難を転ずる年に、踏み出しました!

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前回の活動報告から、また半年近く経ってしまいました。「半年に1回長編を書くより、半分のボリュームでせめて3カ月に1回は書いた方が良いよ」と忠告してくれる人もいて…もっともだなぁと思いつつも、未だに実行できないのは、日々やることと降って湧いてくる問題に、対処しきれないうちに体力切れになってしまうからです。寒くなって股関節と腰の具合は一段と悪くなり、「ヨイショ、ヨイショ」と声を掛けて歩いている自分の影が、コタコタとおぼつかないことにギョッとしました。

半年前には暑くて暑くてエアコンが壊れた昭和の自宅は今、窓の内側にベニア板の戸やビニールカーテンですきま風を防ごうという努力も空しく、24時間エアコンを点けても到底寒くて、温風ヒーターの灯油もどんどん減っていきます。しかし、特に年老いた猫達にとっては、暖かい部屋こそが命綱だと実感しています。だから、郵便ポストを開ける度に、電気代、灯油代、ガス代の請求書が入っているかとドキドキします。アニマルクラブはエアコンや温風ヒーターの台数も多く、下に敷くベットヒーターの数もおびただしいから、もっとかかります。そして、年末には計画通り新たな二階建て猫ハウスが完成したので、光熱費は3軒分となり…燃料費高騰のニュースが流れる度にキリキリしています。1月分の電気+ガス+灯油の光熱費は約25万円でした。2月はさらに増えるでしょう。
それでも、皆さんからのご寄付に救われています。それなのに、何のお礼も伝えないままでいると地獄に堕ちるのではないかとムズムズしてきたので、せめて、前回の活動報告でお伝えした状況と猫達のその後の報告だけでもして、ご無沙汰と恩知らずの弁明とさせてもらおうと思いました。

 


 

【 リバース、完全復活! 】

8月10日の夕刻、東松島市の田んぼで、作業中のトラクターに野良猫が巻き込まれたのを、近くで作業していた農家さんが目撃。アニマルクラブに届いたFAXには、『あごの骨、前足の片方がつぶれている。後ろ足は両方動きません。』と、瀕死の重傷であることが記されていました。
忙しい私は、固定電話があるガレージを改造した待合室には、不妊予防センターの開院日の木曜日と、準備に行く水曜日の夜以外は、殆ど行けません。今や相談は殆どメールで来るし、固定電話の留守電でも、メールに送ってくださいとアナウンスしているのですが…高齢者だと電話しか伝達の術がないこともあります。この悲惨な事故の相談が、ちょうど即対応できるタイミングに来たことは、不幸中の幸いでした。連絡を取って、不妊予防センターでは到底処置できるレベルではないので、来て下さっている獣医さん達の病院に運んでもらい、入院しました。

最初に面会に行った時は…衝撃的でした。腫れていたのか、むくんでいたのか…真っ黒な体は焦げた丸太ん棒のように全く動かず、顎がズレて自力では食べられないので、鼻に管が入っていました。
何度か手術を繰り返して、植物状態だった体が少しずつ甦って、鼻からチューブが外れると、やっと猫らしくなりました。やがて、頭を持ち上げられるようになり、上半身を起こして自力で食べられるようになって、退院することができたの9月26日でした。

激しくズレていたあごも矯正されて、自分で口からウェットフードは食べられるようになりましたが、絶えずヨダレがダラダラ…前足はしっかり立てるようになり、腰と骨盤にピンを入れて支えられている後ろ足はまだおぼつかない状況ながら、低いトイレなら入れるようになりました。
見捨てられれば、土に埋もれて絶命する末路だったから、復活の願いを込めて『リバース』と命名しました。
早速、名前のご利益がありました!部屋の中を自由に歩いて何でも食べている他の猫達に触発されたのか…リバースは28日にはドライフードも食べ出し、29日朝には、トイレ掃除をしようと開けたケージの扉から飛び出して来て、部屋の中を闊歩し始めたので、びっくりしました。『あっぱれ~』の復活劇でした。
その後もどんどん進化を遂げて、秋も深まる頃には、下半身は毛を剃られて、黒とグレーのツートンカラーだった体毛も生えそろい、あんな大ケガをしたことを忘れてしまうほど、普通の猫になりました。

そして、感心したのは回復力の強さばかりではなく、性格の良さです。明るくはっきりして、温厚で穏やか~ひねたところや難しいところは全くない、分かりやすい子でした。誰とも争わない、しつこくもしないし、唸ることもない…あっさりとフレンドリーで、これまでどの部屋でもいじめられて、転々と部屋替えをしてきた『つよし』とも普通に付き合ってくれました。

 

キリッとハンサムになったリバース。猫用コタツの中がお気に入り。

 

 

野良の子猫だったつよしは、交通事故で後ろ足がダメになったのですが…見つけて病院に運んだ奥さんが「足を切るなんて可哀想」だと、断脚しないように頼んだそうです。子猫は仙台の病院に移されて、使えない足に金具を入れる手術を受けて、形だけ整えました。30万円もかかる大手術となり…その金額にびっくりして、その人が救済活動から抜けてしまったので、支払いも、その後の面倒もこちらが被ることとなりました。

見た目が可哀想だという浅はかな判断のせいで、つよしは一生、役に立たない伸びきった金属製の足を抱えて生きなければならなくなり、高い所にも容易には上がれません。同じような事故に遭っても、断脚した猫達は身軽にスイスイと、天井近くまで登って行きます。そして、ぎこちない歩き格好のためか…ことごとく仲間はずれにされ、いじめれて12年、今後は老化していくことも考慮して、昨年から私の目の届く自宅に連れて来ていました。
リバースはそんなつよしにも自然体で接して、つよしも初めて逃げ腰ではない態度でいました。そして、元気になったし、友達もできたこのペアは、先月、新しい猫ハウスに揃って引っ越しました。アニマルクラブから自宅に、認知症で徘徊と誤食を繰り返す老猫を連れて来るためです。新居はきれいで快適だから、朝晩覗きに行って見ると、のびのび平和に暮らしています。つよしはずっしり重たくなって、幸せ太りかもしれません。

 

 

コタツの上でぽ~っとしているつよし。前はこうしているとよくいじめられたけれど、今はいつまでぼんやりしてても大丈夫だよ~

 

 

【 集合住宅でのペット置き去り事件への考察 】

飼い主の入院で、災害復興住宅の8階の閉め切りの一室に、真夏の1カ月間取り残されていた『さくら』と『ちゃちゃ子』は、秋の初めと終わりに、それぞれ里親さん宅へ巣立って行きました。
この事件は、集合住宅の日陰の落とし穴で生じたと痛感しました。一人暮らしの初老の男性は、玄関の表札の自分の名前の下に、『ちゃちゃ姫、さくら姫』と書いて、まるで娘のように可愛がっていたのかなぁ、という印象です。腎臓に持病があり、この前年にも入院したことがあり、その時はお隣さんが、鍵を託されて留守中の世話を頼まれたそうです。今回の発見者、アニマルクラブへの通報者もこの隣人です。

隣の人いわく、「おじいさんが救急車で運ばれた時、私は仕事でいなかったけれど、その後も何も頼まれなかった。入院してから女の人が訪ねて来たという噂を聞いて、猫も連れて行ってくれたのだと想っていた」とのこと。それきり忘れていたが、1カ月近く経ってから、隣室から猫の声が聞こえた。びっくりして、おじいさんの部屋の前に立ち、玄関の脇の台所の小窓だけが網戸になっていたから、そこから覗いて見ていたら、一瞬、猫の姿が横切ったのだとか…。「猫達居たんだ!こりゃあ、大変だ」と住宅管理会社に電話して、すぐに鍵を開けてくれるように頼むと、「週末なので、月曜日まで待ってください」と応対され、「生き物の命がかかっているんだよ!」と騒いで、ようやく応じてもらえることにはなったけれど、「身内の人の立ち合いが必要だから、飼い主に連絡するので待ってください」と言われたそうです。そして、おじいさんの甥っ子さんを伴って管理会社の職員がやって来て、やっとドアが開けられたのだとか。

私の携帯電話に、おじいさん本人から電話が来たのは、このタイミングだったのだと思います。なぜ、この人が私の電話番号を知っていたのか?尋ねると、「震災の前にアニマルクラブの不妊予防センターに、猫の避妊手術を受けに来たことがあって、その時にやりとりした連絡先を携帯電話に登録しておいたから」だとか…。
住宅公社から連絡が来て、甥っ子が呼び出されて、猫達の存在が知られることになる段になって、慌てて「引き取ってもらえないか?」と頼み込んで来た、この飼い主の心理は、理解し難いです。いくら救急車で運ばれて緊急入院したといっても…アニマルクラブの存在を知っていて、電話番号も知っていたならば、入院後少し落ち着いた時点で、なぜ相談をよこさなかったのでしょうか?隣人に対しても同様です。去年は世話してもらったのに、なぜ今回はお願いしなかったのか?年齢はまだ70歳そこそこということでしたが、認知機能が衰えているのかなぁと感じました。電話で話しても、自分のことしか語らなかったし、こちらの話にはぬかに釘のような反応でした。

単身者が公営住宅で、猫や犬と暮らしているケースはかなり多いです。ちゃちゃ子は7歳、さくらは5歳とのことでしたが、どちらも避妊手術されていませんでした。入居する時に確認されるのが種類や頭数だけでは、団地内にトラブルの種を無制限に持ち込むことを容認していることになります。
『避妊・去勢済みなのか?まだならいつ頃受けるのか?受けたら届けを出す』くらいは決めておく。そして、予定を過ぎても受けない人には、理由を聞いて、受けられるように、動物病院に予約を取ってあげるとか、送迎をするとか、分割払いにしてもらえないかと病院に交渉するなど~手助けをする自治会組織が必要だと思います。
ペット可の集合住宅ごとに、現状を把握・管理する自治会があって、各部屋にどんな子がいるかの名簿があれば、今回のように、飼い主が緊急入院した場合には、部屋には誰が残されているのかすぐに分かります。そして、例えば本人が意識不明状態で確認が取れなくても、緊急事態には鍵を開けて部屋に入れる約束を取り決めておいて、平素から定期的な会合を開いて、飼い主に何かあった時には、その人のペットを他の住民がどう役割分担して世話をしていくかを話し合い、少しずつ積立金でもしておけば、かなり安心だと思います。

今回は部屋の中に買い置きのドライフードが2袋あったために命拾いしましたが、食べ物がないままに1カ月が過ぎていたら…ドアを開けた人達が目にしたのは、糞だらけの散らかった部屋ではなく、餓死した猫の屍だったかもしれません。ちゃちゃ子もさくらも衰弱はしていなくて、血液検査の結果も良好で、早速避妊手術も受けることができました。ボランティアさん達にもすぐに馴れて、甘えてきたから、里親探し会に参加すると、さくらにはすぐに希望者が現れました。

さくらは、多賀城市のマンションで、専業主婦のお母さんに甘え放題~小学生の娘さんのお姉さん気取りで、のびのびと暮らしています。
ちゃちゃ子は、市内の若いご夫婦に引き取られ、年末には新築マイホームにお引っ越し。「ダンナがメロメロで甘やかしてるんです~」と、太らせた言い訳をする奥さんは、アニマルクラブのボランティアの一員になりました。今、スマホで見やすい新しいホームページ製作に張り切っています。なんと、ちゃちゃ子が、キャラクターになっていました!

 

さくらの里親さんから来た近況報告の写真。体格も幸せも横綱級だね。

 

 

同じくグラマーになったちゃちゃ子ですが、体はカゴに隠して、モデル稼業をスタートしました。

 

 

【 戻らない飼い主、残されたペットの行く先 】

(1)ぴー子
認知症が酷くなり、自分の生活の管理も無理になって、室内で動けなくなっていたところを救急車で運ばれて入院したおばあさんは、回復後は施設に入ることになりました。アパートには7年間一緒に暮らした黒猫『ぴー子』が残されていました。
おばあさんはもはや、「自分の貯金の中からぴー子の生活費を出す」との意思表示もできないほどに認知機能は低下していて、子供のいないこの人の親族として、病院から呼び出された仙台市在住の甥っ子さんは、「叔母に会うのも7年ぶり。家では引き取れない」と言い、寄付金3万円を付けて、ぴー子のをアニマルクラブに託す以上のことはできないと、心を決めていました。3万円で一生の面倒をみることは到底できませんが…かなり良心的な方です。同様の理由でアニマルクラブに来た子達は、お金を出してくれる人がないどころか、来る前の治療費からこちら持ちになったりすることもありました。

 

里親募集中のぴー子です。おばあちゃんと暮らしていた時のような「穏やかでのんびり暮らせるお家が良いなぁ~」

 

(2)くろ
可哀想な動物を見ると放っておけない性分のおばちゃん~何度か相談を受けて、犬や猫の里親探しを手伝いました。借家住まいながら、何十年もの間、出会った猫や犬を保護してきたこの人は、震災後はペット可の復興住宅で暮らしていました。そして70代となり、足腰の重い病気を患い、やがて室内を這って歩くような状態になっていました。「入院するので預かって欲しい」と頼まれましたが、手術しても元通りの体になれるわけではないそうです。自力での生活は無理なので、施設に入ることになるようなので、正確には預かるのではなく『引き取る』です。
アニマルクラブは飼えなくなった動物を引き取る団体ではありませんが…このおばちゃんが貧しい生活を切り詰めて、犬や猫を救って来たことを知っているから、最後の1匹だけは引き受けて、安心させてあげたいと思いました。

こうしたケースが、とても多くなって来ました。アニマルクラブのような小さなボランティアが相談を受けて、いくら気の毒だと痛感しても、次々引き取る力は到底ありません。
国や自治体が社会問題だと認識して、対策を立てる必要があります。これから社会で深刻で切実な問題になっていくことに最初に気づいているのは、現場に立ち合っているボランティアです。今、私がこうして発信している《老人とペットの悲しい現実》に耳を傾け、議会に運んで、国や自治体で救済システムを構築してくれる議員さんに届くように、皆さんも協力してください。

 

 

こちらはくろ。おばちゃんはくろを案じて電話をよこし、見えないのに「よろしくお願いします」と何度も頭を下げます。

 

(3)ひより
夏の終わりに日和山で行き倒れていた黒猫を、最初はてっきり野良猫だと思っていたのですが、10日ほど入院して連れて来ると、盲目であることに気づきました。ご飯のお皿は、口の前に置かないと分かりません。そして、凄まじい声で何度も鳴き出して、ケージから出すとヨロヨロと徘徊して、くるくるくるくる…いつまでも回っています~認知症です。歯も全然なくて、トロトロフードを舐めて食べています。腎数値も高いし、かなりの高齢なのだと判りました。
こんな状態では、1日だって野良猫生活ができるわけがないと感じました。昼夜を問わず、後を引く高声で鳴き叫ばれて…もしもペット不可のアパート等で内緒で飼っていたとしたら…思い余って、猫が多い日和山に捨てに来たのかなぁ、と想いました。ひよりが倒れていた駐車場の下には、何十年も前から庭で野良猫に餌付けしているおばあちゃんの家があります。あそこまで行けばエサがもらえると思って、ここで放したのかなぁ、なんて考えました。
このおばあちゃんともタック組んで、10年位前までは、日和山の野良猫を30匹以上避妊・去勢しました。しかし、この人も寄る年波に勝てず…今では、たま~にトンチンカンな留守電が入っているのを聞くと、何とも寂しさがこみ上げてきます。

 

影を引き連れ、部屋の中をくるくる回り続けるひより。足もすぐに床擦れみたいになって出血するから、ソックスを穿かせています。

 

さて、お気づきでしょうか?ここまで登場した猫達~リバース、 ぴー子、くろ、ひより…全員黒猫です。雪の中を駆け抜けた子猫を保護しようと、捕獲器を仕掛けて、元旦の夜に捕まえた『しるこ』から始まって、2022年は『黒猫year』でした。
長く活動してくると、「今年はキジトラばかりだね」「妙に三毛が来るね~」なんて、その年の《流行》があります。そして、昨年ブームの黒猫は、揃ってアニマルクラブに残留しているのが、頭の痛いところです。しるこは一度トライアルして、ケージから脱走して納戸に隠れて、保護しようとしたその家のお父さんをさんざん引っ掻いたから、養子に行くのは無理と諦めました。くろも相当なビビりで、かまくらベッドの中に隠れてばかりいますし、認知症のひよりも無理。そして、リバースは、つよしのかけがえのない《心の友》になりました。

どこかの家庭で穏やかに暮らして行けるとしたら…ぴー子です。おばあちゃんと生涯の前半を暮らしたとしたら、寿命の残りを共に暮らしてくれるご家族はいないでしょうか?今のところ、健康状態に問題はありません。「私達ももう高齢だから、子猫を貰っても最後までちゃんとお世話できるか自信がないから、猫と暮らすことは諦めないと…」なんて言っているご家庭に、ぴったりな取り合わせかと想います。
こんな話をしていたら、突然知らない人から電話が来て、11年余り前の話を持ち出されて、知らない人ではなかったことに気づきました。震災直後、ヘリコプターで救助された猫の『ぷくちゃん』の飼い主でした。
震災からまもなく12年…携帯電話をブラジャーに挟んで守って、胸の下までは水に浸かりながら、川と化した道路を、片足をまず前に出して穴や亀裂がないことを確かめながら、家路を急いだ私も足腰がおぼつかなくなったように、年月はそれぞれに少なからぬ変化をもたらしていました。
ぷくちゃんは14歳になり、腎不全と歯肉炎を患っているそうです。飼い主のご主人は亡くなり、奥さんは車椅子生活で、週3日間ディサービスに通い、2日間はヘルパーさんにお世話に来てもらっているそうです。11年ぶりに電話をよこしたのは、奥さんが近いうちに老人ホームに入ることになるので、ぷくちゃんの面倒を見て欲しいというお願いでした。「子供もいないし、頼める親戚や友人もいなくて、震災後にお世話になったアニマルクラブに頼むしかないと思った」そうです。近々、まずは実情を見に行く約束をしました。

ぷくちゃんのことは、震災の翌年に出版された『動物たちの3.11』という私の著書にも書きました。そして、同様にその本に書いた犬の『ミル』も、大晦日の夜に出戻りしてきました。震災の前年に女川町の海辺の町にもらわれたので、あの時は、津波にさらわれたのではないかと随分心配しましたが…「何をおいても、ミルを抱いて高台へ逃げたよ~」という里親さんがありがたくて、住まいが決まるまでの半年ほどミルを預かりました。その里親さんが認知機能の低下による躁鬱症状から「もう面倒が見れない、早く引き取って」コールをしつこくよこすようになると、腹が立つより一抹の虚しさで、いたたまれなくなりました。
ミルは近親交配が繰り返されていた多頭飼育の老夫婦の家から連れて来た子で、里親さん宅に行ってから緑内障を患い、両目共義眼の盲目です。アニマルクラブで1カ月弱過ごした後、同じ家から引き取ってきた犬を最近看取った、ボランティアの森さん宅に迎えられました。

その後、アニマルクラブに来ているメールをチェックしてみたら、市内の老人ホームから、「入所した老夫婦が飼っていた犬を引き取って欲しい」という依頼が来ていました。「引き取ることはできませんが、ホームページに載せて、里親探しはしますので、犬の写真と紹介文を送ってください」と返信しました。「順序が違うでしょう」とぼやきながら…
「老人ホームに入らなければならなくなってきた」と感じたら、即座にペットの行き先も考え、準備しなければないのです。頭だって呆けてきたなと自覚したら、自分がいなくなった場合に、ペットを誰に託して、その費用をどこにどれだけ用意しておくか、遺言書にして残しておくべきです。
アニマルクラブが仙台市でパネル展をする時、共催しているのは、動物問題を考える弁護士グループです。「遺言書の書き方が分からない人達に教えて欲しい」とお願いすれば、協力してもらえると思います。要は、社会の認識が遥か遅れていることです。行政に届いていないこの社会問題の駆け込み先が、財源も保障もない、無給のボランティアグループしかないことに、早く気づいて欲しいのです。

 

出版から11年経ち、絶版となり、たま~に「手に入りませんか?」という問い合わせが来ますが、この本に登場した人も動物達も、随分様変わりしました。

 

【 看板、採用されました! 】

前回の活動報告で、春に老犬と花見に行った日和山公園に掲示されていた、『猫が増えて困っています』とだけ書かれた、漠然とした看板を見て、「これじゃあ、伝わらないでしょ」と感じたので、「私だったらどう書くか?」と考えて、アニマルクラブ専属デザイナー平川さんに形にしてもらいました。そして、できてきたデザイン画を、「この方が解りやすいと思います」と、市役所の市民生活部環境課に送ってみたのです。
それきり忘れていたのですが、11月末、「15枚製作したので、要望がある場所に掲示していく。日和山公園には設置済みです」というメールが届きました。

メール一つで事が成せて、コストもかからず、「やってみるもんだな~」と思いました。案外、役所はどうすれば良いのかがわからないのかもしれない。震災以降、石巻市は経済的に困窮して、地元紙には、あちこちから支援を受け取っている市長の写真が定番化しました。新たに予算を要求しない、具体的な提案なら実現性があるかもしれないと思いつきました。「ふるさと納税で、動物達のために使う資金を集められないか?」と考えたのです。
11月に石巻市の『環境フェア』が開催され、初参加してパネル展をしたのですが、そこで来場者から署名を集めました。すると、用紙を持ち帰って集めてくれるという人達も現れました。
署名を集めたのは、四半世紀ぶりです。連日駅前や商店街で、道行く人々にも声を掛けて、平成8年に8400人余りの署名を集めて、石巻市に不妊手術の補助金制度などを盛り込んだペット条例を制定するように、請願したのですが、何も成せなかったから、もう署名集めは懲り懲りになっていました。

 

私が思いつき、平川さんがデザインした看板が日和山公園に掲示されていました。別な場所にも掲示できます。希望者は、市役所市民生活部環境課へご連絡ください。

 

【 石巻市に提言書を提出しました! 】

今回は数より、市へのアプローチのきっかけになると思って実施しました。環境課への橋渡し役としてご尽力くださった桜田市議に紹介議員になっていただいて、1月13日、石巻市長に『動物愛護推進の提言』と711人分の署名を手渡しました。市長からは、「意見交換の場を設けて、幅広い対策を検討していきたい」という答弁がありました。
そのことが新聞に載ると、「意見交換の場に参加したい」という、市民の声も寄せられました。是非、市民参加の話し合いの場にして欲しいと思い、市長にメールを転送すると、「良いんじゃないか~」という電話もくださいました。市民お二人の意見も、掲載します。

 

①お疲れ様です。アニマルクラブがなかったら、不幸な猫はもっともっと沢山増えると思います。また、行政には怒り心頭でいます。石巻を猫の街とし,イベントをするときだけ祭り上げている感じがしています。どういった形でも訴え続けなければと感じております。

②私は幼児期から後期高齢になっても愛猫家として現在、5匹の保護猫と生活していますがいろいろな雑感がありまして、この機会をチャンスと思い公開討論に参加させて頂きたいと思った次第です。
宜しくお願い致します🙇
署名は、その後も100人分近く届いています。行政との話し合いの度に、追加で提出していきたいと思いますので、ご協力いただける方は、ご一報ください。

 

 

ふるさと納税を活用した動物愛護推進市政を提案してみました。

 

 

1月13日、桜田せい子市議と共に、斎藤正美市長に
『動物愛護市政への提言書』を提出しました。

 

これが、提言書の内容です。署名にご協力くださる方は、メールでご連絡ください。

 

 

【 到頭できたよ、猫ハウス 】

「東日本大震災よりもさらに大きな津波がまた来るかもしれない」なんて、テレビで言われると、1階に猫を置いておくことが不安でした。
3年前の台風19号の時だって、警報が出たのは深夜で、私は1人で、20匹近い猫を2階へ運びました。待合室に預かっていた3匹の野良猫は、大きなケージの上から洗濯ネットを落として、棒を使って少しずつ被せて、あらかた被せたところで、ケージの隙間からネットを引っ張ってファスナーを閉めてから、ケージを開けてキャリーに移したので、結構時間がかかりました。アニマルクラブの前の道路は、日付が変わる頃には私の膝まで、午前3時には腿まで冠水しました。
アニマルクラブの中にも、いつまでも馴れない、洗濯ネットが必要な猫達が結構います。時間がかかる上に、私はもう重いものが持てなくなったのです。ヨロヨロしながら、全ての猫を2階へ運び上げられるのか…自信がありません。「せめて、猫は全員2階に置いておこう。」それが、80匹余りを連れては逃げられない、私にできる対策だと思いました。

 

ドアを開けると…

 

 

アメリカ在住の支援者から贈られた手作りタペストリー  

 

 

1階はメモリアルルームと談話スペース

 

 

 

亡くなった子達の祭壇と遺影

 

遺影を飾る、壁に作り付けの棚は3つ。

 

もはやスペースが足りなくて、急遽棚の上にも一段並べられるように、ホルダーを付けてもらいました。

 

2階への入口は、もしもの逃走に備えて、天井までの網戸を取り付け。古いケージの柵を利用して、できるだけお金をかけないのがモットー。

 

 

「猫達を津波や台風の浸水から守るために2階へ」悲願達成の階段です。

 

折しも、物価高騰の時期でした。実家の庭を潰して建てた二階建ての小さな家の建築費は、およそ900万円かかりました。エアコン3台と、生活道具の購入もあるので、出費はプラス50万円を超えます。

私は20代で最初の離婚をしてから、昼間はタウン誌や新聞社の広告のライターをして子供を育て、夜はコンパニオンやクラブホステスやスナックのママという水商売でお金を得て、アニマルクラブの活動を続けてきました。子供が成長してからは、国民年金しかもらえない老後のために、少しずつ貯金してきたのですが、その通帳も解約することになり、めっきり身軽になってしまいましたが…新しい家は、やはり快適です。

高気密だから、エアコンも設定温度を低くしても、充分に暖かい。私が住んでいる、すきま風を防ぎ切れない底冷えのする昭和の借家とは、大違いです。もっとお金があるなら、アニマルクラブと実家の2階も改築して、借家など借りずに暮らせたら、光熱費もずっと抑えられるのに…「お金がないと、お金を使わないと生活が維持できないようになっているから、貧乏スパイラルから抜けだせないんだなぁ~」と痛感しました。

猫ハウスの2階には6畳と6畳半の2つの部屋があり、アニマルクラブの1階に居た猫達が引っ越しました。待合室裏の小さなプレハブの中にも、白血病のキャリアの猫達が居たのですが、目の届かない新居に運んで、ケージから出てしまって、3種ワクチンしか受けていない猫達と接触したら、感染させてしまう危険があると想い、私の居る借家に運びました。
自宅も定員オーバーになるので、代わりにまだ元気なおばあちゃんの『ちょび子』と『ミミ』をアニマルクラブへ、『つよし』と『リバース』を新居に移動しました。
自宅の奥の部屋は、白血病キャリアの猫達の経過観察の部屋となりました。発症せずに10歳を超えた『ミケン』もいます。「ひどい貧血、黄疸も出てるし、まもなく死ぬだろう」と言われて去勢も中止になったエイズとのWキャリアの野良猫『ポンコ』は、半年経って去勢手術が受けられるほどに、血液検査の結果が改善してきました。
やはり、手術に連れて来られた時は貧血が酷くて中止になった『マコ』も半年後には避妊できるまでに回復して、術後2年、相変わらずシャーシャー威嚇しまくりですが、元気に過ごしています。
マコを連れて来て置き去りにして行った人が、去年自分のペットの猫を診察に連れて来ました。マコがまだ存命なことに驚いていました。マコをこちらで引き受けた代わりに、マコが生んだ子猫2匹は運良くキャリアではなかったから、飼ってくれているのだと思ったら、外に放したと聞き、呆れました。
奥の部屋には、白血病を持って生まれて来た若い子達も3匹います。今年2歳になる『おんぷ』『パックン』『まあや』…元気で月日を重ねて行けることを念じていると、自然と「命に付く名前を心と呼ぶ~名も無き君にも名も無き僕にも~♪」などと、中島みゆきの応援歌を口ずさみながら、トイレ掃除をしています。

 

最初の部屋には、リバースとつよしが居ます。この部屋は、比較的馴れそうな元野良さん達なので、徐々にケージから出して、フリーにしていく予定。

 

窓を開けても、反対側は開かないように固定してもらっています。網戸も固定してあり、網は切れない、破れないステンレス製を使用。

 

 

「オレの部屋へようこそ」迎えてくれたのは『くうかい』。猫ケンカで頭蓋骨にヒビが入り、髄膜脳炎を起こして、連日激しいケイレンに襲われるこの子に付きっきりで介護したのも、懐かしい思い出です。

 

くうかいの部屋には、人馴れしない元野良猫のケージが並びます。静かな環境で、少しずつ馴れてくれるのを待ちます。

 

 

くうかいの相棒の『うるた』は、うるさいから飼育放棄されて、10年余り…実は甘えん坊なだけで、未だにくうかい(♂)のおっぱいを吸っています。

 

去年の今頃は、コンビニのゴミ箱の中で寝ていたという『ズッコ』。今年の冬は、暖かいきれいな部屋で良かったね~

 

実家の庭に猫ハウスを建てたのには、もう一つ理由がありました。ここ10年ほどの間に看取った猫や犬のお骨が80体ほど溜まって、借家の納戸は、写真と骨袋があふれかえっていたのです。家を建てた残りのスペースにお墓を造りたい、というのが切願でした。
家が完成したところで、重機で深い穴を掘ってもらいました。雨や雪が降らないうちにお骨を入れて、土を被せる作業も重労働でした。26歳、エネルギー満ちあふれた、ちゃちゃ子の里親の『あんなちゃん』の、初ボランティアの仕事になりました。スコップを握りしめ、ワッサワッサと頑張ってお墓は完成。

 

納骨の準備~1匹1匹のお骨が入った紙袋から、大きな容器に移す。

 

容器を持って庭へ。深く掘られた穴の中に、お骨をそっと落としていく。  

 

土を掛けていくのも、力仕事だから、若いボランティアさんの活躍で大助かり。初春の日の光に包まれて、旅立った子達が虹の橋を渡れたような気がしました。

 

後日、森さんが植樹してくれて、樹木葬となりました。「何の木にする?」と聞かれて、私がリクエストしたのが『南天』~とても生命力の強い木だし、子供の頃から「赤い鳥赤い。なぜなぜ赤い。赤い実を食べた~♪」と歌ってしまう、赤色の丸い実に心が和むから。木の成長に、「難を転ずる」の願掛けをしたのです。

 

 

まだ幼い南天の木の下には、80匹余りのお骨が眠っています。みんなの願いを養分にして、大きく育って、難を幸に転じてくれますように!

 

 

 

パックン

 

おんぷ

 

まあや

『パックン』『おんぷ』『まあや』~みんな可愛くて人懐こくて…白血病キャリアでさえなければ、里親探し会でも人気だったことでしょう。今年は2歳になります。友達と楽しい時を重ねながら、年月を踏み越えて行けますように…。

 

はてさて、2023年は難問が好転の兆しを見せるか~今年もどうかよろしく、ご支援願います。

 

2023年2月7日