的な原稿の掲載を約束してもらって、取り下げに応じてしまいました。しかし、原稿の掲載は1度きりでした。後々、騙されたのではないかと想うようになりました。

それから14年後、再び石巻市に同様の請願をしました。当時スナックを経営していた私の店に市議会議員さんが何名か来てくれるようになり、「紹介議員になるから提出してみてはどうか?」という話になったのです。時が経ち、石巻市も変わったことを期待して、メンバー10人ほどで市長室を訪ねました。地元の新聞社も取材に来ました。奇しくも2010年3月11日のことでした。市長さんは感じ良く応対してくれて、側近の職員に「早速、資料を集めるように」などと指示していましたが…何の進展ないままに丸一年が過ぎて、震災で市役所も被害を受け、避難所と化して、前代未聞の被災地になってしまうと、またしてもなかった話になりました。
私の店には石巻地区選出の県議会議員さんもよく来てくれて、何度か話題にも上がったのですが…何のアクションにも繋がらなかったので、私はもはや無理な話なのだと諦めていました。しかし、3年前、仙台市街で開催したパネル展会場にやってきた若い県議会議員がいました。県が野良猫の不妊手術に助成金を出すために尽力した遠藤伸幸さんは、野良猫の不妊手術をいかに進めたらいいのかを、現場で携わるボランティアから学ぼうと、自らやってきた人でした。こちらからお願いしたことにも、後日きちんと返事をくださり、アニマルクラブの不妊予防センターが、宮城県が実施している『飼い主のいない猫の不妊手術助成金』実施病院になれたのも、遠藤さんの奔走のお陰でした。長く続けていれば、宛てにしていない時に、期待に応える人が現れるものだと感じました。

長い年月の間に、保健所の対応も随分変わりました。18年ほど前のことです。精神科に長期入院している男性が野良猫に餌付けして、病院から注意を受けて相談をよこしたのですが、入院先の病院に電話しても取り次いでもらえずに日が過ぎて、直接面会に行ったら、その男性の様子がおかしくて、問いただしたら「どうしょうもないと思って、一昨日箱に詰めて、自転車で保健所に置いてきた」と告白しました。
私は院長先生と話して、避妊手術をして敷地内で飼育する許可をもらったので、保健所に電話して、猫を引き取りに行きました。顔なじみの職員に案内されて、動物が収容されている小屋へ行くと、重しをかけた箱を開けて、麻袋を出して来ました。荒縄で口を縛られた袋の中で、猫がもがいていました。職員も噛まれては大変と、野良猫は袋に詰めて、処分する施設に運んでいたようです。その後、宮城県動物愛護センターを訪れた時、麻袋が沢山干してあるのを見ました。飲食もできないまま、丸2日袋詰めにされていた猫2匹をそのままケージに入れて、病院敷地内の原っぱまで運んで、縄を外して、放してやった時の…飛び出して行った猫の姿と、男性の安堵の表情は忘れられません。

その後動物愛護法が改正されて、保健所も市役所も、市民からの相談に慎重に答えなくてはならなくなりました。「野良猫が迷惑で困っている」と言われても、もう昔のように捕獲器を貸し出すこともできません。「うまく共存してくださいなんて、訳の分からないことを言われた」と語っていた人がいました。餌付けした野良猫のことで、近所から苦情を言われた人が相談した時には、「餌を少しずつ減らしていったら、来なくなるのではないか?」と答えたそうです。
何が正解か解らないまま、当たり障りのないことを言って、「ボランティアさんに相談してみてはどうですか?」と勝手にこちらの電話番号を教えているそうです。それならば、私達が応えているように、「避妊・去勢手術をして、トイレも設置して、近所の庭に排便するなら行って片付けて謝ること。トラブルは、町内会長さんなどに間に入ってもらうように」と答え、受け売りだけでなく、実地で学んでアドバイスできるようにならなければなりません。つまり、野良猫の問題にかけては、自分達よりずっと実体験を積んでいる動物愛護団体に教えてもらう姿勢なしに、行政に寄せられた相談を無給のボランティアに丸投げするなんて、慇懃無礼にも程があることを、公務員は反省するべきだと感じます。

避妊予防センターは忙しく、ニーズも高いのですが、いかんせんこの人手不足の時代…スタッフを派遣してくれている病院グループがいよいよ大変になれば、こちらに回せる人材がいなくなります。ドラマなら、そこに『Dr.コトー』のような獣医さんが登場するところですが…現実では閉院せざるを得ません。2008年4月にスタートして、エコーやICUなど、医療機材も少しずつ増やしてきたので、使って手術や治療ができる人たちに提供しても良いと考えていました。筋道でいえば、行政職員の獣医師です。
長年の活動の中で、保健所に勤める何人かの獣医さんと付き合いがありました。県の愛護センターができた時も、初代館長が、前に石巻保健所に居た方だったので、招待を受けて見学させてもらいました。「これからは処分よりも啓発、愛護に変わっていく」と嬉しそうに話していました。この《つて》があったから、アニマルクラブは宮城県動物愛護センターの殺処分レポートをパネル化することができ、『カイが行くはずだった場所』という本を出版して、県外にも広く、行政が実施している不要犬猫の処分の実態を公表することができました。

また、犬の殺処分現場を見せてくれた獣医さんもいました。病気で立てなくなったからと、航空自衛隊松島基地から軍用犬が保健所に来られた時に、たまたま私が居合わせたのでした。「今やってる安楽死ってどういうもんだか、阿部さんも見ておいた方が良いよ」と、立ち会いを許可してくれました。私は、獣医さんが薬を取りに行った間、連れてきた若い隊員に、必死になって、思い留まるように説得しました。「動物病院に運んで、診てもらった上で、助からないと言われたら、麻酔薬で安楽死してもらった方が良い。費用は私が負担してもいいから」と頼みましたが、「上官の命令だから」と、断られました。その青年が泣いてしまったところに戻って来た獣医さんは、きっぱりと「愛護センターに運んで苦しみを長引かせるより、ここで眠らせてやった方が犬のためだから、付いててやって」と言い、青年がおさえて、注射が打たれました。横たわっていた犬が一瞬跳ね起き、呼吸が苦しそうにもがいて、まもなく息絶えました。
その獣医さんは、その後、犬猫を処分する仕事から身を引き、仙台市で動物病院を開業しました。動物を助けたくて獣医師になったのなら、当然の選択だと思いました。

私は、悲惨な状況の猫や犬に、日々仕事として関わらなければならない保健所職員も、「心の中では助かるものは助けたい、不幸になる命の連鎖は食い止めたいと念じているのだろう」と信じてきました。
そしてまた、法律が改正されたからといって、石巻市のような元々財政難の田舎町が、津波に襲われて被災地ともなって…犬や猫のために、大きな予算は取れないことも認識していました。だから、規模は小さいけれども、行政に先んじて《動物たちのためにやるべき方策》を実施してきたアニマルクラブが、保健所に教えられることや譲渡できることは色々あると自負してきました。ところが…時を経ても、法律が変わっても、血の通わない《お役所仕事》で、助かるはずの命が犠牲になった事例が、つい先日起きてしまったのです。

猫連れで陳情に行った時の、市長さんとの記念写真。何らかの変革が始まると期待していました。

石巻市に震災の1年前に提出した陳情書。

その3年前には、県にも提言を提出していました。

平成7~8年は、条例制定のための署名を集めようと、新聞に原稿を沢山書きました。

宮城県動物愛護センターの殺処分レポートは、反響は大きかったですが…多くの人は、驚いて悲しんで終わります。


 

【 10連休の明暗 】

それは、ゴールデンウィークの5月3日の午前中に来たメールから始まりました。若いボランティアさんから、「職場近くのコンビニみたいなところに、箱に入れて子猫が5匹捨てられたそうなので、昼休みに行ってみます」とのこと。彼女だけでは心もとなかったので、同じ職場に居る、友人のたきえさんに連絡。コンビニの経営者ともきっと知り合いであろうから、今後の話をしてもらおうと頼みました。年中無休の私は、世間が連休なのも忘れていました。それでも、たきえさんは1時間半かけて東松島市の自宅から、職場のある鮎川町まで行ってくれました。
ところが、時すでに遅しで…コンビニで、「子猫達は交番に渡した」と聞き、交番に出向くも《パトロール中》の札が出て、留守。ご用のある方はこちらへと書かれた石巻警察署に電話したそうです。事情を話すと、「その子猫達なら、先ほど鮎川町から運ばれて、今はこの建物の中にいますが、ここでは譲渡はできません」と言われたそうです。

諦め切れなくて、Uターンして石巻市街へ。石巻警察署に行きましたが、「明日保健所に移動しますから、連休明けに保健所に連絡してください。規則なので」と門前払いされそうになったそうです。たきえさんは、「何のための規則ですか?連休で保健所でミルク飲ませられるんですか?私なら面倒見れます。命を守るために規則があるんじゃないんですか?」と泣きながら食い下がったのだとか…。警察官も彼女の熱意に打たれたのか、「あなたのことは、保健所職員にちゃんと伝えますから。なるべく早く連絡するように話しますので、お待ちください」と言われたそうです。
そして、翌日、保健所から「11時に来てください」と連絡が来て、彼女は初めて子猫達に会うことができたのです。今回は運良く、名取市在住の預かりボランティアさんから「保護していた子が貰われて、空きができたので、預かれる」という連絡をもらっていたので、たきえさんも安心して迎えに行きました。
「子猫達は生後1ヵ月くらい、離乳しがけという感じ。5匹共元気で可愛い!」と報告が入りました。その日は里親探し会だったので、私は会場から名取のボランティアさんに連絡して、その日の午後、たきえさん宅の近くまで迎えに来てもらうことになりました。

迎えに来てくれた車に子猫達を乗せて安心したたきえさんが、里親探し会場に報告に来てくれました。一昨年合同庁舎が引っ越して、保健所がきれいになったことに感激して、さらに対応した職員の獣医師が良い人だったと言うので、私も興味を持ちました。
「本当は連休明けでないと渡せない規則なんだって。でもまだ赤ちゃんでお世話が必要だから、特例だって。だから、連休明けに譲渡したことにするので、7日に書類を書きに来るように言われた」と聞きました。連休だから、職員も給餌に出て来るのは大変なのでしょう。「他にも猫や犬は居たの?」と私は聞きました。
「猫が1匹だけ居た。皮膚病なのか…毛が抜けているの。カイセンかな?って獣医さんが言っていた。保健所には治療の薬は揃っていないようだよ…私、あの子を引き取って、治療して飼おうと思うんだ。だって、とても人なつこくて、部屋に入った途端に甘えて鳴いて、私を連れ出して~って言ってるようだったもの。だから、獣医さんにお願いしたんだけれど、連休明けに、って言われた。だから、7日に引き取ってきて、病院へ連れて行くよ。応対してくれた獣医さん、アニマルクラブのことも、長く地道な活動をしていることを知っています、って言っていたよ」と言いました。

この機会に、保健所との距離を一歩縮めようと思いました。6日、私はカイセンにも効くレボリューションを成猫用・子猫用合わせて24匹分用意して、アニマルクラブのチラシ類と一緒にたきえさんに言付けました。施設内での蔓延も防いで欲しかったし、獣医なのに、適切な治療ができないのは辛かろうという配慮もありました。また、チラシ類が、犬や猫を連れてくる人達や相談者への応対に一役買ってくれるのではないか、という期待もありました。

ところが…7日、保健所に出向いたたきえさんは、「猫も渡されず、薬やチラシも返された」とガッカリして帰ってきました。薬やチラシを受け取らなかったのは、「保健所の予算で買うべき物を貰うわけにはいかない。チラシを受け取って配布すると、1つの団体だけを特別扱いする事になるからできない」という理由でした。アニマルクラブに協力してもらおうなんて考えはまるでなくて、動物愛護団体には一律に、「見学したければおいでください」と、上から目線の返答をするあたり…「アニマルクラブの活動を知っているって、口先だけだな。浅くて固い頭なのだろうな~行政サイドの一通りの考え方しかできないんだ」とかなり失望しましたが、まだ個人の良心は信じていました。
そして、病気の猫を渡してくれなかった経緯については、たきえさん自身に書いてもらいました。

 

《たきえさんからの手紙》

『グレーちゃんとの出逢いは、5月4日。私が迎えに行った子猫達の隣のケージの中で、きちんとお座りして、ニャーニャー鳴いていました。痩せて体のあちこちが脱毛していました。「これでもかなり良くなったんです」と案内してくれた職員が言うので、いったいいつから居るのだろうと不憫になりました。皮膚病ならばそれに合った治療をすれば良くなるだろうから、早く治してやりたくて、その猫の譲渡を申し出ました。「上司と相談してからになるので、7日に来てください」と言われました。
昨日来たばかりの子猫達は一晩でここから出されたのに、治療が必要な成猫はまだ出ることを許されず、ニャーニャー鳴き続けていました。私には「早く私も連れ出して~」と言っていたいるように聞こえて、後ろ髪を引かれる思いで、子猫達だけを連れて、保健所を出ました。7日になるのが待ち遠しかったです。

そして、7日に出向くと「譲渡はできますが、譲渡が可能になるのは13日。4日に渡した子猫達も、正式譲渡日は13日になります」と説明をされました。ショックでボーッとしてしまいました。がっかりした私を励ますように、「ワクチンしてから渡しますから」と言うので、体調は上向きなのだと思い、待つことにしました。
10日に保健所から電話がきて「あまり調子が良くないので、ワクチンは打たずに渡します」と言われました。ワクチンなんて後でこちらで受けるから、早く引き出してやりたくて、「なぜ13日まで待たなくてはないのだろう?」と、またしても《規則》を恨めしく感じました。

やっと13日を迎え、9時半に保健所に行きました。まず、譲渡のための書類を書かせられました。その時垣間見た、あの子がここに入れられた時の記録に、毛色がグレーと書かれていたので、『グレーちゃん』と名付けました。ネコベッドも用意したし、病院で治療を受けたら、もっと太って毛も生えて、きっと元気になるだろうと、この先を想い描いていました。
そして、前回行った場所に案内されて…私は目を疑いました。そこに居たのは、あのお座りして、声を張り上げていたあの子とは思えないほどに、さらに痩せて、毛がなくなって、丸くうずくまり、鳥のヒナのように変わり果てた…弱り切った猫でした。心が凍るような思いで、動物病院に走りました。

体重1.2キロ、体温34度…先生は「こんなに衰弱した猫は診たことがない」と言いながら、注射と皮下点滴をしてくれました。看護士さんは、診療の間中、ずっと優しく撫でてくれました。『ワクチンを打ってから渡す』どころの話ではなく、もっと早急に治療を受けなければならない状況だったのです。子猫と同じ日に渡してくれていたなら…と思い、悲しくて仕方ありませんでした。
「毎日通うように」と言われて、病院を出ましたが…全てが遅すぎました。グレーちゃんは、その夜、息を引き取りました。』

誰のための規則なのでしょうか?警察に届けられた落とし物と同じ扱い~つまりは、人間に対して言い訳が立つための規則なのです。それをおいそれと変えられないと言い張るのならば、その抜け道として《特例》があるのでしょう。ミルクが必要な子猫には特例が認められ、治療が必要な病気の猫には特例を認めないというのでは、「授乳はこちらの手がかかるけれど、病気で苦しむのは自分でなくて猫だから構わない」と受け取られても、仕方ないと思います。

「箱に入ってコンビニに置かれていた捨て猫には飼い主が出てくるはずはないけれど、保護された成猫には飼い主が出て来て返還を求められるかもしれない」と言い訳するのならば、なぜ、『猶予期間を治療して待つ』という選択肢を選ばないのか?と問いただしたいです。保健所には適切な薬は揃っていない。動物病院で診てもらう予算もない。そこへ、大変ありがたいことに、その子を引き取って治療したいという人が現れた。なぜ、すぐに託さないのか?一言「もしも13日より前に、元の飼い主から連絡が来た場合、返してもらわなくてはないんです」と、ことわっておけば済む話です。
わざわざ病気の猫の引き取りを申し出ている人は、猫を自分の物にしたいのではなくて、猫を助けたいのです。飼い主がその子を探していて、元の家に帰れることを阻むはずもないでしょう。飼い主にしても、治療もされずに弱っているより、親切な人に助けられて治療を受けていたなら、どんなにか嬉しく感謝することでしょう。自分だったらどうだろう?と考えたら、すぐに分かると思います。

もっと、人の心を信じるべきです。道理を守るための決まりであったはずなのに、役所というところには、決まりを守ることを盾に、自分の持ち分から一歩も出ようとしない人達ばかりいます。前例のないことは却下され、丁寧な言葉で防波堤を築くだけだから、その内側は配慮もなければ、気も回らず…人知れず、助かる命も干からびていることでしょう。

避妊予防センターをゆくゆくは行政で活用して欲しいなんて、遙か彼方の夢でした。でも、ここに書いてみたのは、もしかしたら…その方法に意味を見いだし、橋を架けてくれる人が現れるかもしれないから。行政にも話の通ずる人は居ると思うし、国民1人1人がこの現実をどう受け留め、いかに行動していくか?が、変革の源になると感じたからです。

保健所から引き出せた子猫達は、小さな命が生き生きと輝いていて、先行きの明るさを物語っていました。

里親探し会場でも、人気を集めました。

兄弟で引き取られた『ちびた』と『しますけ』~成長した写真が送られてきました。

たきえさんの奮闘で取り戻した5つの命は、迎えられたお宅で、ファミリーヒストリーを築いていきます。

グレーちゃんにも、たきえさんの元で幸せな日々を重ねて欲しかった。可能性の芽を潰したのは誰なのか?検証してもらいたいです。


 

【 殺処分0構想を問う 】

生意気な女子大生が始めたアニマルクラブも終活の時期に入りましたが、40年の時を経て、日本人は動物とのつき合いがうまくなったでしょうか…。空前のペットブームで、名実ともに家族の一員として暮らす犬や猫の割合は格段に増えました。
しかし、動物病院で病気の説明を受けながら、「大丈夫なんですか?」と聞くばかりの人や、「野良猫に餌やり禁止と掲示されたから、もうやれない」なんて嘆く人を見ていると、なぜ、その先を考えようとしないのか…解ろう、突破しようとはしない、臆病で他力本願な姿勢は、相変わらずだとがっかりします。
そして、そんな人達の格好の駆け込み寺が、動物愛護団体です。誇張した、無責任なテレビ番組の影響もあり、あちこちから動物を収容して、里親が見つからなければ一生面倒を見てくれる所だと思い込まれていますが、そんな施設を運営するとしたら、場所、設備、人手…莫大な費用がかかり、しかも永続的に運営していかなくてはないのだから、できるはずがないことを理解しようともしません。
行政が引き取ることができるのは、最終的には殺処分していいというシステムを容認されているからです。しかし、近年、『殺処分0にしていこう!』というスローガンが、あちこちから上がっています。1頭も処分しないということは、人に馴れずに噛んできても、介護が必要でも、生かし続けていくということです。

0(ゼロ)を提唱するのは、動物の生態、習性、行動と心理を知らない、現場を経験していない人達のような気がします。広島で立ち上げられた殺処分しない犬の施設を、マスコミや有名人、ふるさと納税までが応援して、ユートピアに莫大な支援金が集まると、その期待に応えるように、あっちからもこっちからも1000頭以上の犬が集められたそうです。
しかし、そこで働いていた獣医師が昨年、「一般に見せているのは、譲渡できる犬達が居る設備の整ったきれいな施設。譲渡不可の犬達の施設は、人手不足で、劣悪な環境下で気の立った犬達の間で、集団リンチも度々起きて、かなりの数が殺された。犬達はそこで、殺処分0という数字を守るために、ただ生かされているだけの悲惨な状況だった」と告発しました。しかも、「そこでは避妊・去勢が行われていなかった」というのですから、いったい行政は何をどこまでチェックしていたのだろうか、と愕然としました。

アニマルクラブは保護施設ではありませんが、しかし、相談に関わる過程で、あるいは避妊予防センターに来た猫や犬の中で、人間の都合や感情の犠牲になる動物達を受け入れざるを得ない場面があり、常に80匹余りの猫と犬を抱えてきました。
老齢も多く、病気持ちもいます。毎日薬を飲ませて、点けて、療法食を美味しいフードでカムフラージュして与えています。食事の時は、他の子のを取らないように、キャリーやケージに入れて、食欲や食べ方もチェックしています。各部屋には、犬の里親さんの《つて》で無料で取り付けてもらった、中古の防犯カメラがあり、目が届かない時間帯に大量に吐いてあったり、酷い下痢があったり、床にケンカの残骸の毛や血が落ちていたりしたら、録画を早戻しして、誰なのかを確認して対処しています。

終末期を過ごすホスピスでもある私の自宅には、腎不全で皮下点滴が必要な老猫が10匹います。脳障害でしょっちゅうケイレンを起こす猫、どんな薬も療法食も効かない慢性下痢で体中を汚す上に、痴呆が進んでペチャペチャとそれを舐めてしまう猫、まだ若いけれど、知的障害があるようで、台所の食器洗いスポンジや、オシッコしたてのふんわり濡れた砂の食感を好んで食べては、吐くことを繰り返す子もいます。
終生面倒を見るということは、個体管理をして、そうした厄介とも死ぬまでつき合うということです。それなくしての、頭でっかちの《殺処分0構想》は、動物達をかえって苦しめる結末になりかねません。1人の人間が見れる動物の数には、限界があります。この人手不足の日本で、巨費を投じてそんな無理難題に挑む前に、望まれない命が生まれないように、蛇口を締める避妊・去勢手術の徹底実施に予算を回すことこそが、現実策です。

自宅ホスピスのごはん作り~療法食を美味しい高齢缶でカモフラージュして、サプリや薬を隠して、スープやミルク付けて、お好みでウエットとドライの皿分け…と、《注文の多い料理店》は、できるまで1時間。

慢性鼻気で年中黄色い鼻水を垂らして、ズーズー鼻づまり音を鳴らしている『とむすけ』は、危ない所に飛び込んだり、色んな物を食べてしまう知的障害の『おむすび』を可愛がってくれる。

もう10回くらい、危篤を乗り越えた『トラ』は、へたばりながらも、1日1日を積み上げている。

津波で飼い主と犬が階下で死んでいた家の2階で生き残っていた『ちゃーちゃ』は20歳近く、ボケて飢餓行動。慢性の下痢が治らず、それを食べたり、踏みつけながら空腹だと騒ぐ。


 

【 命が伝えること、遺していくもの 】

今年の春から夏にかけては例年より多くの出逢いが重なり、そしてまた、遙か昔に出逢ってから、様々なエピソードを積み重ねてきた猫たちとの別れもありました。何とかもう少し…と惜しまれつつ消えゆく命もあれば、世間から疎まれる命から生まれ出た、望まれない命もあります。しかし、十数年連れ添った愛猫であろうと、昨日連れてきた野良であろうと、間近で何とかしようと世話をしている時は、全身全霊をかけて向き合うから…命には、他の命を引き込み、奮い立たせ、諭していく力があると感じています。

 

(1)情けない飼い主と情なしの行政

3月後半、東松島市役所から「家を手放さなければならなくなった人の、飼い犬2頭を引き取ってもらえませんか?」というメールがきました。いつも答えているように、「引き取ることはできませんが、里親募集はできるので、写真と紹介文、そして飼い主の名前と連絡先を送ってください」と返事をしました。
トイプードルの写真と飼い主の電話番号が来たので、「里親募集をするために健診やワクチンを受けて欲しいし、犬の性格も見たいので、避妊予防センターの開院日に連れてきてもらえませんか?」と伝えました。そしたら、「飼い主は、費用が出せないかもしれない」と言い出し、飼い主が破産したせいで引っ越すという《個人情報》をやっと話してくれました。「費用は後から少しずつで構いませんし、もしも払えないならそれでもいいので、とにかくやることをやりましょう」と伝えたのですが、「里親募集しても、いつ決まるかはわからないですよね?」などと言って…『早く犬の行き先が決まらないと困る』というニュアンスがプンプンしていました。
そして、役所からはそれきり連絡が来なくなったので、飼い主に直接電話をかけると、まだ60代前半の1人暮らしの男性でした。「次の開院日4月4日に、うちのボランティアさんがお迎えに行ってくれるので、ワンちゃんと一緒に来てください。健康状態を把握して、ワクチンを受けておかないと、里親探しができないので…」と話しました。すると、飼い主は「4月4日は、10時までに合同庁舎に犬を連れて行くように、役所の人に言われてるんです」というのです。
「えっ、何のために合同庁舎に行くんですか?」と尋ねると、「何だが…新しい飼い主探してくれるって言われました」
「合同庁舎でですか?飼い主が、必ず見つかるんですか?」
「見つからなければ仕方ないね、って言われました」
そこまで聞いて、私の怒りも炸裂です。怒りの本当の矛先は、無知でいっぱいいっぱいな人に、「しょうがない」なんて曖昧な言葉でハンコを捺させる役所職員に対してです。
「仕方ない、ってどういうこと?」「よくわかんないけど~」「それって保健所に渡す、ってことですよ。殺処分されても仕方ないねで済むんですか?」「それは嫌だけど、んでも引っ越すとこ決まれば1匹は連れて行けるから…」と言い出しました。ペット可のアパートのことを言っているのでしょう。
「アパートから、そう返事が来たのですか?」
「いや、まだ借りられっかどうか、わかんねーけど…」
「1匹助かれば、あとの1匹は保健所にやっていいんですか?」「1匹しか連れて行けないって言われたから、メスの方はオレによくなついてて可愛いから~」と答えました。自分のことしか考えていないようです。
「誰のせいで、犬がこんなことになったのですか?」と反省を促したつもりが、待ってました!とばかりに『人に騙されて借金を背負い、家を手放す羽目になった』身の上話が始まりました。
話を遮り、「とにかく、4日は合同庁舎に行ってはダメです。犬は、アニマルクラブからの迎えの車に乗せてください」と言うと、「んでも、役所の人とも約束してしまったから、何で言うベ?」と聞くので、これじゃあ、詐欺にもすぐ引っかかるなぁ、と思いながら、「今私に言われた通りに伝えてください」と答えましたが、宛てにならないので、その旨を役所にも伝えました。

4月4日、かなえさんが迎えに行くと、市役所職員が3人も待っていて言い訳を並べ、「よろしくお願いします」を繰り返して見送ってくれたと聞きました。
こうしてアニマルクラブに来た『マリリン』と『ワンス』。飼い主は結局、ペット可のアパートを借りることはできなかったそうです。マリリンは聞いていた通り人なつこくて、穏やかでしたので、ボランティアさん宅で預かってもらうことにしました。7歳のオスの『ワンス』は《くせ者》で、普段はおとなしいのですが、嫌なことをされると感じると、突然噛みついてきました。

そして、もっと《くせ者》は飼い主で、「犬が居なくなったら、寂しくて眠れない」と泣きながら訪ねて来ました。これまでのことを尋ねると、「ワンスは臆病で馴れなくて、自分も酷く噛まれたことがある…その頃は仕事で忙しくて、ワンスのことはケージに入れっぱなしにして、あまり構ってやらなかったからだろう。それなのに、ワンスを怒って、可哀想なことをした~」と、口先ばかりの《懺悔》が始まるので、「ほら、そんなに大事な犬を保健所に渡さなくて本当に良かったね。感謝してもらわなきゃないんだから、迷惑かけないでね。安心して帰って、自分の生活を立て直してください」と言うと、「はい、きっと家を買い戻して、迎えに来ます」と急に晴れやかな表情になるので、破産のショックで躁鬱状態なのかな~とも感じました。
このオジサンの襲来は5、6回ありました。里親探し会場に「会わせてくれ~」と号泣して入って来た時には、危機一髪でした。ワンスの里親に申し込んだご夫婦と面談中でした。会場が住宅会社のモデルハウスで、本当に助かりました。里親希望者との話はかなえさんにバトンタッチして、私はオジサンを別な部屋に通して、ご夫婦が申し込みをして帰るまで、泣いたり、しょげたり、でっかいこと言ったりの《三文芝居》に時々合いの手を入れて、時を稼ぎました。
ワンスはその時申し込んだお宅でトライアルを開始して、案の定、途中で里親さんご夫婦を噛んだりしましたが、訓練士さんから受けたアドバイスを守って、少しずつ本来の飼い主と犬との関係を築いているようです。マリリンを預かってくれていたれい子さんは、ちょうど同じ犬種の子を亡くしたばかりでしたので、そのまま自然とそのお宅の子になりました。元飼い主には、離れて暮らす娘さん経由で、里親さん宅で幸せに暮らす写真を送り、もうアニマルクラブには居ないので、来ても会えないことを伝えてもらいました。

『マリリン』は、れい子さん宅の『じいじ」と対面。すぐに意気投合しました。

みんなで散歩にお出かけ~新しい家族のスタートです。

里親さんから、一つ一つ教わっていく『ワンス』。

「時々失敗もしちゃうけど、ぼく、少しずつお利口さんになっていくね~」

(2)マタニティ協奏曲

野良猫を餌付けしている高齢者は、ある程度の数に増えてから、そして、妊娠週数が進んで目に見えてお腹が大きく膨らんでからでないと、避妊手術の決心がつかない傾向があります。本来なら、老い先短いという自覚があれば、自らが責任を負わなくてはいけないことには先手を打っていかなければならないのに、老い先が短いことを免罪符に、つじつまの合わないことをして、その後始末は他人にしてもらおうという潜在的な甘えがあります。
共通しているのは、自分の子供や近親者には「迷惑をかけたくない、嫌われたくない」という防衛本能で、被災して身近になった《ボランティアさん》は、好き好んで弱者のお世話をするありがたい存在だから、何でもお願いしてやってもらおうという厚かましさがあります。つまり、ボランティアさんがいかなる成り立ちで存在していようが、「いるならやってもらう、やってもらえないならできないから仕方ない」という割り切りで、自分を肯定しているような雰囲気を感じます。

前の週に電話をよこして、「お腹が大きな野良猫の避妊をしてもらいたい」と言ってきた女川町のおばあさん。次回開院日の4月18日に予約を入れて、かなえさんが迎えに行くと「4、5日前に産んでしまったのよ」と言い、さらに、「主人に怒られるから、親子をダンボールの小屋ごと、妹の家の庭に運ぼうと思っている」と言われたそうです。妹さん宅とは5キロほど離れているとか。「知らない場所に置かれたら、子どもをどこかに隠して、お母さんだってそこから居なくなるかもしれませんよ」とかなえさんが言ったら、おばあさんは「そうなっても、妹のことは責められないよ~」なんてトンチンカンなことを言っていたそうです。あくまで人間同士の関係でしか、考えられない人なのですね。
そういう人でも猫にエサを与えるのは、猫が自分になついてくることが嬉しいのだと想います。「今は留守のご主人が、明後日には帰って来るそうで、このままだと明日、妹さん宅の庭に移されます」と電話が来たので、私も「親子を連れて来てください。おばあさんには母親の避妊代の他に、子猫のワクチンや医療費がかかればそれも負担してもらうことは伝えてください」と言いました。
こうして、パッチリおめめが印象的な三毛の美人ママが、4匹の赤ちゃんを連れてやってきました。すぐに『ひとみ』という名前が浮かびました。

津波被害が甚大だった旧市街地は一段と過疎化が進んでしまいましたが、「津波で1階ダメになったけれど、お金かけて直しても誰も住む人がないから、二階で生活しているの…」と、手すりにつかまりながら降りて来た老婦人は、「もう40年もエサあげているから、この子達で何代目になるかしら?」なんて楽しそうに言っていました。
捕獲器を使って3月から7匹手術しましたが、最後の1匹が入りません。ケージに切り替え、いつもその中にエサを入れてもらい、そこで食べる習慣をつけて、扉を閉めることができたら連絡をもらうことにしました。

5月7日の夕方、やはり高齢のお手伝いさんより「ケージに目当ての猫が入った」と連絡があり、ボランティアの武地さんが迎えに行きました。手術できるのは明後日です。トイレも入れた大きなケージに移し替えて、木曜日を待ちました。
当日の朝が来て、最初に手術してもらおうと、洗濯ネットに入れた時に、大してお腹は大きくないことに気づき、カルテに書きました。やがて獣医さんと看護士さんが来てスタートしてまもなく、手術室から内線電話が入り、女医さんが「お腹に赤ちゃん、居ませんね。おっぱいも出てるし、もう産んでますよ」と言いました。さぁ、大変!手術を中止して、子猫を捜さねばなりません。もう2日間おっぱいを飲んでいません。お手伝いさんに電話しました。
幸い、敷地内で4匹の赤ちゃんが見つかり、武地さんが「居たよ~生きてたよ~」と連れて来ました。みんな元気に動いていたから、ホッとしました。麻酔が覚めたお母さんのケージに入れると、おっぱいにまっしぐら、険しかったお母さん猫も、穏やかな顔で子猫達を抱きかかえていました。案外可愛らしい丸顔だったので、『メロンパンナ』と名付けました。

その時、アニマルクラブには、前の週に避妊する予定で連れてこられたものの、風邪が酷くて延期になっていた姉妹もいました。昨年秋に生まれ、まだ少女のように小柄ですが、1匹はお腹がかなり大きく、もう1匹は喉に噛まれ傷がありました。
田舎で増え放題に増えた野良猫は野生化して、本能のままに繁殖やケンカを繰り返し、感染症も蔓延しているから、多くの子猫が生まれては死んでいくようです。餌付けしていたおじいさんが亡くなり、見かねた近所の主婦達が後を継いだのですが、「後払い・分割で構わないし、県の助成金があるうちに…」と言っているのに、テキパキと手術に連れて来ません。やっと来れば、その通りの傷病状態で…野良猫の不妊手術を徹底するには、確固たる信念と、計画的な実行力が必要だと痛感します。

獣医師から「抗生剤や消炎剤の注射をして2週間延期しましょう」と言われているうちに、姉妹の一方、『コトラ』と呼ばれていたキジトラが、朝に行ったら出産していました。赤ちゃんは3匹いましたが、1匹は特に小さくて体毛もなく…未熟児のようでした。嫌な予感は的中して、キジトラの女の子2匹は日に日に大きくなっていくのに、ベージュの男の子は見る度小さくなるので、行く度に「生きているだろうか?」とドキドキしながら、覗きました。

『ミクロくん』と名付けて、人口哺乳もしてみましたが、殆ど飲めません。母親のおっぱいにも吸い付けなくなって…体重はどんどん落ちて、生まれて19日で命が尽きた時には60グラムしかありませんでした。このままのお別れは忍びなくて、すっかり親しくなっているクリーンセンターの動物焼却炉担当の職員さんに「お骨が欲しいです」とお願いして、個別に気をつけて焼いてもらいました。
森さんが、自分が育ている観葉植物の鉢植えの中にお骨を埋めて、アニマルクラブに連れて来てくれました。『ミクロの木』は、家族が暮らす部屋に飾られ、姉達の成長と一緒に枝葉を伸ばしています。

一昨年の梅雨時に、廃材の下から大きな声を張り上げて居所を知らせ、兄弟の命を助け、自分は力尽きて3日目に息絶えた『ひばり』のお骨も、ホームセンターで買った5センチもない幼木の下に埋めましたが…今は20倍位に大きくなりました。「日々が穏やかに流れますように…」の願いを込めて、《凪の木》にしたのですが…波乱万丈の日々は延々と続き、あちこちで保護されている子猫の里親探しもあるから、《何かを突っ込めば、どこかが抜ける》生活が続いています。

避妊手術のお迎えのはずが、4匹の子連れで来た『ひとみ』。生まれてすぐからの子猫の成長を見ていると、性格の違いがよく解りました。

人馴れしていない『メロンパンナ』の子育て支援は、給餌もトイレ掃除も大変でした。でも、子猫達は温和で従順で助かりました。

一番若い『コトラ』が、一番母性愛の強いお母さんでした。コトラも娘達も落ち着いた性格の美猫なので、里親希望者にはお薦めです。

この世に16日間しか居られなかった『ミクロくん』。コトラの居た溜まり場ではこうした命、正常に生まれた命も…人知れず消えていきます。


 

【 たまげた事件と幸せな結末 】

6月最初の土日は、里親探し会が続きました。日曜日は、郊外の住宅展示場のイベントに参加しました。その会場に、アッと驚く珍客が来ました。その朝、山道で拾われた捨て犬でした。
何の種類かも判らない、というより、犬なのかどうかもはっきりしないほど、毛が固まって体形も分からず、顔も隠れていました。案の定、保護した青年達も「最初は大きなフクロウだと思った。カラスに囲まれていたから、ケガして動けないのかと思って、車を停めた」そうです。「カラスを追っ払って、近づいて見たら犬だとわかり、何で犬がこんな山の中に居るんだ?と辺りを見回したら、近くにケージがぶん投げられたように転がっていたので、捨てられたんだなぁと解った」と言ってました。とにかく、この人達が通り掛かってくれたお陰で、この犬は命を取り留めたのです。
2人の青年は、ひっくり返っていたケージを組み立てて、犬を入れて、自分達の車に積んだものの、「アパート住まいで連れては帰れないし、どこに相談したらいいだろうか?とスマホでアニマルクラブのホームページに行き着いた」そうです。あんな臭い犬を乗せて来てくれたのですから、良い人達です。

小型犬が山で生き延びるなんてできるわけがないから、おそらく捨てられて、そんなに時間は経っていなかったと想われます。あの毛の固まり方と、それに糞尿が繰り返し付着した悪臭は、長期の閉じ込めを物語っていました。きっと手をかけなくなって放置して、臭いは酷くなるし、吠えてもいたなら、持て余して山中に捨てたのでしょう。食べ物もない、人も通らない場所に捨てるのは、自分が捨てる現場を見られたくないということしか考えていないということ~長期の放置と遺棄は、最も残酷な虐待です。
幼児の虐待事件が後を絶ちませんが、閉ざされたドアの向こうで、こうした虐待を受けているペットも居ると想われます。何か気づいたら行動を起こせる人間が増えることが、日本が危機から脱出できる唯一の方法だと感じます。
私と一緒に里親探し会場にいた、かなえさんがホームセンターに行ってフードを買ってきてくれました。よく食べたので、元気そうでホッとしました。その日は『愛犬家住宅フェア』で、トリマーさん達のテントもありました。朝に「ボランティア活動しています」と自己紹介されたので、この犬をシャンプー・カットしてもらえないか?頼みに行きました。代表者に伝えると言われましたが、結局進展はなかったので、終わり間際に、アニマルクラブの犬達が格安価格でお世話になっているトリマーさんに、この犬の写真を添付して、メールを送ってみました。
「いやいや、この臭くて虫も付いていそうな犬を、子猫で満杯のアニマルクラブのどこに置けるだろう」と頭を悩めていたら、昨年、公園に捨てられて、来る人来る人に愛想を振りまいて、助けを求めていた子猫の里親になってくれたご夫婦が来ました。「あーっ、間に合っていがった~。阿部さん、おらいのマメちゃん、おっきくなったから、見てけらいん」と、車に乗っている猫を見てくれと私を誘うのです。
それどころではない私は、心の中で「マメちゃんは幸せだから、見なくてもいいよ~」って感じで渋々出て行ったら、里親探しの会場になっていた、建築途中の住宅の敷居に足を引っ掛けて転び、ものの見事に顔から足まで、右半身を地面に打ちつけてしまいました。カッコ悪いので、果敢に飛び起きて、見違えるほど成長したマメちゃんに「あららら~大きくなったこと」と驚いてみせましたが、あららら~は自分自身でした。差し歯は欠けるし、唇の上は切れて腫れ上がり、深刻なのは右手首で、いまだに力が入りません。
「阿部さん、大丈夫すか?」と心配されるから、気を逸らすように、山の捨て犬を見せると、2人はいたく同情して、顔もわからず悪臭を放つ毛の塊を「可哀想だな~、マメちゃんと仲良くできればうちで貰いたいなぁ~」と言うのです。このご夫婦も、良い人達です。私は傷だらけでしたが、何だか儲けたような気持ちで帰途につくことができました。
毛の固まりが堅くて首輪も付けられない犬にリードを回して、こわばる手でやっと握り、痛む足を引き摺って散歩をしていたら、トリマーさんの車がやってきました。降りて来て、笑いながら「こりゃーひどい。時間かかりますね~今夜一晩預かります」と言うので、《地獄で仏》に会ったようでした。日常的に良いことしている人は、取り立ててボランティアしているなんて意識はないことを感じました。せめて今夜は、あの犬の世話と心配から解放されることに、しみじみ感謝しました。

翌朝、全く別の犬が届けられました。シーズーのメスでした。「ダニが100匹位いましたよ。私のトリマー史上、一番汚い犬でした」と笑って言われました。それでも格安価格でした。社会で暮らす人々それぞれが、自分にできることを担っていかなければ、動物愛護は進まない《絵に描いた餅》だと感じました。
なるほど、犬の皮膚にはダニに刺されたような跡や長期間の不潔な状況から生じた炎症が見られました。コバルトラインという山道に捨てられていたので、とりあえず『コバルト』と名付けました。コバルトは性格も穏やかで、人なつこくて何の問題もないので、捨てられたのはやはり飼い主の事情でしょう。元々命あるものへの責任を負える人ではなかったのかもしれませんが、お金を払えば誰にでも売る店がある限り、飼い主となる資質をチェックして、未然に防ぐこともできません。

幸いコバルトはフィラリアも陰性で、ワクチンも済ませ、皮膚炎も大分良くなってきた頃、マメちゃんの里親さんから「いつ頃お見合いできますか?」と連絡が来ました。アニマルクラブでもすっかり人気者になっていたから、散歩のボランティアさんは寂しがりましたが…コバルトは、マメちゃんのお宅でトライアル開始。2週間後には「マメと仲良しになったよ~」と連絡が来て、7月20日に正式譲渡となりました。
名前は『ララ』ちゃんになり、里親さんにべったり甘えん坊の写真を、山から連れてきてくれたお兄さんと、トリマーさんに送って、幸せな結末を報告しました。

山道で拾われて、イベント会場に連れてこられた時。なるほど、遠くから見たら大きなフクロウに見えるかも。

100匹のダニと積年の汚れを落として、一夜明けて大変身!あちこち赤く炎症を起こしている皮膚が痛々しい。

あれから、50日…こんな表情をするようになりましたよ~

子供として大切に育てているお父さん、お母さん。受け入れてくれた猫のマメちゃんにも感謝です。

恩人のトリマーさんに、サマーカットしてもらったと、報告メールが来ました。おやおや、マメちゃんとはもう親友ですね!


 

【 チーズケーキと半身トイレ 】

3年前に突然泡を吹いて倒れてから、何の病気かもはっきりしないまま、長患いが続いていた『流星』が5月12日に亡くなりました。母親のアミちゃんも1年半前、「ごはんを早くちょうだ~い」といつものように鳴いてたのに、運んで行ったら、前のめりに倒れて唇が紫色になっていて、抱き寄せたら、コクリと首を落として突然死してしまいました。血栓か心筋梗塞だったと想われます。流星が亡くなり、これでホームページの『ほんかわ(本当にあったかわいい話)』の3匹~アミ・流星・月子はみんなこの世からいなくなってしまいました。

アミは母性愛の強い野良猫で、交通事故に遭ってうずくまって鳴いていた子猫をじっと見守っていました。同じようにその声に引かれて、声の主を捜しに行った私は、自分の背後に視線を感じて振り向くと、向かえ側の車庫の下から真っ白な猫と、さらにその背後にやや大きくなった子猫を発見。鳴いていたのは手のひらサイズでしたから、白猫が、自分の子ではない子猫を心配していることを悟りました。
何とかみんな連れて行くことはできないだろうか?と、音を立てず、見つめもせずに、後ろ足を伸ばして鳴いていた三毛の子猫を拾い上げて、静かに歩き出しました。すると、白猫がついてきました。さらに、その後ろからびくびくと生後3、4ヵ月の子猫も追っかけて来ました。『ハーメルンの笛吹』のような、不思議な夜の出来事でした。さりげなくさりげなく…家まで歩いて、ドアを開けて、子猫を廊下に置き、白猫とベージュの息子が入った瞬間にドアを閉めました。15、6年ほど昔にあった話です。
3匹は実の親子、兄妹のように仲良く暮らしましたが、月子は事故の後遺症で骨盤が変形してひどい便秘症となりました。半年後、摘便の麻酔から覚めずに死んでしまいました。流星は超マザコンで、オトナになってもアミにくっついていました。病に倒れてからは一層、『母ちゃんが頼り』でした。アミは愛嬌があって、明るくて面白く、丈夫だからてっきり長生きすると思っていたのに…出逢いも不思議でしたが、別れもまたキツネに化かされたように不思議でした。
アミを失ってからの流星は痛ましく、食べても栄養にはならず、どんどん痩せて小さくなっていきました。原因不明の喘鳴が続き、脳障害もあるようで瞳孔が開いて、お漏らしも頻繁になり、最近は腎不全も進みました。最期は体重が1キロまで落ちて、子猫に戻ったように見えました。今回は惜別というより、「やっとラクになったね、アミや月子のところに行けるね」という安堵感が強かったです。最後の数日は穏やかに過ごせて、何もかも受け止めて見送った感じです。

それでも、いつも流星が入っていたケージが空になっていると、違和感が虚しさを醸し出すので、一つ一つの命の存在感はゆるぎないとのだといつも感じます。
続いて『おっかあ』もいよいよ危なくなってきました。おっかあといえば、今の場所に引っ越して来た前から、この辺りに居た野良猫で、我が子を私達に託した後も10年近く、気ままな外暮らしを続けていました。『初代くろ』→『ジャイアン』→『うそじゃ』と歴代の彼氏が死んでも、たくましく生き抜いてきた、したたかさで利口な、アニマルクラブの『看板猫』でした。
かつて、勝手口に朝夕ごはんを食べに来ていた頃は、コロコロに太っていたので、野良猫を地域猫として見守っていこう、というポスターのモデルになってもらいました。タイトルは『まるとふとりーな食堂』でした。

震災後一時姿が見えなくなって心配しましたが、2週間後にいち早く戻ってきました。それきり帰って来なかったジャイアンによく似たうそじゃが現れると、すぐに仲良くなる《モテ女》でした。5、6年前に風邪をこじらせて、小屋の中に籠もって居た時に、入り口を塞いで閉じ込めて、家の中に運びました。
一旦家に入れば、男どものように「出せ出せ」とは騒がず、それなりの楽しみを見つけることが、賢さでした。
高齢になって腎不全となり、体重は1.4キロまで落ちましたが、食べる意欲はあり、頭も気持ちもしっかりしていました。
その食欲も止まり、殆ど動けなくなってきました。延々と続く作業を一休みして、おやつを食べながら「そろそろなのかなぁ…」と顔を覗きこむと、目が合いました。おっかあはむっくりと立ち上がり、よろけながら私が食べていたヨーグルトに直行、顔を突っ込んで食べ始めました。顔中白くして、全身全霊で舐めまくっていました。あっぱれでした。
それからまた横になり、何度も何度も…目を合わせる度にかすかに尾を振り、その翌日、静かに昇天しました。火葬に行く車の中、懐かしのGSソングに乗せて、私は得意の即興替え歌で、おっかあを送りました。
「あのとき、君は~若かかあった~ そのあと、君は~強かった~ さいごに、君は~偉かった~ わかっているさ~忘れない~」

そして、5月に2匹を亡くした後で、トラがまたケイレンを起こし、3匹続くのでは…とヒヤヒヤしました。トラは、この活動報告に最多登場している猫です。命が尽きようとしている老猫達に、いつも付き添ってかいがいしく介護してくれた《看取り猫》だったからです。
この子とも、15、6年前、ここに引っ越して来て間もなく出逢いました。ゴミ収集日に、空っぽのポリ袋を舐めていた野良猫でした。その姿があまりに哀れだったので、すぐにキャリーバッグを持ってきて、中に小さな猫缶を開けて置いたら、なんなく入ったので、閉めて連れて来ました。グレーのシマシマの美青年で、誰とでも仲良くできる、穏やかな性格で、ボランティアのおばちゃん達にも可愛がられました。
6年前に前足の指先にガンができて、悪性腫瘍であったために、右前足を肩から切断する大手術を受けたのを機に、私と暮らすようになりました。高齢となっても腎数値などは悪くないのですが、一昨年からケイレンを起こすようになりました。初めは半日~1日、間隔をおいて繰り返し、かなり激しい症状で、こわばって仰け反るので…このまま死ぬのではないか、とそのたびに想いました。ケイレン止めの座薬を肛門から入れても、体に力が入るからか…いつの間にか落ちてきていたので、薬は関係なく、ある程度続くと治まり、その後半日~1日はあまり動けず具合悪そうでしたが、徐々に回復しました。

獣医さんに相談して、ケイレン止めの内服薬を処方してもらい、毎日ごはんに入れるようになってからは、前ほど激しい症状ではなくなり、時間も短くなくなりましたが、回数は頻繁に起こるようになってきました。左前足肉球の真ん中が繰り返し切れて出血して、顎にも出来物がありますが、触られるのをとても嫌がるので、最低限のケアしかしません。どんどん痩せて、1.5キロほどになりました。
偉いのは食べようとする意欲と、普通に生活しようという姿勢です。どんなにヨレヨレ、ヨタヨタになっても、これまでと同じように行動します。最近は胃腸の働きも弱って、ちょっと多く食べれば吐き、食べる量が少なくてあまり動かないから、便秘がちです。体力がないから、踏ん張れなくて、固いウンチを肛門に挟んだまま倒れていたこともありました。下剤は慎重に使わないと、今度は下痢を起こして体力を消耗してしまいます。
私はもう、トラのしたいような生活に寄り添うことにしました。トラはスフレのチーズケーキが大好きです。毎日朝夕、ごはんの1~2時間前に、ショートケーキ5分の1のスフレ部分だけを、陶器のやや深みのある小皿に入れて、一度にがっつかないように切れ目を入れて与えると、とても美味しそうに食べています。それから、時間を置いて消化の良い療法食に、高齢猫缶を掛けて少し与えています。

あちこちのケーキ屋さんを訪ねて買ってみて、トラにちょうど良いチーズケーキも見つけました。ケーキ屋さんに通うなんて、久しぶりです。震災前にスナックをやっていた頃、仙台から転勤で来たお客さんが「石巻って意外にスイーツの水準、高いよ。色々買って来るからさ、食べ比べしようよ」と言い、来る度にあちこちのお店のケーキを買ってきてくれて、2人で批評会をしていたことを思い出しました。そのお味見会も途中で終わってしまいました。震災後しばらくして、「片付け、引き継ぎも終わり、本社に戻ります」と連絡をもらい、そのお客さんにも会えなくなりました。

トラはベッドへの昇降も失敗するようになってきたので、私の留守中はケージに入れていますが、帰って来て出すと、ゆっくりヨタヨタと歩き出し、トイレに行って前足だけ入れて、下半身はトイレの外に出たままで、すまし顔でオシッコしていました。しっかりしているようで、年相応にボケてきました。トイレの周りにペットシーツを敷き詰めました。ケイレンを起こすたびに、「トラがいよいよみたいです。いろいろとお世話になりました。」と人騒がせなメールをボランティアさんに送ったりもしましたが、そのたびに蘇ったトラには、《目力》があります。その目は、時々目やにで汚れ、涙でびしょびしょになりますが、拭き取ってやればまた輝きます。どこまで行けるか…行けるところまで一緒に行きます。
トラのケージに風を運ぶ向かえ側の窓辺には、『おっかあ』のお骨と写真が置かれています。その場所が好きだったからです。トラの傍らに腰掛ける私の正面の窓の外では、大きく枝葉を伸ばした《ひばりの木》が風にそよいでいます。凪の木に込めた願いが天に届くようにと、3週間近くかかって少しずつ書いた活動報告~夏の部を終わります。終盤、ブルーベリーで持ち直していた目が、白く霞んで見えにくくなり、ブルーライトカットメガネの左側を黒いポリ袋で塞いで、書き上げました。《目力》が入るように、『豆乳ブルーベリーヨーグルト』を作って、飲みましょう。

仲良し親子、アミと流星。

長患いの末、最期は子猫に戻ったように小さくなって、ママのもとへ…

近年のおっかあ。すっかりスリムになって、凛とした佇まいの聡明な猫でした。

亡くなる前の日、一念発起してヨーグルトを平らげ~あっぱれでした!

恒例の、《最後のツーショット写真》も、今回は無効。トラちゃん、まだまだ目力あり!

2019年7月27日

 

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