新年の挨拶に代えて

命と生活の天秤に揺れながら…

 12月30日の夜に書いた活動報告の最後に載せた、田んぼに捨てられていた5匹の子猫逹が、大晦日にうちに連れて来られました。しかも、兄弟は5匹ではなく、6匹いて、1匹は取り逃がしてしまった、とハンターのおじさんは言いました。
 「あら~、6匹で寝てたのが1匹になったら寒いよー。凍えてしまうから、その子も何とか早く連れて来てください」と私はお願いしました。
 「6匹もいいんですか?」とおじさんが聞くので、「5匹来たんだから6匹でも同じだから、1匹も残さないでください」と私は頼みました。猟の道すがら通った田んぼの中ということで、住所もわからないし、口では説明できないところなのだそうです。おじさんが捕まえてくれるのを待つしかありません。

田んぼ兄弟-ヨリ

田んぼ兄弟-ヨリ


田んぼ兄弟-トラ丸

田んぼ兄弟-トラ丸

田んぼ兄弟-親分

田んぼ兄弟-親分

田んぼ兄弟-ラテ

田んぼ兄弟-ラテ

田んぼ兄弟-ハク

田んぼ兄弟-ハク


田んぼ兄弟-グレ太

田んぼ兄弟-グレ太

 大晦日はこの他に2件、捨て猫の相談がきました。何とか説得して、ゲージ貸したり、治療費を負担する約束をして保護してもらうことに漕ぎ着けましたが…なぜ年末に、捨て猫がこんなに多いのでしょうか?数年前にも似たような経験がありました。嫌なことは今年のうちに終わらせようというのでしょうか?自分の目の前からいなくなるだけで、見つけた人にとっては苦悩の始まり、終わりになるのは子猫の命だけです。

 そして、元旦。散歩で登る近くの山の登り口で、生後1ヵ月位の白黒の子猫が鳴いていました。近づくと走って逃げましたが、その先にそっくりな毛色の母猫がいました。「野良猫なのだろうか…」と心配で見ていましたが、「もしや…」と思い、近所でたくさん猫を飼っているところへ聞きに行ってみました。
 津波で壊れた家を取り壊し、さら地になっている敷地に、犬小屋位の大きさのベニヤ板で作った小屋を二つ置いて、その中に猫逹がいるようです。
 私が行った時、今は仮設住宅に住んでいる飼い主のおばちゃんが、餌やりを終えて帰ろうとしていました。声をかけると、「今日来たら、小屋の中で子猫が1匹死んでいた」と泣き顔です。「白黒の子猫ですか?兄弟はいたの?」と聞くと、「みんな白黒で、あと2匹いる。母親が白黒だから」と答えました。私が見たのは、死んだ子の親と兄弟でした。
 人懐こいキジトラが、おばちゃんの自転車のカゴに乗って降りなくて、おばちゃんは泣きながら「連れて行けないんだから、降りて~」と猫を降ろすのですが、猫はまたすぐに飛び乗るのでした。被災地の悲しい光景でした。福島第一原発20キロ圏内だけではなく、取り残された動物はこんな近くにもいるのです。
 「なんで仮設に連れて行かないんですか?ペット飼って良いんですよ」と私が言っても、おばちゃんは「無理です~」と、首を振るばかり。同居の弟さんが同意しないようでした。

 その子が可哀想になって、引き取って家に連れてきました。
 常日頃「アニマルクラブは動物収容所ではない。助けようと努力する人をサポートするボランティアです」と言っていますが、外にいたら凍死するような気温の時は“非常時”です。命を見捨ててスタンスを貫いている時ではありません。「とにかく命を繋げなければ…」と、固定電話が使えなかった震災直後、連絡先にした携帯電話の番号が流出して、今でも知らない人からの突然の身勝手な電話に悩まされてもいますが、ラジオ放送や避難所に貼ったポスターで命拾いした子逹もいたのだから、人生苦しみと喜びは背中合わせです。

 おばちゃんから引き取ったキジトラは、私より先に、プレハブの私の部屋に住んでいます。この子は暖房のある部屋に入れましたが、仲間は今夜も、ベニヤ板1枚の小屋の中です。震災前は12匹いた猫が津波で半減し、その後もいなくなったり死んだりして、今は成猫4匹。そこに子猫が3匹生まれた、と言っていました。おばちゃんの家には車がないから、「私が不妊去勢手術に連れて行くから」と言いました。「すぐに家を建てないのなら、プレハブ建てて猫を入れてください」と頼みました。おばちゃんは「そうだよねぇ」といちいちうなづくのですが、どこか抜けた表情で、心許ないのでした…。この人には、震災前にも何度か不妊去勢手術を勧め、無料でしてあげるとも言っていたのですが、迎えに行く日時を伝えると断ってくるのでした。

おばさんに追いすがっていた、人なつこいキジトラ。誰にでもベタベタです。名前を『清十郎』とつけました。

おばさんに追いすがっていた、人なつこいキジトラ。誰にでもベタベタです。名前を『清十郎』とつけました。

 そして、2日の朝。「子猫が山のふもとでうずくまっているから、何とかしてもらえないか」と、近所の人が家に来ました。
 白黒の子猫が1匹、動けなくなっていました。昨日のおばちゃんのところで生まれた子でした。風邪から結膜炎を起こして目やにで両目が塞がり、指先位に盛り上がっています。家に連れ帰り、瞼を清浄綿で拭きましたが、裏側が真っ赤に腫れ上がり眼球が見えません。炎症が角膜までいっていれば失明して、腐った眼球を取り出さなければなりません。でも、今は目を憂いている場合ではありません。冷えきってすっかり弱っている子猫に、まず生き延びてもらわなければなりません。体を暖め、ミルクを飲ませましたが、鼻づまりがひどくてうまく飲めません。ミルクに缶詰めを混ぜて離乳食を作り、見えない目と利かない鼻の前に皿をあてがい、食べ物があることを教えました。

 その日の昼のことでした。山の下でカラスが群がり猫の悲鳴が聞こえたと、庭で洗い物してたボランティアさんが駆けつけました。まもなく、白黒の子猫をタオルに包んで連れて来て、「カラスに腸を引きずり出されて虫の息だ」と言います。温めて、スポイトでミルクをやってみましたが、反応はなく、5分後に死にました。
 昨日聞き出していた、おばちゃんの電話番号にかけて、成り行きを話すと、弟さんが「敷地に埋めるから」と遺体を取りにきました。不妊去勢手術に連れて行くことと、猫が寒さをしのげるプレハブをこちらで手配しますかと聞きましたが、「迷惑かけるから、うちでするからいい」と言われました。迷惑なら、もう散々かけているのに、スーパーからお寿司の盛り合わせを買ってきて、それをお礼を済ませたつもりです。おばちゃんも電話をよこして、「生き残った子猫を見つけてくれたのは、町内のどなたですか?お礼に行くから」と言ったので、私は「家に来た人は何とかしてくれと言いに来ただけで、助けてくれたわけではない。そんな人にお礼するより、飼い主としてやるべきことをやってください」と言いました。

 そして、3日。大晦日に来た《田んぼ兄弟》の、捕まえ損ねた1匹も保護されて来ました。その日はとても寒くて、洗って干したゲージの水滴が瞬時に凍り、道路もツルツルでした。「間に合って良かった。捕まってくれて良かった。」と、その瞬間は最高に嬉しいのですが、ゲージを組み立てて、子猫を入れた頃には、笑顔の裏の不安が首をもたげて、我が家に来た8匹プラス保護してもらっている2匹の10匹に里親が見つかるか?という暗雲が、胸いっぱいに拡がってきました。

 早速、先日、「里親探しの会場に使っていいですよ」と言ってくださった住宅展示場の事務所にメールを送りました。そういうわけで、1月20日、石巻市東中里3-2-23(ツルハドラッグ向かえ)の『フェニーチェセイホクホーム 石巻住宅相談センター』にて、里親探しを開催します。ホームページの里親募集にもまもなく載りますので、よろしくお願いします。幸せになれるなら、遠くてもうかがいます。
 1匹だけ生き延びた白黒子猫の『ノビ』も、日に日に元気になり、抗生剤の目薬と内服で、目も少しずつ開いてきました。

 四半世紀前に、『いななき会』の米山前代表が「動物ゆえに出もやらず、暮らしも脅かされてきた。しかし、他の生き物の苦しみを見て見ぬふりして、人間だけが栄えて何になりましょう」とおっしゃった言葉を、新年の志とさせていただきます。

カラスに襲われ、腸を引きずり出されて死んだ子猫。育てられない命は、生ませてはいけないのです。

カラスに襲われ、腸を引きずり出されて死んだ子猫。育てられない命は、生ませてはいけないのです。

目も鼻も利かない『ノビ』が、ようやく食べ始めました。

目も鼻も利かない『ノビ』が、ようやく食べ始めました。

ノビの目が開いてきました。何とか眼球は無事みたい。良かった!

ノビの目が開いてきました。何とか眼球は無事みたい。良かった!