『最後の架け橋』

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【 行政との行政との話し合いに行って来ました。

 

2月27日14時から、石巻市役所にて、生活環境課から3名、保健所環境衛生部獣疫担当2名に、提案書提出の紹介議員になってくれた桜田市議と私、7名の出席でした。
冒頭「1時間しか時間がない」と告げられ、伝えたいことを精一杯説明するしかありませんでした。私からはアニマルクラブで最近経験した事例を紹介し、下記のことを提案しました。
①公営住宅でペットを飼育する際は、種類や頭数だけでなく、不妊手術をしてあるかどうかのチェックをして、入居時点でまだしていなければ、したら報告してもらう。報告かない場合は、なぜできないのかを聞いて、できるように援助する。そのためには、住宅ごとに自治会を作って、定期的な会合も持ち、飼い主に何か起きた時の互助の役割を担うようにする。

②独居や高齢夫婦でベットを飼っているケースも多いので、心身が健常なうちから「飼い主が世話ができなくなった場合への備え」をしておくことを、広報誌やイベント、新聞社等の協力も得て、啓蒙する。
イベントには、弁護士を招いて、飼い主がいなくなってもペットが生きて行けるように財産の中から必要経費を出し、世話をしてくれる人に託す遺言書の書き方を教えてもらう相談会を実施する。

 

市役所職員はどの事例にも興味を示す様子はなく、何一つ質問も出ませんでした。「シンポジウムの機会を設けて、意見を届けたいと待っている市民が6名ほどいるので、次回はその機会を」と再三持ち出したのですが、市役所は話し合いに市民を参加させることに乗り気ではなく、司会を務めた職員は、最後になっても「参加したい人達個々に相談を受けるということではダメなんですか?」と言っていました。意見を出し合って話し合う意義を何も理解していないことに、落胆しました。他の職員からの発言は全くありませんでした。

保健所の若い職員は能弁で、「令和元年に法律が改正されてからは、見守ってくださいと話しています。市民1人に2時間もかけて丁寧に相談に応じているんです」と自負していました。
市民ボランティアとの協力という点についても、「石巻市には各動物病院から推薦を受けたりして動物愛護推進委員が13名います。委員さんと協力してすでに実践しています」と説明していました。
アニマルクラブには、こうした保健所の対応に「法律が変わったから引き取れないって言うだけなんだよ。そのままにしててください、どこかに行くでしょうなんて無責任すぎるよね」と戸惑う相談がよく来ます。そして、こんな話も聞きました。「石巻市中央の旧市街地の裏路地に入ったら野良猫が沢山いたので、保健所はどんな対策しているのですか?と聞いたんです。そしたら、アニマルクラブさんとも協力して避妊手術や里親探しをしているって言ってましたよ」。寝耳に水の話でしたが、思い当たるとすれば…昨年、野良猫の面倒を見ている生活保護のオジサンから「近所から、お前がエサやってる野良猫が俺の家に来てやったモノだと因縁つけられて、家の庭に猫の糞を投げ入れられ、保健所から注意に来られた」という相談があり、猫の一家に無料で避妊・去勢とワクチンをして、人馴れしている子達には里親を見つけました。オジサンはトラブルの元が解決したと保健所に報告したと言っていましたが、それが人に語られる時は、保健所とアニマルクラブの協同活動になるのかと唖然としました。
去年6月には、イオンモール駐車場で交通事故に遭った野良の子猫を、この日会議に出席していた保健所職員がイオンに出向きながら、引き取らずに帰りました。困った社員がアニマルクラブに連れて来たら、腸が飛び出す大ケガをしていたので、すぐに動物病院に入院させて、集中治療室で対応してもらいましたが、翌日亡くなりました。イオン社員の話では、「保健所の職員は、大したケガではないから放して」と帰って行ったそうです。上辺しか見ない人目線で、動物達が置かれている立場に気づかないままで、都合の良い動物愛護を推進しているように感じました。

話し合いを通して痛感したことは、役所の職員は、窓口に来た相談に応ずることが職務で、私や有志の市民が掲げている~システムを構築して、動物達が不幸に陥ることを未然に防ごう、そのためのマンパワーを広く市民から募ろう、という要望に応えられる所ではないんだなぁ、ということでした。
やはり、保健所を管轄する県政を掌る議員さんに動いてもらわなければ、何も変えられないのだと悟り、その旨を、野良猫の不妊手術助成金の拡充を実現させた仙台市の遠藤県議にメールで送ると、「次回市民参加の話し合いには必ず参加して、県政に届けたい」と返信をいただきましたが、その話し合いが実現する可能性は薄い気がします。
その後、アニマルクラブに届いた石巻市への動物愛護の提言署名135人分は市役所に郵送したのですが、「受け取りました」のメール一つ来ません。「アニマルクラブも高齢化していつまで活動できるかわからないから、在るうちに一緒に活動して、行政で担って行って欲しい」と持ち掛けた話だから、うるさいアニマルクラブが力尽きて消えるのを待っているのかもしれません。その後で社会的弱者や動物達が窮地に堕ちようと、それは市職員の責任にはならないからでしょう。
令和になって法律が改正されて、保健所が妥当と認める理由がない引き取り要請は拒否できるようになったけれど、代わりの受け皿は用意されていないから、野良猫は増え、飼い主を失ったペットも路頭に迷います。法律が変わったというニュースを知っている市民は殆どいないし、対応を迫られた職員が口にするアドバイスは、あまりにも稚拙で無責任だと言わざるを得ません。

 

https://www.youtube.com/shorts/MwJrGoytCLE (←実際の留守電)

 

 

イオンモールの駐車場で事故に遭い、出向いた保健所職員に引き取り拒否されて絶命した、『ハナクロ』からのメッセージ~今年はパネル展を企画しています。

 

 

 

イオンモールの駐車場で事故に遭い、出向いた保健所職員に引き取り拒否されて絶命した、『ハナクロ』からのメッセージ~今年はパネル展を企画しています。  

 

【 市役所への根深い不信感 】

 

市役所に請願書を提出したのは13年ぶりのことでした。前回は、私が営んでいたスナックの常連客だった市議会議員さん2名が「俺達が紹介議員になるから、提出してみたら?」と勧めてくれたので、震災のちょうど1年前に、やはり市とボランティアが協同で動物愛護を推進する方策を提言したのですが、いつまで待っても何の返事も来ないまま、津波に襲われ…石巻では被災のニュースしか流れなくなりした。
さらにそのはるか昔の平成8年には、『石巻にペット条例を作ろう!』と、1年間かけて署名を集めたこともありました。私もまだ30代だったから、頑張れば叶うと信じて、駅前や商店街に立って、道行く人々に声を掛けてお願いしました。そうやって集めた8400人余りの署名を添えて請願したペット条例案も何一つ実現しませんでした。
そのことを告げられたのは、市役所職員の呼び出しに応じて庁舎を訪ねた時。対応した中年の男性職員は1人だけで、私を別棟の議会の建物に案内しました。人気のない部屋で言い渡されたのは、「今回頑張って8000人以上の署名を集めたのに、残念ながら採択されませんでした。このままではあなた方の願いは何一つ形になりません。私はそれが気の毒だし、もったいないと思う。請願書を取り下げれば、内容を市報で紹介していくとか、市民に啓蒙できる場を提供できるんです。その方が実際の役に立つでしょう」と促されて、取り下げの書類に署名してしまったのです。
後になって思い返せば不自然なことばかり…何より市報にスペースを割いて掲載してくれたのはたったの一度で、その後は「一つのボランティアだけを特別扱いできない」と断られました。しかし、その当時の私は、「役所というところは頭の固い融通の利かない人が多いのだろうけれど、市民に嘘をついたり騙すなんてあるわけない」と思い込んでいました。
名刺を貰った記憶もないのですが、背の高い痩せ型の人で顔も覚えていました。十数年後、ある文化施設のイベントに参加した時、職員が館長に紹介すると言って私を案内した時のことです。「アニマルクラブの阿部さんがご挨拶にいらっしゃいました」と言った女性職員に、怪訝そうな態度で、私の挨拶にもろくに応えなかったその人の顔を見た時、私にはすぐ請願書の取り下げを求めた職員だと判りました。その対応の悪さに、私はとんでもない過ちを犯してしまったのかもしれないと感じました。署名してくれた8400人余の人達へ申し訳ないことをしてしまったという悔いがあって、ラストリベンジとして、今回石巻市に請願書を提出したのです。

新市長もまた、私のスナックの常連客だったという期待もありました。愛想の良い方で、30年以上前から、よくイベント会場にも顔を出して、当時は県議でしたので、東京や横浜で地域猫活動が始まると、その資料を届けてくれたりしました。だから、もっとやってくれると信じて、1年以上ショートメールでも働きかけを続けて来ました。相変わらず愛想は良いのですが…光は見えません。もはや、カラオケが得意な市長への伝言は、
「♪市長が来たなら伝えてよ、30年待ってたと~賽は投げられた、もう出掛けるわ、私は私の道をゆく~♬」
といったところです。

 

【 『自己実現』と『自己責任』 】

 

里親探し会と同時開催してる不妊手術の相談会に、若い女性が訪れて隣町の港で野良猫が繁殖しているから、「このままにしておけない」と言いました。このフレーズは何度か聞き覚えがあり、それを掲げて来る人達は、《自分がしたいこと=社会のためだから、皆さんに協力してもらえる》という数式を持っているような気がします。これまでもそうやって「なんて行動力のある人なんだろう」と感動する、すがすがしいスタートを切った人に、途中から一つ二つと頼まれて、聞いていた話とは違う言い訳が出てきて…こちらの負担が増え、ついには丸投げされたこともありました。

まだ何もしていないのに、壮大な未来予想図を描く若い人達の中には、周りの人間を駒のように使えると錯覚している傲慢さが潜んでいることがあります。
それに対して、不妊予防センター常連の《猫おばさん》達は、救済活動がライフワークになっていますから、近所の野良猫を「どんな手順で、どの子から手術しなくてはないか?」がマイカレンダーに入っているし、傷病猫にひょっこり出逢えば、「捕獲器貸して~」と電話をよこして、保護して動物病院に連れて行って、状況を把握した上で、治療費を抑えるために木曜日には不妊予防センターに来て、治療の継続を頼みます。猫の受難を自分の問題として受け止め、自己責任で対処していくから、家族の理解も得て長続きしているのだと感心します。
両者の違いは、「誰がための活動か?」ということだと感じます。猫おばさんは、「猫が不幸な状態でいるのが可哀想でならない」一心で、自分にできる限りのことをすぐ始めて、精一杯やり続けるのです。ボロボロだった野良猫が元気になって、のびのびとくつろいでいる姿を見れば、それが《我が至福》なのです。
ボランティアを志して来る若い人達に対しても、似たような指摘をした人がいました。アニマルクラブのボランティアを四半世紀近く続けている岡さんが、多くの志願者を見てきて、「自分探しに来る人は続かないね」と感想を漏らしました。彼女たちは仕事中快活で、最後には「楽しかったです、ありがとうございました」と笑顔で帰って行きますが、それきり来ないか、2、3度来て「仕事が忙しくなった」などと言い訳して、なしのつぶてとなります。「自分ができることで動物達の役に立ちたい」という無償の愛では満たされない、自分のための何かを求めて来る人には、猫部屋の掃除や洗い物をして猫の居心地が良くなっても、「これは私の求めていたものとは違う」という結論が出るのでしょう。

《自己実現》を求める、若い人の性は、本人を混乱させるばかりではなく、関わる人間を巻き込んで面倒をかけていきます。近所の野良猫を「このままにしておけない」と、避妊手術に連れて来たお姉ちゃんは、その子がまもなく生まれそうにお腹が大きく、貧血も進んでいるから手術は危険だと獣医師に告げられ、私が「大きなケージを貸すから、家の中で生ませて育てて里親探ししてから、お母さんの手術だね」と諭すと、猫を置いたまま「家族と相談してきます」と言って帰って、二度と現れませんでした。一度「家族が無理解」だと嘆きのメールをよこしたきりで、電話にも出なくなり、結局、5匹の子猫をアニマルクラブで育てて里親を探し、人馴れしない『たま母ちゃん』は残留しています。費用も払ってもらっていません。
もう一人、「野良猫に餌付けして増やしていた近所のおじいさんが亡くなって、残された猫達をこのままにしておけない」と相談に来た女性は、最初だけ張り切って避妊手術や里親探し会場に来ていましたが、「仕事変わって、今お金がなくて…」 と支払いができなくなった後、「鬱病になって入院しなくてはない」と中途で消えました。その後は近所の別なおばちゃんがポツリポツリと手術に連れて来て、支払はたまに少しずつ振込んでくれます。私達も人馴れしている子5、6匹の里親を探しました。能弁な女性の陰で黙っていた人こそが、猫達の救い手だったと判ったエピソードです。

 

 

 

子猫5匹には何とか里親を見つけましたが、人にも猫にも馴れないたま母ちゃんは、押入を改造した個室で、壁をガリガリしながら、大きな声で鳴き暮らしています。

 

 

 

近所の野良猫救済プロジェクトを宣言した女性が抜けたあとで、別なおばちゃんが細々と続けている活動で救われた白キジの『チビ』も、里親さん宅で先住さんとうまくやっています。

 

 

【 視点・力点の食い違い 】

 

目の前で起きている動物達の現実にそのままに向き合うのではなく、自分のフィルターにかけて飲めるところだけ呑んで、全部解決したように錯覚している人達がいます。本題はスポイルされた《動物愛護ストーリー》がSNSで拡散され、無責任な『いいね!』が飛び交っても、不安定な未来は改善されません。
そして、そうしたアピール型の動物愛護推進者と、不幸な動物の存在を知ってしまうと頭から離れなくなってしまう献身派が一緒に事に乗り出すと、後者が後始末役になってしまいます。つまり、自分が暇な時だけエサやりに行って気にならない人もいれば、お腹を空かせて待っていると思えば、昼休みに車を走らせても、夜遅くでもそこに行かずにいられない人がいます。
「家には連れていけないので…」と一線を引いて、どんなに悲惨な現状も他者に訴えるしか術を持たない人と、見てしまうと…自分の暮らしをやりくりして何とか受け入れるスペースを作ろうと動く人が、同じ対象に取り組めば、後者の負担はどんどん重くなります。

重荷を背負っていないアピール派があちこちに動物愛護の風穴を開けようとしても、献身派は後始末しきれなくなるから、結局は中途半端になって、掲げられた情熱は立ち消えてしまう現場を何度も見聞き、体験してきました。動物と人の命と心の問題は、行政がそれなりの予算を投じて、柔軟な介入をしなければ解決できないことばかりだと痛感します。

はてさて、今回の港の野良猫の不妊手術も大変でした。厳寒の季節が猫の発情期で、春先は妊娠の気配に気づいて、慌てて避妊手術を申し込む人が多い季節。木曜日の開院日にはとても振り分け切れなくて、院長先生に来ていただける日がないかと打診して、看護士2名にはアルバイトで出てもらうお願いをして、何とか臨時の手術日を設定。そうなると、関わる私達ボランティアもそれに従い万障繰り合わせとなります。手術前の猫は絶食しなくてはないので、捕獲は前日。1日に手術できる限界は10匹なので、手持ち7台の捕獲器では足りないと思い、個人で捕獲器を持っている人のお宅を回って3台借り集めました。
捕獲決行前日、相談者と待ち合わせて現場視察に行ったるみさんとかなえさんは、当日大きなワゴン車に捕獲器10台を積んで出発。「お姉ちゃん達は来なかったけれど、7匹捕獲できた」と、るみさんが帰って来ました。アニマルクラブで待っていた私達は、年末に猫を新居に移して物置にしたプレハブの荷物を他の部屋に移して、ケージを置く場所を作りました。7台の捕獲器はひとまず待合室で受け取りました。菜箸を使って洗濯ネットを外から被せてファスナーを閉めて、1匹ずつ取り出すのが私の役目です。港に残ったかなえさんから「今お姉ちゃん達が来たから、残りを捕獲して行きます」と連絡あり、予定通りあと3匹が追加で来ました。
6畳のプレハブに10台のケージを積み重ねて置きました。その狭い合間に入って、体を曲げながら掃除して回らねばなりません。フーフー威嚇してくる子もいれば、トイレに排便しないで、敷物の毛布にウンチを隠し、壁に向かってオシッコを掛ける猫もいました。ゴミと洗い物が山積みになり、ボランティア一同黙々と長時間労働の日々でした。
お姉ちゃんは友達と一度来て、猫と遊びながら写真を撮って行ったそうです。傷の治りが早いオス猫3匹を4日後、天気を見ながら都合の良い時に、私が洗濯ネットでケージから猫を取り出して運搬用の小型ケージに移して、かなえさんが元の場所に放して来ました。その報告をしたら、「なぜ放す前に連絡くれなかったのですか?」とクレームで、立ち合えなかった最初の捕獲とオスのリリースの写真を送ることで納得してもらいました。メスを放す時は、立ち会いに来ました。
アニマルクラブには、風邪がひどくて手術が延期になったオスの子猫と、里親が見つかりそうな人馴れしている若いメス2匹、それに白血病のキャリアのメスとエイズとのダブルキャリアのオスが残りました。放したオスの中にも白血病キャリアは2匹いましたが、警戒心が強い子達でした。残した2匹はまだ子供っぽく、ビクビクはしているものの、時間と共に馴れる予測が立ちました。白血病が発症して悪性リンパ腫が大きくなって呼吸が苦しくなったとしても…人知れず港で死ぬよりは手を掛けてやりたいと思ったのです。
かなえさんが「あと2、3匹メスがいたけど、捕獲器に入らなかった~妊娠中のようだった…」と懸念しているのを聞いた、野良猫の扱いが上手な有田さんが、夜の港に2回行って1匹ずつ捕まえて来ました。仕事がたまたま早く終わった時に捕獲に出向いたのですから、私達だって知りませんでした。「今、1匹入りました。今から連れて行って良いですか?」とメールが来て、「えーっ、暗い港、1人で怖くないのぉー?」と驚き、せめて温かい晩ご飯を持たせようと、近くの中華料理店に持ち帰りの注文をしました。そうやって捕獲しているのに、立ち合えなかったと不満を言われても…ナンセンスとしか言えません。何のためにやっているかといえば、野良猫を増やさないためだからです。
写真を欲しがるのは、写真が物証になるからでしょう。長い活動の中でこれまで伸るか反るかの真剣勝負の場面は幾度もありましたが、そんな時私はカメラを向ける余裕などありませんでした。目的が遂行できなくなったら大変だからです。自らが体験したことなら、言葉で説明できます。20年も30年も前の動物達の断末魔や危機一髪の救出劇は、忘れたいことでも脳裏に焼き付いていて、今でも克明に伝えることはできます。

しかしこの先、主力メンバーの私と定年退職後のボランティアさんは年を取ってできることが段々少なくなって、辞める人も出てくるでしょう。フルタイムで働いているボランティアさん達は、できることが限られます。アニマルクラブで抱える動物の数も増やさないようにしないと、ここに居る命への責任が取れなくなってしまいます。今回の経験から、関わったメンバーの口々から出た反省は、今後は相談を鵜呑みにして無理な尽力をすべきではないということでした。「港に残る野良猫の手術は通常通り、エサを与えている人に捕獲して不妊予防センターに連れて来てもらおう」という結論に達し、その前にメス猫を残したくない一心で、有田さんは夜の港に捕獲に行ったのです。
そして、この先、行政が乗り出してくれる時が来るとしたら、それはアピール型の活動家からの働きかけに応じて始まる予感がします。役所というところは、アニマルクラブのように見えない所を指摘してくる要請には、バリアを張る傾向がありますが、耳障りの良いきれいごととはマッチングしたがるからです。もしも大金を使って何かしらのプロジェクトがスタートするとしたら、その時はメンバーの中に見えない所まで見通す、深い所まで考え尽くす人が入っていて欲しいから、私はこの現実を伝えることにしました。

 

猫達が暮らす港。

 

 

コンテナの陰で風を除けて、たむろする猫達。

 

 

捕獲器を置くと…焼きササミの匂いに釣られて集まって来ました。

 

 

去年生まれた子か…小柄な三毛猫が、入って来ました。

 

 

扉がパタンと閉まって、慌てていますが、出られません。

 

 

捕獲器のまま車で45分ほどかけて、不妊予防センター待合室に到着。

 

 

1匹ずつ洗濯ネットに入れて捕獲器から取り出すのが、私の役目。

 

 

術後は6畳のプレハブで、ケージを重ねて、お世話しました。

 

 

オス猫、リリースの日。捕獲した場所に運搬用の小ケージを運び、扉を開けました。

 

 

4日ぶりの潮風に誘われて駆け出す姿に、ただひたすらこの先の無事を祈りました。

 

【 てんやわんやの花盛り 】

 

春が始まると、あちこちからいろんな騒動が飛び込んできました。
4月最初の金曜の夜、生活保護を受けてアパートで猫3匹と暮らす70代後半のおじいさんから「立てねぐなった~」と電話が来ました。3月も「エサと砂がなくなる」、「自分の米もおかずもない」と2回SOSが来て、森さんが届けました。その時「最近足腰の痛みが酷い」と訴えたと聞いたので、「お世話になっている福祉の担当者に電話して、介護申請できるように、まずは病院へ行きたいと言えば良いんだよ」と電話してやりました。
「病院で診てもらったら何でもないと言われて、薬も出なかった」と聞いて2日後の事件でした。「足腰何でもなくて立てないなら、脳の異常だろうか?」と、翌日近くに住む吉田さんに行ってもらいました。おじいさんは昨日の夕方からこたつに入ったまま立てなくなり、台所に水を取りに行くこともできなくて、ペットボトルにオシッコしていたそうです。室内はゴミ屋敷、猫達には這ってエサやりしていたとか。よく聞けば、異常ないと診断されたのは内科の病院だったそうです。週末で、病院にもすぐには行けません。私が整形外科からいただいている湿布と痛み止めを食料飲料と届けました。そもそもやや知的に足りない人で、字も自分の名前や住所がやっと書けるくらいです。1人で病院に行っても伝えるべきことを話せるかといえばハテナ?なのです。
幸い私があげた薬で、つかまり立ちしてトイレや台所には行けるようになったそうです。その後福祉事務所の職員が付き添って整形外科に行って、骨は異常なかったようですが、「介助なしにはアパートの階段は降りられないし、足の甲がパンパンに腫れているから、痛いに違いない」と吉田さんが言ってました。「役所の人はおじいさんに代わって病状を説明したりまではしないから、次は私が付いて行って、先生に詳しく診てもらうから」と吉田さんが言ってくれました。

そして、週明け早々には、もう一騒動起きました。去年近くで出産した野良猫を保護した独居のMさん。生真面目で優柔不断な50前後の男性です。子猫2匹には里親を見つけられたのですが、Mさんとしか接してない猫達は他の人には馴れなくて、結局母猫と子猫合わせて5匹を飼うこととなりました。Mさんの心配は、「自分に何かあった時に、猫の世話をどうしたら良いか?」ということでした。私は偶然、不妊予防センターのカルテに書かれた住所から、Mさん宅と一番違いの番地に今野さんのお宅があることに気づきました。今野さんはよく捕獲器を借りに来て、近隣の野良猫に不妊手術を施している、優しい猫おばさんです。今野さんに、「この先もしもMさんが入院するような事態になったら、その時は猫達のお世話をお願いしたい」と頼みました。今野さんは猫おばさんには珍しく、控え目で遠慮がちな人です。「私も気になっていた野良猫を保護してくれたMさんには、感謝していました。私で役に立つことがあれば言って下さい」と嬉しい返事をいただいていました。でも、Mさんはまだ若いし、それは遠い将来の話だと想っていました。
ところが、先週、Mさんが病院から「具合が悪くて来たら、明日から入院することになった」と電話をよこしたのです。Mさんは何とかアニマルクラブで預かって欲しくて連絡をよこしたのですが、そんなスペースはないし、Mさんにしか馴れていない猫達は他の場所に移したら、きっとごはんも食べずに脅えていることでしょう。今野さんに、出動をお願いし、朝晩Mさん宅に通ってごはんやトイレ掃除をしていただけることになって、Mさんも私も救われました。

時を同じくして、トップページで紹介している《創子ちゃん救済》も入り、アニマルクラブシニアチームはヘトヘトです。私は、飼い主とベッタリくっついて生活してきた犬や猫は、家庭の中で暮らし続けさせたいと考えています。高齢の飼い主の病気や施設入所で行き場をなくした老犬『ミル』は、森さんの家に連れて行ってもらうことができ、老猫『ぷくちゃん』は、るみさんの家が迎えてくれました。

毎朝、仏壇に飾った父の写真を見ると頭に浮かぶ言葉があります。私がまだ20代の頃、夜中の2時に自宅前の歩道にホースを引っ張り出してケージ洗いをしていたら、父が起きて出て来て、「いつまで一人でそんなこと、やってんだ。お前のやっていることが正しければ人がついて行く。いつまでも一人だったら、お前のやろうとしていることは世の中で認められないことなんだ」と言いました。その父は、私が30代に入ってまもなく亡くなりました。あれから山あり谷あり紆余曲折、ガンジーが言ったようにカタツムリの速度で進んで来た道のりですが…「多くの人達に支えられてやってこれたよ」と、父が好きだったコーヒーを供えてカ~ンと鐘を叩きました。

 

 

 

森家の柴犬チビタと良い感じのシニアカップルに~盲目のミルちゃんにも春が来た🌸

 

 

るみさんに抱っこしているぷくちゃんの写真に、飼い主のおばあさんは嬉し泣き😂

 

 

お洋服も着せてもらって、先住猫ともグッドコミニュケーション✌

 

 

足を1本失う代わりに、創子ちゃんの末永い安心と安全を約束しよう~ハナクロ基金にご協力下さい💓

 
2023年4月19日

 

 

 

 

 

・・・・・・・追記・・・・・・・・

 

手術は無事におわりました~