『暑中お見舞い申し上げます。』

【前代未聞の暑さです。】

 

いやぁ~暑くて、びっくりです。いつもの夏は「私は暑いのは平気~」なんて言って、あまり汗もかかずに暮らしていましたが…今年は汗だくになって、何だか若返ったみたいです。我が家の元気印、犬の『バロン』のダニ対策にフロントラインスポットをつけて散歩に出たら、続けざまの下痢からやがて血便に…。一昨年の夏も同じ症状を起こしたから、「もしや?」と思って、カルテを調べたら、やはりフロントラインを滴下した後だと判明。効果の高い外部寄生虫駆虫薬ですが…ごくまれにアレルギー症状を起こす体質があることがわかりました。症状が落ち着くまでに、3日間かかりました。皆さんもお気をつけください。
気をつけないのは私で、昨年出戻りして来た猫の『ルーク』がケンカ腰なので、仲裁に入ったつもりが、がっぷり咬まれて腫れ上がり…結局、外科で切開されて、全治1週間。左腕でしたが、使えないと不便なものです。やっと今日、包帯が外れました。深刻だったのは年寄りの猫たちで…元々腎機能が低下してよく吐くのですが、頻度が激しくなって、毎日皮下哺液しても脱水がひどくなって、深刻な状況に…。エアコンを入れたら、落ち着きました。命を守るためには、お金が必要だと改めて痛感しました。
それができないと、この夏、命を落とす子もたくさんいることでしょう。避妊予防センターの利用者には、多頭飼育している人が多いです。人なつこい可愛い猫や聡明で穏やかな犬が、「もっと手をかけてやれば、つなげたかもしれない命」を落としたことを聞くのは、とても切ない事です。「どんな猫や犬でも、必要な治療が受けられる動物病院」を目指していますが、現実にはもっとスタッフと財力がないと、多くを助けることはできません。

それでも、抱えられるだけの命を常に預かっています。夏は皮膚病などうつる病気も多いから、保護した子猫達の管理には特に気を使います。震災があった年の夏は、パルボが流行しました。「もしや?」という、ザワっとした戦慄の回路は、今も背中に残っています。アニマルクラブで、現在、里親を探している子猫は約40匹。多くは、保護して相談をよこした方々のお宅にいます。
こうして一般市民からの相談に応じている愛護団体は、現在は少ないそうです。「2、3年前にも子猫を拾って、その時協力してもらった別の団体に、先に電話かけたんだけど、今は保健所から引き取って里親探しをしていて、一般からの相談には応じられないと断られて、こちらにかけたんです」という電話が、仙台市や大崎市からもかかってくるようになりました。

一般からの相談に応じたくない気持ちはよくわかります。いっぱいいっぱいの日常の中に、絶叫マシーンのように、滑り込んで来る人たちがいるからです。私は大学で心理学を専攻しましたが、アニマルクラブの活動の中でこそ、人の心を学んでいます。《相談》が迷走するのは、「どうすべきか?」と「自分の都合」をごっちゃにして、《他力本願》の言い訳をされるからです。それを聞かせられた私は、冷めて堅くなったトーストやのびて汁気のなくなった麺の代わりに、突然丸投げされた難問に取り組まなければなくなります。しかも、本人はそれで一件落着、良いことをしたつもりになったりしているから、この《認識の隔たり》が、私達を疲労困憊させるのです。
先日、居酒屋から、震災前の私の店のお得意さんが、ほろ酔い気分で電話をよこしました。「いやぁ~偶然なんだけどさぁ、ここで出会った方がさぁ、アニマルクラブにいつも協力している人なんだってさ~嬉しくなって電話したよ」と言うのです。「誰だろう?」と思ったら…《アニマルクラブ・迷惑リスト》があれば、トップ3にランクするおばちゃんでした。「いつも協力してる」のではなくて、「いつも猫を拾って来ては、強引に押し付けていく」のが正解です。この人が5年前の夏に連れて来た、行き倒れの野良猫『おもかげ』は、《アニマルクラブ一の厄介者》です。ノミだらけの死にそうに衰弱した野良猫を置いて、逃げるように帰って行く際に、残して行ったのは5000円札1枚。これが、彼女の《協力》でしょうか?『おもかげ』はどんな薬も処方食も効かない、慢性の胃腸炎持ちで、しかも、吐いたり下痢した物をわざと散らかす癖があり、アニマルクラブのボランティアさん達も音を上げ、私が借家に連れて来て、面倒を見ています。同じく排泄物を踏み散らかす『ニャーゴ』は盲目で脳障害もあるので、仕方がないとスピッツの『ロビンソン』なんか歌いながら…片づけちゃうのですが、1日に4回は汚される『おもかげ』の後始末に、口から出るのは、中島みゆきバージョンの『慟哭』だったりします。

だから、アニマルクラブに相談をよこす人達には、私達ができることと無理なこと、社会のシステムの現状を説明して、一生懸命説得して、自分で助ける決心をしてもらうために、できる限りの協力をするしかありません。
しかし、そこまで話が進んだ後も、「なかなか里親が決まらない」と途中で投げ出す人や、子猫の面倒をちゃんと見ない人や、立て替えた医療費などを全く払わない人や、土壇場で子猫をあげたくないと言い出す人…様々な《身勝手なトラブル》に巻き込まれて、結局引き取ることも多々あります。誰かに迷惑をかける結果になって、こちらがお詫びしなければならない時もあります。けれど、その一方には、私達の話を理解して、自分で預かり、努力して世話を続ける人たちもいます。
だから、こうした活動は、たとえ今の成果は一握りであったとしても、人々の意識の変化に続いていくと、私は感じています。ガンジーが言った「善きことは、カタツムリの速度で進む」のは、人間が保身や利害にとらわれながらも、本当に取るべき道を、体のどこかでは考え続けているからだと思うのです。

前回の活動報告で触れた、保健所から引き取って里親探しをしている団体への助成金の実情を聞きたくて、仙台市で定期的に里親探しのイベントを開催している団体を、その会場にお訪ねしました。代表の女性は、16年前、石巻の倒産した工場に置き去りにされて、首輪が首に食い込んでいた若い犬の里親さんになってくれたことから、不幸な動物たちの存在に目覚めて、自らも動物愛護団体を立ち上げました。真っ直ぐな彼女は世間の荒波に揉まれ、誤解や中傷に傷つき、随分苦労したようです。「怖い人」だと悪口も何度か聞きましたが、久しぶりに会う私の顔を見た途端に、泣き出してしまいました。最近のメールで、「ボランティアさんとの人間関係でも疲れる」とありましたが、会場では、キビキビ動くしっかり者のサポート役が何人かいて、羨ましい限りでした。「継続は力」だということと、気は強くても頼りなげな所がある彼女には、支えになってくれる人が現れるのが、人間関係の面白さだと感じました。
ひとしきり泣いて笑った後で、彼女から聞いた話は、やはり「行政はお金も手助けもしてくれない。連れて来た子たちは、何もかも自分達の負担になる」という、残念な現状でした。5月の河北新報には、「行政とボランティアが連携して、動物愛護を推進している」と書かれていましたが、あれは行政側の答弁でしょう。「これからそうしたい」という指針だったのでしょうか?それなら、いつ、何から実行してくれるのかを聞きたいです。

 

 

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カーテンとスダレで、日光を避け風を入れる工夫をした、夏仕様のハウスでくつろぐバロン。いやいや、大変な目に遭いました。

 

 

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飼い主が難病にかかり、入院してしまい、3年ぶりに戻って来たルーク。家族と離れ、集団生活を強いられる心中には、耐え難い闇があるのかもしれません。

 

 

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20歳近いキャラ(左)はもう殆ど食べられない。シリンジで流動食を入れ、皮下哺液で命をつないでいる。ペタ(右)は痴呆になり、何でも食べようとして、吐いてばかりいる。

 

 

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突然来て、「家では預かれない」事情を並べられて、置いて行かれた捨て猫。ハリガネみたいに痩せこけて、目だけギョロギョロしている姿…バリ島の民芸品のネコみたいなので、『バリくん』と命名。日に日に可愛くなって、甘えん坊です。

 

 

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捕獲して避妊手術を進めているのに、エサを与えている人が「可愛がっている猫だから、手術しなくていい」と渡さなかった猫が出産。その人が通りすがりの小学生にあげた子猫が、周り回ってアニマルクラブへ…。《無責任な考えなしの情》に、いかに対応して手術に持ち込むか…思案しています。

 


 

【まず生かせ、ものの命と人の知恵】

 

これは曹洞宗の教えです。私は日々、動物のために動いてくれる人には、スムーズに能率的に働いてもらえるように心がけていますが、確かに至難の業で、見当違いも度々あります。
この暑さの中、体調が気がかりな猫が多く、借家で面倒を見る子が増えました。吐いたり、下痢したり、ボケてあちこちで排泄したりする子ばかりなので、哺液したり、水や流動食を口に入れてやったりと…手がかかり、あまりアニマルクラブに行けなくなりました。

でも、洗い場がないので、替えるトイレ容器を持ってアニマルクラブへ行くと、最年長ボランティアのおじさんに、いきなり「おめえが責任者なんだから、ちゃんとやらせろ。それができねえなら、俺はあいつをただおかねえからな」と怒鳴られて、びっくりしました。何の事かもわかりませんでしたが、とにかく怒り出すと収拾がつかない人なので、黙って嵐が通過するのを待つしかありません。
この人にボランティアに来てもらっているのは、この人の生活と彼が同居する動物たちを見守るためです。働き者ですが、とにかく短気で、カッとすると見境がつかなくなります。今日は、他のボランティアのおばちゃんが怠けていい加減なことをしていたのが許せないと、「ぶっ殺してやる」とまで言っています。今度傷害事件を起こしたら、しばらく刑務所を出られません。大型犬3頭と猫5匹を飼っているので、この人がいなくなったら、引き取る場所がありません。
3年前に傷害事件起こして、留置場に入れられたのも夏でした。警察から電話が来て、突然「逮捕したから、留守中の動物の世話」を頼まれ、行ってみると…唸って威嚇されて、「いったいどうやってリードを繋ぐのか…」脂汗が滲み出た犬もいました。おじさんが出所するまでの1ヵ月半…友人にも頼んで、何組か交代で毎日朝夕散歩と掃除に通った思い出は最悪です。今年の暑さならば、ダウンするかもしれません。そして、私が保釈金を払い、裁判所で証人喚問を受けて、ようやく釈放してもらいました。それ以降、週に3日間午前中、ボランティアさんが送迎して、掃除や洗い物に来てもらっています。

私は貧乏ですが、対人関係で心がけているのは、「金持ちケンカせず」です。お金より大事な命をたくさん預かっているから、私事の感情で、動物たちに不利な方向に行かないように注意しています。でも、時にその態度が、怒っている人の神経を逆撫でして、罵声を浴びせられたりするのですから…本当に人間関係は難しいです。
おじさんの癇癪は台風だと諦めれば、やがて機嫌よく働いてくれます。取り返しのつかない別れは、むしろ静かにやって来ます。同じ夢を見ていたのに、進み方が違うから疎遠になってしまった関係は、無念が心を去りません。

2008年2月22日、静岡新聞社から発売された『捨猫』は、浜松市で地域猫活動の推進に取り組むカメラマンの溝淵和人さんが、野良猫の過酷な生き様を7年間にわたり、一番近いところから…しかし私情を交えない客観的視線で撮り続けた作品に、私が短歌を添えた写真集です。
この本が生まれた始まりは、彼から送られてきた100枚の野良猫の写真でした。「阿部さんのように自費出版したい」と相談されたのです。どれも野良猫たちが苦境の中、精一杯に生き、力尽きていく様がありありと描写されていて…100枚の写真は、続けては正視し難い現実でした。当時ボランティアに来ていた若い女性に見せると、「かわいそうで見たくなくなる。本になっても、2、3ページで挫折しちゃいます。原爆展みたい」と言われました。「そうか…原爆の写真はあまりにむごくて目を背けてしまうけれど、原爆を受けた人々の言葉は、同じ人間として心に響く。ならば、言葉が写真と人々の架け橋になるのではないか…」と短歌を付けることを思い付いたのです。
たまたま娘の授業参観日に中学校へ行くと、体育館へ案内されました。ギャラリーから運動中の我が子を見下ろして喜ぶ父兄を見ていたら、「人はなぜ自分や家族ばかりが特別なのだろう」という想いがこみ上げてきて…次々と短歌が浮かんできたことを覚えています。2日ほどでスラスラと生まれ出た歌ばかりです。

溝淵さんとの出会いはその数年前…東松島市役所が野良猫の餌やり禁止と、処分のための捕獲器を貸し出すというチラシを市民に配布したことに、私が抗議したことが河北新報に載った時です。はるばる静岡県から、応援行動を起こしてくれたのです。溝淵さんにはいろいろなことを教えていただき、「栄養つけて体力つけて!」と食べ物や仕送りまでもらいました。そして、私は、彼から再三に亘り「川下で身近な動物たちの保護に追われていたって、世の中は変わらないんですよ」と注意を受けていました。けれど、私は自分のやり方を変えることはできなくて…とうとう溝淵さんに愛想を尽かされてしまったのです。

『捨猫』は、アニマルクラブのホームページの《どーする?ドキュメンタリー》にも掲載していますが、時々、本を求める方やパネル展を希望する方からの連絡が来ました。不思議と、年月を経るごとに求める声が多くなりました。時代が溝淵さんの感性に追いつき、人々の心に《それでも生きている命》の痛みを感じ取る余裕が育ってきたのかもしれない、と感じました。手元に本の在庫もなくなり、問い合わせてみましたが、もう手に入りませんでした。
しかし、野良猫に関心を寄せ、心を揺すぶられる人々の願いを行動力に変えるためにも、私は『捨猫』を発売し続け、その収益を《まだ間に合う命》を助けることに回したいと思いました。前から作っていたポストカードをさらに増やしました。5枚組を4種類作成しました。1枚だけ、今の日本への警鐘として…私が撮ったトラバサミで前足を失った野良猫の写真を入れていただきました。溝淵さんと私が友人でなくなっても、2人の願いが、たんぽぽの種のように、日本中のあちらこちらへ運ばれて、花を咲かせてくれればいいなぁ、と願っています。

 

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【あと、どのくらいできるか…】

 
もうすぐお盆ですが、私は、父親がガンで亡くなった年齢に追いつきました。妹も先日手術を受けて入院中です。私は小学生の頃から、「まるでナチスドイツ下のユダヤ人のような、奴隷にされた黒人のような、戦火の下を逃げまどうベトナム人のような、中国残留孤児のような…」動物たちを何とかしたいと、心を悩ませてきました。高校生になった頃から、その想いを少しずつ行動に移せるようになりましたが、最近は「自分がこの世に存在する間に、やっておくべきこと」が、スケールになっています。
昨年は、宍戸大裕監督と『動物たちの大震災・石巻篇』を作ることができたのが、何よりの収穫でした。このDVDには《アニマルクラブを応援してくれた方々への感謝》の気持ちを込めました。カンパや物資の寄付をいただきながら、匿名や住所がなくて送ることができない方もいます。どうか、メールにて送り先をお知らせいただけないでしょうか?また、「観てみたい」、「上映会をやってみたい」などと思っている方もご連絡ください。

 

『動物たちの大震災・石巻篇』(宍戸大裕監督)

映画・キタ

「観たい人は連絡ください。上映会を企画していただけたら、嬉しいです。」

 

それにつけても…震災直後の混乱時に、のんびりした口調で現れたちょっとイラつく青年を門前払いしないで、本当に良かったです。アニマルクラブ石巻の強みは、自前の動物病院があることと、お抱えの映画監督がいることです。駆け出しの映画監督と、物心ついた時から動物愛護で生きてきたオバサンは何かとぶつかり、お互い人生でこれだけケンカした相手はいないほど、真っ向から本音バトルを繰り返しました。懲りもせず…今年はこの凸凹コンビで、命と平和のメッセージCMを作りたいと考えています。
私は一目置いている人とは、本音トークしかしません。先日も、里親探しの会場に、知り合いの生活安全課の警察官が来て「可愛い犬や猫のポストカードは気持ちが和むので、買いに来た」と言うので、「和まないけれど、捨猫のポストカードを買ってください。誰のせいで、こんな猫になったのか…考えて取り締まってください。法律できても、捕まった人いないじゃないですか」と、押し売りしました。虐待や遺棄を立証するのは、とても難しいようです。無理なことを突っいてばかりいても意味ないので、「できる協力を考えてください」とお願いしています。彼は、パチンコ店などが設置している電光掲示板に、動物愛護のコピーを流す協力店を探してくれています。同様の広告手段をお持ちの会社や店舗などで、協力してもいいとお考えなら、日本中どこでも構いません。ご一報ください。

 

動物愛護ポスター

ポスター

NPO法人nekonokoさんからいただいたポスターをコピーして、「警察でも貼ってください」とお願いしました。

 

 
最近、私は自分が写真を撮っている夢を見ます。私は長年、広告やタウン誌の記者をしてきました。愛用してきたカメラバックは、津波で水に浸ってしまいました。「もしかしたら修理できるかもしれない」という想いが一瞬頭をよぎったのですが、ヘドロとガレキだらけの家を見回して、「それどころじゃない」とバックごと捨ててしまった日のことを、今頃になって思い出します。そして、その後で、ペットを家に置き去りにして、自分だけ逃げた人達も似たような後悔を引きずっているのではないか…と考えたりします。
先日、震災後初めて、アニマルクラブの本を作る時に、いつもボランティア価格で引き受けてもらっていたデザイナーさんとメールのやりとりをしました。震災で会社がなくなり、失業して、瓦礫撤去などのアルバイトを経て、今は全く畑違いの仕事についている、と聞きました。私が思い描くイメージを形にしてくれる、かけがえのない人でしたが、「もうデザインをやる気はない」と言われてしまいました。…被災地に生きる人達は、喪失して、新しい道を拓き、それぞれの心の中に、鍵を下ろした引き出しがあるのかもしれません。私も決して人に話すことはないけれど、津波に呑まれて死んだ五井さんや、従姉や、知り合いや、動物たちの最期を想像することがあります。
いつまで動物たちのために働けるか…わかりませんが、とにかく私は、お金をかけずにできる啓蒙を実践していくことを、いちばんの役割として担っていくつもりです。何か良いアイデアがあったら、ご提案ください。
夜になってやっと吹いて来た涼風に、心残りを一つ思い出しました。『キタの応援歌』が未だにできていません。これまで4人ほどに作曲をお願いしましたが、叶いませんでした。最近では、東京の芸能人養成専門学校のボーカルコースに通う甥っ子が作曲の勉強も始めたと聞き、頼んでみたのですが、「こんな演歌みたいなの、作れるわけないよ。恥ずかしくて、友達にも見せらんない」と断られました。
『キタ』は、『動物たちの大震災・石巻篇』のポスターやDVDのジャケットにもなった被災猫。壊滅の浜で生き残り、横浜からボランティアに来ていた青年に救われて、アニマルクラブにたどり着きましたが、高齢でエイズ持ちのため、最近ではすっかり痩せて、毎週、抗生剤とステロイドの注射を交互に受けています。しかし、気の強さは相変わらずで…私は、何とかこの《浜の親分》を応援したいのです。どなたか、『キタの応援歌』に曲を付けてくれませんか?
ラストシーンにこの歌が入って、『動物たちの大震災・石巻篇』は完成します。その映画の上映会を開いてくださる方々がいれば嬉しいです。『捨猫パネル展』や『五井美沙作品展』も貸し出しできます。
私からのメッセージは、いつも本音です。「かわいそうだと嘆いても、何も変わらないのだから、動物たちのために、自分にできることを考えて、一歩踏み出してください。そしたら、先に道が見えて、もしかしたら同志にも出会えるから…」

 

※「これができないと、完成しない~キタの応援歌、作曲者大募集!」

応援歌

 

 

(2015年8月4日)