「2011年のご挨拶」

2010年、支えていただいて、ありがとうございました。
2011年、救われる命が増えるように、ご協力ください。

活動を助けてくださった方々にお礼や報告をしようと思いつつ、とうとう年が開けてしまいました。礼儀知らずを心からお詫び申し上げます。

1、何とか間に合いました

この夏、12年前に、前の飼い主が倒産して、トラックの荷台に載せて、魚市場の駐車場に放置した多頭飼育の犬達の中の1頭、「りょう」を里親宅より引き取 りました。りょうは、東松島市の農家にもらわれたのですが、当初世話してた娘さんが結婚して家を出てからの7、8年間は、餌をもらうだけで、めったに散歩 にも連れて行かれなくなりました。
年に2、3度、フィラリアの薬や毛布を届けに行くと、水の容器には緑の藻が生え、固くなった白米がこびりついた餌入れの炊飯器の内釜も真っ黒、囲いの中は フンだらけでした。それでも、とても明るく性格の良い子で、車を停めた瞬間から小躍りして喜び、飛び付いて歓待してくれて、持参したおやつをいつも美味し そうにたいらげました。飼い主に悪気はなく、それが昔ながらの農家の飼い方のようでした。
元気いっぱいだったりょうも15歳ほどになり、最近は耳も遠くなり、私の車に気づかなくなりました。そして、フィラリアの薬を届けに行った6月、私はりょ うの肩に腫瘍を発見したのです。農家の人は、年老いた動物が病気で死ぬのは自然の摂理だととらえる人が多いので、治療を口実にようやく引き取ることができ ました。全く同様のケースで、我が家にリターンした「ムック」が2年2か月の闘病の末に、昨年亡くなった時から、私は次はりょうを、誰に看取られることも なく、畑の脇の囲いの中で死ぬ前に連れ出したいとずっと考えていたのです。
りょうは、2回の摘出手術後もあちこちにガンが転移して、先月からは寝たきりになってしまい、家で点滴しながら通院していたのですが、12月25日、眠る ように亡くなりました。いつもは暇な私の店も、12月だけは時々忙しくなり、朝方に帰宅すると、りょうが布団から転げ落ちて机の下などに挟まり、もがいて 爪が取れて血だらけ、体はオシッコやウンチまみれ、ということもしばしばありました。欲を言えば、せめてあと1、2年生きて欲しかったけれど、クリスマス にりょうが旅立ち、世話してくれたボランティアさんが涙を流していた時、私は、りょうが居なくなって空いた場所に、次は誰を連れて来るか考えていました。 助け出したい子はいるのですが、りょうの火葬翌日には、奥松島の山から落ちたのか、斜面に建つ民宿の物置小屋の屋根の上で1週間降りられずにいた犬の「セ ナ」が、緊急避難してきました。りょうの介護の時間が空いたことで、こうしてお便りする時間も持てました。 生命は連続した営みなのだと改めて感じています。


最後の5か月、みんなに愛され、甘えて過ごしたりょう

2、いっぱいいっぱいながら…

今年も嬉しいこと、悲しいこと、どちらもたくさんありました。こうしてお便りしている間にも、3日前、里親さん宅から行方不明になった、と電話をもらい、 心配していた片目が見えない子猫の「ちくわ」(旧フクちゃん)が見つかった、というメールがきて、ほっとしました。うちに居るエイス゛キャリアで腎不全の 老猫「サビ」は、斜傾にもなり、もう自分では食べられなくなりました。毛に付いたトイレの砂を取りながら、軽くクシをかけてやると、喉を鳴らして甘えて、 療法食を注射器で与えると、少しだけ食べてくれます。60匹余りの中の1匹だと、ここまで悪くなってからしか手をかけてやれなくて申し訳ないのですが、こ の寒空に食べる物もなく、人知れず消えていく命からも目を背けられません。
2010年1月より、「不妊・予防センター」も火曜日と水曜日の週2日開院するようになり、忙しさも増しました。かかってくる電話、相談のメールやファッ クスも増え、毎日のように、知らない人からも携帯にまで電話が入ります。予期せぬ無理難題を突きつけられても、頭から否定すれば、命の火も消えると思うか ら、取りあえずの策を必死に模索して奔走する日々は、これまで以上に心身に負担をかけたのだと思います。 5月に店も半月休まねばならないほど体調を崩し、7月には仙台の里親さん宅に子猫を届けた帰り道に、交通事故を起こしてしまいました。
その都度、周りの人達に助けてもらいました。会ったこともない人達からのカンパや活動への理解と協力に励まされました。里親さん宅に行った猫や犬の幸せな様子が、この先が不安になる活動の励みになりました。


頑張るサビ

3、不妊・予防センターの課題

病院経営も、開院日が増え、利用者が増えるほど問題も浮上してきました。不妊・予防センターの存在が知られるほどに、一人暮らしのお年寄りなど、送迎や費用の助成・分割払いなどのサポートが必要な利用者が増えてきました。
また、慈善病院との認識からか、傷を負ったり具合の悪い野良猫や迷い犬を無料で診てもらえると思って、連れて来る人達も増えました。重い病気が見つかり、ここでは対応できないから、設備の整った病院に回した時、費用の立て替えや援助をしなくてはないケースもあります。
特定非営利活動法人の動物病院の目的は、1匹でも多くの猫や犬に、不妊・去勢手術やワクチンなどを受けさせることです。より多くの人に利用してもらうため に、採算が取れるギリギリの料金に設定してあります。分割でも、後払いでも、ちゃんと払ってもらえるなら、つじつまは合うのですが、払わない人の割合が増 えると、赤字になってしまいます。また、より安全に手術するために、できる限りの病気に対応するために、徐々に病院の検査機械や仕入れる薬も増え、従事す るスタッフも増え、経費も増えました。その結果、10月と11月は、薬の仕入れが収益を上回ってしまいました。 儲ける必要はないけれど、採算が合わない と続けていけなくなるのだから、一般の飼い犬や猫にもっと利用してもらって、収益を上げ、それが誰もお金を出してくれない野良猫や放浪犬に回るというシス テムをさらに浸透させていくことが、2011年の課題だと思います。

4、新しい試みと協力者

石巻市の「パチンコニューセブン」さんが、電光掲示板広告の中で、「動物を捨てた人は50万円以下、虐待した人は100万円以下、あるいは1年以下の懲役 の犯罪です」、「捨てないためにも不妊・去勢手術をしましょう。アニマルクラブは、不妊・去勢手術の相談、助成を行っています」というテロップを流してく れています。
不妊・予防センター設立時に、プレハブの病院を寄付してくれたピアニストのフジコ・ヘミングさんより、5月に仙台で開催したコンサートの収益から100万 円、主催者の沓沢小波さんを通じてご寄付いただきました。3月に石巻市に陳情したけれど、実現しなかった、飼い主のいない猫の不妊・去勢手術の助成金に充 てて、メスに5000円、オスに2500円支給し、すでに50匹以上が受給して手術を受けています。
時代は常に動いています。不幸が幸せに転ずることもあれば、安泰も続きません。毎月、里親探しの会場を提供してくれたていたダイシンさんが石巻から撤退してしまうので、新しい会場探しをしなければなりません。
たまに講演も頼まれるようになりました。また、若いメンバーの才能発掘にも努めています。亡くなった犬や猫の絵を愛情溢れるタッチで描いてくれた、ボラン ティアの五井美沙さんの絵を世間の人々に見せたいと感じました。1匹1匹のエピソードを添えました。それに、三浦智絵さん、高橋真江子さん、犬と猫の里親 さんも加わり、市内のイオン2店舗で、「アニマルクラブの絵かき展」を開催します。(「イオンスーパーセンター石巻東店1月8日~16日」「イオン石巻 ショッピングセンター1月21日~30日」)
可哀想な動物をアニマルクラブクラブに助けてもらうのではなく、不幸な動物を助けたい市民がアニマルクラブにサポートしてもらって、1匹づつ救っていく活 動に、他の市民ができることで参加してください、とはたらきかけていこうと思います。地元紙「石巻かほく」に毎週水曜日掲載の「ペット情報」は、19年間 続いている貴重なホットラインです。紙面をご提供いただいている三陸河北新報社に感謝して、盛りだくさんの情報発信と市民との心の交流を心がけています。
クリスマスイブには、仙台の病院に入院中だったハスキーの「トラ」が、6月に切除した右前足の付け根にガンが再発して、手術を受けたのですが、凄まじい勢 いで5キロほどに増殖していたガンを取った後で、体力が続かず死亡しました。ペット葬儀社の「メモリアルはた」さんのご好意で、トラとりょうは立派に火葬 していただきました。トラは前の飼い主に虐待されていたので、見兼ねたおばさんが引き取りましたが、その後おばさんは火事で店を失い、ご主人も亡くし、生 活に困窮しています。トラの他にも、可哀想だと引き取った猫や犬10匹余りと借家住まい、病気持ちの子もいます。この活動を続けていくと、こうした人達と 少なからず付き合うことになります。年末の30日31日、私は何軒かのお宅に、フードや猫砂、灯油、飼い主への餅や小豆などを届けて回りました。皆さんか らのカンパが、社会の片隅で動物達のために頑張る人達まで届くように、気を配っていきます。
実りある年にしたいです。高校時代よりこの活動を始めて30年余り。私も半世紀生きて、死ぬまでにすべきことを意識するようになりました。“できることできる限り”を念頭に置いて、日々を重ねて行こうと思います。引き続き、新年もご支援、よろしくお願いいたします。


安らかな顔で旅立ったトラ