『逝く春、咲く春』

《「大丈夫」で送るために》

 毎度ご無沙汰いたしました。前回年の瀬に追われながらも、活動報告を書いたのは年明けまもなくでしたが…やっと皆さんに向き合うところまで来たと思ったら、もう桜の季節です。あれから…いくつかの小さな命に導かれ翻弄され、「寒いー」「疲れた~」と弱音吐いて一回眠り、目が覚めたらまた動き出す日々を重ねて来ました。何とか桜が散る前に、今回の活動報告を掲載したい…それが、現在のささやかな願いです。

 今も私の傍らで、18年生活を共にしてきた老犬『クマ』が最期の時間を生きています。クマと出会った頃は私も三十代で力がみなぎっていましたから、同棲カップルのアパートで生後半年になるまで押し入れに隠されて育ったために、社会性がなく吠えてばかりいたクマをスパルタでしつけました。その分この子との絆は強く、私にはとても従順でした。
 昨年秋に散歩途中に突然足がもつれて、介護が始まり、何度か死にそうになっても、敷地内に動物病院が週2回開院するおかげと、ボランティアのまゆみさんが「牛のタタキだよ」「チーズケーキだよ」とご馳走三昧してくれて…持ち直して来ました。昼は寝てばかりいて夜起きているから、痴呆も始まったのかもしれません。深夜に借家でうるさくされると、苦情が来て動物が飼えなくなるのでは…と身が縮む思いですが、夜間シェルターに残してくることはできませんでした。
 そして、この冬も終わる頃になってから、風邪を拗らせて膿のような鼻水がとめどなく流れて、何日も何も食べなくなりました。毎日皮下哺液と注射をしながら、抗生剤の目薬をこれでもか、これでもか…というくらいに鼻に入れ続けました。もう長くないのは分かっていましたから、「ここまで来て風邪で死なせたくない。老衰で送りだい」と思いました。願いは通じて、風邪症状はかなり軽減されました。
 しかし、固形物を食べられなくなって1ヵ月余り…哺液の針を刺す場所が見つからないほど体は痩せ細り、それでも健気にオシッコは外でしたがります。夜は1、2時間おきに鳴きます。オシッコなのかどうか、わからないけれど…近所迷惑なので、抱いて外に連れ出します。後ろ脚の先が内側に丸まってちゃんと立てなくて、そのままでは横倒しに倒れてしまいます。胸の辺りを押さえて立たせると…早鐘のような鼓動が指先に伝わります。表通りのコンビニの灯りとクマの命の残り火だけが、寝静まった町の中で、走馬灯のように時を刻みます。
 死んだように眠るクマは目覚めると、もう吠えることはできないかすれ声で私を呼びます。シリンジで水や流動食も与えてみますが、少ししか飲みません。「それはもう要らないよ」って感じに口を閉じます。体に残る最後の力を振り絞ってやるのは、赤ちゃんがお母さんを求めるように、頭を起こして私を探すことです。もう食べない、動けない、目も見えなくなって、人間も動物も最後に求めるものは《安心感》なのだと感じています。
 小児ガンなどの難病の子供たちが入院する病院の先生が「大丈夫だよ」と繰り返していたドキュメンタリー映画を思い出しました。私もクマに、「お母さん来たからもう大丈夫!」と繰り返しています。『大丈夫』は病気を治すとか、命を助けるとかの約束ではなく、もっと無垢な求めに対する「ここにいるよ」という温もりなのだと思います。

 

まだ動き回れた頃。 夜、徘徊してくるくる回るクマを心配してついて行くダンちゃん

まだ動き回れた頃。
夜、徘徊してくるくる回るクマを心配してついて行くダンちゃん

 

すっかりやせ細ってしまったクマの枕元に付き添うダンちゃん

すっかりやせ細ってしまったクマの枕元に付き添うダンちゃん

 

「お母さん、どこ?」と顔を上げて探すクマ。 「ここに居るから大丈夫。」

「お母さん、どこ?」と顔を上げて探すクマ。
「ここに居るから大丈夫。」

 

《氷上のナイスペア》 

今年はびっくりするほど雪が降りました。石巻市は92年ぶりの積雪記録だったとか…。2月の豪雪の時はボランティアさんも来れなくなって、1人来てくれたと思ったら家の手前で車が立ち往生。オバチャン2人で車動かそうとしても無理…そこに颯爽と現れたのが、我らがヒーロー、《カーペンター・加藤さん》。大雪警報で道路も通行止めの中、どこを通って山形から来たのか…この辺では売り切れて手に入らないアルミスコップも持参して、倍速モードで雪を払い、あっという間に車を動かしてくれました。どうやら、不妊予防センターやシェルターに掛けた屋根が雪で潰れたりしていないか、気になって来てくれたようです。加藤棟梁の手仕事ですからもちろん大丈夫でしたが、屋根の雪も降ろしてもらい、次は私の車が埋もれていた駐車場の雪かきを始めました。雪を寄せて車の通り道を作ってくれたので、駐車場を借りていた皆さんも大助かりでした。「雪かき大明神!」と手を合わせたくなる大活躍をした後は、夕飯まで作ってくれて、大雪警報の中を帰って行きました~加藤さんは、本当に月光仮面みたいな人です。

 それに引き替え、寒さが苦手な私は5枚も6枚も重ね着して、帽子とネックウォーマーで目だけ出して、手袋、ブーツの完全防備で朝の散歩に行きます。4月に『ムク』、11月に『チッチ』…長年苦楽を共にした犬を亡くし、『クマ』との別れもそう遠いことではないけれど、震災後『バロン』と『ちびめ』の2匹が仲間入りしました。
 放浪していた犬を通りすがりの人が連れて来たのが『バロン』。震災から1年後の3月で、私は福島に行って留守でした。ボランティアの高橋くんから電話が来たので、代わってもらい「協力はするけど、引き取ったりはできない」ことを説明しました。その人は「今から用があるから、夕方まで預かってください」と犬を置いて一度帰ったそうです。そして、確かに夕方再び現れたのですが、「保健所に聞いたらこの犬を探してる人はいないけれど、預かってくれるそうなので、今から連れて行きます、と言ってます」とまた電話が来ました。「ハァ?そんなら、何で拾って来たのよ!」と県境辺りで苛立ちながら、また電話を代わってもらい、「殺処分されるんですよ」と言ったら、「しばらく預かるって言ってましたよ。貰い手もあるかもしれないって…」と明るく答えるので、「しばらくっていつまで?ずっとじゃないですよ。子犬ならともかく、雑種の成犬はそう簡単に里親見つからないし、あるかもしれないってことは、ないかもしれないでしょう?そしたら、どうなるか、考えてください」と言ったら、「あら~保健所で飼っててくれるのかと思った~」と言うので、こんな人では管理は無理と判断して、お引き取りいただきました。
 高橋くんが言っていた「建物に入れて戸を閉めると、すごく吠える」という点も気になって、帰宅して真っ先に見に行くと、想像していたより小柄で、言葉を掛けると首をかしげ、大きな垂れ耳で片目が隠れてしまう仕草が何とも可愛くて…何だか前にも会ったことがあるような気がしました。子どもの頃楽しみに観ていた日曜夜のカルピス劇場シリーズの『ペリーヌ物語』を思い出し、『バロン』と名付けました。3月の夜はまだ寒く、まだ犬小屋がないから玄関に入れてやると、狂ったように吠え続けるので、あわてて外に出しました。津波被害を受けた不妊予防センター のプレハブ周りを透明の波打ちトタンで囲って屋根を掛けて、受付と待合室にしていたスペースを、加藤さんが修理してくれて洗濯干場に使っていたので、戸を開けたままにして、そこに置いたら落ち着きました。
 翌日明るい所で、バロンが付けていた首輪を見てドキリとしました。今は売っていないバックルの大きな古くさいデザイン、白と紺と水色のストライプにも見覚えがあったのです。やはり、バロンには、前に会っているような気がしてきました。色々な相談を受けても、アニマルクラブが全て解決できるわけではありません。里親探しを頼まれていても、こちらが紹介する前に「貰い手が見つかった」と言われるケースもあります。そんな時は、「どんな家に行くのだろうか?ずっと大事にしてくれる人だろうか?」と心配になりますが、せいぜいフードやペット用品を持たせて見送るしかありません。アニマルクラブでは、家やお店に眠っていた首輪やリードなどをいただくこともあります
 震災の6、7年前でしょうか…、農家の庭先に繋がれた茶色い子犬を迎えに行った時、「メスだけ連れてってけさいん。オスは欲しい人があっから、おいででもらっていいがら」と言われて、せめてできることと思って、庭の木に綱で結ばれていた生後4、5ヵ月のオスの子犬に、持参した首輪を付けてやった記憶がありました。人なつこくて、飛びついて来るから付けるのに苦労しました。
 バロンが果たしてあの時の子犬なのか…たった一度行った農家の場所ももう定かではありません。バロンの年齢はもっと若いような気もしました。そして、散歩に連れ出して、ハッとしました。バロンの足四本とも膝の辺りに、同じようなタコができているのです。考えられるのは、狭くて、座ったままの姿勢でいなければならない所に閉じ込められていた、ということです。縁があるかと探るより、今、出会ったことが縁でした。そんな環境から逃げ出して来たのか…放たれたのか…ここにたどり着いたのだから、その犬が向き合うべき命なのだとわかりました。
 さて、閉所恐怖症のバロンのために、すぐ近くにある実家の庭にあったムクの犬小屋を空けてもらい、ムクを家に連れて来ました。加藤さんが立派な屋根を掛けてくれた屋外犬舎はバロンも気に入り、柵内で穴掘りしたり敷物に穴あけて食べたり、縁側に放置されていた、甥っ子のバカでかい靴やAKB48のCDを巧みに引きずり込んでメチャクチャにしたりして、自由を謳歌していました。散歩に行けば、会う人全てに寄って行こうと駆け出して飛び付こうとする、バロンは陽気で活発な性格でした。もしもその性格が疎まれて、閉じ込められたのだとしたら…人は傲慢な思い違いで、「この犬はダメ」だとか「危険だから」と《冤罪》を被せて保健所に送ってきたのでしょう。人も動物も、居心地の良い所で、幸せに感じた体験を身につけていくのです。理不尽な経験は体の内側に残り、不安を呼びます。その後津波警報が出た時に、心配で家まで連れて来て玄関に入れたら、バロンはずっと吠えてパニクっていました。

 最初はやせっぽちだったバロンですが、去勢して、よく食べて…どんどん太ってきました。フードもシニア用に替えて幾分効果ありましたが、散歩中の後ろ姿は《ボンレスハム》のようなので、『ハム男』とあだ名を付けました。漢字にして、『公男(きみお)さん』と呼ぶことにしました。公男さんと私は、この冬、何回も雪が積もる山に登りました。ツルツルに凍っている場所は怖いから、「あー、そっちには行かないよー。私は君子だから、危ない所には近づかないよー」とストップかけます。いつの間にやら、私は『君子(きみこ)』になったので、我々は『きみこ・きみおペア』です。ちょうどオリンピックがさかんに放映されていた頃、石巻のナイスペアも、必死の《転ばんピック》を繰り広げていました。
 そして、雪の山道を下る度に、津波で死んだ『リコ』を思い出しました。以前は一度に4匹散歩してたから、雪の坂道を先頭切って駆け下りるリコを《犬ぞり隊長》と命名していました。震災の前まで、私はテレビや映画での中で「死んでも心の中で生きている」と言われても、ピンときませんでした。ここに居なくなることが死だと思っていたからです。でも、震災でリコ達を亡くし、その後も老猫が続けて死ぬと…日常生活の中で、その子達に話しかけたり、思い出したエピソードに感心したり、発見したりすることがありました。この世にいる私が、あの世に行った動物達と今を共有する瞬間に、もう会えなくなった命が、心の中に存在していることを実感しました。バロンの無鉄砲がリコのやんちゃを呼び起こし、リコをどう制したら効果があったか、記憶をたどれば…《命は連続するいとなみ》なのだと…みんな続いていくから、死ぬまで生き抜く意味があるのだ、と安堵したりしています。

 

バロンお得意!! キメの『?(ハテナ)』ポーズ

バロンお得意!!
キメの『 ?(ハテナ)』ポーズ

  

春の《きみお・きみこ ペア》は、ちょっとお洒落にシルエットで…。

春の《きみお・きみこ ペア》は、ちょっとお洒落にシルエットで…。

 

加藤さんが作ってくれた立派な犬舎で自由闊達に暮らすバロン

加藤さんが作ってくれた立派な犬舎で自由闊達に暮らすバロン

 

《無知と嘘の向こう側》 

震災の年の12月に生まれた『ちびめ』の命名の理由は《目が小さかったから》。下顎も出ているし、どこから見ても可愛くない子犬でした。そして、後ろ足が2本とも不自由で、前足2本だけ動かして居座って歩くのでした。一緒に生まれたオスは、四六時中体が小刻みにガタガタと震える神経症状がありました。飼い主の老夫婦が「捨てたり保健所にやったりできないから、増えてしまった」と言う家の中では、近親交配が繰り返されていたのです。

 「お金がないから病院へは行けない」と言うので、10匹近くいたメス犬を1匹ずつ避妊手術して、人なつこい子は里親を探しました。「あと2匹」というところで震災でストップしてしまい、不妊予防センターを間借り再開してから、連絡してまず1匹を手術後、最後の1匹になったら惜しがって、「臆病だから」と言い訳して延ばし延ばしにして…「おばあさんも一緒に行って麻酔かけるまで付いていれば…」と説得して、予約を入れて迎えに行ったら「妊娠しているかもしれないから、手術は可哀想だ」と犬を隠して、ドタキャン。4匹生まれてしまいました。2匹は順調に育ちましたが、あとの1匹は立ち上がれず、もう1匹は一日中震えて、そして極度に怖がりで飼い主しか触れない状態でした。
 でも、このおばあさんの感心なところは、犬をとても可愛がることです。お金もないし、夫は怒ってばかりいるし、息子は非協力的…犬の世話をすることが生きがいのようでした。何をするにも震えて時間がかかる子犬を辛抱強く介護していたから、オスは残して来ました。後に仙台の病院まで行って検査してもらいましたが、治療法は見つかりませんでした。今も同じ状態です。震災前にこの家から里子に出した犬の中でも、震災後1歳半で緑内障を発症して、様々な治療も甲斐なく、結局両目を摘出した子もいましたが、それも近親交配のせいではなかったのか…と不安になりました。
 元気な2匹には里親が見つかり、歩けない女の子はうちで引き取りました。右足は膝のお皿が横に付いていて、左はお皿が欠損している、と言われました。3ヵ月ほどがかかりましたが、2度の大手術を受け、その間預かってくれたボランティアの木村さんがリハビリもしてくれたので、『ちびめ』は軽くビッコを引く程度で、歩くことも走ることも可能になりました。それでも何回里親探しに参加しても、お見合いにも2、3回は行ってみたのですが…全然決まらず、もう家の子になりました。相変わらず美人ではありませんが、明るく甘えん坊、番犬はするけど、無駄吠えはしない、我慢する事もわきまえているお利口さんに成長しました。
 ちびめが生まれた家のおじいさんとおばあさんは、子供のように無知で、感情だけが行動の指針です。次々子供が生まれたら、自分達の生活や犬達の社会がどうなるか?ましてや、親子や兄妹で交尾したら…?と考える事ができず、その後始末にはお金と手間と時間と、この先の不安まで…別の人間が肩代わりしなければならなかったのです。

 震災後ますますアニマルクラブは、動物の福祉事務所のような頼られ方をしています。知的・精神的障害がある人の場合には、本人ではなくヘルパーや市の職員、近所の人が相談をよこす場合もあります。行政の不備をボランティアに求められるのは納得もいかないし重荷ですが、「何とかできるかもしれない」ことを人の理屈でやらなければ、救われないのは動物だから、文句を言いながらもお金かけて、疲れ果てて、時には見当違いの仕打ちを受けながら、できることをやっています。
 自分の生活さえままにならない人達が動物を飼っています。その飼い方が自分勝手なことに気づく度に、動物が好きというよりは、人間社会で満たされない欲求を、自分が優位に立て、言葉も話せなくて好都合な動物達に求めているように感じます。
 無知であっても素直であれば、足りないところを補うことはできます。生活保護世帯の飼い猫7匹を無料で手術した上に、「病気で寝ている母親の部屋には照明もなく、押し入れの中には毛布が一枚もない、玄関に出て来た娘は裸足で足先がぶどう色だった…」なんて聞けば、お人好しのうちのボランティアさんからは、毛布やセーター、靴下、電気毛布まで、あっという間に集まりました。
 何をどう協力したなら、動物達を救えるのかが見えて来ないのは、嘘をつく人たちです。不妊予防センターの待合室で、得意になって喋っているオバチャンがいました。「子猫が生まれたら、捨てればいいって言われるけど、私はできないの~。もう12匹もいるけど、野良猫にも餌やってるの。だから、餌代だけで精一杯」と、病院に連れて来なかったことを合理化しています。
 聞き苦しくて、「捨てたら犯罪ですよ、50万円罰金取られます。だから、避妊手術してください」と口を挟むと、「うち被災したし、親も入院しているし、母子家庭だから、大変なの…」と、同情を乞うように言いました。「助成金出しますし、分割払いで構わないから、妊娠している猫から手術してください。これ以上増えて困るの誰ですか?」と言うと、泣き顔になってお礼を言い、「お金毎月必ず払います」と期日まで自分で指定しました。この日連れて来られた猫は、1年以上前から腹水が溜まっていたそうで、仙台の救急病院で大手術を受けることになりました。次に避妊手術に連れて来た猫は、歯内炎を放置していたために上顎に大きな穴が開いて鼻水が流れ込んでいました。妊娠していたので、とりあえず避妊手術をして、この子も後日、設備の整った病院で口腔内の手術を受けました。
 猫たちは、長い間どれほど苦しんできたのか…飼い主は猫は可愛いのでしょうが、たくさんの命を守れる力量はありません。出産直前で手術した猫が乳腺からの出血を起こした時も、深夜の電話口で、こちらの話も聞かずに「死ぬ~死ぬ~、死んだ!」とパニクるから、仙台の救急病院で診てもらうと、翌日は「元気ですよ~」と何事もなかったような応対です。約束の日には支払いも言い訳もなく、次は「餌を貸してください」と電話をよこしました。取りに来たのは、同居しているらしい男性でした。キャットフードを買うこともできない彼氏では頼りにならないと思いますが、世間と虚ろなつながりしか持てない人は、心細くて誰かと寄り添っていたいのかもしれません。

「飼い主の一人暮らしの女性が外出先で急死して、生活保護を受け、身内もいないため、明日は市役所職員が借家を片付けに来る家に猫が残されている」と相談がきた家に行った時も、付き合いのあった人が3人集まってはいたのですが、「去勢手術やワクチンするから、少しでもお金出してもらえませんか?」と頼んでも、誰も千円札1枚出してはくれず、女性の借家に転がり込んでいたらしいオジサンは、明日から自分の行き先がなくなることで頭がいっぱいでした。亡くなった飼い主の綿入れ半纏1枚だけ持って来た『どんぶく』はじめ、アニマルクラブには、飼い主の夜逃げ、蒸発、破産…経済的事情で捨てられた子もたくさんいます。
 問題解決は《他人に頼んで代わりにやってもらう》…という術しか持たない人たちとどこまで渡り合えるのか…公務員ではない私達には重すぎる課題です。しかし、十万、二十万の借金をしたまま音信不通だった人が何年か後にお金を振り込んでくれたこともありました。「ずっと気にかけてはいたんだなー」とわかると、神様でもない私が「この人は飼い主失格だ」と決めつける権限もないと思います。できないことを素直な言葉で伝えられない不器用な人ほど、動物に向かっていく傾向も感じています。
 そしてまた、自分とは生き方も価値観も異なる《動物好き》の思考回路を測り兼ねて、重大な見落としをしてしまいました。震災のあった年と翌年、被災者には生活支援金や義援金が支給されました。家を再興する人達にとっては足りない金額でしたが、もともと低所得であった人達にすれば、仮設住宅も家賃がかからないし、一時的に豊かになりました。石巻市の仮設住宅がペット可であったこともあり、この時期、ペットショップから特に小型犬を購入した人が大勢いました。そして、昨年あたりから費用が維持できなくなって「飼えない」相談が来るようになりました。
 チワワの『むう』の飼い主は月5万円足らずの障害者年金で生活しているとか。臨時収入がなければ、犬を飼う事は無理でした。「もうお金が続かなくて飼えない」という相談が来て、まだ若く、性格も穏やかと聞き、里親を探した方が良いと判断して、ボランティアの高橋くんに迎えに行ってもらって去勢手術を施しました。手術の後も、元気に回復して先生の足元にまとわりついていました。里親の候補者が現れるまでは、飼い主の元に置いてもらおうと返した3日後、むうがケイレンを起こしたと連絡があり、高橋くんが迎えに行って病院に運んでくれました。夕方様子を見に行くと、酸素室の中で、首にむちうち患者のような筒状の包帯を巻き、ぐったりと横たわっていました。口をパクパク開け顔をひきつらせる神経症状が続いていました。目が真っ赤で、3日前に会った愛くるしいチワワとは思えませんでした。
 「首の関節が脱臼してるんじゃないかな…。飼い主が虐待してた、ってことはないかな?」と獣医さんに聞かれました。「えっ!…ないと思いますが、状況を確認してみます」と、外に出てから飼い主に電話をしました。実は、高橋くんから、《障害》と言っても体ではなく、精神的障害だと思う、と聞いたのです。遠くの仮設住宅に住んでいたので、私は電話で話しただけでした。いくらか知的に疎い印象はあ りましたが、犬は可愛がっていると思っていました。去勢手術の後、一度電話をよこして「カラーを付けるのを嫌がる」と言うので、「お母さんが家に居て目が届いている時は外してもいいけれど、出かけたりして見れない時は付けないと、傷を舐めて化膿したりしてしまうからねー」とアドバイスしました。
 飼い主に電話をしました。うろたえてパニックになっていました。むうがカラーを嫌がって逃げ回るから、追いかけて前のめりに転ばせてしまったこと、無理やり付けようと、首を絞めるような格好になったかもしれないことを聞き出しました。泣きながら「お願いします」を繰り返すばかりでした。この人が飼っていれば、《去勢手術》という選択肢はなかったでしょう。アニマルクラブが介入したために、むうはとんでもないことになってしまいました。手術後の犬を見守るというデリケートな配慮をこの人に求めたのが間違いでした。お金を出してもらった事が負い目となって、何としてもカラーを付けなければ…と躍起になったのかもしれないし、言うことを聞かないとカーッとして力任せに強行してしまう人なのか…わからないけれど、もっと早く気づいて、返すべきではなかった、と反省しても取り返しがつきません。
 退院してシェルターに来ましたが、むうは、首の坐らない赤ちゃんと同じ、寝たきりでオシッコも垂れ流し、高栄養の缶詰めをお湯で溶いてシリンジで与えます。オシッコで濡れた体や食後口の周りを拭いてやると、獅子舞のお獅子みたいに口を開けて、噛もうとします。「かなり痛みがあると思います」と不妊予防センターに来ている小原先生が言いました。仙台まで行って、CTを撮ってもらいましたが、やはり首の関節が外れ、しかもねじれているそうで、リスクの高い外科手術以外に方法はないと説明されました。
 「手術するなら早い方がいいです」と言う小原先生の言葉に促されて、アニマルクラブの意見も一致。不妊予防センターから帰る看護士さんの車で運んでもらうことになったむうを、みんな「必ず帰っておいでよ」と祈りながら見送りました。手術は、仙台の救急病院で小原先生の執刀で夜9時から開始。塩釜クリニック院長の伊藤先生も駆けつけてくださいましたが、終わったのは、深夜2時でした。現在、むうは石巻のクリニックに入院中。どこまで回復するかはまだわかりませんが、前のような痛みはなくなったようで、穏やかな顔をしていました。次回、良い報告ができれば幸いです。

 

『ちびめ』 大好きな人に抱っこされて至福のひととき。 ちびめはアリくらいの喜びをゾウくらいに喜ぶ“幸せ探し”の達人です。

『ちびめ』
大好きな人に抱っこされて至福のひととき。
ちびめはアリくらいの喜びをゾウくらいに喜ぶ“幸せ探し”の達人です。

 

『どんぶく』 栄養と愛情を摂って、もうどんぶくを着ていなくても、着ているような体格になりました。

『どんぶく』
栄養と愛情を摂って、もうどんぶくを着ていなくても、
着ているような体格になりました。

 

激しいケイレンを起こし、病院に運ばれた日。酸素室の中で、生死の境をさ迷っていた。

『むぅ』
激しいケイレンを起こし、病院に運ばれた日。
酸素室の中で、生死の境をさ迷っていた。

 

アニマルクラブでの介護生活。体に触られると、痛くて、獅子舞みたいに歯をガチガチさせていた。

アニマルクラブでの介護生活。体に触られると、痛くて、獅子舞みたいに
歯をガチガチさせていた。

《嘘から出た誠》

 

(1)どんな子にも家はある

 気は強そうに見えても、まぬけで、いつも最初はまんまと騙される私が引き受けてしまうやっかいごとを、フォローしてくれるのが、うちのボランティアさんや、そして心優しい里親さんです。
 「子宮癌が進行しているから、早く手術を受けなくてはない。いつからまた働けるかわからないから、借家も引き払って実家の厄介になるのだが、親はペット禁止の借家住まいなので、猫を何とかしないと入院できない」などと相談されて、里親募集に載せる写真を撮りながら行ってみると、猫達は押し入れに入って出て来ません。飼い主の女性は「しばらく収入なくなるので、いくらでもお金持っていたいから、体しんどいけど…」とまだウエイトレスの仕事をしているそうです。「人なつこい猫は友達がもらってくれるけれど、人を見ると逃げる3匹の行き先がなく、それが決まらないと入院できないのぉ~」と泣きつかれました。
 見合い写真も撮れませんでしたが、他の子猫を連れてお見合いに行った里親希望の奥さんが人柄の良い、おっとりした人だったので、この子達ではなく、《押し入れ猫》ではダメか…聞いてみました。被災して、仮設住宅に住んでいるご夫婦でした。奥さんは私と一緒に《押し入れ兄妹》を見に行ってくれました。今度は姿を見られるように、事前にケージを用意して入れててもらいましたが、私達が行くと怖がってガタガタ震えていました。顔をひきつらせて、奇声を上げる猫達に、「こりゃあ、無理だろうな…」と思いました。しかし、奥さんは「なんぼおっかないんだか…可哀想に…」と、怯える猫達から目を離しませんでした。帰り道、確認すると「あの子達を引き取りたい」と言ってくれました。飼い主が「1匹だけなら何とか連れて行ける」と言ったので、2匹もらっていただくことにしました。
 それから私もお宅に行って、2匹の猫を置く算段をしました。仮設住宅は四畳半二間、人馴れしてない猫を部屋に放せば押し入れや物陰に隠れて、ドアが開いた瞬間に外に飛び出さないとも限りません。二段ケージを置くスペースを確保しなければなりません。奥さんはあっさりと「サイドボードを処分しますから」と言ってくれました。誰かを助けるためには、何かを諦めなければならない時があります。人生は取捨選択の連続だと思います。私自身も決して自らが望んで捨てたわけではなく、より助けを必要としている命と向き合ううちに別れることになった人達のことを胸に抱いて生きているから、次の命にも真摯に取り組めるのだと感じています。
 引っ越しが済んだお宅に猫を迎えに行くと、飼い主は居ませんでした。私と同様に飼い主から猫を引き取った知人の男性がいて、荷物を運んでいる最中に彼女が連れて行くと行っていた猫に逃げられ、そのままにして引っ越してしまったことを聞きました。さらに、彼女の病名は子宮癌ではなく子宮筋腫だと教えられました。確かに、癌が進行しているとは思えないほど元気でお洒落していました。その方に捕獲器を貸して、行方不明になった猫を捜してもらうことにしましたが、近所にも協力を頼んでもも見た人もなく、数日後「月も変わったんで、もう敷地内に入れなくなったから…」と、男性が捕獲器を返しに来ました。
 それから、1ヵ月半が経ちました。2匹の猫がどこまで馴れたか、会いに行って来ました。サイドボードがあった場所に、1月に死んだうちの老猫『クロ』が使っていたケージがありました。今、その中で生活しているのは、より臆病な妹の『モモ』。「それでもケージの外から猫じゃらし入れて誘うと夢中になって遊ぶんだよ」と、奥さんは楽しそうに言いました。「お兄ちゃんのユズの方は自分から出て来て、駆け回ったりしてるよ。怖くなるとすぐコタツに逃げ込むけれど…」と愛おしそうです。「でもなかなか馴れないから、旦那さんはせっかく猫飼ったのにつまらないんじゃないですか?」と私が聞くと、「いやぁ~、仮設住宅だから、あんまり元気でうるさい猫よりいいって。コタツに足入れるとチョッカイ出して来るって喜んでるよ」と言ってくれました。こんな写真しか撮れなかったけれど、モモとユズは小さなお家で家族と幸せに暮らしていました。奥さんが「ペットが飼える復興住宅に申し込んだの。もうすぐ抽選なんだ~」と言ってました。このご夫婦が希望した地区の競争率は2倍。ハズレる半分の人は、不便な場所に変更するか、仮設に居残りです。市は、市民が希望する地区に、ペットと共に引っ越せる復興住宅を準備するべきだと思います。

 

「暗いところから出られなくて、すんません」。 こたつの中だとリラックスして、お父さんの足にじゃれてくるユズ。

「暗いところから出られなくて、すんません」。
こたつの中だとリラックスして、
お父さんの足にじゃれてくる『ユズ』

 

「そんなに見つめちゃいや~ん」。 ケージの中の段ボールの中がモモの安全地帯。

「そんなに見つめちゃいや~ん」。
ケージの中の段ボールの中がモモの安全地帯。

 

(2)相棒と生き直し

 みんな被災して、震災から3年過ぎたのに、石巻には、自分がやるべきことを震災のせいにしてやらない人達がいます。7、8年も飼ってきた犬を泣く泣く手放さなくてはないと口では言うけれど、「避妊手術やワクチンしていないなら、受けてもらえませんか?」と頼んでも「自分も病気で引っ越しもあるから、お金がないの~」と言い、訪ねてみれば、真冬の一番寒い時に、犬小屋の中に敷かれていたのは、車の助手席の足下に敷く薄いマット1枚。人の真価は何を言うかではなく、何をして来たか…だから、オバチャンのインチキ臭いナレーションは聞き流して、シニア世代の太ったコーギーの《第二の犬生》を思案していました。
   一人暮らしの高齢者、発達障害の子供がいるお宅…「ペットがいれば、暮らしが変わる」と言われても、実際に家庭訪問してみると、「よくわかってないな~」、「人間のことしか考えてないな~」と感じることがよくあります。《第二の犬生・猫生》のテーマは、『安心して老後を託せるお家』です。今年の冬は寒かったから、コーギー雑種の『ジュン』のことが気がかりでした。「本当は離したくない」はずの飼い主からは、引っ越し先もまだ決まらないのに、「里親さん、まだですか~?」と催促が来ていました。そんな時、「70代の父は母に先立たれ、自分も肺ガンの治療を受けています。兄が同居していますが、仕事でほとんど居ません。長年飼った犬に死なれて寂しがっています。父が面倒見れなくなった場合は、私の家に引き取りますから、犬を紹介してもらえませんか?」という申し込みが来ました。お父さんのお宅と娘さん宅、どちらも家庭訪問させてもらいました。お父さんは車の運転もして、日常生活は何でも自分でやっていました。山のふもとののどかな環境で、広い敷地のお宅でした。おじいさんは「当分は家の中で生活させて、馴れたら日中は外にも出そう」と言ってました。「楽しくなるねー」と娘さんも喜んでいました。娘さんのお宅からは、車で5、6分の距離だし、ジュンの第二の犬生がスタートする予感がしました。
 ある家では厄介者でも、別な家では家族になれる。ある家では「動物にかけるお金はない」けれど、別な家では「長生きしてもらうために、悪い所あれば早めに治療しなくちゃ」と言われる。どこで生きていくかを動物は選べません。私は、生き直しのキーを託された時、目を凝らし、耳を澄ませて「ここで良いか、大丈夫か…」と自問自答しますが、やはり神様ではないので、人を信じて任せた時から、新しい家族の物語が始まっていきます。ジュンは落ち着いていて、とても利口だから、娘さんは「中に入るのも、外に出るのも一緒。良い相棒になりました。ずっと前からうちに居るみたい」と報告をくれました。

 

長年暮らした家族よりも、今日会ったおじいさんが自分を大事にしてくれる人だとわかったかのように、言うことを聞いていました。

長年暮らした家族よりも、今日会ったおじいさんが
自分を大事にしてくれる人だとわかったかのように、
言うことを聞いていました。

 

(3)感謝ついでにおんぶに抱っこ

 昨年の秋のことです。動物好きのオジサンが、「知り合いの家へ行ったら、近所で野良猫が生んだ子猫が大きくなってきて迷惑だから、遠くに捨てて来る言うので、可哀想だから自分のアパートに母猫と子猫4匹を連れて来た。しばらくケージを貸して欲しい」と言うのです。その人は、すでにアパートの一室で、猫4匹と犬1匹を飼っています。いったいどうやって置くというのしょうか…。とりあえずケージは貸しましたが、近いうちにここに来るだろう予感がしました。このオジサンは少し前にも、可哀想だと引き取ったトイプードルを面倒見きれなくて、アニマルクラブに持ち込みました。
 ところが…今回は意外な展開でした。ホームページに来たメールの中に「可愛がっていた野良猫の親子が突然姿を消した。保健所にも問い合わせた。何か探す術はないですか?」という質問がありました。「アレ…??どこかで聞いたような…」。その方に返信して、場所や猫の特徴を聞いたら、まさに一致して、オジサンのアパートに会いに来て確認してもらいました。
 優しそうな男性でした。とても喜んで、感謝され、オジサンも上機嫌でした。私はこうなった経緯を話し、野良猫のままでは近所から嫌われるから、飼えないかと尋ねました。彼は、物置を改造して、この親子の部屋を作るから、もうしばらく預かって欲しいと頼んで帰って行きました。
 案の定、オジサンは親子猫の世話に疲れ、「アニマルさ置いてもらえねぇか」と言って来ました。母猫の避妊手術もしなくてはなかったし、親子を引き取りました。母猫の手術と子猫達のワクチン終了の報告をすると、男性から「まだ物置の準備ができないので、11月末まで待って欲しい」と言われました。ところが、12月に入っても連絡はなく、一度こちらから電話すると仕事が忙しいとの事。4匹の子猫は全部オスで、だいぶ大きくなってきたし、「里親になってくれる人がいたら、渡してもいいですか?」と聞きました。「5匹を物置で飼うのも大変なんで、もらっていただける子はお願いして、残りを飼います」と言われました。
 ところが、年が変わっても…彼からの連絡はありませんでした。子猫達も全員去勢して、2匹に里親が見つかりました。母猫『なっちゃん』は、業を煮やしたオジサンがアパートに連れて行きました。残った『ふわら』と『だいだい』は、可哀想に、まだケージに入れられています。シェルターも満杯で、部屋を移動させられてまだ新しいメンバーに馴れていないのです。あんなにも猫達の行方を捜していた男性の熱意はどこに行ってしまったのでしょうか?居るところがわかって安心したのでしょうか?事情が変わったのなら、伝えなければならないし、せめて避妊去勢やワクチンなどの費用は負担するべきだと思います。自分がするべきことを他人にやってもらって終わざるを得ないなら、自分が負うはずだった責務を何で埋めることができるか、と考えるのが社会人ではないでしょうか?ふわらとだいだいは、19日の『里親会』に参加して、のびのびと生きられるお家を探します。

 

「待ち人来たらず」ままに5ヵ月経ち、ふわらはうんざり、だいだいはびくびく。 里親が見つかった兄弟2匹のように、「早くケージから出て駆け回りたいよー!」

「待ち人来たらず」ままに5ヵ月経ち、『ふわら』(右)はうんざり、
『だいだい』(左)はびくびく。里親が見つかった兄弟2匹のように、
「早くケージから出て駆け回りたいよー!」

 

(4)山猫下山、家猫になる

 私は毎日、うちの犬・猫や、不妊予防センターに来る子達、メールや電話で来る相談に追われて、いっぱいいっぱいの生活をしています。そして、常にこうして助けたいと思う子達に必要なことをしてやれるのは、支援してくださっている方々がいるからだと感謝しています。忙しい私が、遠くに住む人、会ったこともない人に向き合えるのは、活動報告を書く時です。だから、私は現状と心情を正確に伝えようと、全身全霊をかけて、活動報告を書き上げていきます。長年広告やタウン誌の記者をしてきた私の最後の砦のような気持ちもあると思います。今回はクマの介護の合間を縫って、睡魔との闘いには散々敗れて…完成までに1週間を要しました。バロンと散歩する山の、つぼみが固かった桜が満開になりました。夜になれば「クマをこっそり借家に連れて行ける」とほっとして、夜中に鳴かれて気が気でなくて…朝を待ってシェルターに移動して…クマもよく持ってくれました。
 最後はホットニュースで締めますね。
 前回紹介した、市内の山に捨てられた猫達は全部で19匹もいました。元旦に私の車に乗り込んで来た人なつこい三毛2匹と茶トラが第一陣、うちに来ました。その後、てい子おばさん宅裏に待望のプレハブの猫ハウスが完成。まずケージに素直に入ってくれる子から…次は捕獲器を一斉に仕掛けて…と、てい子おばさんは次々運んで、ヘルプのかなえさん宅でも1匹引き取り、あとの15匹は、てい子おばさん宅へ…。まさかそんなに居るとも思わなかったので、プレハブだけでは足りなくて、物置も改造して、全員収容して、間もなく大雪が降り、しばし山には登れなくなりました。滑り込みセーフで、1匹残らず保護できて…負担は重くなろうとも、心は軽くなりました。てい子おばさん、アッパレです。てい子さんの愛と勇気を応援してくださる方は、支援物資を送ってください。運動不足ですから、肥満猫用のフードがありがたいそうです。送り先などの問い合わせは、まずメールかFAX・電話ください。全員ワクチンと避妊去勢手術も完了。里親さんも募集します。

 

《山猫トリオ》は食欲旺盛。 お食事タイムは台所から目を離しません。 真菌性皮膚病が完治するまで、ケージ生活です。

《山猫トリオ》は食欲旺盛。
お食事タイムは台所から目を離しません。
真菌性皮膚病が完治するまで、ケージ生活です。

 

家の裏に建てた猫小屋内部。棚を付けて、上下にケージが並んでいる。

家の裏に建てた猫小屋内部。
棚を付けて、上下にケージが並んでいる。

 

山で自由な生活をしていた猫達は窮屈なケージに入れられているが、お利口さんにしている。

山で自由な生活をしていた猫達は、
窮屈なケージに入れられているが、お利口さんにしている。

 

皮膚病もなく、人なれしている猫達はケージから出されて、家猫らしい暮らしをしている。 「早くみんなを出してやりたいな~」。

皮膚病もなく、人なれしている猫達はケージから出されて、
家猫らしい暮らしをしている。
「早くみんなを出してやりたいな~。」

 

2014年4月17日