「それでもYesと言いたくて・・・」

蝉時雨に急かされて…】

 暑中お見舞い申し上げます。と、同時に、ご寄付くださった方々にもお礼もせずに、ご無礼を心からお詫び申し上げます。春にようやく活動報告を書いた時に「次は夏になったりして…」と思いましたが、予感的中で夏真っ盛り、猛暑です。この前も書いていると、次々用事ができて、途切れ途切れになり1週間かかりましたが、今回は1ヵ月前から気ばかり急いて、漕いでも漕いでも進まない舟みたいでした。

 川底から伸びた藻が絡まって、こちらをほどけばあちらが絡まり…時折このまま沈んでしまうのではないかという不安に苛まれながら、小舟は堂々巡りをして来ました。相談の電話やメール、突然の来訪者に翻弄される日々でした。石巻には津波被害を受けて廃屋となった建物がまだ残っていて、野良猫の格好の住処になっています。「可哀想に…取り壊しが始まったから、危うく死ぬところだったのよ~」と、目が開いたばかりの子猫を5匹も連れて来たオバサンは、ここに連れて来たことで助けたつもりですが、本当に助けるまでには、それからどれほどの手がかかったか…夜中の授乳はもちろん、下痢や風邪はいつものこと、育ち遅れの子猫が発育の良い兄弟に前足を噛まれて腫れて、病院に行けば体と同じくらい大きい包帯を巻かれたり、おっぱい恋しさで自分のおちんちん吸って腫れ上がったので、パンツを作って掃かせたり…と、いつまで経っても私は子育てから抜けられません。《出張》も多く、隣家とのブロック塀の間22センチの隙間に潜んでいる野良の子猫の捕獲を頼まれて、塀の間に
入ったものの身動き取れないから、横歩きで端を板で塞いで、マジックハンドを使って網を設置したり…コントみたいな非日常を必死でやっていました。

 

怪我をして病院に行くと、足より大きな包帯を巻かれました。

怪我をして病院に行くと、足より大きな包帯を巻かれました。

 

兄弟で吸うのは分かっていたけれど、自分のを吸うとは…パンツで防衛!

兄弟で吸うのは分かっていたけれど、自分のを吸うとは…パンツで防衛!


 こんな時は、私が短歌を添えさせてもらい、2008年に出版された写真集『捨猫』の作者、溝淵さんの言葉を思い出します。「いったいいつまで阿部さんは川下にいて、目の前の動物のことに追われる毎日を過ごしているのですか?」再三の彼の忠告にも成長できなかった私は「自己満足の域を出ない」と愛想を尽かされ、もう溝淵さんのお友達リストからは外されてしまいました。
 それから2年余り経ち、目の前にはシンドラーのリストを求めるユダヤ人のような動物達が前よりもさらに沢山ひしめいていますが…「それでもYesと言う」のが、変われない私の答えになります。小学生の時、ベトナム戦争の報道写真を見る度に、「ああ、ここに映っている人達は、もう誰も生きてはいないのだ…」と感じた、取り返しのつかない空虚を体が忘れていないのです。



【人の心に挑む日々】


 しかし、現実には、そこかしこで《このままでは無くなってしまう命》が悲鳴を上げているのです。いつの間にか名前だけ売れて、『アニマルクラブ伝説』がでっち上げられ、「引き取ってもらえる所だと聞いた」と言う電話やメールが、夏は毎日のように来ます。「誰々さんの紹介で…」と前置きされても、大学病院でないので何の効力もないし、そもそもその誰々さんに心当たりは殆どありません。「誰に聞いたか分かりませんが、それは誤解ですよ」と諭しても、それでは都合が悪いので、「じゃあ、どうすればいいの?」と居直る人達に、「協力するから自分で保護してくれませんか?」と持ちかけても、《自分の責任ではないことを自分が負うこと》を承諾する人は少ないです。
 《どうしたら問題が解決できるか?》と考えられる人は、《保健所や動物管理センターは殺処分するから、引き取れる》ことや、《行き場のない動物を集めて終生面倒を見る施設があるとしたら、莫大な費用と人件費も必要=だからそうそうあるわけない》なことを理解できます。その上で「助けるためには、自分が動かなければならない」ことを決意するのです。

 先週も、「交通事故で死んでカラスの餌食になっていた野良の母猫が残した5匹の子猫を助けたい」と相談をよこした主婦に協力して、捕獲作戦を決行しました。無事に全員保護して、ケージを貸し出し、お友達グループで手分けして預かってもらい、里親もその伝手で決まりました。《案ずるより生むが易し》です。次のステップは、「この繰り返しになるから近所の野良猫を捕獲して、避妊去勢することも考えて!」と頼んだ私の提案に乗ってくれるかどうかです。

 

石巻市内には空き家が多く、野良猫の住処になっている。

石巻市内には空き家が多く、野良猫の住処になっている。

 

捕獲器に入った子猫。おいしい缶詰めで次々5匹が捕まった。

捕獲器に入った子猫。おいしい缶詰めで次々5匹が捕まった。

 

捕獲器からケージに移しても、まだビクビクしている。

捕獲器からケージに移しても、まだビクビクしている。

 

 物分かりの良い人が多ければ、世の中はもっと正しく平和な方向に流れていくはずです。昨年秋に東京まで子猫の姉妹を届けて里親になっていただいた久世アキ子さんは、かつて日本中の薬局の店頭に居たカエルの「KERO」ちゃんの生みの親。私も薬局でもらった指人形で遊んだものです。久世さんは今もオシャレでカッコいいデザイナーさんですが、《脱原発》などの世直し活動にも奔走されています。彼女からのホットライン『憲法9条にノーベル賞を!』をご紹介しておきます。賛同者はご協力願います。

★サイトはこちらをクリック!⇒『憲法9条にノーベル賞を!』


 しかし、私の小舟に絡みついて行く手を阻むのは、道理や常識や人の心が解らない人達です。
 自分の家の飼い猫でさえ、生まれそうなお腹になってから避妊手術に連れて来た奥さんが、「野良猫にも餌あげてるの~」と自慢げに言うから、避妊手術を勧めると「触れないもの~」と言うので、捕獲器を貸してやりました。「野良猫なのでお父さんに送迎頼めないんだ~」と言うので、ボランティアの高橋くんが迎えに行くことにしましたが、「捕まらないでいるうちに生んでしまった…」そうです。その後、「母猫の片目が開かないから病院で診てもらいたい」と高橋くんに電話をよこして、1時間以上かけて迎えに行ったのに「逃げられたの~」と言われて、高橋くんは捕獲器を回収して、代わりにケージを置いて戻ってきました。その日の夜の9時過ぎに、今度は私の携帯に電話が来て「今猫が物置に戻って来たから、来てもらえませんか?」と言うのです。「とっくに避妊センターも終わったし、高橋くんも帰り、私も家の猫の世話をしています。ケージを貸したのだから、毎日やってる近くの病院に自分で連れて行ってください」と電話を切りました。
 ところが、翌朝5時半過ぎに犬の散歩に行くと、待合室の前にケージが置かれ、「助けてください」と書かれた紙袋が乗っていました。ケージの中には、片目の母猫と赤ちゃんが5匹入っていました。誰が連れて来たのか、すぐに判りましたが、当人は《捨て猫》をしたという意識は微塵もなく、午後にはケロリと「家に置くところもないから、よろしくお願いします~」と電話をよこしました。こういう人には、怒っても疲れるだけ損なので、せめて本人が口にした「費用は払いますから~」を実行してもらうしかないと思いますが、果たして幾ら回収できるのやら…。

 

片穂と5匹の子猫たち。みんな女の子。母乳を飲んですくすく育って、里親募集中!

片穂と5匹の子猫たち。みんな女の子。母乳を飲んですくすく育って、里親募集中!

 

 虐待被害に遭った猫も、避妊・予防センターに来ました。背中の毛が抜けて、皮膚が赤くただれて、おどおどしていました。連れて来てくれたのは、お正月に山に捨てられた19匹の猫を拾って来て、そのうち15匹を飼い続けている『てい子おばさん』。近くのアパートで餌をもらっている野良猫の変わり果てた姿に驚いて尋ねると、「野良猫を嫌う近所のお婆さんが、ハイターのような薬剤を掛けた」とのこと。これまでにも石をぶつけられたり、飲み水に薬剤を入れられ、飲んだ猫がもがき苦しんで姿を消したり、縁の下をブロックで塞いで出られないようにされたり、ガラスの破片などを入れた落とし穴を作られたりしたそうです。私はてい子さんに、これまでの虐待行為を見てきた人から、実際にあったことを聞き集めて紙に書いて、警察に持って行くように話しました。

 

保護された日のグレース。世の中が嫌になったよう疲れきっていた。
保護された日のグレース。世の中が嫌になったように疲れきっていた。

 

薬品をかけられ赤く爛れて、痛々しかったグレースの背中。

薬品をかけられ赤く爛れて、痛々しかったグレースの背中。



 ボロボロの猫は《見違えるような幸せ》への願いを込めて『グレース』という高貴な名前が付けられました。名前の付け方で、その人の趣味趣向が判ります。てい子さんはロマンチストで、私はインスピレーション派。彼女が保護してうちで引き受けた山猫3匹『はんちゃん』『あまちゃん』『チャオ』は里親さんに恵まれ、《第二の猫生》を生きています。

 

母性愛の強い『はんちゃん』は、その後保護された『ふじ』を我が子のように可愛がっているそうだ。

母性愛の強い『はんちゃん』は、その後保護された『ふじ』を我が子のように可愛がっているそうだ。

 

一緒のお家にもらわれた『あまちゃん』と『チャオ』は、相変わらず仲良し。

一緒のお家にもらわれた『あまちゃん』と『チャオ』は、相変わらず仲良し。



 グレースはおとなしい子で、ちゃんと治療させるから、症状はどんどん回復してきました。てい子さんは警察に相談に行き、私は新聞記者に相談しました。「動物の遺棄・虐待は犯罪」だということがまだまだ知られていないし、実際に罰金を取られたり、刑務所に入れられた人の話を聞いたことがないからです。交通違反のように取り締まりを受けたら、捨てられる動物は減って代わりの手立てを考えざるを得なくなると思います。動物を虐待した人に、社会が《とんでもない野蛮行為》と非難の目を向ければ、害虫駆除のようなつもりでやった人も、猫と人の命を重ね合わせることに気づくのではないでしょうか?それにしても、警察が真剣に動物のために動いてくれるには、法律が犬や猫を人間の所有物でなく、《基本的人権》のような生きる権利をはっきりと定めて守ってくれる必要があると感じます。お金を払えば(ローンでも)誰でも命を買える日本では、遺棄・虐待は防げないでしょう。

 今は、《可哀相だと感じた人》が全て被らないと、事態は変わりません。てい子さんは山から連れて来た中の1匹が糖尿病になり、毎日インシュリン注射を打っています。友達に「長年飼ってきた猫ならともかく、そこまでしなくていいんじゃない」と言われたことが悔しいと言ってました。グレースの虐待事件を機に、そこに来る他の野良猫も守ろうと、「避妊去勢手術してトイレを置いて、地域猫にしたら?と説得したけれど、餌を与えている人が逃げ腰で乗ってこない」と嘆いていました。

 

糖尿病の『でん助』。食事制限が厳しく、お腹を空かせてかわいそう。

糖尿病の『でん助』。食事制限が厳しく、お腹を空かせてかわいそう。



 「自分が飼主かどうか」とか「いつ出逢ったか」とか…《自分にとってどれだけの関わりを持っているか?》を尺度にしては、自分の心の痛みさえ落ち着けば、「ここまでやったからいい…」と合理化してしまいがちです。それでは、世の中は何も変わらず、不幸な動物は後を絶たないのです。
 60歳を過ぎて15匹の命を引き受け、さらに助けを必要としている命にも手を差し伸べたてい子さんを、応援したい人は…猫缶、猫砂、肥満猫用ドライフード、ペットシーツなどの寄付が助かります。もちろんカンパも。アニマルクラブまで送ってもらえれば届けますので、まずはメールでご一報ください。

 

皮膚病がなかなか治らない猫達。暑いのに首巻きをされて気の毒になる。

皮膚病がなかなか治らない猫達。暑いのに首巻きをされて気の毒になる。


 てい子さんは借家の裏庭の丹精込めた小さな畑をつぶして、猫のプレハブを建てました。船を降りたご主人が少しボケてきた、と心配事もあります。それでも、大勢の猫を自分だけの判断で連れて来たことに文句も言わない旦那さんを「うちのお父さん、優しいから~」と、大事にしています。
 動物を助ける活動をしている人は、誰もが大変ですが、理解ある優しい旦那さんに恵まれているケースが多いです。そういう人は、外で悔しいことやなさけないことがあっても、帰って甘えられる《最後の砦》があるから、羨ましいです。経済的にも、《自分の生活は何とかなる》のは強い支えだと思います。
 私が《お父さん》と呼んで苦楽を共にしてきた老猫『団蔵』は痴呆になり、最期の生命力の証のように、食べた事をすぐに忘れて請求を続けます。団蔵に見つからないように、流し台の隅っこでこそこそご飯を食べている私は、まるでシンデレラのように気の毒ですが、もはや王子様が助けに来る見込みもないので、老後を動物とどう共生していくかは、死活問題です。  私は震災で経営していた店を失いました。それから殆ど収入がないから、昨年あたりからは店を再建する事を考えていました。しかし、これだけ忙しい生活の中で時間をやりくりできる見通しも、体力的な自信もなく、資金を出すことに踏み切れません。世間で水商売と言われる仕事で、長年アニマルクラブを支えてきました。その私が3年以上も失業しているのですから、震災は、人々の人生にも天変地異を起こしたことを痛感しています。今は自宅をシェルターとして明け渡して、体の不自由な、目の離せない猫たちと借家住まいをしています。その家賃と光熱費、私とボランティアさんの食費を経費で下ろし、自分に必要なも
のは貯金を崩したり、たまにアルバイトしたお金で買っています。避妊・予防センターは現金収入は少ないですが、米や野菜や海産物など、昔の療養所みたいに差し入れが多いので助かります。

 

痴呆になり、目を三角にして、1日中食べ物を請求している団蔵。

痴呆になり、目を三角にして、1日中食べ物を請求している団蔵。

 

同じ年に、どちらも成猫で拾われてから15年来、ずっと親友の団蔵とミミオ。

同じ年に、どちらも成猫で拾われてから15年来、ずっと親友の団蔵とミミオ。

 


 

【時とお金の移ろいを背に…】


 春は役所に書類を提出する季節でもありました。なぜ書くのだかわからない面倒な書類を作成して、数字を見てがく然としました。アニマルクラブはいつのまにか、大金を出し入れする団体になっていました。思えば、震災前はずっと毎年赤字収支で、建て替えたお金が返って来ないのは当たり前のことになっていました。
 震災は昨日まで当たり前に流れてきた常識をひっくり返し、別な明日に私達を押し出しました。若い五井美沙さんと、やんちゃでケージが嫌いで外に繋いでいたリコとマメコと、穏やかで可愛いクララを連れ去り、どこかでそれぞれの生活をしていた犬や猫達が、突然切り離されて、うちに流れ着きました。

 

震災後、飼い主と別れた猫が集まって来た。向かって右からゆい、うるた、どんぶく、下がちゃーちゃ。

震災後、飼い主と別れた猫が集まって来た。向かって右からゆい、うるた、どんぶく、下がちゃーちゃ。

 


 一方で、「被災地の動物愛護団体だから…」という理由で、会ったこともない大勢の方々から沢山のカンパをいただいたのです。ペットフード等をリクエストして寄付してもらう支援も始まり、我が家の猫と犬も美味しいもの、体に良いものを食べられるようになりました。
 被災地には、援助に支えられた生活の変化が生き方まで変え、軌道修正できないままに、いつまでも震災を引きずっている人達もいます。そういう人達が無責任に動物と関わり、その尻拭いを求められる理不尽も増えましたが、アニマルクラブもまた《支援を受けて広げてしまった傘下の動物たち》を守り続けていけるのか…不安に駆られました。
 数字は、2011年度から、全国の動物想いの支援がアニマルクラブに集まったことを教えてくれます。年に1度、税務署に出す書類を見てもらいに行くNPO支援オフィスの方から、「石巻のどのNPOも震災の年は寄付が集まったが、翌年度からはそうはいかない。アニマルクラブさんはその後もあるから助かるね~」と言われましたが、運良く2012年4月に私の著書『動物たちの3・11』が出版され、本を読んでくださった方々から応援をいただきました。そして、翌2013年4月からはドキュメンタリー映画『犬と猫と人間と2~動物たちの大震災』が全国で封切りとなり、私も宍戸監督と一緒にあちこちの上映会やイベントに呼んでいただいて、トークショーや講演などを通じてアニマルクラブの活動をアピールできたことが効を奏したと思います。
 しかしながら、震災後は建物の再建や避妊・予防センターの再開など費用のかかることも多かったので、2012年度も2013年度も支出が収入を超過しており、2011年度の繰り越し金で穴埋めしてきたのが実状です。
(収支報告は、ホームページにも掲載しております。)

 

最初人を寄せ付けなかったチャッタ♂が、今ではうるた(もう2歳)のママ代わりで授乳ごっこ。

最初人を寄せ付けなかったチャッタ♂が、今ではうるた(もう2歳)のママ代わりで授乳ごっこ。



 面倒を見る動物の数が増え、使うお金が増える度に、不安を背景に思い出す風景があります。震災後まもなくのことでした。新潟で動物愛護活動をしているという外国人女性が3人訪ねて来ました。プレハブや一階に居た猫達も上げて、過密状態になっていた二階の猫部屋の写真をパチパチ撮りながら、「被災動物を引き取りましょう」と言われました。一瞬「その方がこの子たちのためなのだろうか…」と揺らぎましたが、《非常時こそ一緒に居るのが鉄則》だと思っていたので、「飼い主が出てくるかもしれないから、遠くに行かないほうが良いと思います」とお断りしました。
 それから2年ほどして、宍戸さんから「被災動物を収容していた外国人女性のシェルターが、資金難と伝染病の蔓延などで崩壊した、と報道されたよ」と聞きました。名前に聞き覚えがあり、いただいてた名刺と合致したので、「渡さなくて良かった」と胸をなで下ろしました。助けたい一心で連れて行ったのでしょうが、そんなことになったなんて…痛ましい一件は《多頭飼育の崩壊》というおぞましい警鐘を、私の頭の片隅で鳴らし続けています。

 



【事情があるから幸せに…】


 震災から4回夏が巡って来ているのですから、環境の変容は当然のことですが、毎朝蝉時雨の伴奏でバロンと散歩に行く山も、公園に整備されています。リコとマメコとクララの遺体を埋めた山です。もはや墓標にしていた石も取り払われて、傍らの桜の木まで場所を移されたから、もうどこに眠っているのかも定かではなくなりました。最初に重機を見た時には、びっくりして駆け寄り、掘り起こされた土に骨が混じっていないかと探しましたが、なかったのでほっとしました。《町内で亡くなった方々の鎮魂の丘》だと記されていました。工事が進んで来ましたが、お墓はどうやら通路になるのは免れたようです。

 

公園になった山。リコ、マメコ、クララのお墓はどこか、もうはっきり分からない。

公園になった山。リコ、マメコ、クララのお墓はどこか、もうはっきり分からない。




 時間をかけて形に成ってきた願いは、春にお伝えした首の関節が外れて寝たきりになり、激痛に耐えていたチワワの『むう』が大手術を受けて回復、体を起こして幾らか動けるようになったことです。しかし、腫れ物に触るが如き扱いが祟って、《世間知らずのいばりん坊》になってしまいました。オシッコやウンチが付くことも多く、体を拭いてやると咬もうと口をパクパクする癖は相変わらず…今度は動けるから本当に噛まれることもあり、『獅子振り保存会』のあだ名がつきました。でも、抱っこされてお散歩は大好きです。もっとむうを見る時間がある、手をかけてやることのできる環境で、リハビリもしてやれば、さらに回復も望めるかもしれません。里親になってくださる方はいないでしょうか?

 

首の関節がうまく繋がり、動けるようになって、『獅子振り保存会』会長を襲名したむう。

首の関節がうまく繋がり、動けるようになって、『獅子振り保存会』会長を襲名したむう。

 

《すぐ怒る》似たもの同志。異色のカップル、むうとチャコブーが密談中。

《すぐ怒る》似たもの同志。異色のカップル、むうとチャコブーが密談中。



 普通の里親探しではなかなか見つからない、「迎えてくれるお家があればなぁ…」と願っている子たちが他にもいます。一人暮らしの老人が亡くなり、身内もなく、市役所職員が入った家の中に取り残されていた、小型犬『ベッキー』♀と『じいじ』♂です。発見された時は、顔もお尻も汚れた毛で塞がり、悪臭を放っていました。飼い主のおじいさんが入院してから亡くなるまでは、元の奥さんが時々餌やりに来てくれて命をつないでいたそうです。どちらも10歳前後の高齢ですが、電気も切られた空き家で冬も頑張り抜きました。2匹は父娘なのか、夫婦なのか…仲良しで、どちらもひじょうに明るい性格で、誰にでもすぐに懐ついてきます。避妊・去勢手術も済ませ、血液検査の結果も健康上問題はありませんでした。

 

サマーカットして、里親さんを大募集!いつも一緒の、明るく元気な《ベッキー&じぃじペア》

サマーカットして、里親さんを大募集!いつも一緒の、明るく元気な《ベッキー&じぃじペア》



 そして、猫の『ミケン』。眉間にキジトラ模様がある愛嬌者で、性格の良さで仮設住宅の住民達からご飯を与えられて生きてきましたが、引っ越す人も出て来て、「仮設にいつまでもは置けない」と相談が来ました。相談をよこしたオバサンが「最初は餌やりしていた人もだんだんやらなくなってきた。みんな引っ越して、この猫置いて行かれたら可哀想だから…」と言うので、とにかくワクチンと去勢手術をするために連れて来てもらうことにしました。すると、「車がない」と言うので、高橋くんが迎えに行きました。高校生くらいの娘さんと2人でその車に一緒に乗って来ました。
 「関わっていた人達から少しずつカンパを集めて、手術を済ませたら、お宅が引っ越すまでは面倒見続けてくれませんか?その間に里親探しをしますから」と言ったら、「仮設の人達は誰も1000円だって出さない。餌も買わないんだから」と言いました。そして…「私だって出す余裕なんてないです」と言ったので、びっくりしました。それなら、なぜ車に乗り込んで来たのでしょうか?できないことの言い訳をするために、遠くの仮設住宅までボランティアを呼びつけ、帰りも送ってもらおうなんて…呆れましたが、オバサンは《言うべきことは伝えた》と晴れ晴れしていました。娘にも「世の中はこうやって渡るんだよ」と教えたつもりでしょうか?
 しかし、ミケンはとても良い子でした。まだ若く、甘えん坊で陽気です。けれど…白血病のキャリアでした。二階建てケージに入れられています。一度里親候補者が現れたのですが、猫アレルギーになったからと数日で返されました。1匹だけで飼ってくれるお宅、あるいは先住猫に6種以上のワクチンをしているお宅なら一緒に飼えます。将来発症するかもしれません。しかし、「もしも短い命なら生きている間はできるだけ楽しませたい、幸せにしたい」と考えることのできるお宅に迎えていただけることがこの子の幸せです。

 

「僕もここから出て走り回りたいな~」陽気で甘えん坊のミケンくん。

「僕もここから出て走り回りたいな~」陽気で甘えん坊のミケンくん。



 想像を絶する惨事の後の間に合わせの対処は、個人がしたことでも、行政であっても、後に問題を残し、ある人の心の慰めが他の人の悩みを引き起こす事態があちこちで起きています。仮設住宅では飼育を許可しながら、それに見合うペット可の災害復興住宅を用意しないから、「引き取ってもらえないか?」「預かってくれないか?」と言う相談がひっきりなしに来ます。
 一方、仙台市ではペットと暮らせる復興住宅が空いているとか…。行政はニーズを把握して動いているのか…これまで何度となく陳情や提言しても真剣に取り合ってもらえなかったことを想うと、「現場にいる人間の意見を尊重して、力を合わせる」という謙虚な柔軟性の不足が《事業の遅れと無駄使い》を生んでいると感じます。
 映画『犬と猫と人間と2~動物たちの大震災』に登場したミィちやんの飼い主の小暮さんも、昨年秋に心筋梗塞で倒れてからお好み焼き屋を閉めて、仮設住宅に入りました。この後の住処として、通っている日赤病院近くの災害復興住宅のペットと入れる部屋を希望しましたが、抽選に外れました。持病があり車もない、1人暮らしの老人を優先しないで、《抽選が平等》と言えるのは、文句を言われたくないお役所仕事だと感じました。飼えなくなった動物の行き先は《保健所》という答えしか用意していないお役所の公務員は、生活を費やして四苦八苦しているボランティアを市民に紹介して、お茶を濁しています。

 




【貧しさの中の動物たち】


 現代の貧困が問題になっていますが、アニマルクラブの留守番電話やメール、避妊・予防センターの待合室でそれを身近に感じる場面が多々あります。相談をよこす人の多くが「経済的に大変」だと言い訳をします。真に受けて、大幅な値引きをした人が高級車で帰って行くのを見て、「騙されたのかなぁ~」と感じることもあります。一方、「子供が友達からもらってきた捨て猫が体調悪い」と電話をよこして、連れて来るように勧めたのに「お金がかかるんですよね?」と言って来なかった人に、翌日電話をすると、子猫を病気のまま子供から子供に返させたとのこと。子猫が今どうしているのか確認もせずに、「子供にとっていい勉強になりました」なんて、動物を人間の教材にして体裁を整えたつもりの人には、《生き方の貧しさ》を感じました。「助けてこそ教育ですから、親に電話して確認してください」と言いましたが、それきりでした。

 まじめに働いているのに収入が少ないのは、恥ずかしいことではないと思います。付き合っていくと、その人自身にも原因があると気づくこともありますが、問題はそこにいる動物たちです。普通の病院では支払うことが困難な人達が、家族として慈しんでいる犬や猫が病気になった時、あるいは不幸な動物に行き遭って助けようと行動した時に、必要な治療が受けられることが、事業の目的の1つです。避妊・予防センターが役に立っていることを実感するのは、送迎を手伝ったり助成金を出したり分割払いにしたりしたことで、避妊去勢手術に踏み切った人が、何匹もいた猫を全部手術してくれた時、あるいは自ら次回のワクチンを受けに来たり、「風邪を引いた」「ケガをした」と受診に来てくれた時です。手持ちが少なくても、《安心して来ることができる動物病院》を続けたい、なるならもっとできることを増やしたい、週に2日の開院を増やしたい…と感じます。待合室で私の心が寄り添うのは、病んだり傷ついた動物たちを心配して、楽にしてやりたいというひたむきさが伝わってくる正直
な人達です。その想いの前では、お金は後からついて来るものだと感じます。

 しかし、「避妊センターってお金払いたくない人達からいいように利用されているとしか思えませんよ」と言うのは、契約動物病院から派遣されている職員さんです。うちのボランティアさんは「どんな子でも、1匹でも多く助けてあげたい」人ばかりだから、この人の意見は俗世の風評として参考になります。「慈善事業じゃないんですよー」と彼女は息巻いています。いやいや、これは慈善事業なんです。彼女には、無給で働く私達の心情は理解できないでしょうが、私達は彼女にはわからない《お金では買えない喜び》もたくさん経験しています。
 しかし、慈善事業だけではやっていけないのは事実です。連れて来た人が払えない。「分割でいいので払ってください」と言っても払えない。「半分は助成しますから、半額払ってください」と頼んでも払わない…。普通の病院では、そういう人が連れて来る動物は、次はもう診てくれません。けれど、その子には持病があって、治療しなければ命に関わる。苦痛も取り除けないとしたら…?治療を続けるためには、他の誰かがその費用を出さなければ、慈善事業は回らないのです。アニマルクラブにカンパを送ってくださる方々は、そのお金が「自分が会うこともない動物たちの役に立つことを願っている」と私は解釈しています。また、ちゃんとお金を払える方々にも避妊・予防センターを利用していただくことで、収益を上げたいと考えています。


 避妊予防センターは昨年度130万円余の赤字でした。分割できちんきちんと払ってくれる人達の一方で、全く払わない、殆ど払えない人達がいます。私が躊躇するのは、相談をよこして避妊・予防センターに来ながら、伏せ目がちで、誰に話しているのか分からないような説明をする人達です。彼女たちは、《大ケガを負って帰って来た猫がどんなに苦しんで死んでいったか》や、《昨日までエサを与えていた子猫が何かに襲われて、翌日は首だけになっていた》ことや、《サカリがついて出て行って2週間帰って来ない猫は、近所の農家が撒いた殺鼠剤を食べた鼠を食べて死んだのだろう》なんて恐ろしい話を淡々と、あるいは笑みを浮かべながらあっけらかんと話すのです。そして、そういう人は、金銭的なことを具体的に口にしません。金額を気にするのは、払うことを前提にしているからで、自分には払えないことを知っている人は、最初に一度「払えない」と言ったら、あとは触れたくないのだと思います。
 夫婦や親子で来て、自分達だけで夢中になって猫の話をしているのは、防衛や逃避なのかもしれません。こうした掴みどころがない人達の行方はだいたい二通りで、多いのは上辺だけ合わせて決して逆らわず、ケガや病気が一段落するとピタリと来ない人。電話しても「お陰様ですっかり治りました」などと話を終わりにするか、もしくは電話に出ません。お金の請求をされると思うからでしょうか…?

 もう一方のタイプは、付き合っていくうちに心を開いてくる人です。「費用は払えるくらいで、分割でもいいから、生む前に手術を受けて!」と言われて半信半疑で来たのが、何匹か手術しても請求されないとわかると、私に対する口調が親しげになり、笑顔を見せるようになります。待合室での飼い主さん達の犬猫談義にも混じり、楽しそうです。病院に来ることが面白くなって、「この子も調子悪い」と次々連れてきます。そういう家には慢性病の子がいますから、処方食まで回してやらねばなりません。なくなるともらいに来て、「高くてうちでは買えない」と言います。人間の子供が扶養手当てを受けるように、猫も福祉を受けられると思っているようです。「払えるくらいはお願いします」と言うと、1000円札1枚渡されます。しかし、明らかに変わったのは、猫達との関わり方です。前は天災のように語っていた動物達の受難を能動的に防ぎ、病状に気を配り、居心地が良くなるように、動くようになりました。安心して《家族》として受け入れたのです。

 寄る辺なき人達は、思いやりから始まっても、伴わない力量と社交性の低さが世間と壁を作るようです。夫がいて何人かの子供がいる家庭なのに、家賃や食費や光熱費で収入は消え、実家の親も兄弟もみんなアパート住まいで誰も頼りにできない…と解決の糸口が見つからないのに、多頭飼育している人は、人間社会で満たされない思いを動物で紛らわしているようなところがあります。
 開院日ではない日に倒れて他の病院に入院した猫の費用38万円を肩代わりしたこともありましたが、回収できたのは3500円。貧しい人達にとっては、動物病院に連れて行くことは、かなり高いハードルのようです。《心ばかりは赤十字》で対応していますが、すり減るのはお金ばかりではありません。自分は何もしようとしないのに、可哀想な動物が目について仕方がない人達もいます。そういう人達は、早く解決しないと、自分の気持ちが治まらないのです。そして、彼らが知っている解決方法は「代わりに誰かにやってもらう」ということだから、こちらが《できる事とできない事》を説明したつもりでも、留守電を再生すると、メールを開くと…また同じ人。戸を叩き続けることしかしない人達に、逃げ出したくなります。

 


 


【フジコさん、ありがとう】


 そんな夜、私は逃げて一眠りします。2、3時間経つと目覚めて、またシェルターに行きます。子猫にミルクを飲ませたり、盲目で脳障害があり、タイミング良くウンチを片付けないと踏み散らかして、ケージに塗りたくる『ニャーゴ』や、やはり大小便をしたまま寝てる『むう』を見て、扇風機やエアコンの調整をするためです。ぐでんぐでんに疲れている日は、それからまた寝ます。頭痛がひどい日はお風呂に入り、ロキソニンとアリナミンVドリンクを飲んで、布団を被って汗をかきます。体調が良い日は、朝まで起きて、メール相談の返信や手紙を書きます。

 

 

交通事故に遭い、保護されていた中学校で熱中症にもなり、失明して脳障害も受けた被災猫ニャーゴ。

交通事故に遭い、保護されていた中学校で熱中症にもなり、失明して脳障害も受けた被災猫ニャーゴ。



 先々週、《ニャーゴの二代目》を保護しました。交通事故で頭を強打して目が見えなくなった野良の子猫です。レントゲンを撮ってもらいに行くと、頭の骨にひびが入っていたそうです。来た日はトロンとして動かず、頭がおかしくなったように見えました。『トロント』と名づけました。翌日もオシッコも垂れ流し、食べ物もシリンジで口に入れてやらないと食べることができません。しかし、3日後、トロントは動いて食べ物をせがむようになり、トイレを覚えました。1週間ほどで左の目だけは反応するようになり、皿からごはんも食べられるようになりました。

 

保護された日のトロント。どんよりと動かず、「死んだのではないか」と何度ものぞいた。

保護された日のトロント。どんよりと動かず、「死んだのではないか」と何度ものぞいた。

 

3日後、トロントが動き出す。このころはまだ全盲だが、今は片目が見え、ケージ内を駆け回っている。

3日後、トロントが動き出す。このころはまだ全盲だが、今は片目が見え、ケージ内を駆け回っている。



 子猫が持っている生命力には目を見張るものがあります。これたけの生きる力を持っている子猫が、あちこちで飢え死にしたり、カラスなどに殺されたり、交通事故死したり、行政が集めて殺処分するのは、《あってはならない現実》だと思います。
 だから、この活動を少女の頃から40年近く続けてきました。そして、私のその願いを後押ししてくださる方々がいるから、気を取り直して、逃げ出したくなる現実とまた向き合います。

 避妊・予防センターは、2008年4月1日、ピアニストのフジコ・ヘミングさんのコンサートからの寄付100万円でプレハブを購入して、病院仕様に改装して、備品を揃えスタートしました。医療機材とスタッフを手配してくださったのは、若林救急動物病院・ワイワイペット・ウィル動物病院グループの千葉院長。『野良猫でも必要な手術や治療が受けられるNPOの動物病院』に、この夏、魔法のようなプレゼントが届きました。5月に山形市で開催されたフジコさんのコンサートの収益金から、200万円もの寄付をいただいたのです。兼ねてから欲しかったエコーを購入したいと思いましたが、300万円以上はすると聞き、痛い出費を覚悟しました。ところが、やはり後押ししてくださる横浜の獣医さんの紹介で、医療機器の会社の社長さんがデモンストレーションに使った高性能のエコーを200万円+消費税で出してくれたのです。こうして、7月29日、プレハブの小さな診察室に立派なエコーが入ったのです。これで、これまでは見えなかった体の中のことまで解るようになると、助けられる動物たちはさらに増えていくでしょう。

 

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パリにいるフジコさんに、エコーが来たことをご報告しました。フジコさんからのFAXやお便りには必ず苦笑いしてしまうのですが…いつも本当のことが書かれています。今回はGAZAの動物たちのことをとても心配されていました。「頑張って命を助けても、ドクキノコこような人間がいっぱいいて、幸せが壊されるひどい世の中」だと嘆いていました。私は、フジコさんが降り注いだ慈愛の雨を受けた木陰では、美味しいキノコも生えていると思います。
 避妊・予防センターにこの先必要なのは、機材や設備だけでなく、フジコさんのような「会ったこともない動物たちの痛みも感じ取り、助けるために一生懸命になれる」スタッフだと思います。志のある人間が働くことを喜びにできてこそ、人々もそれについて行くから、慈善病院は経営も成り立つと感じます。これを読んでくださったまだ会ったことのない人たちの中に、そうなれる人はいないでしょうか?獣医師や看護士として働ける方なら、千葉院長の病院に勤務する形を取れば収入も伴うので、ご相談ください。

 

寄付金で購入した自動点滴機のおかげで、腎臓病の悪化から命を落としかけたテイガが持ち直した。

寄付金で購入した自動点滴機のおかげで、腎臓病の悪化から命を落としかけたテイガが持ち直した。



 ああ、やっとここまで書きました。明日は里親探し。今月は強化月間で、2回開催します。明日のイベントが終わったら、この夏一番やりたいのに延び延びになっていたことがやっとできます。それは…犬たちのシャンプーです。柴犬のユキちゃんが体を掻いている姿を見る度に申し訳なくて、心で詫びていました。シャンプー泡立てて、要らない毛をいっぱい取って、良い香りになったら、私の心もだいぶスッキリしそうです。

 

「いつになったら順番来るの~?」シャンプー待ってるユキの飼い主は、精神科に長期入院中。

「いつになったら順番来るの~?」シャンプー待ってるユキの飼い主は、精神科に長期入院中。

 


      2014年8月8日