「今できること、これからやっていくこと」

 やっと活動報告ができます。
「最近近況報告出ませんが、疲れて体調悪いのではないですか?」と連絡くださった方がいましたが、私は自分に厳しくできないので、疲れると、床に毛布敷い てもひとまず寝るので、疲労困憊には至りません。差し入れのアリナミンVドリンクに助けられています。ありがとうございます。
ありがとうをもっともっと言わなければなりません。
「ふんばろう東日本支援プロジェクト」からアニマルクラブにプレゼントを送ってくださった方がたくさんいて、匿名や名前だけの方もいるから、ここでしかお礼が言えません。
ある日から、必要な物ばかり届いて…「欲しい物ばかりくるなんて運が向いて来たかな~」と喜びましたが、仕掛け人は、友人の聡子さんでした。
「えーっ、図々しいんじゃない」なんて最初はビビっていた私ですが、最近は聡子さんにリクエストのメール送ったりなんかして…ちゃっかり助けられています。
本当にありがとうございます。

カンパを振り込んでくださった方々には、まだまだお礼の電話もハガキも出せない状況で、申し訳なく思っています。
動物たちのために動くことが、ご支援に応えることだと思って、1日1日を過ごしています。

ライフラインが開通してくると、かえって用事は増えてきました。
電気一つにしても、停電が直ったら解決するんじゃないんです。
浸水した1階は漏電してるところがあり、まず半分しか点きませんでした。
電気工事屋さんがやっと回って来てくれて喜んだけれど、電気が通ってもパソコンは点かない。アダプターに泥が付いてました。
同様の人が多く、品薄で…2ヵ月近く経って開いたメールボックスには、120通たまっていました。今半分まで返信したところです。
被害の大きさを繰り返し痛感する日々です。

洗濯機2台、温風ヒーター3台、石油ストーブ2台、掃除機5台、冷蔵庫も炊飯器も電気ポットも、エアコン、買ったばかりのブルーレイ内臓テレビも、あらゆる電気製品、ガス給湯機もダメになりました。
中でもショックだったのは、18年前にタウン誌の記者の仕事を終えてから仙台まで通い、国分町のクラブで2年間バイトして貯めた60万円余で買った彫刻機を失ったこと。
家から出てしまい捕獲され、家族が探した時には保健所で処分された後だった犬の事例を教訓に、飼い主を明示しようと、連絡先を彫る迷子札を製作するための彫刻機を購入。
置いて製作してもらっていた千晶さんの店が天井まで浸水して、機械も文字板も津波で流されたそうです。
聡子さんが「中古持ってる人とか、彫刻機の会社が寄付してくれるかもしれないさー」と載せていますが、これはふんばろうプロジェクトには無理なお願いだと認識しております。

そして、もう1つ「ふんばろう」に載せている異色のリクエストは、獣医さんです。
皆さんからいただいた義援金で、マイクロチップを購入しますが、装着を手伝ってくれるボランティア獣医さんを求めています。

津波に流されてしまった、あるいは地震後に姿を隠してしまい、共に避難することができなかった…と、ペットを捜している方がたくさんいます。
その方々が口にするのは、「連絡先を付けておけば良かった。そしたら、たとえ死んでいても遺体は帰って来たかもしれない」という切ない言葉です。

アニマルクラブでは、犬や猫の首輪に迷子札を付けることと、一生涯持続するマイクロチップを装着することを提唱してきました。
不妊予防センターにおいてもマイクロチップの装着を実施してきましたが、まだまだ普及には至っておりませんでした。
しかし、地震や津波を経験した今だからこそ、県民はマイクロチップの必要性に気づいてくれたのではないかと思います。

今だから、「マイクロチップキャンペーン」を実施します。
マイクロチップ装着と登録にかかる費用は、通常だと5000円位と聞いています。
今回、義援金で買えるだけのチップを買って、無料で付けてあげると、普及はそこで止まってしまいます。
ですから、気軽に受けられる金額として『2000円のカンパ』を設定しました。
そうすれば、そのお金で次のチップを購入することができるからです。そうやって、宮城県にマイクロチップを普及させていきたい考えです。
なお、津波により財産を流されたりして、2000円の負担も大変な方は無料にします。
マイクロチップは、直径2ミリ、全長12ミリの円筒形。15桁の個体識別番号が記されていて、飼い主の名前や連絡先などの情報を登録しています。
災害や盗難などではぐれても、専用の読み取り機で、「身元」が確認できます。
しかも、耐久年数は約30年と、犬や猫の寿命より長いから、一生涯保持できます。
装着方法は、犬や猫の首の後ろに、太い注射針のような、専用の使い捨てインジェクターで埋め込みます。
注射のタイミングで終わり、通常は痛がったり暴れたりもありません。
5月23日より月曜日と木曜日、イオン石巻ショッピングセンター内ワイワイペットクリニック第2診察室で実施していきます。
不妊予防センターの修繕は完了しましたが、大雨降ると近くで冠水するので、もう少し様子を見ます。

従来のボランティアさんも自宅が片付かず、引っ越したり、体調を悪くした人もいて、今来れる人はわずかです。
私の店も大破して失業してしまいましたが、当分はアニマルクラブに専念せざるを得ない現状です。
そんな中、時間を見つけては山形から通って来てくれる加藤さんは、清掃から大工仕事、内装屋さんまで手掛けちゃうスーパースターで、こうした人との出会い が、被災した私達の励みになり、明日への希望が差し込んでくる窓を開けてもらったような気がします。日々の掃除や散歩のボランティアに来れる方もいてくれ たら、助かります。

イオンのクリニックに間借りして、不妊予防センターを再開するにあたり、安否確認を兼ねて、ハガキを出しました。
予想以上に、亡くなっていた犬や猫、飼い主さんの報告がありました。
宛先不明で戻ってきた枚数も多かったです。
カルテ名簿をみた段階で、被害の大きかった地区の町名にドキドキしてしまいましたが、心配が現実のものになると、「なぜ、こんなことが…」というテロップが、頭の中に流れるばかりです。

待合室で、いつもお姉さんぶって、ミーコとジジに話しかけていた、おしゃまな桃花ちゃんの家は東松島市の大曲浜のすぐ近く。
お母さんの直美さんは若いのに、愛情深く4人の子供と2匹の猫を大切に育てていました。
猫のことで時々電話で質問されました。真面目でひたむきな方でした。不妊予防センターに、手作りのおやつを持って来てくれました。
あの日も、子供たちと猫を乗せて、車で逃げようとしたところに津波が襲ってきて、みんな波にさらわれていく中、中学3年生のお兄ちゃんだけが、壊れた車窓から逃げ出して一命をとりとめたのだそうです。
母と姉と弟、妹、猫のキャリーも流されいくのを見た少年は今、直美さんのお姉さんの家から高校に通っているそうです。
同じ様な話をいくつか聞きました。あの優しかった人が…、あの明るかった人が…可愛がっていた犬や猫と共に、もう二度と会えないところに、連れ去られてしまいました。
また、ハガキを見たことで、家に置いて自分だけが逃げた自責の念を吐露して、電話口で「ごめんね」を繰り返して泣く方もいました。
私は「しかたなかったね」と言うしかできません。共に暮らして、その子のことを一番思っていた人が助けられなかったことを、後になって批評する権利なんて誰にもないからです。
「もうダメだ」とどこで判断するかは、キャパシティの問題かもしれませんが、「まだ大丈夫」と判断して死んだ人の話もいくつも聞きました。

津波で家がダメになって避難所にいるご夫婦が、自宅に残っている猫のクーコを保護できない、と相談に来たので、捕獲器を貸して、無事保護してうちで預かりました。
いつも散歩していた犬のコロ助のことを尋ねました。
すると…あの日、地震の後で、クーコは姿が見えないから、コロ助だけ連れて、指定の避難所になっていた小学校へ行くと、「小型犬以外は入れてダメ」と言われて、コロ助は昇降口に繋いで、夫妻は二階へ上がったそうです。
教室の窓から、校庭に津波が押し寄せて来るのが見えて、ご主人が階段を降りようとすると、すでに昇降口には水が入り込み、奥さんが「お父さん、危ないから諦めて!」と叫んだのだそうです。水が引いてから、コロ助の遺体を引き上げた夫妻の気持ちを思うと、やりきれません。
誰が、どんな権限で中型犬は校舎に入れてはダメなんて言ったのか…この憤りは、浅はかな線引きで、助かる命を見殺しにするあやまちを繰り返さないように ルールを決めなければ、気が済みません。そして、飼い主は土下座してでも、強硬突破でも、我が身から離さないようにしないと、緊急時にペットを守ることは できないのだなーと痛感しました。

私自身、いつか来るだろう大地震に備えて、水やフードや猫砂を買い置きしてました。しかし、その時自分は家にいるものだと思い込んでいました。
留守の時に、沿岸部でもない我が家まで、猫砂が流され、家の中のフードまで水浸かりになる津波が押し寄せるなんて、考えてもみませんでした。
我々日本人には危機感が薄く、身を護る術を知らないまま暮らしてきた人が多いと思います。
今回3匹の命を犠牲にしてしまった私は、今、ようやくリコとマメコとクララの最期の姿を直視することができます。
リコもマメコも臆病でよく吠えるから、「お母さんいるから大丈夫!」っていつも叱っていたのに、一番必要な時にいませんでした。
あの日の午前中、リコが大暴れして小屋を壊して、横にして、ふてくされたように入って出て来なくなった姿を「バカだねー」と笑って撮って、私は出かけました。
バカだったのは、私だったのに…。

マメコ クララ

 

リコ

そして、 ちょうど四十九日の日、五井美沙さんの遺体が、この地より東に直接距離で12、3キロ、途中の半島を迂回したことを考慮すれば20キロ以上も流されて、荻の浜に流れ着きました。
会社のエプロンをしていたから、わかったそうです。五井さんの妹さんは、「実家もなくなり、思い出もなくなり、言い様のない絶望感に襲われた」と言っていました。
そして、またあの純粋無垢で、常に自分より弱い物を優先に考える、穏やかな姉が、生きていたことを残したい、と望んでいます。
あの日、私は五井さんが描いた絵を、多賀城市民会館で展示中でした。
午後3時に市長さんから直接受け取る予定だった、フジコ・ヘミングコンサートの収益からのご寄付70万円が、数日前に口座に振り込まれてきました。
私達は、そのお金で五井美沙さんの作品集を作ろうと話し合いました。

五井さんの絵を最初に見たのは、難病の猫、千代豆が亡くなった後で、「よかったら、受け取ってください」といただいたスケッチでした。
その絵は、体が弱く、温和で、お茶目で人なつこい『千代豆』を、人肌で伝え、慈愛と惜別に満ちていました。

私は、彼女に、他の子達の絵も描いて欲しいと頼みました。
それから、時折、仕事や家事の合間に描いた絵を持って来てくれたので、それぞれの子のエピソードを添えて、昨年秋から市内のギャラリーやショッピングセンターの掲示板で作品展をしてきました。
「いつか作品集を出そうね」と私が言った時、五井さんは恥ずかしいような、困ったような顔をして黙ったままでした。
五井美沙さんの生活の軌跡は消失してしまったけれど、心を込めて描いた絵だけは残りました。
そして、泥にまみれで99パーセント捨てざるを得なかったリビングに置いてた書類の中から、奇跡的にきれいな状態で出てきたのが、五井さんが最初に描いた千代豆のスケッチでした。
五井さんが生きた証~彼女が残した作品を見て欲しい、と思いました。
その絵を通して、彼女の生きる姿勢や、言葉にはしなかった想いや願いを感じて欲しいのです。
まだ時間はかかりますが、今回支援物資やカンパを送ってくださった方々に、いつかお送りします。
だから、匿名で支援してくださった方も、お名前と住所をお知らせいただければ幸いです。

さて、命は連続する営みです。
沢山の命が消えた町の片隅で、新たな命が生まれてきました。
野良猫の子供と、捨て猫が次々やってきました。22日、東松島市のロックタウンで里親探しを開催します。

死んだ野良猫の傍らに4匹の乳飲み子がいました。