トップ > 活動報告 > 「失ったものと気づいたこと」

「失ったものと気づいたこと」


被災から1ヵ月ほどしてから、はぐれてしまったペットを捜している、という問い合わせが増えました。
この辺りの人達は殆ど、家族や親戚、友人の誰かを亡くしています。

うちに来るボランティアの本田さんも、「親戚3人の遺体確認に安置所を回っているから、ここに来て、動物達と過ごす時間に癒されます」と言っていました。
また、ライフラインも復旧しないままで、壊れたり、泥水が上がった家を住めるようにしなくてはなかったり、家や車を失なった人は、新しい暮らしの確保に奔走していました。
無我夢中からやっと一息ついたところなのかもしれません。そこまで来てやっと、あの日から忽然と姿を消した家族の一員の捜索が解禁されたかのように、猛烈に気になり出したのかもしれません。
ホームページで公開している「捜してます・保護してます」に、掲載して欲しいと送られてくるメールは、どれも胸が痛むものばかり。添付されている写真はみんな愛くるしくて、飼い主にとっての存在の大きさをひしひしと感じさせます。

逃げようとまず猫を車に乗せて、荷物を取りに家に入り、出てきた瞬間に、車が流された人…
。愛猫と逃げた車が流され、一緒にどこかの屋根によじ登ったのに見失い、暗闇の中、猫の声は聞こえたけど、姿は見つけられなかったと言う人…。
犬を助けようとして命を落とした人の家族も、せめて犬は生きていないか、と捜しています…。
あるいは、置き去りにしてきてしまった自責の念に苦しんでいる人達もいます。
アニマルクラブから里親さんのもとに巣立った子達の訃報を聞くと、1匹1匹の思い出が浮かび、あまりにも短く、無念の最期が来てしまったことに、涙するしかありません。

私の携帯電話がやっと通じた頃に、「阿部さんは大丈夫だった?」と連絡をくれた武地さん。地震・津波の上に火事も起きて、焼け野原になったと聞いていた、門脇町在住です。
公民館に避難していると聞き、恐る恐る「ヤマトは…?」と尋ねると、「ヤマちゃん、流されたの~」という返事に、絶句してしまいました。昨年武地家に迎えられ、やっと幸せをつかんだ、黒ラブの老犬です。
メルアドも『yamachan…』から始まるのに、突然、そのヤマトがいない毎日になる。店も流され家にも住めなくなり、気兼ねしながら避難所で寝起きしなければならない上にです。
しばらくしてから、被災後、石巻から大崎保健所に送られたオスの黒ラブがいることを知りました。
本田さんが身元引き受け人になってくれるというので、拘留期限が過ぎ、譲渡犬に回った時に引き取りました。
もしかしたらヤマトかもしれない、という淡い期待もあったのですが、武地さんからのメールの返信には、ヤマトの遺体が見つかり、埋葬したとありました。

さらに、ヤマトと一緒に散歩していた、小柄で可愛いモモちゃんと飼い主の森さんが行方不明のままだと聞いて、喉が詰まりました。前の犬、タロウのことも、 ボケて老衰で亡くなるで大切に飼い続けてくれた森さん宅に迎えられたから、モモもおなじだけ長生きするものとばかり思い込んでいました。
2人の息子さんも社会人になった森さんは、モモを初めて授かった娘のように慈しみ、モモちゃんの話ばかりしていました。
被災して、モモを抱いて逃げ惑う森さんを想うと、いつも明るくてのんきな人だっただけに、切なくてなりません。
森さんは地震後に避難所になっていた門脇小学校に行ったらしい。
でも、小学校が火事になった時、近所のスーパーに勤務していたアニマルクラブの高橋君が、避難者の救出を手伝ったのだけれど、その中に森さんらしき人はいなかったと言います。
森さんのご主人は「隣りのお年寄りをいつも気にかけていたから、地震後に一旦帰宅したのかもしれない」と言っていたとか。森さんの家は津波に流されてしまいました。

乗り越えることなどできない悲しみを、そのまま受け止めて、私達は毎日できることを積み重ねて生きています。
水道やガスもない、電気製品も使えない生活は、一方では、これまで我々がどれだけ欲望のままに、贅沢に暮らしてきたかを、気づかせてくれました。
アニマルクラブは活動を始めて30年余り。以前はよく原発反対運動をしている地元の団体と合同で会場を借りて、パネル展を開催していました。震災後、懐中 電灯1本で照らした納戸の寝袋の中、11匹の猫に囲まれて聴いていたラジオから、福島原発の放射能漏れのニュースが流れた時、私は、チェルノブイリのパネ ル展を思い出し、「(会の代表の)日下さんがいつも言っていた通りになった」と思いました。日下さんという方は、人生を賭けて原発の危険性を訴えてきた、 地元の尊敬する先輩です。こうした先見の明を持つ人達が繰り返し警告してくれたのに、人々も、国も、目先の楽と欲を選んで、崩壊のあみだくじを引き当てて しまったような気がします。


== 人なつこくて、「遊んで、遊んで」と寄って来る子達もいます ==

そして、その犠牲となっているのが、飼い主と一緒に暮らすことと、餌と散歩以上は欲張らない犬と、飼い主の暖かい布団の中が安息の場の猫です。
数日前、人間だけが避難した放射能漏れの町に、置き去りにされている犬や猫達に餌を与えに通っていると言う家族とその友人から、相談を受けました。
100匹ほどいる犬達のために、連日30キロ以上のドックフードを運んでいるそうですが、経済的に大変になってきたということでした。


== 飼い主を待って、家の敷地内をうろうろしていたシェルティ。 ==

ちょうど、アニマルクラブのNPO法人5周年記念として、5月に上映会の予定だった(残念ながら、延期です)「犬と猫と人間と」の飯田監督の弟子の宍戸さんが、取材を兼ねて手伝いに来てくれていました。
とりあえず彼に、アニマルクラブに支援物資として送られて来ていたフードと、保護するのに役立つかもしれないリードと首輪、犬のおやつも届けてもらいました。
しかし、餌を与えて解決する問題ではありません。現地には、各地の大きな愛護団体が被災犬・猫を保護しに来てくれていると聞いています。そうした方々と、 彼女達が連携できれば、救われる数は増えるはずです。うちにも2回立ち寄ってくれた、広島の「犬猫みなしご救援隊」の佐々木さんに連絡を取りお願いしまし た。

今後、石巻地区でやっていくべきことは、ペットと暮らせる住まいの確保と、津波で財産を流された人がペットと暮らしていくための援助、余震が続く現地でこ れ以上の犠牲が出ないための予防策、一定期間を経過後には、飼い主が出て来ない犬と猫の里親探し―に切り替わっていくと考えています。
支援フードを送ってくださいとお願いしていた東北あにまるずさんより、大量の寄付を受けられることになったので、もう郡山のクロネコヤマトのセンターには送っていただかなくて大丈夫です、との連絡ありました。ご協力ありがとうございました。


お陰様で、今日はフードをたっぷり置いて来ることができました

ところで、我が家にも、被災猫達が避難して来ています。
飼い主が避難所で暮らす「ぷく」。飼い主が仕事とアパート探しに仙台へ行った「キキ」。
猫を捜す人に貸した捕獲器に入った別な猫、「シー」と「チャタ」は、どちらも去勢したオス。
飼い主のおばあちゃんが犬を抱いたまま絶命していた家に、生き残っていた「ちゃーちゃ」。
さらに、警察官が倒壊家屋捜索中に見つけた「ロッシー」。
東京から来たボランティアの青年が、被害の大きかった桃浦の避難所の外で、首輪をした骨と皮ばかりに痩せ細った猫を見つけて、電話をよこしました。「目か ら鼻にかけて、セメダインのような物がべったり付いている」と言われ、この非常時に、そんな悪戯をする人がいるものかと首をかしげましたが、来て見て笑っ ちゃいました。津波で風邪を引いたのでしょう。
目やにと鼻水がひどくて、余りの汚さに、「キタ」と命名。キタは、エイズのキャリアでしたが、注射1本回受けてきたら、食欲旺盛なんで、みるみる回復してきました。そして、迷い子の「鈴ちゃん」の飼い主さんが判明しました。
皮の首輪の裏に、うっすら文字が残っていたのです。電話番号は見えなくなっていましたが、住所の町名と番地の半分を頼りに、門脇町のスーパーが焼失して、矢本店の手伝いに行った高橋くんが、尋ね当ててくれました。

今回、命の瀬戸際に立たせられたみんなが、自分にできる精一杯の思いやりを行動に移していると思います。
また、私は、自分のことを「お金持ちには程遠い、石巻一のお猫持ち」だとばかり思っていましたが、猫ばかりではなく、かけがえない人にも恵まれていることに気がつきました。
被災後まもなくの一番大変な時、以前猫を保護する相談に乗っただけの松本さんが、水と食料を持ってはるばる歩いて訪ねて来てくれました。
それ以来水を届けてもらい、洗い物をしてきていただいて、ずっとお世話になっています。あるいは、遠くから心配してくれる人がたくさんいることもわかりました。
20年以上も前にメンバーだった人も、別れた夫も、初恋の人も、18年も前に、猫の避妊手術代稼ぐためにアルバイトしていたクラブのお客さんまでお見舞いに来てくれました。
そして、救援物資やカンパを送って下さった方々…私は、みなさんからいただいた真心が、一番役に立つ道を考えて実行していくつもりです。
原発事故被害で人が消えた浪江町と小高町から送られてきた、飼い主を待つ犬達の様子を紹介します。(撮影は東北あにまるず)


== 今日連れて来るつもりだった、目も耳も不自由な老犬がいなくなっていました。飼い主が一時帰宅して連れて行ってくれたのならいいのですが… ==

== 牛も馬も放たれていました。 ==