「2010年のご挨拶」

あけましておめでとうございます

といえる年にしたいですね。2009年はどんどん景気悪くなり、職や家を失い、犬や猫を飼える環境でなくなったという相談が増えました。
社会不安は人の心から余裕を奪うから、カンパも集まりにくく、アニマルクラブの「不妊センター」への支払いが滞ったままの人もいたりして、 11月は収益より経費が上回り、病院の経理担当の方からアドバイスも受けました。
また、お年寄りだけの世帯が増え、入院や死去により、ペットが保健所に送られるケースも多く耳にしました。
平和な時には見過ごされている社会のずさんさが、こんな時に露わになります。
人間の子供なら、運悪く親が亡くなってしまっても、養育される施設や制度はあるけれど、子供同然に可愛がられていても、 犬や猫はアウシュヴィッツのような殺処理場に送られてしまうなんて、まさにびっくり仰天の日本の現実です。

証言します

まさにアウシュヴィッツでした。宮城県動物愛護センターの処分棟まで入り、県内あちこちの保健所から搬入されて来る犬や猫たちが、行き着く最期を見守りました。 オートメーションの工場のように、ガス室に送られ、ボタン操作で二酸化炭素が注入され、モニターで、喘ぎもがく様を見ながら、再び扉が開いた時には、 苦し紛れに漏らしたオシッコにまみれた死体の山を目のあたりにした、私が証人です。
死骸はその後、バケットに落とされ、ベルトコンベアー式に焼却炉へ運ばれるのですが、私が見た日、バケットから子猫の白い細い前足がはみ出していました。 それが映画の1シーンのように、いつまでも私の脳裏に焼き付いています。 私は、か細いその手が訴えた「何のために生まれてきたの?」というメッセージを、一人でも多くの人に知らせなくてはならないと思い、 『カイが行くはずだった場所』という本を自費出版しました。
それからもう4年経ちましたが、2年半前に離婚して、私自身の収入は激減しました。
それまでは年間100万を超える赤字収支を当然のように補い続けてきたのですが、どうやって支出を抑え、収入を上げるかが、活動を続けられるかどうかの課題になりました。 私の座右の銘は「捨てる神あれば拾う神あり」です。
高校生の時からこの活動を始めて、30年の間には何度か私の小さな《ノアの箱舟》は沈没の危機にさらされましたが、その度に誰かの助け船につかまりました。 やがていつかその綱が切れる日が来たとしても、そこまで先導してもらったことに感謝して、私はまた誰かの助けを借りて舟を漕いできました。 長く活動する間には、かけがえのない仲間とめぐり会いました。 動物愛護団体は、感情の烈しい人達の対立が多いと聞く中、私たちの会は、人柄の良い優しい人の集まりで、とてもありがたく思っています。

獣医さんとの出会い

そして、3年前のお正月、年末に倒産して引っ越した人から預かった猫の症状が悪化して、 市内の病院がどこも休みだったので、ネットで調べて、仙台市の救急病院を訪れました。 そして、私はそこで院長の千葉先生に出会いました。先生はアニマルクラブをご存じで、割引してくれました。
そして、その年の春、私は石巻市にできたショッピングセンターの動物病院へ行って、先生に再会したのです。
先生と何度かお会いして、野良猫や捨て猫の相談がいかに多いかを話すうちに、『不幸になる命は生ませない』ための不妊手術を、 安くできるセンターの構想が立ち上がり、そして2008年4月1日に、週1回の「不妊センター」か実現しました。
病院業務の許可を得られるように、内装工事したプレハブと、流し台、冷蔵庫、エアコンなどの設備は、 ピアニストのフジコ・へミングさんと古布芸術家の沓沢小波さんからのプレゼント。
医療機材は、千葉先生が調達してきてくれました。獣医2名と看護士2名に、事務と雑用係の私が加わり、多分日本一小さな動物病院は、盛況です。 そして、2010年1月5日より、不妊センターは、毎週火・水曜日、週2日開院します。
犬と猫の不妊手術・ワクチン・犬のフィラリア予防、できる範囲での治療も低価格で実施していきます。
誰でも利用でき、収益から経費を引いた残りが活動費になるので、多くの方が利用してくれることが、誰もお金を出してくれない動物たちを救うことにつながります。 病院事業が増え、私の毎日はますます忙しくなります。
思春期の娘が反抗したり、生活が心配になったりする度に、私は自分の選んだ生き方がまちがっていたのではないかと不安になります。 でも、そんな時ふと、動物愛護センターのバケットからはみ出していた子猫の白い前足が浮かんでくるのです。

白い前足と赤いコート

『シンドラーのリスト』という映画を観たことがありますか?
第二次世界大戦時の、ドイツによるユダヤ人大虐殺の中、ナチス党員で事業家のシンドラーが、1100人ものユダヤ人の命を救った実話を描いた、スピルバーグの傑作です。 ユダヤ人を、ただ同然の工場労働者としか見ていなかったシンドラーが、何人かのユダヤ人と出会い、たくさんのユダヤ人のむごたらしい死を目撃し、 名も知らぬ赤いコートを着た少女に心ひかれ、やがてその少女が無残な姿で荷車の上に横たわっているのを見た時、彼の中で何かが変わり、何かが生まれます。 映画を見て15年経った今、私は気づきました。
モノクロの作品の中で、赤いコートの少女がシンドラーの心を動かしていったように、私の脳裏に焼き付いている白い子猫の《無念のバイバイ》…。 だから、私もまた、1匹でも多くの命を助けたくて、日々、捨てられた犬や猫、保健所に送られた犬や猫を生かして、幸せに導くリスト書きをしていることに。

あわただしく車が行き交う暮れの本通りで、私はたずね犬として、新聞に掲載されていた犬を見かけました。
車を止めて、呼ぶと逃げてしまい、追えば駆け出すから、車でずっと後をつけて、前に出てとうせんぼしたりしながら、犬を住宅地の方に追込みました。 民家の通路に入り込んだところを保護して、飼い主さんに連絡しました。
その夜は冷え込みました。涙を流して喜んだ飼い主と、2週間傷だらけ、杉の葉だらけになりながら放浪していた老犬が、 一緒に新年を迎えられることを、心からよかったと思いながら、眠りについた時、私は、自分の生き方がまちがっていたかどうかなど、どうでもいいことだとわかりました。 とにかく、2010年も、私は、うちにいる60匹余りの猫・犬と共になんとか生活していって、仲間と共に、 死に瀕している命を救うリストを1枚でも多く書き続けながら、社会のしくみや流れを変えていこうと思います。

ご協力をよろしくお願いします。