【 適わぬ願いも、叶える夢も 】
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バロンと散歩する山に向かう小道の桜の木々のつぼみが今にも咲きそうに膨らみ、日当たりの良い山の上の木々が開花してくると、桜色と青空のコントラストに「活動報告書かなくちゃ~」と背中を押されました。
今年はさほどの大雪もなく、当地は恵まれていた方ですが、猫も私も冬は苦手です。老猫ホーム兼ホスピス兼私の住まいの借家は昭和ノスタルジックで、隙間風と床下からの冷気で、4部屋あって広い分、非常に暖房費がかかります。結露がおびただしく、出窓上部のすぐ内側に 突っ張り棒を付けて、LLサイズのペットシーツを下げて結露を吸い取るようにして、窓下のさんにはMサイズのペットシーツを細長くたたんで敷き詰めて溜まった水分を吸い上げ、さらにその手前にビニールカーテンを垂らして冷気を防ぎました。ペットシーツの重みで突っ張り棒がずり下がる前に、シーツを交換する作業がなかなか面倒です。私が編み出した手法は分かりにくいようで、ちょうどパソコン修理に来てくれていた平川さんにも手伝わせたら、カメラマンから製本・ポスター製作などを一手にこなす広報担当の救世主からも、「あの作業は苦手で、ちょっとトラウマになったんで…」と、やんわり《もうごめん》宣言されてしまいました。
そして、温風ヒーターが3時間で切れるから、白い息を吐きながらピリピリと痛い冷気に頬をさらされつつ…深夜にアニマルクラブに再セットに通うのが、冬の任務。犬達や盲目で脳障害の猫のニャーゴも、冷えればオシッコが近くなります。老犬ユキも、とうとうサークル内で気分次第の排便排尿モードに入って…まみれた現場にも度々遭遇したので、オムツ着用となりました。自宅に戻れば、腎臓病で皮下点滴をしている老猫達のオシッコの量もハンパなく、寒いと嘔吐する頻度も多くて、あっちこっちに点在する現場に、まずは使い捨ての古タオルの小片を被せて回り、夜明け前の清掃業開始…暮らしを守るだけで精一杯だった冬が、やっと終わりました。
私の頭の中では今、やりたいこととやらなければなないことがぴょこぴょこと、頭を出したり引っ込めたりしています。実現は、伴わない体力と知力をいかに保たせて、どう順序立てて組み込ませるか…にかかっています。
春先もまた体調を崩す猫達がいて…老猫のトラは突然ケイレンを起こしてそれが繰り返し半日続く、という症状が2回起きました。「猫も花粉の影響を受けるのかな?」と思うほど、とむすけの鼻炎、気管支炎の症状がいつもに増してひどくなって…本人も疲れるのでしょう、大量の鼻汁を垂らしたままうたた寝しています。また、最近は野良猫にエサを与えている老人やアパート住まいなどの人が「術後放せるようになるまで預かってもらえるなら、避妊してもいいけど…」などと言うケースが多くなり、手術普及のために、何とか事務所や風呂場にケージを置いて、預かる機会も増えました。夜になるとケージの中で段ボールやペットシーツを食いちぎり、水入れやトイレをひっくり返して、翌朝にはトイレを被って隠れていたりするから…掃除と逃亡防止策に四苦八苦です。そして、目の前で起きること以外にも、あちこちから寄せられる様々な相談の飛び火が、次々と心配事を運んで来て…時間は、どんどんすり減っていくのです。
さらに、法人の確定申告も5月末までに提出しなければなりません。消費税は経費が幾らかかろうと、あくまで売上に対してかかる税金。昨年度の売り上げが例年より若干伸びたがために、避妊予防センターは来年度より消費税を支払わなければならなくなり、『※これに消費税が加算されます。』と、料金表を改訂したところです。
おまけに、6種混合ワクチンを作っていた製薬会社が猫ワクチンから撤退したそうで、外にも出る猫には、3種ワクチンと白血病ワクチンを別々に打つこととなり、ワクチン代も高くなってしまいました。避妊手術や治療をしてもちゃんと支払えないケースが、例年1割近くあるので、何とか事業が回って行くための価格設定をしなければなりません。低価格がモットーでやっているだけに、ギリギリ採算が取れるラインの設定は、切ない難題でした。
それでも…最近同級生のお通夜に行った時に、身に染みて感じたことがあります。私の店のお客さんでもあった彼との…高校時代から五十代までの共に過ごした場面を思い浮かべた時、ふざけたり歓声上げたり文句言ってたあの人が、もう何もできなくなったことを想えば…何日かけても、私は皆さんに、共に考えて欲しいことを伝えていこうと思います。
高齢になると、ケイレンを起こす猫も多い。トラはこの冬、「このまま死ぬのか…」と思う夜を2回乗り越えました。
一日中スイッチョンみたいに喉と鼻が鳴って疲れるのでしょう…鼻汁を垂らしたまま居眠りしているとむすけ。
20歳前後だったハルは、目が見えなくなり、歩けなくなって…3月1日に老衰死。亡くなる数時間前の安らかな顔です。
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野良猫は夜になると動き出す。ケージの中を散らかして、トイレにこもって、掃除をすれば威嚇する…
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【 誰がための『猫だすけ』】
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それは、一番寒い時に起きた事件でした。1月半ばの木曜日、避妊予防センターの開院日なのに、大雪で高速道路も閉鎖され、仙台から来る獣医さんも看護士さんも全然着きません。待合室がどんどん過密になってきた昼近く、外来担当獣医師がやっと到着しました。真っ先に診察室に呼ばれて行ったのは、最近保護した野良猫の健診とワクチンに来た若い女性、一緒に来たお母さんは待合室に残りました。手術担当の獣医師からも「もうすぐ着く」の連絡をもらい、私は手術室に猫を運ぶ準備をしていました。
突然「ギャー」という人間のすさまじい悲鳴が聞こえたので、すぐに外に出ました。プレハブの診察室の前に転がっていたのは、扉の開いたキャリーバッグ…何が起きたのは一目瞭然でした。飼い主を探すと、私とバロンが散歩する山に続く道に走って行く後ろ姿が見えました。その時、避妊手術を予約していた常連さんが車で来たので、私は手を上げて乗せてもらい、彼女を追いました。山のふもとで彼女は呆然と立ち尽くしていました、「ここで見失った」と…。彼女はお母さんと少し探したようですが、周りは山と、片側の広い敷地に建つのは障害者の入所施設です。どこかに身を隠しているだろう警戒心の強い猫がすぐには見つかるわけもなく、母娘は意気消沈して帰って行きました。
2人の会話から、キャリーの扉の留め具が緩くなっていたことに気づいていたことが解りました。配慮の足りなさが、「可哀想な野良猫を助けた」はずが、さらに可哀想なことをしてしまうことにもなりかねません。その夜、猫の写真を送ってもらって、ボランティアのかなえさんに転送して、《たずね猫》のチラシを作ってもらい、何枚かはラミネート加工してポスターにしました。
早速、近所に聞き込みとポスティング…ホームページにも載せて、とんちんかんな情報が何件かありましたが、やがてそれも来なくなりました。私は猫が消えた日から、唯一外からも入り込める施設のウッドデッキの下に、毎晩エサを置き続けました。消えた地点からサッと猫が潜り込みそうに想えたからです。朝に皿を回収に行くと、空になっているから、誰かが食べています。土・日は施設内への人の出入りが少ないので、自分が家に居られる時は捕獲器を仕掛け、比較的寒くない夜もこっそり運んで朝まで仕掛けてみましたが、他の野良猫が入ることもありませんでした。
飼い主母娘は一度だけ探しに来ましたが、勝手に施設内を見て回ったことを注意されると、もう来なくなりました。これまでにも何匹も野良猫を保護して避妊・去勢や治療にも来ている人ですが、お母さんは私に「元野良で馴れてないので見つからないかもしれないから、もう探さなくていいですよ」と言うのです。私が「まだ何もやってないじゃないですか」と取り合わないと、「普通何日位探して見つからなければ、諦めるんですか?」と聞かれました。「何か月経っても探し続けている人もいますよ。1年後に再会した人もいます。いつまでなんて、できることを色々やった上で、納得して決めることでしょう」と答えると、「うちで長く飼っていた猫ならそうだけど…阿部さんに迷惑かけると、こっちも気になるから」と言うのです。問題が、『あの猫が逃げたことは自分にとってどの程度の痛手で、それを埋めるために他人に損害をかけて何と思われるか?』という《自分の気持ちと体裁》にすり替わった気がしました。「こちらでマイペースで探しますから、どうぞ気にしないでください。こっちもうちへ来て逃げられて、近くにいるかもしれないのに、何もしないではいられないんです」と答えました。
『シェル』~キャリーの扉に突進して、逃亡したのはこの猫。
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その後、近所で野良猫に餌やりをしているオジサンから「似た猫が食べに来ているが、近づくと逃げる」と情報が来て、餌場の小屋の中に捕獲器を仕掛る許可をもらいました。ある時、捕獲器に猫が入りましたが、猫違いでした。でも、見るからにメスだったし、『ちがえちゃん』と名付けて、連れ帰って避妊手術を施しました。リリースする予定でしたが、オジサンのお姉さんがペット可の復興住宅に住んでいるので、「こんな寒さに放すのは可哀想だ」と引き取ってくれました。オジサンとお姉さんは震災前はここに家があり、猫と暮らしていました。家は津波で全壊して取り壊しましたが、仮設住宅から生き残った猫にエサやりに通っていました。アニマルクラブに居る『チャッタ』はここの飼い猫で、亡き『うそじゃ』はここに通って来ていた野良猫だったそうです。
そして、ちがえちゃんの次に捕獲器に入ったのは、カイセンで体の半分くらい毛がないタヌキでした。それはすぐに放して、捕獲器をよくよく消毒しながら、次の策を練りました。「いったい、いなくなった猫は、あそこにごはんを食べに来ているのだろうか…?」ふっと、平川さんが出先で携帯電話で、留守宅の猫の様子を見ていたことを思い出しました。相談すると、気前の良い彼は、早速ニーズに合うカメラを新たに購入してやってきました。そして、小屋の中の餌の皿が並ぶ後ろにカメラを設置して、5時間後にカメラを回収して、再生して見ました。カメラには、3匹の猫が交代制のように食事に来た情景がしっかり映っていました。2番目に登場した猫が、いなくなった『シェル』と同じ白地にサバトラでした。3枚の写真を飼い主に送りました。いなくなってから、すでに1ヵ月半が経過していました。
定点カメラが、入ってきたところをパチリ~似てるね
ごはんを食べて、帰るところ。でも、ちょっと体格良すぎるかな?
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「シェルかもしれない。似ているとは思う」との返事が来たので、再び捕獲器を仕掛けましたが、一向に入りません。すると、今度は娘さんから「生きて食べれているようだとわかっただけで充分なので、もう捕獲はやめてください」と言われました。言いなりになる気はありませんでしたが、すでに2ヵ月が経過していました。私はカメラを今度は施設のウッドデッキの下に一晩設置して、そこにエサを食べに来ている動物が誰なのかを突き止めなければならないと思いました。
その夜も雪が降ってきました。施設の入居者が寝静まった頃に、カメラを抱きしめて忍んで行くと、山道から施設へ渡した鉄板の上に真新しい足跡がついていました。懐中電灯で照らすと、それは猫より大きくて、長い爪がついていました。翌朝回収したカメラにぼんやり映っていたのは、タヌキかハクビシンか…野生動物のようでした。なので、無責任な餌やりと、他人の敷地内への侵入はそこで終わりにしました。しばらくの間、そこを通る度に心が痛みました。宵闇にタヌキの影を見かけると、この申し訳なさを何に代えようか…と考えました。
『ちがえちゃん』~猫違いで捕獲され、家猫となる。運命の悪戯を、本人はどう思っているのかな?
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「もう捕獲しないでください」と言ってから、飼い主母娘はスッキリしたようで、避妊予防センターに他の猫を連れて来ても、シェルの話題は全く出ません。気持ちの整理の付け方は、人それぞれ。それぞれが納得いく合理化で終止符が打たれていきます。発端となった動物の存在も、忘却の彼方へ追い流されていくのでしょうか…。
シェルが消えた山道の桜が満開になった時、私は肉眼で初めて、よく似た猫を見かけました。
私は20年近くも昔のことを思い出しました。
人馴れしていない臆病な犬を哀れんで、「気長に馴らしていくから」と里親を買って出た優しいご夫婦がいました。ところが、1週間もしないうちに「犬が逃げてしまった」と電話が来て、よく聞けばいなくなったのは3日も前で、裏の山に逃げたが、昨日までは近くに姿を見せていたので、エサを食べに戻って来るだろうと思っていたのが、今日はまるっきり見えなくなったので、さすがに自分たちの手に負えないと不安になって連絡をよこしたようでした。
初日は、探しに行った私達に頭を下げてしきりに言い訳していたご夫婦でしたが…朝な夕なに山道を歩き回り、近所に聞き込みに回る私達のせいで、まるで自分達が悪者にされたように感じたのか…全然出て来なくなりました。翌日は東京からペット探偵も来て、その人の指示に従って町中にポスターを貼り回り、以前使っていた犬小屋や敷物を山の中に運び込んで、元一緒に飼われていたボス的存在の犬まで連れて行って、3日目の夜に無事に『チッチ』を保護できました。里親さん宅に報告に行くと、閉め切った家からやっと出て来て、見つかった喜びより先に「うちではもう無理です」と言い、「連れて帰りますから…」と言うと、心底ホッとしたようでした。
「阿部さんって、徹底してブレないよね~」と、感心と畏怖が表裏のような批評をされたこともありますが…例えばあの時、捜索を諦めなかったから、『チッチ』は震災も乗り越え、アニマルクラブで18年位の天寿を全うしました。助けのない場所に置き去りにされた動物にとって、そこは戦地だから、一旦向き合った以上、考えつく限りの手を打つことが唯一の誠意だと考えてきました。それゆえ、私の人生の道連れは《謂われ無き敬遠》の影かもしれません。
弱虫のチッチ(向かって右)は、ここに来てからは兄貴分のクマといつも一緒でした。揃って長生きして、一緒に介護を受けて、納得のいく安らか最期でした。
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【 いのちの行方 】
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尽力せずに、優しさや助けたいと口にしても、それは《そんなそぶり》に過ぎないのだと思います。しかし、私が子供の頃、映画や小説の主人公に憧れて、強がっているうちに少しずつ身についたこともあるように、《優しいふり》が社会共通のイメージとして浸透しているなら、それは助ける力になり得ると思います。誰かが始めた優しいふりが、他の誰かが手助けすることで命をつなぎ、幸せに導くことは、日々経験していることです。
避妊予防センターの待合室は、猫おばさんの社交場です。自分が助けた猫話に花が咲き、時には「どんなに可哀想だったか…」合戦にエスカレートすることもあります。2月初め、中心になって話していたのは、これまでにも何度か来ているオバサン。尻尾がずる剥けの痛ましい子猫を連れて来て、この子の不遇な生い立ちを説明していました。「優しいねぇ」「助けられたねぇ」「これで幸せになれるねぇ」と喝采を浴びて、「仕事の途中抜けて来たから…」とオバサンは帰って行きました。子猫は断尾手術を受け、とりあえずアニマルクラブで預かりました。オバサンには電話で経過を説明しましたが、すぐに支払いできないことと自分も体調が良くない言い訳をして、それきり現れませんでした。
『シッポナ』は野良猫の子で、幼くして大ケガをしながらも餌を貰って生き延びた賢い子猫でした。優しいふりしたオバサンの薄情けにしがみついて、命拾いをしたといえます。あのみすぼらしかった少女は里親さんのお宅に行き、本物の優しさと幸せに包まれて、見違えるように可愛くなりました。おばさんにもこの写真を見せてあげたいけれど、「何の連絡もして来ない人にそこまで譲歩するのは、誰のためになるだろう?」とも考えてしまいます。無責任な『猫だすけ』を助長したくはありません。
人それぞれ事情があり、力量に差違もあるでしょう。それでも、可哀想な動物を見れば助けたいのは人情だから、助けようと行動する人には力を貸します。そのために、こちらが聞きたいのは「何はできて、何ができないのか?」ということなのに、この期に及んでも口から出てくる言葉は、「~してやりたい」「~だったら良いんたけどね~」という理想・願望の類。《役割分担して助けていく》というコンセプトからは遠く、「なぜ人はこんなにも悪く思われたくない、良い人でいたいのだろうか?」とうんざりします。さらにその見栄は、時として、肝心な動物の命を見過ごさせることもあるのです。
連れて来られたばかりの頃。汚れて、大ケガして…それでも頑張って生きてきました。
ケガしてから時間が経過して、化膿が進んで切断せざる得ませんでした。耐え続けました!
今は幸せなお嬢様です。この家の小学生のお兄ちゃんに、くっついて歩いています。
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3月初旬の朝、私の携帯電話に、見慣れない固定電話の番号で呼び出しが鳴り、出た途端に、荒い浜言葉のオバチャンが「この電話番号の札っこ付けだ猫が、家の前でずうっと鳴いでんだでば~」と言うのです。「えっ、誰のこと?」と思いながら、どこから掛けているのかを聞けば、なんと車で約一時間かかる雄勝町からの電話でした。「猫は何色ですか?」と尋ねると、「茶色…きづね色がなぁ、痩せだ、まだ子っこだべよ」と言うので、「ミィちゃんだ!」と思いました。もう10歳を超えるおばあちゃんですが、子猫のように華奢で可愛い茶トラなのです。飼い主が引っ越した際に、ミィちゃん親子を引き取ってもらったと聞いていたお友達宅の名前を覚えていたので、尋ねると、「ああ、うちの近所だげっど、旦那さんは入院中で、奥さんも加減悪くて病院さ通うのに、石巻の娘さんの家さ行ったよ~」と答えが返って来ました。「家の人らが居なぐなっから、猫ば出して行ったんだっちゃ~」とオバチャンが納得したように言うので、ギョッとしました。とにかく、近日中に迎えに行くから、ごはんを与えて敷地内に置いてて欲しいとお願いしました。オバチャンは快く引き受けてくれて、私が「猫は1匹だけですか?そのお宅には同じ毛色の猫が親子で2匹行ったはずなんですけど…」と聞いても、「2、3日前から来るようになったんだげっど、1匹だよ~」との返事でした。
ミィちゃん親子の相談を受けたのは昨年の春先。最初の電話は「夫が亡くなって、自分はいずれ仙台に住む息子の家族と同居するから、亡き夫が可愛がっていた3匹の猫を引き取ってもらえないか?」という内容で、「震災直後に山形から来ていたボランティアさんに電話してみたら、ここに相談するように紹介された」と言っていました。雄勝町も津波被害が甚大だった海沿いの町です。田舎の、しかも高齢の人たちにとって、他県から駆けつけたボランティアは、《何でも言うこと聞いてくれる優しい人達》だったようで…アニマルクラブにも同じことを期待していたオバチャンに、私は飼い主としての責任を果たすように求めました。「母猫と1歳の息子猫にはワクチンと避妊・去勢手術を施すこと、生後3ヵ月の子猫にもワクチンをして、3匹を毎月、里親探し会の会場に連れて来るように」伝えました。
飼い主のオバサンは言われた通りにしてくれて、子猫には早々に里親が決まりました。お兄ちゃん猫の『トラ』にも希望者が現れてトライアルに行ったのですが、そのお宅の娘さんが猫アレルギーを起こして破談となりました。その後は「トラは外さばり行って、捕まえられない~」と里親探しに連れて来なくなり、高齢のミィちゃんは、里親探し会場でも「おとなしくて可愛いね」と褒められ、事情を話すと「可哀想だね~」と同情されるのですが、迎えてくれる家は見つかりませんでした。そうしているうちに、オバサンが息子さん宅に引っ越す話も現実的になってきたようでした。
そんな時、ミィちゃんに里親希望があり、送り届けると、若いのに気配りの細やかなお母さんと、お利口な先住猫…とても良いお宅に思えました。しかし、またしても小さいお子さんにアレルギー症状が出て、「病院に行っても、ますますひどくなる」とのことで、沢山のお土産を持って、泣きなから返しに来ました。不遇なミィちゃんが可哀想で、私はこのままアニマルクラブに置いても良いと思っていました。
ところが、その後、オバサンが突然来て、ミィちゃんを連れて帰ったと、ボランティアさんから聞きました。電話をすると、「2匹共友達の家で引き取ってくれることになったから」と言うのです。トラが逃げ出したりしないか、心配する私に「しばらく家から出さないように言ったから大丈夫」だと答えました。何だかんだ言っても10年以上飼ってきた飼い主なのだから、この人も努力したのだ、と私は思ってしまいました。『可愛がっていたお父さん』の《形見の猫》を粗末にするはずがない、と信頼してしまい、他の切羽詰まった猫達に目が移り、ミィちゃんのことを忘れていました。
雄勝町に水道検診の仕事で回っているかなえさんに、「近所の家の前で鳴いているミィちゃんを迎えに行って欲しい」と頼みました。早速翌日行ってくれたので、ミィちゃんに会えたら『配慮が足りなくて辛い目にあわせたお詫びに、一生大切に面倒を見よう』と想いながら…出先から戻りました。アニマルクラブの台所に準備していったケージに、すでに茶トラの猫が到着していました。居合わせたしのぶちゃんが、困惑した顔で「この猫、ミィちゃんじゃないです」と言いました。
ケージの中に居たのは、ミィちゃんより大きくて、いかつい顔をした雄猫でした。でも、確かにアニマルクラブの迷子札を付けています。首輪もうちのボランティアさんのお手製のものです。「この子、ミィちゃんの息子のトラだね。トライアルに行った時に、逃げたら大変だと思って、家にあった首輪と迷子札を付けたままになっていたんだ~」と、記憶がつながりました。
「じゃあ、ミィちゃんはどこにいるの?」私は早速、仙台で暮らす元の飼い主に電話をしました。オバサンは何も解らないようでした。なんと、引っ越してから3ヵ月以上…一度も行ってないどころか、電話で様子を聞いてもいない、と言うのです。さらに、ミイちゃんとトラは、母屋ではなく物置で飼われていたと…うっかり口を滑らせました。「だったら、何でアニマルクラブから連れて行ったんですか?」と私に責められると、「迷惑かけだら、悪いど思って~」と言うから、「こんな心配かけることの方が、よっぽど悪いでしょう。一生こちらで面倒見ますから、明日雄勝に行って連れてきてください」と言うと、ケロッとして「あの人らいさ、連れて行がねば良かったねぇ~、こんな宛てにならない人だとは思わなかった、うちの畑みんなただで貸したんだよ~」と、この期に及んで、自分が『私の友達で猫好きな人だがら大丈夫!』と言い張った相手の悪口を言い出すので、私も、この人のいい加減さに気づけなかった自分の失態に、ほとほと嫌気がさしました。
オバサンは「明日すぐ行くのは無理かもしれないげっど、先方と連絡が取れ次第すぐに電話すっから~」と約束しました。眠れない夜を気味の悪い夢でやり過ごし、6時を待ってトラの情報をよこした雄勝のオバチャンに電話しました。たった1つの手がかりは、元の飼い主宅の近くの商店の奥さんもあの子達を可愛がってくれていた、と聞いたことです。その店の電話番号を教えてもらって、今度はそちらに尋ねました。しかし、店にエサをねだりに来ていたのは、トラひとりだったと言われました。「随分前から1匹だけで来てたよ~」という証言が、電話から虚しく響きました。
ミィちゃんはもういないのかもしれない、と感じました。でも、何かあったなら、引き取った友達から事情が聞けるだろう、と思って待ちましたが、元飼い主からの連絡はありませんでした。数日後、雄勝に仕事に行ったかなえさんが引き取った家の奥さんに会うことができて、話を聞くと、「猫は無理やりのように置いて行かれて、母猫の方は次の日にはいなくなった」のだそうです。不運と行き違いに翻弄されて、可愛かったミィちゃんは、悲惨な死に追いやられたのでしょう。「助けたかった、気づけば良かった、もう取り返しつかないのかな~」悔恨と無念で免疫力がぐっと下がり、口内炎と結膜炎にかかりました。私は《猫化》してきたようです。
ミィちゃんのことは、何もわからないままです。雄勝の山野を自由に駆け回っていたトラは、ケージに閉じ込められのが不服だと、ウルサく鳴くので、『ウルトラ』に改名しました。性格は、人なっこくて甘えん坊です。今となっては、ミィちゃんの分も幸せになるように、ウルトラを見守っていくしかありません。
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ミィちゃんのこと、可愛くて、大好きだったのに、どうしてここに居ないのでしょう…
お母さん似のハンサムボーイ。ウルトラ級の甘えん坊~かまって星人を、Welcomeしてくれるお宅を募集中です。
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【 紆余曲折の果て 】
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護る人のなくなった猫や犬は、戦地にいる孤児と同じです。誰に会うか、誰の手をつかめるかで…幸も不幸も、生も死も決められていくのです。戦争中は、沢山の不運な人々が犠牲になり、運をつかんだ一部の人達が生き延びて、再び幸せに巡り合うことが叶いました。
3月も後半に入ってから、「家を売って月末に引っ越すので、犬を貰ってくれる人はいないだろうか?」という相談がきました。「保健所からは、年度末で20日が最後の引き取り日だと言われた」と超切羽詰まっていて、しかも「犬は雑種の12歳のオス、体重は20キロ近くある」という絶望的な話でした。驚いたのは「保健所にやったら、もう会えなくなっからねー」と、この期に及んでも、自分の寂しさを優先している身勝手さです。これまでだって幸せとはいえなかったであろう犬が哀れで…ダメ元でお願いしてみた方が、なんと乗り気になってくれたのです。ボロボロの壊れた小屋の中で、ドロドロの首輪で繋がれ、皮膚病を患っていた犬は今、優しい人が住む家の傍らにレンガを敷いて真新しい小屋を置き、自分の居場所を作ってもらいました。会いたがっていた元の飼い主には、「あなたが会いに行って、帰ってから犬が後追いして鳴き続けたら、犬も可哀想だし、貰ってくれた方に迷惑をかけます。やはり元の飼い主さんが良いんだね、返すからと言われても引き取れないのだから、行かないことが犬のために唯一できることですよ」と釘を挿しておきました。ダメだと思った話が叶ったり、大丈夫だと思い込んでいた話がドンデン返しになったり…一寸先はいつも闇です。
連れて来られた日の太郎。「これからどうなるのか?」と、不安そうな顔をしていました。
長年不衛生な環境にいたから、体中に皮膚炎が見られました。
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ウルトラが来てから、これまで以上に不機嫌そうに背を向けて、ふて寝をしているKEYちゃんは、去年6月に、避妊予防センターの手術室の獣医さんが連れて来た猫。この先生が普段勤務している仙台市の動物病院に、経済的に追い込まれた飼い主が安楽死を依頼してきたという兄妹猫の女の子の方です。10年以上も飼ってきたのに、「もう一緒に暮らせない。命を絶つことが最後にできる責任の取り方」だと、判断した飼い主さんも気の毒です。そして、言いなりにはできなくて…致死量の麻酔薬の代わりに、健診とワクチンをして、生かす道を見つけたいと連れてきた獣医師の心情も解るので、預かりました。犬も居て、子猫も居て騒がしい部屋に入れられて、落ち着かないのか…3段ケージの中で兄妹ケンカをするので、お兄ちゃんには二階の部屋のクローゼットを改造した個室に移動してもらいました。ふたりの名前を決める時に、再出発の祈りを込めて、『SEA』と『KEY』にしました。
『安楽死』に連れて来られた日の兄妹。「この猫達を預かってもらえませんか?」と獣医さんから来たメールに、添付されていた写真。
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長く人と暮らしてきたから、人は好きでスリスリ甘えてもきます。けれど、騒がしい環境が嫌手なのか…もの憂げな態度で、浮かぬ顔。「きっと、静かなところで1匹で飼われたいんだろうな」と感じました。2月末に、里親希望で子猫に会いに来た青年が、隣のケージのKEYちゃんをケージ越しに触って、KEYちゃんもまた気持ち良さそうに甘えていた情景が、なぜか心に残りました。
3月に入って、青年のアパートに、子猫の兄弟をお見合いに連れて行って、私はびっくりしました。想っていたより、かなり狭かったのです。おまけに交通量が結構多い道路に面していました。俊敏に駆け回る子猫達には、無理と危険が多すぎると判断し、彼にも率直に伝えました。若い男性の一人暮らしですが、私はいつも条件ではなく人柄を見るように努めています。彼のことは誠実で優しい人に思えたから、私の正直な心配を解ってくれると感じました。彼は「僕は別にどの子でも良いんです」と言ってくれて、2人で《無理のない、うまくいきそうな組合せ》を考えた結果、KEYちゃんが候補に挙がりました。
降ってわいたKEYちゃんの嫁入り話に、ボランティアの女性達は色めき立って、我が事のように喜びました。ところが、ちょうどその頃からKEYちゃんが吐いて食べなくなってしまったのです。血液検査をしても判らず、抗生剤や胃腸炎の注射をしても芳しくないまま、日にちが過ぎていきました。お見合いは延期となりましたが、彼は心配してお見舞いに来てくれました。KEYちゃんを連れてきた先生は「FIPの疑いもある」と言い、血清を抗体価を調べる外注検査に出しました。何も食べずにうずくまったままの時も、彼は仕事が終わると通って来て、ケージの脇の椅子に腰掛けて、KEYちゃんをそっと撫でてしばらく見守って帰って行きました。その様子は、難病の恋人に付き添う映画の1シーンのようで、私達は一日千秋の思いで検査結果を待ちました。結果は間違って仙台の病院に届いていたために、判らないままに日々が過ぎていました。そんな中、ある夜、KEYちゃんは、ボランティアさんが帰り際に置いて行ってくれた《金缶とろみ》を、迷惑そうに敷物の毛布を掛けて隠したくせに…突然掘り出して、食べ始めたのです。
そこから体調は上向きとなり、やっと来た検査結果の数値は、問題なしと病気ありの中間でしたが、「元気で食べているなら、トライアルもOK」と言われて、4月初め、やっと彼のもとへ行くことが叶いました。私が送り届けた時はまだ不安そうにしていましたが、その夜からベッドに入ってきたとか…。数日後、里親の誓約書を受け取りに行った時に様子を聞くと、彼が仕事に行っている間は静かにお留守番、帰って来たら、くっついたり離れたり…気ままに過ごしているようです。安楽死の危機をすり抜けてアニマルクラブにたどり着いてから10ヵ月後、KEYちゃんは欲しかった暮らしを手に入れることができたようです。
もしも、もしかしてKEYちゃん達の元の飼い主さんがこのホームページを見てくれていたら…「キーコは生きていたからこそ、良い人に巡り会い、幸せになれた」ことを、ご自身の頑張りにして欲しいと願います。
彼のアパートに行ったその夜から、KEYちゃんはそっとベッドに入ってきたそうです。
「いろいろありがとう。私、ここで彼と暮らしていきます。皆さんによろしくね」。
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物語ではないので、紆余曲折の先にいつも幸せが待っているわけではありません。いつまで経っても《うようよぐねぐね堂々巡り》の人達こそが、アニマルクラブの《お得意さん》なのです。共通項は《お金がない・頭が回らない・意志薄弱》。そんな頼りない『親』が沢山の『子』を抱えているから…『嘘つき』でない限りは協力したいしたいと思っています。知恵やお金が足りなくも、足すことはできます。しかし、元々の話が嘘では、「0に何を掛けても0なのと同じ」だと痛感する経験も重ねました。彼らと私達を繋ぐ信頼の糸は、蜘蛛の糸ほどに脆くもあり、しかしまた、世間に這い上がる光の糸になることもあります。
前科16犯で、人生の半分以上を刑務所で過ごしたおじいさんは、その間に親族との縁も切れ、若い頃に船に乗った以外は職歴もありません。今の家族は大型犬2頭と猫5匹、生活保護と年金が収入ですが、お金がなくなると「掃除に行くから」と電話をよこします。堀の雑草抜きや建物の周りの蜘蛛の巣取りや水洗い…普段、女性のボランティアさんではできないことをやってくれますが、帰るといつも、こちらでお礼に用意しておいたフードの他に、物置からも「黙って砂や缶詰めも持って行きました」と報告を受けます。車で送迎するのもボランティアさんだから、どのみち持って行ったことはバレるのだけど…悪びれた様子もないのは「必要な物はアニマルクラブに取りに行く」という、思考回路なのだと想います。「それって、泥棒じゃない!」と言ってしまったら、この人との縁は切れ、7匹の命は風前の灯火になるでしょう。
実際に6年前には、市役所の職員の応対に腹を立てて恐喝罪で捕まって、警察からの電話で、急遽私達は交代で1ヵ月も犬猫の世話に通わねばならなくなって…大変でした。掃除に来てもらうのは、暮らしぶりのチェックでもあります。人それぞれ生きてきた境遇が違い、生活している環境も異なり、そこで培われた常識も様々なので、理解はし難くても、近づいて目線を揃えると、その人なりの《辻褄の合わせ方》が見えることはあります。そして、どんな人に対しても、プライドを尊重する配慮は必要だと思います。それは、やたら敬語を使うとか、腫れ物に触らないようにするとか…世間一般がこの手の人達に対して実施している優しさとは違うと感じます。
いつも送迎をしてくれるてい子おばちゃんの博愛は、優しいふりをする世間の人達の目からウロコを落とすような…《名もなきマザー・テレサ》みたいです。「犬猫のエサ買うお金がないなら、自分の食べ物も買えないと思って、すいとん作って置いて来た~そして、これからは生活保護のお金や年金が入ったらすぐに、ホームセンターに乗せて行く約束したの。お金あるうちに必要な物を買ってしまえば、パチンコなんかに行けなくなるからさ~」と、その思いやりにはおじいさんだけでなく、こちらの冷えた心も暖められます。
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【 仁義なきドンデン返し 】
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自分からはアニマルクラブに相談するなんて思いつきっこない、こうした《危ういエリアの人達》の橋渡しをするのは、たいてい自分は防護服を着込んで、拡声器で救済アピールをするだけの《知り合い》や《近所の人》や、時に《役所の人》で…こちらが問題の人の存在を知った途端に、声を出さない傍観者に転じます。
ネットで質問を繰り返してくる人達にも、同様の身勝手さを感じることがあります。アニマルクラブが自分たちのニーズに応えてくれる所だと勝手に位置づけて、提供を受けるのが当然だと認識しています。ボランティアで運営している成り立ちなど考えてみようともせずに、すぐに反応がなければ怒るし、教えてもらえないと動けないと言い、提供されるまで自分では考えない、行動しない若い世代には、日本の将来への不安を禁じ得ません。
『餌付けした野良猫が6匹も子猫を産んで、狭い借家で飼っているおじいさん』の相談をよこしたのは、近所の奥さんでした。「このままでは猫達が可哀相なことになる」と嘆きつつも、「私にできることは、たまにフードを差し入れるだけ」だと決めて、「アニマルさんにバトンタッチ」してきました。
このおじいさんもまた元船乗りで、前出のおじいさん同様、自分の名前くらいしか書けず、住所は保険証を見ながらやっと…読み書きが殆どできません。今の日本にこんなにも《殆ど文盲》の人がいることは驚きでしたが、長年指図通りの肉体労働を繰り返して、読み書きをしないで年月を重ねると、こうなるのでしょう。当然、情報量が少なく、確認の術を持たず、狭い世間しか知りません。行き詰まれば攻撃的になるか、人の言うなりになるかです。
この人もまた一人暮らしの寂しさから、母猫を『かあちゃん』と呼び、そっくりの子猫はみな『子っこ』で、家族のように暮らしていました。しかし、いつまで経っても子猫に名前を付けませんでした。そのため、子猫の体調が悪いと言っては私やかなえさんを呼び出すのですが…どの子なのかの判別がなかなかつかない~病状そのものもあやふやで、こうして猫のせいにすれば、飛んで来てかまってくれる人がいることが嬉しいようにも取れました。それなら、嬉しがらせて、やることをやってもらわなければなりません。母親を避妊して、子猫達はワクチンをして里親を探しました。里親が見つかった3匹の写真をあげると、100円ショップから額を買ってきて、棚に並べて、里親さんが付けた名前をそらんじていました。
残った3匹を去勢しましたが、ある夜電話が来て「子っこ1ぴぎ、車に轢がいで、今死んだ~」とうろたえています。私が駆けつけると、「おいがコンビニに行ったら、母ちゃんさついで出だんだなぁ~。戻って来たっけ、そごさ倒れてで、ブルブル震えで、すぐに死んでしまった」と言い訳しました。可哀相に、子猫は血まみれでゴミ袋に入れられていました。私は近くのスーパーからダンボールをもらい、花と線香と猫のおやつを買ってきて、体をきれいに拭いてやってから、箱に入れて、花で飾り、線香とおやつを供えました。可愛いなら、可哀想なら、弔ってやることを覚えて欲しかったのです。この人は、長年船に乗っていたから、きちんと年金は入ります。だから、パチンコでお金を使い果たしても、遅れても支払いはしてくれました。しかし、飼い主ならお金以外の責任も取れるようにならなくてはなりません。
亡くなった子の遺骨と写真も、棚の上に並びました。時々は面倒をかけられても、このまま《1人と3匹家族》で暮らしていくのだと思っていたのに…、「大家がら、猫飼うなら出で行げって言われだ」と電話が来ました。私も大家さんと電話で話してみましたが、住み続けられる可能性はなかったので、市役所に相談しました。復興住宅に入る権利はあるそうですが、ペット可の1人用住宅に空きはないとのこと。諦めずに聞くと、お隣の女川町なら空いているだろう、と教えてくれました。女川町には、おじいさんのお姉さんが住んでいる、と聞いていました。お姉さんにも連絡を取り、翌日一緒に町役場に行く約束をしました。
罹災証明書をなくしたというので、最初に石巻市役所に寄り、申請書を代筆して、罹災証明書を持って女川町に向かいました。おじいさんは楽しそうに車窓から町を眺めていました。お姉さんも乗り込んで来て、何やかんや怒られると、ニヤニヤしていました。おじいさんが頼りにしている、影響力の大きな存在なのだと分かりました。
女川町役場で、もうすぐ完成する復興住宅に入れるだろう、と説明を受けました。しかし、「ペット可ではあるけれど、2匹までという規則があります」と言われました。平川さんが「あと1匹なら飼えるかなぁ~」と言っていたことを思い出して、すぐにメールしました。
週末、平川さんが迎えに来てくれて、一緒におじいさんの借家に行きました。元々荷物の少ない家ですが、引っ越しに備えて片付けたのか…ガランとしていました。平川家に行く1匹しか、猫が居ません。「母ちゃんと兄弟は?」と聞くと、昨日、女川のお姉さんの旦那さんが「もらい手が見つかったから」と連れて行った、と言うのです。「えっ?あんな大きくなった猫を2匹も…いったいどこの家にもらわれたの?」「わがんね~おらの知らねどごだ~」と答えたから、「あらら~わかんないで済まないでしょう。自分で飼うから、復興住宅に引っ越すんでなかったの?とにかく、女川に行って、どこの家でどうしているんだか…見て来て私に連絡ください、迎えに行くから」と、どやしつけました。
その日は残った1匹を連れて帰るしかありませんでした。平川さんが「名前、何にしよう?」と言ってくれたので、「ルイちゃん」と答えました。この子だけは『幸せな家に留まって居られるように』そして、私の胸にこみ上げる後悔の『涙』でもありました。おじいさんから連絡が来ないので、女川のお姉さんに直接電話して聞きましたが、「お父さんの知り合いだから、私は口挟めないよ。行って見てくるなんて、疑っているようで、できないっちゃ~」と逃げ口上しか聞けませんでした。
猫が居なくなって、あのおじいさんと繋がっていた糸はぷつりと切れました。地獄に落ちたのはおじいさんなんだか、私なんだか、猫なんだか…見えない真実、助けきれない命、救えなかった人…このドキュメンタリーは幕引きです。里親さん宅に行けた3匹と、「ルウイッツィほど気の良い猫はいません。」と平川さんから《親バカメール》が来るルイちゃんが、《仁義なき闘い》の中で、通せた正義でした。
関わったことでさえ、なかなか全部は救えないのは…こちらのやり方とあちらの事情が合わないからでしょう。だからといって、全部こちらで引き取るだけの力はないし、神様の真似事のような大風呂敷を広げては、やがて穴が開いて肝心なものが落ちていくような気がします。そして、ボランティアがそれをやったのでは、世の中が変わっていかない、と思います。
ルウィッツイの母猫や兄弟は今頃どうしているでしょうか…?
ルウィッツイは新しい家族とうまくやっています。
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年末にサプライズがありました。『捨猫』の写真を撮った溝淵さんから、電話が来たのです。4、5年ぶりだと思います。彼はずっと「身近な猫と困った人達の後始末で時間を費やしていてはいけない、もっと社会を変える活動をしないと…」と、私に言い続けてきました。しかし、一向に変わらない私に愛想を尽かしてしまったのです。「どうしているかな~といつも想っていたよ」と言ってくれましたが、避妊予防センターの日だったので、手紙で返事を出すと「阿部さんは相変わらず、変わらないなぁ~。これを読んで勉強しなさい」と抗議文などの資料が送られてきました。私は社会の不条理に抗議文を書けるほど、調査も勉強もできませんが、世間の人達に知ってもらいたい、ドキュメンタリーやファンタジーはあります。
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【 決心と決意ができること 】
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避妊予防センターも2008年4月1日の開院から10周年を迎え、カルテNo.も5100番代になりました。この人手不足の時代に事業を続けていくことは、困難の極みでした。継続できなくなるのではないか…という危機感も何度か味わいました。それでも、ここがあってできたことをこの先も続けていくために、ここでなければ手術も治療も受けられない子達のために、あらゆる手立てを考えて実行してきました。だからこそ、ここで実施している避妊・去勢手術が、猫を苦しめる手術にならないように、という強い願いを持っています。
春~夏は出産シーズン。捕獲されて来る野良猫の殆どが妊娠しています。なぜもっと早く、決心してくれないのでしょうか?お腹が横にせり出してきてから「子猫が生まれたら困る」と思うのでは想像力がなさすぎます~残酷です。妊娠週数の進んだ胎児は、手術で取り出された子宮の中で動いています。母親もお腹を大きく切開され、出血も多くなります。妊娠末期は循環器系の働きも悪くなっているところに麻酔をかけるから、手術が無事に済んでも、普段より血栓などが起きるリスクも高くなっているといえます。
誰のために決心するのか?「うちで飼ってるわけじゃないし…」なんて言い訳は、誰のためにもなりません。自分の財布と相談するより、捕まえられて命がけの手術を受けなければならない、猫の命を一番に考えてください。可哀想に思えても、そうしなければ望まれない命が生まれ出て、カラスに襲われたり、車に轢かれたり、病気で苦しんで死んでいきます。生き残った子猫からは、この惨劇が延々と繰り返されていくのです。答えが見えていることの決心は、誰のためにも早い方が良いのです。
避妊手術を受けている、妊娠後期のメス猫。
取り出した子宮の中には、まもなく生まれそうな3つの命が育っていました。
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私達の仲間だった五井美沙さんが、29歳の若さで津波にさらわれて亡くなってから7年が経ちました。本当は東京に出て、イラストを描いたりデザインをする仕事に就くのが夢だった彼女。その絵を認めてくれたデザイナーさんがいます。おそらく日本中の人が知っている、かつて薬局の前に居たみどり色のカエル。あの『ケロちゃん』を世に送り出した久世アキコさんも、アニマルクラブの猫の里親さんです。
久世さんは、『五井美沙作品集』を見て、「描いた人の動物たちへの想いが伝わってくる絵」だと気に入ってくれて、「是非、東京で展覧会を開きましょう」と決意してくれました。久世さんのお友達の画廊のオーナーさんのご協力で、その夢が今年の夏に実現します。今回は、五井さんのお父さんから借りて、おそらく1回限りの原画展です。8月3(金)から19(日)まで(月・木曜は休館)、世田谷区梅ヶ丘1-44-10~小田急線の梅ヶ丘駅から徒歩2分の『梅猫庵』という画廊で開催しますので、この機会に、どうか観に行ってください。作品集を出した頃より虹の橋を渡って五井さんの元に行ってしまった子も増えたので、私も今の気持ちで、説明文を書き直します。
五井さんは昔のように私達の近くで猫や犬の世話をすることはないけれど、残した絵を通じて、「動物たちのために考えて、行動してください」というメッセージをこれからも発信していくことができるのです。震災後に出会った人達がその機会を作り、観た人々からさらに広まっていくことは、彼女が生きた証であり、描いたタッチからは、その時の息づかいがこれからも伝わっていくのだと想います。
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2018年4月17日
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