◎猫とボランティアからの共同提言(スマホ版あり)

 

スマホ版の活動報告はコチラをクリックすると読めます

 

 

 

     さくら散る
     生まれることを
     許されぬ
     命取り出す
     窓を雨打つ

 

 

昨日は宮城も季節はずれの25℃の夏日となり、さくらも一気に満開となりましたが、今日は15℃余り下がって、強い風が雨を打ちつけて身震いするような冷え込みです。
手術室では、今日も獣医師と看護士が黙々と避妊・去勢をやっています。週1回だけの不妊予防センター開院日には、早朝から捕獲器に入った野良猫が次々と連れて来られます。例年、春になると妊娠している野良猫の手術が増えます。猫の繁殖能力は凄まじく、猫に避妊・去勢手術をしないで、人間社会で共存することは絶対に無理です。

今日の手術は、メス5匹、オスが3匹でしたが、メスは全員妊娠後期でした。あと1~2週間もすれば、それぞれが4~5匹の子猫を出産するところでした。
猫達は、民家の庭先や、農家の納屋などで、エサを貰っている野良猫です。数ヶ月、中には数年前からエサを与えていたにも関わらず、「今にも生まれそうなお腹になってから、慌てて手術を依頼して来る人がなぜこんなに多いのか…」と、いつも呆然とします。
外で生活しているのですから、いつ妊娠するかわからない、妊娠週数が進むほどに手術にはリスクが伴う~常識の範疇だと思う想像力が働かないのは、エサは与えても所詮は自分の体ではないから、「生まれたら(自分が)困る」段にならないと、お金や手間のかかる行動に踏み切れないのでしょうか?

命の存続に手を貸すことは、その命と向き合い、派生することにも責任を持つことです。平和な国で長らく他力本願の安楽な生活を続けてきた日本の老若男女は、「秋に生まれたばかりで妊娠するなんて思わなかった」とか、「最近、姿を見せなかったから判らなかった」と言い訳しながら、「生まれたら大変だから、すみませんが早く手術してもらえませんか」と、何とか頼み込むことを解決手段としています。

そうやって、やっと今さら連れて来られた野良猫達は、それでもすべり込みセーフで、苦難の子育てをしないで済みます。
動物病院も人手不足で、不妊予防センターに派遣できる若い獣医師もめっきりいなくなって、今は、14年前にスタートした当時と同様に、ベテランの総院長先生が来てくれているので、かなりお腹の大きな猫達の手術も安心してお任せできるのが、せめて私の心の支えになっています。

手術で取り出された臓器は、手術室の冷凍庫に入れられ、定期的に医療廃棄物処理会社の方が回収に来てくれます。今日冷凍庫に入れられた、5匹の野良猫の子宮の中に居た子猫は合計21匹。もうはっきり形も現れ、よく見れば毛も生えていました。この現実を省みることで、野良猫との真摯な関わり方を考察して実行に移してもらえることを切に願い、レポートします。

 

[4月14日、不妊予防センターで避妊手術を受けたメスの野良猫たち]

 

カルテ№6695『小春』…年齢1~2歳、妊娠後期4匹

 

 

カルテ№6696『ミケ』…年齢約4歳。妊娠後期4匹

 

 

カルテ№6698『くーちゃん』…生後7カ月、妊娠後期4匹

 

 

カルテ№6699『ジャイアン』…生後7カ月、妊娠後期4匹

 

 

カルテ№6700『ノラ』…年齢不詳、妊娠後期5匹

 

 


 

《  地域猫、保護猫ブームの舞台裏  》

開院日の木曜日は4時に起床して家の30匹の猫達のごはんや水替え、トイレ掃除をして、アニマルクラブ内の猫達の見回り、犬の散歩をしてから、9時に手術がスタートします。捕獲器を開けずに棒を使って洗濯ネットに猫を入れることは私しかできないので、野良猫の手術が多い日は大忙しです。
外来診療もあり、中には一般の動物病院に支払うお金がないために、ここの開院日を待っている人もいます。尿道結石などの命に関わる病気の場合は、「貧困は暴力だ」と言ったガンジーの言葉をしみじみと実感します。ここでは器具や時間がなくて対処できず、系列の病院に回して、結局その人が支払えなくて、肩代わりしたことも何度もあります。こちらが紹介した人が迷惑をかけては、不妊予防センターの存続にも暗い影を落とすことになるからです。

ご飯を食べる暇もなく、菓子パンとせんべいを食いつないで夜になります。待合室を入院スペースとして、ケージを並べ、寝床やトイレを設置。あくびと居眠りも時々入り、アリナミンVドリンクを飲みながら、カルテの内容を確認、記録する頃には、22時を回っています。狭い待合室に、今夜は6匹預かりました。エサを与えてはいても、触れない猫の手術服を脱がせて、お腹の傷の治り具合を確認することはできない人が多いからです。

まもなく産まれる子猫で大きくなった子宮は、特に何度も妊娠や出産を繰り返していると、膨らませては萎んだ風船のように脆くなっているそうです。手術後にお腹の中でじわじわと出血したりはしないかと…術後の様子が変化しないか、見守る必要があります。
そして、もう一つの危惧は逃走です。人が居る間は、奥の方でじっとしている野良猫も、夜になると、何とかケージをこじ開けて逃げることを試みるのです。
以前、「自分には懐いている」と言うおばあさんの言葉を信じて、術後大きなケージに入れて送り届けたのに、翌日「ケージから出て、外に逃げられた」と電話が来て、捕獲器を持って捕まえに行ったことがあります。猫は木の枝に服を引っ掛けて脱いで、お腹の傷を舐めていました。捕獲器に入ってくれて助かりましたが、あのままだったら傷口を化膿させたり、傷口を開けて…助けるためにしたことで命取りになりかねなかったので、こちらで管理するケースが増えました。
なので、入院が多い日々は気が気ではなく、深夜でも早朝も…見回りに行かなければなりません。

 

待合室は、夜には入院室となり、今週は病床使用率120パーセント。

 

 

高校時代から活動を始めて30年以上経っても…掛け声だけではなかなか不妊手術は普及しなかったから、低価格でしかも分割払いも認め、捕獲・送迎も手伝う動物病院事業を始めて、14年目を迎えました。これだけ野良猫の避妊手術を実施して、望まれない命が社会に生み出されていかないように貢献しているのに、アニマルクラブ石巻の不妊予防センターでの手術には、宮城県が実施している『飼い主のいない猫の不妊手術の助成金』の支給はありません。
理由は、補助金は宮城県獣医師会会員の動物病院しか対象にならないからです。それでも、もらえれば手術に踏み切る人が多いからと、年間5万円の賛助会員費を出して、支給資格を手に入れて、昨年夏まで2年間は対象病院にしてもらいました。

しかし、そこには《事前申請》の壁が立ちはだかりました。大切な税金から出ている助成金を使うためには、前もって申請書を提出しなければならないそうですが…相手が野良猫なので、予約を取っていた日に捕獲出来ないケースも3分の1くらいあります。こちらは週に1日だけの開院なので、せっかく来る獣医さんには目いっぱい仕事してもらいたいし、今週捕まらなかった猫のために、来週か再来週には空きを作っておく必要があります。
なので、水曜日夜から木曜日朝にかけては、先々に予定を入れている人達に連絡して、代わりに連れて来れる猫を探します。そうやって繰り上げて手術に来た猫はまだ申請書類の準備が整っていないから、申請者の名前と手術した記録のみを書いた仮の状態で、宮城県獣医師会にはとりあえずFAXしていたのですが…「野良猫であることを証明する連署人2名の署名捺印がない物は認められない」と再三注意を受けました。なぜなら「野良猫という証拠がないから」だそうです。「捕獲器に入って来るのだから、野良猫に決まっていますよ」と言ったら、「それはあなたにしか、わからない。こちらは連署人のサインがあるかどうかで判断します」と言われて…同じ目標を定めながらも、日々の目的はまるで違うことを実感して、助成金支給病院になることは諦めました。賛助会員会費も助成金に回した方が、現実的に想えたのです。

不妊予防センターの価格表をちゃんと見てもらえば分かりますが、一般の動物病院と遜色ない検査や麻酔の設備、薬品を使用して実施している避妊・去勢手術は、採算ギリギリに設定した低価格です。メスで5000円、オスで3500円助成できれば、県からの助成金を受けた場合の一般病院よりリーズナブルになると判断しました。

 

《  独自の助成金をスタート  》

さて、毎年赤字収支の弱小NPOがいかにして助成金を作るのか…それは、自分達が作った本『動物達からの絵手紙~昨日、今日、明日へ』の販売収入です。アニマルクラブで暮らす子、ここで一生を終えた子、里親さんの元で行き直した子…苦難の生い立ちを乗り越えて、安らぎや幸せをつかんだそれぞれのエピソードが添えられた画集です。ドキュメンタリーに寄り添ってきたボランティアだから描ける、生き生きと愛情のこもった絵の数々…62ページに69匹が登場する画集の税込価格1000円全額が助成金になります。石巻市内と仙台市内のヤマト屋書店各店で特設コーナーを設けて販売していただいている他、ホームページから申し込んでもらえば郵送します。

1月末までの売上げから25万円計上。3月より早速使って、野良猫の不妊手術を促進しています。2月以降はあまり売上げ額が伸びていないので、是非ともこの画集の存在と売上げ用途の紹介を広めるお手伝いをお願いしたいです。
まずは1冊購入して、是非ご覧下さい。長年広告ライターの仕事をしてきた私と、今も印刷会社に勤める平川さんが2年間かけて編集しました。平川さんの鉛筆画と、森さんの水彩画は本にして販売できる出来映えだと自信を持ってお勧めできます。かつて日本中の薬局の店頭に居た緑色のアマガエルのケロちゃんの生みの親である画家の久世さんや、森さんの絵の仲間も友情出演しています。

私達は拙い頭と、体力を精一杯駆使して、東日本大震災の損失から復興しきれてはいない石巻市で、悲惨な生き様を強いられ人知れず消えていく野良猫を増やさない活動を続けています。
正直なところ、積年の疲れが溜まっているので、私や私より年上のボランティアさんを見回せば、「あと3年は大丈夫かな?10年は無理。5年を目処に舵取りしなければ…」なんて頭に浮かびます。できることは先細り、徐々に社会活動からは退いていかなければなりません。自宅とアニマルクラブで抱えている動物達を看取ることが、最後に果たすべき約束だと認識しています。
私はもう40年以上も活動を続けてきましたが、宮城県に動物愛護推進委員の制度ができた時にも、委嘱されることはありませんでした。余計な処に目が届き、改善の提案をするからでしょう。

30年位前に県が実施した動物愛護週間のイベントに、保健所に収容されている子猫の里親探しの手伝いを頼まれて行った時のエピソードです。誰にあげるかは、面談ではクレームが出るから抽選だと言われました。小さなロバに引かせる箱車に大勢の子供を乗せたり、ポテトチップを配るのと同様にヒヨコを配布していました。閉会後、会場にはヒヨコの紙袋が置き去りにされ、それを拾って届けたボランティアさんが、「職員がビニール袋に入れて窒息死させている現場を見てしまった」と言っていました。私は「動物を使って、人間が楽しむ動物愛護週間になっている」と河北新報に投稿しました。『論壇』に掲載された日、塩釜保健所から、「今後アニマルクラブは一切参加させない」と電話がかかってきました。

少女の頃に願った、不当な扱いを受ける不幸な動物がいなくなる社会の実現に向けて続けてきた活動の中では、ごくごく小さなスケールではありますが、不妊予防センターのように、試みが形を成したこともあります。在宅医療のようなことも、ささやかに実践しています。高齢になると判を押したように腎臓病になる猫達と暮らす人達に、家で補液ができるように教えに行ったりしています。
一昨日は、東日本大震災の時に大勢の市民が駆け上った日和山のお宅で、老老介護をしながら、3匹の老猫も抱える男性を訪ねました。被災犬だったバロンもすっかり年老いて、今ではアニマルクラブの室内で暮らし、最近は認知症気味なので、大好きだったドライブに連れ出すことにしました。補液指導の後、散歩しながらミニミニお花見をしてきました。日和山には『野良猫が増えて困っています。むやみにエサをやらないで』という、的を射ない曖昧な、石巻市の看板がありました。

 

 

久々のドライブに最初は震えていたバロンも、次第に窓から鼻先を出して自分を取り戻し、結構長い道のりを頑張って歩いたから、サクラも花暖簾で歓迎してくれました。

 

 

この看板を作る予算で、『エサをやるなら、避妊手術もしましょう。ご相談下さい』という内容には出来ないものでしょうか?

 

 

その前の日は、来週手術の予約を入れた野良猫の面倒を見ているおばさんを訪ね、捕獲の説明などをしてきました。「町内会は、野良猫が増えるからエサをやるなという回覧板を回すだけだし、保健所に相談すれば、法律が変わって引き取れないから、自分で考えてと言われた。どこも何も解決にならないことばかり…」と憤慨していました。
アニマルクラブが撒いた種を次代に咲かせるために、昔とは随分変わったはずの行政にバトンを渡したいと願いましたが…市役所や保健所の職員は見学には来てくれて、アニマルクラブの1階で作業しながらも、2階やプレハブの猫部屋の様子もカメラで一同に見られるモニターや、不妊予防センターの待合室に並ぶ6500枚を超えるカルテファイルに、感心してはいましたが…今のところ、そこまでです。新任の市長さんも、『動物に優しい町、石巻』のキャッチフレーズや、「市役所の中に、地域猫のための動物病院を作って不妊手術を推進してはどうですか?」という提案に、身は乗り出しても、手足は動かない段階です。

だから、詮ない針穴通しからは、目を移すことにします。年端のいかない、肩書きもない、ただ一人の人間の志を持ち寄って、あって当然の配慮や構築すべきシステムを実現させていくことに、残る力を注ぎたいと思います。自分にできることで、動物たちの役に立とうという人達は、まずはこの現実を、それぞれの手段でより広く社会に知らせていくことに、どうかご協力下さい。

 

日本中のあちこちの庭でこんな光景が見られますが、この子達の命と生み出される不幸の連鎖に、真剣に対処しようとする人は、いったいどれくらいいるのでしょうか?

 

 

2022年4月14日