友人からこれらの写真が届いた時、、、、、私は、福島原発20キロ圏内で、ポル・ポトの大虐殺が起きたように感じました。
食べ物を探していたのか、飼い主に会いに行こうとしてたのか、、、
警戒区域では、交通事故と思われる犬や猫の死骸に数多く出会いました。
飼い主が避難した家の庭で、取り残された犬が餓死していました。
「コロ」がこんな最期を迎えなければならなかったのは、なぜですか?
別な家の庭でも、鎖につながれたままの犬が息絶えていました。どれほど空腹で、どれだけ恐くても、、、
呼んでも呼んでも、誰も来てはくれなかったのです。
地震や津波の被災で死んだペット達に涙する人は大勢いました。飼い主とはぐれた子を引き取りたいと名乗り出た方々もいました。
しかし、長い時間飢えて苦しみ死んでいった、原発警戒区域の動物達の実情は知られていません。助けに行くこともままなりません。
人の助けを待っている動物たちがいるのに、なぜ入るなと言うのでしょうか。
”明るい未来”は嘘でした。
もの言わぬ命を助ける政策を取らないと、失敗は繰り返されるでしょう。私が最初に動物の痛みを感じたのは、幼稚園の時です。
当時は養豚業者が各家庭の生ゴミを回収に来ていたのですが、それを知り、自分が嫌いで残していた豚肉の脂身を、その豚の子供が食べることになったら可哀想だと思い、それからは他人が残した分まで食べて、「肉の脂身が好きな子」と言われるようになりました。
「食べないと大きくなれない」と言われて育つ中、子供心に、自分が生きるために犠牲になる命に、最低限の敬意を払っていたのだと思います。
原発事故が起きて、原発の恩恵なんて何一つ受けてはいない動物達が、数多く犠牲になりました。 『餓死』という、最も辛く苦しく惨めな死を、「残酷だから公開するな」と言う人達がいます。
しかし、それでは、「誰が残酷を引き起こしたのか?」という、肝心なことを闇に葬り、問題は反省に繋がることなく続いていくことでしょう。
自分自身も被災して、電気も水道もない中、65匹の猫、犬と二階生活をしていた私は、懐中電灯の明かりの中、ラジオで福島原発の事故のニュースを聞いて、チェルノブイリと同じ事態になっていく、と直感しました。
そう思っても、自分は抱える猫や犬達と、地震や津波で飼い主とはぐれた地元の動物で手一杯でした。
そんな中、警戒区域に入って、置き去りにされた動物達を救い出してくれた人達がいました。たくさんの人達が、遠くから警戒区域に入って、助けるために一生懸命でした。
しかし、すべてを連れ出せたわけではありません。
どんどん厳しくなっていく警備網に捕まり、「てん末書」を書かせられながら、消されようとしてる命を、もう腐った、骨になった骸を撮影してきてくれた人がいます。
残酷だと顔を背けたくなることは、人がしたことです。防げなかったのも、守れなかったのも、助けられなかったのも、人が原因なのです。
人知れず苦しみ抜いて、死んでいった命を見ることは怖いですか?
涙を流す自分を、肉が食べられなくなるかもしれない自分を庇う時、見るのも嫌な目に、実際にあって死んでいった、罪なき動物達のことを考えることはできませんか?
そこを地獄というのはたやすいけれど、
地獄で、死に至るまでの日々を生きねばならなかった命の苦しみは、筆舌に尽くせない。
骨になった牛の傍らで、牛の骸を蛆が溶かしている。そして、その近くでは、立てなくなった牛が、まだ生きている。
牛に餌を与えていた人は、自分が行かなくなった日から、牛が飢えることを忘れられたのですか?
牛の骨に石灰を撒いた人は、まだ生きていた牛が次に骨になる日を、ただ待っていたのですか?
そこにいない人間には、理解ができないことばかり。
「立ち入り禁止」で阻むから、そこには正義も情けも入れずに、詭弁だけがすり抜けます。
食べるために飼いました。食べられないようにしました。人が失敗しておいて、最後だけは、自壊するのを待っている。
どこに言えば助けられるのですか?誰なら楽にしてやることができるのですか?
増やすも殺すも人の都合。人は、そんな権利を誰から買いましたか?牛の涙に、何と答えますか?
被災まもなくは家畜が食べ物を求めて畜舎から逃亡して民家の窓ガラスなどを壊して、家を荒らしたために殺処分されました。
馬だけが野馬追に使われるために、圏内から出されたそうです。すべては人の都合…
首かせが有ったばかりに、、、
糞尿の海で泳ぐようにして生きていました。畜主にすら許可証が出ない状態なので、まともに飼料ももらえません。もう震災から5ケ月です。
泥水ではありません。一面糞と尿です。そして、仲間の腐った死体。辛抱しているしかないウシ。
警戒区域にして閉じ込めたのは、こういう現実を隠すためですか?
8月の第一週目に行った時には生きていたのに、、、
石膏で固めたようになっているのは糞です。顔も毛色もわからないほど糞まみれになって、死ぬ日を待たされていたのです。
白いのは大量のウジです。時間とともにすべて覆われます。
柵の中で、大人の牛と子牛が一緒に死んでいました。親子でしょうか?
子牛はお互いの顔を向かい合わせていのち尽きていました。
水を与えたらとても美味しそうに飲みました。頭を突っ込み、奪い合うように飲んでいました。最後に飲んだのはいつだったのでしょう、、、。
「8月13日に撮影して来た牛のことです。
糞尿だらけの牛舎の一角 に、白骨化した牛の遺骸がありました。茶色くたまった糞尿の上に、牛が横になった形のまま、白い跡が残されていました。
この白いものは何だろうと目を凝らせば、それは遺骨にたかったウジの大群でした。今はもう骨だけが、その牛が生きていた証として残されたものだと思いましたが、それ以上に、横になったままの牛に、白く痕跡を留めたその『影』こそが、ここで起きていることを強烈に印象付ける光景でした。
その『影』は、白と黒との違いこそあれ、ヒロシマであったか、ナガサキだったか…原爆の閃光とともに、ただその生きた姿を、壁に黒い人影として残して消えた人のことを連想させました。
作為によって刻まれた黒い影と、不作為によって残された白い影。両者に共通していることは、人間が命に順番をつけ、その結果、下の方に位置することになった命が、その時から『命』ではなく、『影』になったということです。
そして、おそらく、この影にもまた、人間は順番を付けるのでしょう。黒い影が上で、白い影が下、そう順番を付けるのでしょう。
動物は、人間の言葉を使えないがために、黙り続けているしかありません。人間は、動物の言葉を使えないために、あらゆる責任から免れることができてるようです。」