浦島太郎の心境です。
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《 玉手箱作り 》
前回の活動報告から半年が過ぎてしまいました。ということは、『アニマルクラブに居る子たち、それぞれのストーリー』も半年がかりで、やっと出来上がるわけです。作られるべくして出来上がっていくものは、その過程でどんどん姿を変えて、独り立ちして行くものだと感慨無量の完成前夜です。明日、印刷に出す前の最終校正です。どんな本もここまで校正を重ねたことはありません。1匹でも多く登場させたい、事実をありのままに伝えたい、よりその子らしさを伝える写真を使いたい…その思いが完成度を高めていったように感じます。
今度の本は、動物愛護センターで殺処分される犬や猫を追ったわけでも、大震災に襲われた被災地の動物たちを描いたわけでもありません。私の日常生活の中に居るアニマルクラブの猫と犬が主人公です。身近なメンバー達の《命の数だけ物語がある》と、サブタイトルを付けました。この活動を始めて40年、この先抱える数が減っていって、自身の老化と折り合いをつけながら何とかうまく終わらせることが、私の人生の課題です。この先これ以上増やしては、動物たちも私やボランティアさんも不幸になりかねないのだから、多くの命に関わっている今、残しておくべきことを伝えたい~その一心でこの本を製作しました。
そして、何より良きパートナーがいたから実現できたことです。この本の構想は、そもそもその方~平川さんから生まれました。彼はそういう職種の方で、津波で愛猫を亡くし、震災後に猫の里親になったご縁で出会いました。チラシ作りなどをお願いして、さらにボランティアで、展示会用のパネルや五井美沙さんのイラストの複製画製作をご協力いただき、プロならではの仕上がりに非常に助けられてきました。
今回の本作りも、彼の趣味から始まりました。アニマルクラブに来て撮った子達の写真を薄い本にして見せてくれたから、私がエピソードを書き加え、どうせ作るなら全員分、さらに亡くなった子達の思い出やこれまでの活動まで…と、どんどん想いは広がり、深くなっていったのです。本の形態もどんどん様変わりしていきました。最初はおまけのミニコミ誌みたいだったのが、中綴じから無線綴じになり、サイズもページ数もグレードもアップして、どんどん本らしく成長していきました。
かつてライターの仕事をしていた私の《書き残して伝えたい意欲》が、《打てば響く担い手》により形になったのです。ひさびさの仕事の現場のような、完成度を求めるせめぎ合いにワクワクしました。この世からいなくなった子達や、成長して別の生活をしている自分の子供達や、自分が歩んで来た道のりにも…思いを馳せることができました。
誰に読んでいただく本か~という範囲も、製作途中で変化しました。当初は、お礼も伝えないままになっていた、カンパや物資のご寄付をくださった方々へのお礼として作っていたのです。でも、本としての完成度が高くなってくると、「より多くの人に読んでもらいたい」という欲が生まれてきました。さらに、多くの手に取ってもらうことが、アニマルクラブの存続を支援することにつながるように…販売もしたいと願うようになり、B5サイズ・オールカラー48ページに、総勢124匹が登場して…800円という価格を設定しました。
今月末に本ができてきたら、日頃の感謝と甚だしい遅れのお詫びを込めて、まずは支援者の皆様に発送します。これもまた時間がかかるかもしれません。住所がわからなくて送れない方もいます。是非お届けしたいので、住所非通知や、ソフトバンクのかざして募金を通じて送ってくださっている方も、メールにて送り先をお知らせいただければありがたいです。
《 カチカチ山の日々 》
一夜明けました。完成前夜と浮かれたのも束の間…昨夜も、里親さん宅でトライアル中だった猫が逃走してしまった知らせが舞い込みました。捕獲器を手配したり、《たずね猫》のチラシを作るための写真送ってからもあれこれ思案していると、電話のベルか鳴りました。
朗報かと思いきや、「触れない野良猫が赤ちゃんを産んだので、保護できないだろうか?」という相談でした。「あなたが面倒を見るなら、捕獲でも、里親探しでも…できる限り協力はしますよ」と話しましたが、言葉を選びつつも結局は引き取って代わりにやって欲しいという意思を変えないので、堂々巡りの言い訳の末に「しかたないね~」で終わりにされてしまいました。
日々、『相談』や『お願い』が寄せられますが、実質的には《依頼》と《懇願》が過半数です。時々《ボランティア志願》も舞い込みますが、実際のところ6割は来ない、3割は来ても続きません。実のない、甲斐のない骨折り損も多いけれど、応えることで助かる命も確かにあるので、メールや留守電に対応して、実働しているうちに、毎日時間がなくなります。自宅も20匹以上に増えてしまい、老齢と病気持ちの猫ばかりなので、食べさせる物もそれぞれ違うし、早朝から深夜まで、あちこちでよく吐いて、腎臓病の多尿や慢性の下痢で、トイレ砂も通常の半分も持たないからすぐに交換です。
やりたいことに行き着かない日々に、街で遇った方から「活動報告載らないなぁ~と思ってましたよ」と言われて、焦って2度書きかけたのですが、その度急用が出てきて、中断しました。最近は先月半ばに書き始めた途端に、一人暮らしの方が入院するからと、留守宅に残る6匹の飼い猫と、よく吠えて引っ張る中型犬と、庭にいる2匹の野良猫の世話を頼まれて、毎日2回そのお宅に通うことになり、断念しました。朝晩で2時間余り費やすので、いつも5時から動いていたのが3時頃からスタートしないと間に合わなくなりました。さらに、行って見れば、高齢の男性の住まいだから、放置している汚れが目について、ついつい手を出してしまいました。
私は「今自分がやらなければ、もっと悪いことになる」と感じると動いてしまうから、1日中やることに追われて、お尻に火が点いてカチカチ山状態になります。12月~2月は避妊・去勢の依頼も立て込んで、週1日の手術では間に合わず、医療スタッフにも休日出勤をお願いして対応してきました。野良猫相談の電話やメールも多く、自らも捕獲器を積んで、手術する猫を迎えに行って、術後は待合室や事務所やアニマルクラブの使っていない風呂場にまで預かって、一番寒い時季の一番冷える深夜~明け方は、暖房の再セットしながら、見回りに行きました。
野良猫にエサを与えて、増やしている男性の玄関先。「俺の猫じゃない」と言い張るから、捕獲して、避妊・去勢を進めています。
留守宅の犬の散歩で通った、最大の津波被害地区。墓石が倒れたままの墓地と、震災遺稿になる門脇小学校校舎~津波にさらわれた生活は戻ってきません。
2月の臨時の手術日の早朝のことでした。まず自宅の猫のごはん作りをしていると、どんどん頭痛が酷くなって、吐き気と腹痛も出て、足はゾクゾクと寒気するのに額から脂汗が流れて、しゃがみ込んでしまいました。「しまった!これはただ事じゃない。これから女川まで猫を迎えに行かなきゃないのに、どうなるのだろう?今日だけは困る。今日は、自分がやらなければ何ともならない…」と、とりあえずロキソニンを2錠飲んで、流し台に掴まりながら、とにかく猫のごはんを用意しました。息苦しくてハァハア言いながら、「これはできた、ここまではやれた」と、やっとやっと動いていました。しかし、不思議なことに、1時間程の間に急性症状は鎮まっていって、その日私は支障なく責務を果たせました。《岩をも動かした信念》だったのか、もしかして心身の疲弊が引き起こした《ヒステリー症状》だったのではないかと想ったりもしました。
3月にも、布団の中で「やることがいっぱいだから、早く起きなくちゃ」と朦朧としていた時、頭の中の引き出しが軋んで開かなくなったのか…今日訪ねる人の名前も、注文する猫の療法食の名前も思い出せないので、今が西暦と平成で何年かと自問したら、やはり分からなくなったので、痴呆症になったのかと想ったことがありました。
脳の劇的空白も、目覚めて少しずつ引き出しが開いてきて、胸を撫で下ろしました。でも、「なんでこんなに疲れるのだろう?」と考えた時、思い当たったのは、連日複数の人からいきなり、私が居ない所で起きている動物問題の答えを「どうしたらいいのですか?」と聞かれて、応えてしまった以上は、そこから自分の問題にもなる日常です。
「どこまで関わるべきか?」ということを、その問題ごとや相手ごとに迷います。できるところまでは本人にやって欲しいからです。しかし、人は往々にして、自分の性格や傾向を把握してはいません。特に、動物に対しては、自分の気持ちや言い訳が先走り、言葉を鵜呑みにできないところに、落とし穴があります。そこを見逃してしまうことが動物達に被害をもたらし、私を疲労困憊に追いやるような気がします。
先週もこんなことがありました。エサを与えていた野良猫ファミリーの相談を受けて、子供達も生後半年以上過ぎていたから、全員の避妊・去勢を勧め、捕獲器を貸し出した方です。最初の2匹は、放すまでこちらで面倒をみましたが、世話の仕方を教えて、3匹目からは自宅で10日間世話をしてもらうことにしました。「大丈夫で~す」と連れて帰る時に、「10日経って服を脱がせる時になったら、連絡をください」と見送りました。
そして、10日後電話をもらって、そのお宅を訪ねました。玄関に入って、凄い臭いにまず唖然としました。こちらで貸したケージの中は糞だらけ…「凶暴でトイレ掃除ができなかった」そうです。そして、シャーシャー威嚇しまくりの猫をよく見ると、手術着の上半身はすでに脱げていて、下半身で服がたるみ、お尻でぶら下がっているのです。
私は、奥さんに、バスタオルとお湯で濡らしたハンドタオルを用意してもらいました。そして、例の如くケージの外から棒を使って洗濯ネットを中に入れて、猫に被せて閉じ込めました。そして、扉を開けて、威嚇を続ける頭部を、奥さんにバスタオルの上から抑えてもらってから、ネットのファースナーを開いて、下半身に残る服を脱がせ始めました。車に使い捨て手袋を取りに行く余裕がなく、素手でやりました。持参したハサミが布にこびり付いた糞に触っていることがわかりました。少しずつ慎重に切って、服を剥がせて呆然としました。お尻に大量の糞がくっ付いていたのです。何回分か溜まっていたのです。濡れたタオルで拭き取っていくと、肛門周辺が真っ赤に爛れて、ブクブクに腫れ上がって、とても痛たそうでした。これは動物虐待です。私はこの猫を、小さなケージに移して、連れ帰って治療することにしました。
奥さんは安堵して、「すみませ~ん、よろしくお願いします」と頭を下げましたが、帰りがけに「これは持って行かないの?」と糞だらけのケージを指差しました。私は「洗ってから持って来てください」と言いました。思えば、この「すみません、お願いします」で、難題の肩代わりが済みます。あっさりとその言葉を口にするのは、思慮に欠けた優しい人達で、悪気がないので罪深さにも気づきません。失策の修復は、私の任務になります。それは、今に始まったことではありませんが、年月が経ってアニマルクラブは有名になり、あちこちから次々答えを求められるのに、私は年を取って耐久力がなくなり、震災で店を失って経済力も無くしました。
商売なら、忙しければ儲かります。疲れても、嫌な思いをしても、それを埋める見返りがあります。アニマルクラブは、私の夢は叶えても、暮らしを支えることはできません。しかし、だからといって、アニマルクラブから給料を貰うとか、アニマルクラブでやろうとしていることの資金をクラウドファンディングで調達するというやり方は、性格的に無理です。《昔人》なので、「お金貰ったら、仕事だからやるのが当たり前でしょと言われても反論できない」とか、「できるかどうかわからないことを掲げてお金集めて、できなかったらどう責任取るの?」と、自分をもっと追い詰めてしまうでしょう。
寒い間は気弱になって、「木偶の坊みたいな亭主でも、ちょっと足りない娘でも、甘えられる家族が居ればなぁ~」なんて想ったりもしました。でも、気温が上がってからは、どこの旦那さんのことも羨ましいなんて感じなくなりました。自由が一番です。どうやら、私の大敵は《冷え》のようです。
懐の冷えは一番深刻です。NPO法人になっても何の恩恵もなく、義務ばかり課せられて、赤字収支でも税金は徴収されます。春の難題は、確定申告…本作りが終わったので、今度は税務署・県税事務所・市役所税務課に提出する書類を作成しなければなりません。28年度の収支決算報告をホームページに掲載できるのは、6~7月になると思います。私は動物には気前が良いので、考えていないように見えるかもしれませんが、この活動を始めてからお金の事を考えない日は1日だってありません。お金がなければ護れないし、助かる命も救えない、繋げない現実を、誰よりも見てきたからです。
さらに1日過ぎました。平川さんより、無事に本の原稿を送った旨の連絡がありました。迷走中の猫は、これまで育ててくれた方も駆け付けて、里親さんと共に捜してくれましたが、今日も見つかりませんでした。アニマルクラブのホームページにも載せました。毎日悲喜こもごもです。猫達だって、悲喜こもごもです。3月末の大事件~『生態系の変化が、アニマルクラブに住み着いていた野良猫達にもたらした受難』を、絵本風に製作してみました。
《 『うそじゃ・にせおの場合』 》
その様子を見ながら、思わず私は歌っていました。「うそじゃ・にせおの場合はあまりにもお馬鹿さん~、うそじゃ・にせおの場合はあまりにも哀しい~3月30日の木曜日~~」
この歌を知っている人は、50代以上でしょう。私は小学校の《お楽しみ会》で、ベトナム戦争が終わることを願って『フランシーヌの場合』を歌いましたが、同級生はピンと来なくて、当時から私は浮いた存在でした。今回の衝撃的事件も、3月30日に始まりました。
その日は避妊予防センターの開院日で、人の出入りも多かったのに、敷地内にタヌキが居たのです。私と目が合うと、山の方にすっ飛んで行ってしまいましたが、痩せて毛がまばらに抜けた様子に「カイセンだろうか?」と、可哀相になりました。にせおが物干し台に上がって、何が哀しいんだか…やりきれないような声で鳴き続けていました。うそじゃも心持ち青ざめた顔で、落ち着きなく行ったり来たりしていました。
翌朝、ボランティアの武地さんが「たいへ~ん!お勝手口に大型犬の下痢がある~」と叫びました。なんと大量に、うそじゃ達の水入れにまで入っていました。しかし、散歩している飼い主が他の家の敷地内に入って来るとは思えず、今時放たれている犬も見ないから、消毒をしながら、水に入った便から黄色い油が染み出ていたことにも、犬の糞ではないような気がしました。そして、夕方、「大変です。うそじゃとにせおのハウスに、タヌキが2匹入っています」という電話が来たのです。糞被害は3日続きました。10年以上も野良猫達の食堂、そして宿舎として続いてきたお勝手口から、ハウスを撤去せざるを得ませんでした。
そして、忙しいと私は、足が向いている方向と、目が見ているものと、頭に浮かんでくることが違うから、つまづいたり、落としたり、ぶつかったりして、「バカだな~」と自分に言わない日はありません。歯を磨くと同時に寝てしまい、歯磨きを飲んで目覚めることも日常茶飯事です。手を洗った途端に、あっちでゲコゲコ、そっちでピーピーまた汚されるから…家に居ればいつも手が濡れている→その結果、年中手が荒れている暮らしが、不愉快で不満でした。そんな生活の中、震災の年から毎年春に、大阪からボランティアに来てくれているトリマーの三原こず江さんから、「今年は友達の臨床セラピストの金川圭美(かながわますみ)さんも誘って、セミナー&ワークショップも開催したい」と連絡が来た時、正直私は「こんな所でやったって、人が集まらないさ~。でもやる以上は集める努力をしないとない…面倒だなぁ~」という気持ちの方が強かったのです。
ちょうど1ヵ月前のことでした。三原さん達は、朝一番の飛行機で仙台空港に着き、レンタカーでアニマルクラブに到着したのが10時半過ぎ。そこから、例年の『80匹の爪切り&長毛の毛玉取り作戦』が流れ作業でスタートしました。野良猫気質が抜けず、年1回、この時しか切れない子もいます。私は手に負えない猫を洗濯ネットに入れる係。それを2人がかりで押さえて、三原さんがバッチンバッチン切って行きます。もちろん、袋から逃げたり、オシッコ漏らしたり…アクシデントは付き物で、みんな毛だらけ、汗だらけ、オシッコまで掛けられます。それでも明るく「ハイ、次の部屋~」、「阿部さんの自宅~」と、全員終了するまでには、2時間は要しました。さて、セミナーは1時半からです。幸いなことに、アニマルクラブで借りている駐車場に、町内会館が建ったので、会場は目と鼻の先。着替えて、宅配のお寿司食べてもらって、時間通りに会場に入れました。そしたら、すでに良い雰囲気~私達が猫を相手に奮戦している間に、早めに会場入りしていた皆さんは、金川先生に『背術』をしていただいて、リラックスしてくつろいでいたのです。
参加者も予想を超えて17名あり、『ペットと共に健康にすごすコツ~2017 春』は、ほんわかムードで始まりました。1時間目は、漢方茶と、差し入れのお菓子をいただきながら、『人とペットのからだの声の聴き方』のお話を聞きました。2時間目は、ワークショップで、キャピキャピと乙女のようにはしゃぎながら、ハーブオイルを好みの香りに調合して、オリジナルの虫よけスプレーを作りました。そして、3時間目は、ペットのことや自分の健康のことを質問するコーナーを設けていただいたのですが、自分の悩みを解っていただけたと、感極まって涙ぐむ方まで出た…実りある集いになりました。私自身も、講師の三原先生の「飼い主が元気で幸せに暮らすことで、一緒に生活をするペットも、より安心して幸せに暮らすことができます」という、もっともな話に、素直に頷けました。
そして、兵庫県の病院や 高齢者福祉施設、障害者施設で働いている金川 先生が語った「患者さんが自分自身にやさしくなれるケアを実践しながら、生活の質や幸福度をあげていく仕事をしています。地域の中でも《季節に沿う生活の仕方、症状からからだの声を聴く》提案をしています」というお話には、自らの生活で反省することも思い当たり、警鐘の役割も果たしてくれたような気がします。
本当にありがたい1日でした。これからも、忙しくても疲れていても、閉鎖的にならずに、信頼できる「人には添ってみろ、話には乗ってみろ」を実践して、前向きに行こうと思いました。
「何やってんだ~」「神様見てっと~」「家に置かれねー、けでやる(くれてやる)からな~」と、怒鳴りまくりです。我が子とは、ここまで向き合ったことはありません。人間には言葉があると思うから、伝えたつもりになってしまいます。私は猫の『蔵人(クロード)』に、解るように伝えたいと一生懸命です。そして、気づくと「神様見ている」は、商売が忙しかった両親に代わって、いろんなことを教えてくれた伯母からよく言われた言葉でした。さらに、幼い時、ものすごくうるさかった私も、手に余した大人達から「お前は捨て子だ」とか「要らないから、よその家にけでやっから」と脅かされても、平気の平左でした。言葉の向こう側に、愛情も自分の居場所も感じ取っていたからです。見た人は誰も理解できないかもしれませんが、私は蔵人に優しく、そして自分を労るようになりました。
さらに1日経って、避妊予防センターの開院日。今日は、捕獲器に入った野良猫が多く、妊娠末期と見える子や、捕獲器の中でウンチしてしまった子など…私は夜明け前から準備です。陰睾のコーギーの手術も入っているし、犬のフィラリア予防薬のスタート時季でもありました。
夕方、心配していたお腹の大きな猫の手術も無事終わましたが、もう1匹、妊娠していると連れて来られた野良猫は、開腹したら既に出産後だったそうです。生まれた赤ちゃんは生きてはいけないでしょう。でも、誰かが捨てた命、考えなしに増やした命に、ギリギリに近づいて手を加える行為に、誰が正当性を照らし合わせることができるでしょう。一日中手術室で黙々と、胎児が入った子宮を取り出している獣医師と看護士に、心から感謝しています。私にできるのは、先見の明を持ち、1匹1匹の命と真摯に向き合って、何をするべきかを実践し続けることだと思っています。深夜、朗報が入りました。「トラミが捕獲器に入ってました!」のメール…四つ葉のクローバーは、やっぱり幸せを運んで来ました!もう1つのお願いもいつか叶うように…その時まで胸の中に隠しておきましょう。私だから忘れるかもしれません。それくらいがちょうど良い~夢の熟し時です。