老人と子猫のフーガ

●スマホ版は3回に分けて投稿しています。

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『老人と子猫のフーガ〜その①』

『老人と子猫のフーガ〜その②』

『老人と子猫のフーガ〜その③』

 


アニマルクラブの不妊予防センターに連れて来られる野良猫のほとんどが妊娠末期で、「猫の身になって、もっと早く手術してくれよ~」と怒りの声を挙げたのは、4月半ばのことでした。

それから後は…生まれ出てしまった子猫ラッシュに一日中揉みくちゃにされて、残していく命をエンディングノートに書かずに、自分だけ病院や施設に入ってしまったお年寄りの肩代わりで…時間と体力を消耗していました。
これは深刻な社会問題です。一人でも多くの人が早く気づいて、国や自治体に対策を立てるべきだと働きかけてくれるように、現状を報告します。


【 診察室ベィビーズ 】

4月の第3木曜日、不妊予防センター常連のおばちゃんが、同じ借家に住む独り暮らしのおばあさんが餌付けしている野良猫の『みぃちゃん』を連れて来ました。またしても…かなりお腹の大きな妊婦さんでした。おばあさんは身よりも収入もなく、取り壊しが進んでいる借家に住んでいるのに、その猫を飼うつもりでいたようです。
可愛がってはいたのでしょう…みぃちゃんが人懐っこい子だったので、なおさらいたたまれない面持ちで、手術室に送り出したのですが…間もなく手術室から内線電話で呼び出されました。
獣医師に「お産の兆候が出てる。今日か明日生まれるよ」と言われると、私の背筋はピンと伸びて「手術やめましょう。育てます」と、片手を挙げて遮りました。ちょっと身震いがして、そしてホッとしたから、「エイズ・白血病検査のみお願いします」と言い残して、手術室を出ました。「みぃちゃん、偉い!子猫を守ったね~」と感無量でしたが、お産婦さんをどこに置けば良いのか?考えあぐねていました。
でも、看護士さんから、「FF検査は陰性でした」と電話が来たので、「おっ、子猫も安心!どうにかなるさ、何とかするよ」と、とりあえず診察室にケージを組み立てました。他の猫が居ないのはここだけ~落ち着いて出産してもらうためです。来週の開院日までには、またどこか置き場所を準備しなくてはなりません。

いつも自転車操業です。だから、年中疲れています。特に開院日の木曜日は、早朝から深夜まで出ずっぱりで…帰宅して深夜にご飯を食べると寝てしまい、2時頃目覚めて歯を磨いて、4時頃起きてお風呂に入って金曜日が始まるのが定番です。
金曜5時、診察室に行ってみました。先生の言ったとおりでした。みいちゃんは2匹のキジトラの赤ちゃんを抱いていました。そして…その後も、静かにお産は進んでいきました。人間はあんなに大騒ぎして助産婦さんや看護士さんに助けられて産むのに…猫は凄い。立派です。危険がいっぱいの原っぱとか、縁の下とかではなく、安心で、きれいな場所で産ませてやることができて良かったと思いました。
4月22日午前10時頃には…みぃちゃんは、三毛や白猫、グレーの縞柄と…バラエティ豊かに5匹フルラインナップして、おっぱいを飲ませていました。ヤンママなのに、堂に入った貫禄でした。

 

診察室に置いたケージの中で、独り静かに出産していくみぃちゃん。

 

 

みいちゃん一家を受け入れるために、私は自宅の服や私物を置いている小部屋に捨離術を施し、残った服は押入に入れました。自宅の猫も30匹を超え、私の領域はもう、ベッドと机と普段着を入れた透明ケース位しかなくなってきました。『幸福の王子』みたいに、そのうち何も剥ぐ物がなくなって、私自身が使い物にならなくなるかもしれません。痛みが治まらないので、整形外科でレントゲン写真を撮ってもらったら、腰と股関節に変形が出ていました。「重い物を持たないように」と言われても、今は家族もいない一人暮らしですから、そうもいきません。だんだんにもっとできなくなるでしょう。使える時間はいつまでもは続かないから、活動報告が私のエンディングノートです。

空けたスペースに、3段ケージを購入して、最初は2段にして使いました。1日中おっぱいにすがられるみぃちゃんが、ひとりになって一息つける場所も確保してやるためです。おばあさんがみぃちゃんに、沢山食べさせて栄養をつけてくれたのでしょう…赤ちゃん達は体格も良くきれいで健康的でした。
一旦手を離れると、おばあさんは「みぃちゃんにも里親を探して欲しいという気持ちになった」と聞きました。寂しさ故の執着が生活を追い詰め、猫も老人も不幸な結末になることを、周囲や社会はもっと踏み込んで理解して、手を貸すべきです。

そして…栄養失調の未熟児や、目ヤニや鼻水や下痢で汚れた子猫にも沢山出会ってきました。寝食を削って世話をしても、助けられない命もありました。不幸になる命は生ませないことに尽きます。
しかし、健康状態の良い、人馴れした母猫なら、闇に葬るはずだった赤ん坊を今回だけは生ませて、里親を探すシステムを構築して、ペットショップからは買わない風潮を広めることが、理性的で平和な方策だと思います。

みぃちゃんの食欲は凄まじく…よく「お産婦さんは2倍食べないとね」なんて言われましたが、まさに子猫の数だけ食べて、さらに《くれくれコール》を連発していました。
この親子のためにと寄付してくれたボランティアさんがいたので、子猫の離乳食は質の良い高額なフードを与えました。下痢することもなく順調に育ちました。値段の違いには理由があり、多頭を管理する場所こそ、フードを選んで与えて病気の発症を防ぎ、介護や掃除の手間を軽減しなければならないことは、世間の人に理解してもらいたい点です。

 

 

子供たちを育てるために、ひたすら食べるみぃちゃん。

 

 

子供たちも横並びになって、一生懸命おっぱいを飲んでいました。

 

 

生後10日、目が開きました!元気印の珊瑚。

 

おっとり白猫、淡雪。

 

 

てっきり男の子だと思ってしまった灰縞エム。

 

 

生まれついてのアイドル系、久磨子。

 

 

目立たないけれど、賢いに違いないって感じた楓。

 

 

みぃちゃんは飽きもせず、朝から晩までおっぱいを飲ませて、自分が子猫みたいに痩せてしまいました。

 

 

ママの努力の甲斐あって、1カ月後には、美人娘がフルラインアップ!

 

みぃちゃんの子猫は全員女の子で、しかも揃って器量良しでしたので…里親希望が集中しました。県南から県北まで…希望者宅を一軒一軒訪問するのも、時間の要る行程でしたが、そうしなければ飼育環境が分かりません。「一通り回り終えてから、どこでトライアルスタートになるかの連絡をします」と伝えて2週間後に「お宅でお願いしようと思います」と連絡すると、「希望が多いと聞き、うちは無理だと思い、昨日他の団体から貰ってしまった」と言われて落胆したこともありました。
また、希望の子猫は他のお宅でトライアルになってしまったけれど、環境も人柄も良さそうなお宅には、他の子猫に目を向けてもらうように勧めたのですが、「あの子が欲しかったんです~」と断られました。

私は中学生の時に、「野良猫は日本に居る《町の難民》だ」と感じて活動を始めました。救うために迎えてくれる人達への配慮もあって、病気の検査や予防、不妊手術を施すNPOの動物病院を開設しました。
難民ボートで漂流してきた子供たちをきれいに洗って、ワクチンを打ち、簡単な言葉も教えて、育ての親を求めた時に、迎える方にも希望があるのは理解できます。「ブロンドで青い目の子が良いな~」と夢見ていたとしても…大前提に「助けたい」という願いがあるのであれば、髪の色や目の色が違っていても、可能性の種は同じだけ持っている他の命にも目を向けて、手を差し伸べる行動は取れないものだろうか?といつも感じます。

 


【 後始末できない人達 】

《診察室》の次は、トラップ(捕獲器)の中で生まれました。避妊手術の予約を取っていた人が、前夜に捕獲器を仕掛けて入った野良猫が、翌朝その中で産気づいたのです。おばちゃんが驚いて、ご主人を急かして捕獲器を運んで来ると、2匹生まれ出ていました。もう、こうなったら…誰も何もできません。さらに2匹産み終えたサビ柄の母猫と4匹の赤ちゃんを、洗濯ネットを使って捕獲器から出し、ケージに移して、「里親探しをするまで育てて下さい。お母さんの避妊手術はそれからです」と話しました。《トラッパーズ》もすくすく成長して、只今里親募集中です。

 

捕獲されたショックで陣痛が始まったのでしょうか…トラップの中で出産したサビの母猫は、赤ちゃんを守ろうと、威嚇しまくりでした。

 

洗濯ネットを使って捕獲器から取り出して、ケージに移したら、サビちゃんがほっとした表情になりました。この日から、お家の中で生活して、只今里親募集中です。

 

でも、親子が入った捕獲器を携えて真剣に相談に来たご夫婦のように、我が事として向き合う人は少ないのが現実です。
最近は60代70代からの相談がめっきり多くなりました。
春に、「餌付けして、家までは入るが逃げてしまう」という野良猫の避妊手術の相談をよこして、翌週に予約を入れたのに、前夜に「子猫を産んでしまったの~」と電話をよこしたおばちゃんに、「2カ月経ったら手術しないと、またすぐ生まれるからね」と釘を刺しておいたのに、3カ月後に「昨日生まれてしまった」と電話をよこしました。他の動物愛護団体にも相談していて、そちらからは「授乳中は妊娠しないから、そっとしておいてと言われたから」と言い訳していました。その時々耳触りの良い方に傾き、失敗しても他者のせいにして済ませるから、いつまでも問題解決できないのです。
春に生まれた子猫だけでも、まずは里親探しをしなくては…と、ワクチンに連れて来てもらったら、耳ダニだらけでした。触れない母猫から移ったに違いありません。赤ちゃんにも移ると思い、小一時間運転して家を訪ねて、洗濯ネットで捕獲しました。
初老の夫婦は、母猫が離れた隙に、部屋の片隅の戸棚下に置いた箱に入っている赤ちゃんを覗いて「やっと見れたねぇ~」とはしゃいでいます。おじいさんは私に大声で呼ばれて、ようやくこちらに来てくれました。洗濯ネットに入った母猫を、上が開くキャリーに入れて、バスタオルを掛けて、おじいさんに頭と背を抑えてもらい、首の後ろにファスナーを合わせて開けて、薬を点けました。

何から何まで手助けしないと事が進まないケースばかりなので、無給のボランティア活動が対処しきれる問題ではありません。私は行政に動いてもらうために、実情に応じた実動を積み重ねてきました。少女の頃から50年近く続けてきたから、どんなフォーラムでも、国会でだって、証言できる日本の動物たちの現実を知っています。原爆被害者が生きているうちに体験を伝えて、過ちをただして欲しいと切望するように、私も日本の動物たちへの行き届かない動物愛護や、実のないスローガン、見ないふりネグレクトが《ノーモア》であることを提示したいです。

高齢者は想定外のことが起きると逃げの一手で、「もう70も過ぎて静かに老後を暮らしたかったのに、猫に関わったばっかりに、金はかかるし疲れるし…」と、猫の話が私事で終始するのが、特徴です。解決の糸口をこちらに向けて、「助けてください」の一点張りに転ずる人も少なくありません。

 

 

「野良猫が増えるのは市政の不備」だと行政批判していた人が、前日捕獲した猫を一晩預かるのも嫌で、押し付けてきました。

 

 

こんなに大きなお腹になって手術を受けたのに…「もう餌はやらない」なんて言い、費用も未払い。批判するだけの人では命を救えないし、改革もできません。

 

手術の際の血液検査で、伝染性白血病のキャリアであることが判ると、迎えに来ない人もいます。野に放すのは忍びなく、かと言って自宅に引き取る覚悟はなく、できない理由を並べたて、結局は逃避して無関係になるのです。そうやって置き去りにされた猫達で一部屋できました。
最近この部屋に入れた人懐っこい若い猫を連れて来たのは、まだ50歳前後の人でしたが…個人で保護猫活動をしている方でした。多頭飼っているからか…毎回手術が終わったかどうかの時間に、『血液検査の結果はどうでしたか?』とメールをよこす几帳面な人でした。
そして、今回はとうとう白血病キャリアと判明。手術後に渡す予定だった里親希望者にも断られたと、お迎えに来ません。「アニマルクラブで里親を探せませんか?」とか、「発症の確率はどれ位ですか?」とか「私は引き取りたいが、家族が反対する」とか…1週間経っても腹を括る様子もないので猫が可哀想になり、こちらで面倒を見ると伝えました。
そしたら、やっと手術代の支払いに来てくれたのですが…いつも通り助成金の分を差し引いて払って行き、揚げ句は「猫に面会に来ても良いですか?」と聞いて行ったとか…。私は「あなたが猫を連れて帰ったのなら、もちろん助成金も出すし、今後の治療も応援するが、こちらでこれから一生面倒を見る猫に助成金を出すのは筋違い。あなたが自分の猫だと思って面会に来るのなら、今後の医療費等も負担するつもりなのでしょうか?」とメールを送りました。
すると、助成金分の差額を置きに来て、猫の事は一言も聞かずに逃げるように帰って行きました。道理に合わない《保護活動》は誰がためにやっているのか…《保護猫ブーム》の土台自体が、吹けば飛ぶような脆さであることに気づく場面もしばしばあります。

そして、80代からの相談となると、100%「飼えなくなったので引き取って欲しい」という哀願です。本人はもう伝達不能で、親戚とか近隣とかヘルパーさんから連絡が来ることが多いです。
5月初旬、ペットと暮らせるアパートの一室に、捕獲器を持って入りました。居住していたおばあさんは先月末、救急搬送されて入院中。部屋の前に届いた宅配サービスがそのままになっていることを不審に思った隣人の通報で、動けなくなっていたところを発見されたようです。アニマルクラブに相談をよこした甥っこさんも、何年も会っていなかったそうです。おばあさんは体調は回復してきたものの、認知症が酷くて単身生活は無理と診断され、退院後は施設に入所することになったそうです。
部屋の中は例外に漏れずプチゴミ屋敷で、入って見渡すと…数年かけてありとあらゆる事が不確かになっていった変遷に触れるようでした。捕獲器を仕掛けて、夕方、夜と見に行きましたが、入っていませんでした。中に仕掛けるエサを鶏の唐揚げに変えて、翌朝また行きました。

 

飼い主不在のアパート~猫が居る形跡はあるが、姿は見えない部屋に捕獲器を仕掛けました。

 

認知症のお年寄りの部屋は、どこもゴミ屋敷化しています。頭の整理整頓ができなくなると、人との付き合いからも遠ざかる傾向があるから、忘れられた存在になりやすい。

 

猫缶やちゅーるでは入らなかったので、ファミチキを入れてみたら、翌朝、捕獲器の中に黒猫が入っていました。

 

真っ黒い猫が入っていました。その姿を見た時、私の頭の中で記憶の回線が繫がって…もう一度玄関外に出て表札の名前を確認~私はこの猫が、アニマルクラブの不妊予防センターに来たことがある猫だと気づきました。そういえば…甥っこさんが「叔母は長らく横浜に住んでいたが、老後を過ごすために石巻に帰ってきた」と言ってました。横浜帰りのシャキシャキと明るいおばあさんが、「一人で寂しくないように猫をもらったの」と、ワクチンや避妊手術を受けに来た日の記憶が蘇りました。8、9年前のことでした。
あの時の子猫とおばあさんの変貌にショックを受け、ふと石巻市内のあちらこちらで同じような事態が頻発しているのではないか…と想いました。私はその場から、石巻市長にショートメールを送りました。
『市内のアパートに住む独居老人が入院して、猫が残されている相談を受けて昨日から保護に来てました。警戒して、ゴミ屋敷と化した部屋のどこに居るかわからないので、捕獲器仕掛けて、先ほど確保。石巻のあちこちでこんな事態が起きています。市役所に動物問題対策室を作るべきです』。ご在宅の時間帯だったのでしょう。すぐに電話をくださいました。相槌を打ち、私の体を気遣ってくださいましたが…1月に見学に来た市役所と保健所の使節団からもその後何の連絡もなく…またしても「検討します」「お願いします」を枕詞に、忘却の彼方に流されていきそうでした。

猫を連れ帰り、不妊予防センターでカルテを確認すると、やはり記憶に間違いはありませんでした。黒猫の『ぴー子』は、飼い主以外の人を殆ど知らないので臆病で、8歳だし…里親はなかなか見つかりそうもありません。甥っこさんは寄付金を振り込んでくれましたが、それでこの件は終わりにしたいようでした。この猫をここで一生面倒を見ることになった場合、どれだけのお金と人手が要るか…どこからも一切助成金も出ていないボランティア活動が次々同じ事はできません。こちらが多頭飼育崩壊現場になってしまいます。

 

この黒猫『ぴー子』には、なんと8、9年前に2回会っていました。縁が繋がったのは、おばあさんの祈りかもしれません。

 

現にそうなりかけている動物愛護団体が県内にもあり、時々SOSが来ます。代表者は、可哀想な動物の話を聞くと、居ても立ってもいられなくて連れて来てしまう…優しいおばちゃん。最近も、「立ち退きを迫られている家から多頭引き取って来た猫達に、ノミと下痢が蔓延している」と相談が来たので、薬品類を送りました。そしたら、ワクチンの費用の捻出も困難だというので、不妊予防センターに来てくれている獣医さんが、ボランティアで打ちに行ってくれることになりました。
行政が何らかの施策を実行しないと、崩壊する《保護団体》が出て、保護されていた猫達は、再び流浪の谷間に堕ちてしまいます。
行政やマスコミは、高齢者のペットが生き延びていけるように…飼い主に向けて、『次の場所の確保しておく必要性』を、『振り込め詐欺にご注意』のように、繰り返し訓戒するべきだと思います。そして、社会がそこからこぼれ落ちる命を救う受け皿を準備しなければ、人知れず無残な末路をたどる動物達の命は、なかったこととして済まされて、何の教訓も世に出ないのです。

 


【 寄る辺なき人々 】

ぴー子がアニマルクラブに来て間もなく、留守番電話に「野良猫のことで保健所に相談したら、餌をやらないでくださいと言われ、市役所に相談したらアニマルクラブに電話するように言われたので、かけました…」と入っていました。1月に来た市役所職員には「そういう丸投げ応対は無責任」だと釘を刺したのに、まだ続いていました。
電話機の表示には『ヒツウチ』の文字~高齢者の自己防衛のつもりでしょうが、折り返しかけられません。幸いご住所をおっしゃっていたので、数日後、お宅の場所を突き止めて、ボランティアさんが訪ねると、おばあさんは「子猫が生まれてしまったので、自分の手で処分した」と語ったそうです。気の毒になって、「1カ月経ったら避妊手術できるので、迎えに来るからねー」と伝えてきたそうですが、1カ月経たないうちに、「母猫が死んでしまった」と連絡が来たそうです。
6月には、20年位前から知っている動物好きのおばちゃんから電話が来て、「難病で入院するので、最後に残った猫1匹だけ…何とか助けて欲しい」と哀願されました。娘さんが二人いましたが、「どちらもアパート住まいで無理」なのだと泣いていました。この時託された猫は、2段ケージの中、ドーム型のベッドから、ごはんとトイレの時以外は未だに出て来ません。
こうして、社会性のない中高年の猫がどんどん溜まっていきます。そろそろ腎不全になったり、膵炎や甲状腺などの病気も始まるかもしれません。その費用や手間暇を保障する制度は、全くありません。関わったら、一生責任もお金も全部負担しなければならないから、おしなべて「可哀想だけれど無理」と言う人ばかりです。飼い主がいない、いても能力がない動物達の医療に、助成制度を導入することの方が、『殺処分0』を掲げるより、よほど現実的な動物愛護政策だと思います。

 

いつも生まれそうなお腹になってから連絡をよこし、送迎までさせるのに、嘘ばかりついてお金を払わない…札付きのじいさん。猫の名前も判で押したように『ミケ』だから、『しおん』という名前に変えました。

 

 

じいさんと同じ復興住宅のおばあさんも、手術によこした猫を、「帰されても面倒見れない」と言って、引き取らない。まだ人馴れしていないから、ベッドから出て来ないので『かまくら姫』と名づけました。

 

 

飲食店街でも野良猫が増えています。オスは臭いオシッコ掛けをするので、預かるのも大変。『ガンモ』と『スジ』を、おでん横丁に放しに行った日。 

 

そして、6月は、またまた行政の対応に驚く事件も起きました。
石巻の大型ショッピングモールの駐車場に子猫が迷い込み大騒ぎになって、警備員総出で何とか捕獲して、保健所に相談したそうです。出向いた保健所職員は「法律が変わったから引き取れない」と言い、ショッピングモールの社員が「じゃあ、どうすれば良いんですか?」と聞いたら、「放して下さい」と言われたとか。「足に血が付いているからケガしてるんじゃないんですか?」と言い返したら、猫の体を見ようした保健所職員が手を噛まれて、「これだけ元気あるんだから、放して大丈夫ですよ」と帰ってしまったそうです。途方に暮れたショッピングモールの社員が、アニマルクラブに電話をよこしました。私は、子猫がこれ以上たらい回しにされるのが嫌だったので、連れて来てもらいました。

 

ショッピングモールの駐車場での大捕物で捕らえたのは…生後2カ月ほどの子猫。モールのペットショップのショーケースに入っていても違和感のない、可愛らしい子でした。

 

まだ生後2カ月ほどのシャム猫ミックスの可愛らしい子でした。血はどこから出たのかと体を見ると…交通事故に遭っていました。肛門から腸の一部が飛び出していたのです。呼吸も苦しそうで、体温は34℃台。命が危ない!すぐに病院に運びました。カルテに名前が必要だったので、『ハナクロ』と書きました。ハナクロは総院長先生の処置を受けて、ICUに入りましたが…翌朝、息絶えたと連絡がきました。

 

どこから血が出たのだろう?と体を探って、ドキリ。肛門から紅い玉が出ていました…

 

 

交通事故です。体温も下がり、呼吸もおかしい。命が危ないのに、放せと言った保健所は、連れて行ったとしても、何もしてはくれないのでしょう。

 

翌日、花に飾られて帰って来たハナクロ。口の中は砂ばかりだったとか…。昨日のこの時間に会えていれば、美味しいもの食べさせてあげれたのに…

 

 

「保健所に電話したら、法律が変わったから引き取れない、と言われた」という話を、私は何回も聞きました。法律って、今より良くなるために変えるのではないのでしょうか?法律を変えて、今までやってきたことをやらなくなったのなら、代わりに、今までより良い手立てを講ずるのが常道だと、誰もが思ってしまいます。『今までしていたことを止めて、何もしなくなる目的は何なのか?』教えて欲しいと、純粋に思います。
ハナクロの命が繫がったなら、どんな障害を持とうと一生面倒を見るつもりでした。それが叶わなくなった今、せめてハナクロのような…寄る辺なき命のために使える基金を設立したいと想うようになりました。同調してくださる方は、『ハナクロ基金』と書いてご協力ください。

 

しおんちゃん、里親決定!先住猫さんともうまくやっています。この先は、お家の中で、家族に囲まれて…末永く幸せに暮らして良いんだよ。

 


【 地に足がついてない人達 】

7月最後の開院日には、20キロ近い大きな犬が連れて来られ、「飼い主がガンの手術で入院して、借家も引き払うので、行き場がない」なんて、とんでもない難題を突き付けられました。
2年ほど前までは、たまに薬だけもらいに来ていた犬でした。飼い主は初老の一人暮らしの男性で、震災後にペットショップから買った柴犬でしたが、飼い主が人間の食べ物を与えてぶくぶくに太らせ、慢性の皮膚病持ちにしてしまいました。
お金もないので、検査や療法食にも耳を貸さず、痒み止めのステロイドだけを貰いに来る人でした。犬は温和しく利口でしたので、可哀想で、何度か里親探しを提案しましたが、理由にならない屁理屈を並べて拒み続けていました。
そして、音沙汰なくなって2年後…年老いてヨレヨレ感が増し、皮膚が黒ずんで、膿のような目ヤニを溜めたあの犬を、ご近所の人が連れて来ました。本人は昨日、入院して、もう飼えないと言っているそうです。

さあ、困りました。置き場所がありません。アニマルクラブから里子に行った犬が老衰で亡くなったお宅の庭に、周りに柵をめぐらせた物置位大きい小屋が空いていたから、頼み込んで預かってもらうことにしました。「もう年だから飼わない」と言いつつも…根っから犬好きのおじさんだったので、犬の預かりボランティアをすることを楽しみにしている風でした。
不妊予防センターが終わってから、夜にそのお宅に連れて行きました。おじさんは、犬の見た目の悪さに落胆していました。さらに翌日には、「散歩に連れ出しても歩かない」、「車に乗せて山に連れて行ったのに、喜びもしない」と文句を言い出しました。いきなり違う環境に連れて来られて、面食らっている老犬の不安な気持ちに寄り添うこともせず、自分の思うような反応がないことに腹を立てているのです。
さらに翌日には、「あんなの犬じゃない、ブタみたいなもんだ」と罵倒し出したので、私は薬浴をお願いしていたトリマーのまりえちゃんに、「早めに預かってもらうことは可能ですか?」と問い合わせました。彼女は20年程前、高校生時代3年間ボランティアに来てくれて、この道に進み、自分の店を持ってからは、またボランティアでシャンプーやカットを引き受けてくれています。了解の返事がきたので、とりあえず3日間程預かってもらい、その間に今週の開院日を終えたら、今後は、エアコンが点いている診察室にケージに入れて置いて、日に何度か散歩させて面倒を見ることにしました。開院日の木曜日だけは診察室を使うので、ボランティアさんのお宅に置いてもらう手筈もつけました。毎度お馴染みの自転車操業です。それでも、疎まれている場所で、大きな体を縮めて暮らさせるよりはましだと判断したのです。
私はおじさんに「今までの飼い方が悪くてこんな風になったんだもの、可哀想だと思ってください」と語りかけましたが…「悪いのは飼い主なのに、何で俺が責任取らなきゃないんだ」と反論されてしまいました。「難民が出るのはその国の政治が悪いからなのに、どうして外国が難民を受け入れなくっちゃないんだ~」と排斥する人達と同じだと思いました。そういう人は、ボランティアはできません。

人を頼ってしまうのは、自分に力がないからです。子供の頃から「私がもっと頭が良かったら、できたのになぁ~」という思いを重ねてきましたが、大人になると、「お金があればなぁ~」と痛感する場面にも多々行き会いました。
仕事しながら、100歳近いお母さんの介護をしている70代のおじさんの飼っている老猫達が腎不全になり、皮下点滴をしてあげるために日和山に通うようになり、空き家が多いことに気づきました。日和山は、震災の時に多くの市民が駆け上った高台として有名で、いつもテレビで放映される場所ですが、昔からのせせこましい道路しかないので、住民はお年寄りが多く、空き家も目立ってきました。
震災後、お金のある人達は高台のニュータウンに移り住みましたが、日和山は、虫食い状態です。昔から、地盤がしっかりした高台として有名ですから、「空き家が格安で手に入る、意外な穴場かもしれない」という気持が湧き上がってきました。
いつまた大地震が来て津波が起きるかわからないと言われていますし、近年大雨による浸水被害が頻発しているので、不安でした。2019年10月の《台風19号》の時には、アニマルクラブの前の道路は夜が更けるに従って、水位が私の腿まで上がりました。私は徹夜で、待合室で預かっていた手術後の野良猫や、一階の猫達を全て二階に運びました。しかし、足腰も悪くなって、これからはそれができなくなるかもしれないのです。何らかの手を打たなくてはならないと、考え続けてきました。

私が通っていたお宅のおじさんは建築の仕事をしていて、借家も持っていたので詳しいと思い、売りに出ている中古住宅の値段やリフォーム料金のことを尋ねてみました。なぜ高台への引っ越しを考えているかを話すと、思いがけないプレゼンテーションが出ました。
おじさんが近くの売り家を購入し、リフォームして、それを賃貸住宅として私に貸して、10年経ったら、それまでの家賃分を差し引きした原価で私が買い取るという、棚からぼた餅みたいな話でした。「貯金通帳を持っていない犬猫相手にしているんだから、お金に余裕はないんでしょう。無理しない方が良いよ」という優しい言葉に、世の中捨てたもんじゃないなと思いました。
ところが、私の夢見心地は《三日天下》でした。不動産会社とやりとりを始めたおじさんは、話が現実味を帯びてくると…途端に夢から覚めて、「そこまでやる必要はない」とか、「自分もいつまで元気かわからない」なんて言い出して…話はご破算になったのです。私は、貧乏人がつい見てしまう夢の脆さを、身をもって知った気がしました。話が進んでからだったら、もっと惨めになっていました。騙すつもりとか、馬鹿にしていた訳ではないことは知っています。これまでも、苦労している私を助けてやりたい衝動に駆られて、カッコいいことをつい言ってしまう人達に出会ってきました。「人間はそう立派なもんじゃないよ」と、死んだ父も夫も言っていました。

私は認知症の母を説き伏せて、アニマルクラブのすぐ近くにある実家の庭の古いプレハブと小さな庭園を取り払って、小さな二階建ての建物を建てることにしました。二階の二部屋に、アニマルクラブの一階にいる猫達を移動させるためです。庭園の半分は、亡くなった猫や犬のお骨を埋めるお墓にします。木を植えて、樹木葬にしましょう。父が遺した場所に、私の人生の集大成をささやかに実現するのです。長年細々と続けた水商売の中、国民年金しかもらえないからと…前夜のお通しの残りを翌日のご飯にして、コツコツと貯めた老後の貯えを使って実現します。

降って湧くのは蜃気楼でも、撒いた種は知らぬ間に成長して、立派な花を咲かせていました。
まりえちゃんが、薬浴のために預けた犬を「獣医さんから、幾つもの皮膚病が重なってこじれているから、まめなシャンプーが必要だと言われました。この子は、私が面倒を見ます」と連絡をくれたのです。添付されていた写真は、見違えるように生き生きと楽しそうな犬の姿でした。もう古い名前は捨てて、『らら』と呼ぶことにしました。

 

慢性の皮膚病をこじらせて、痒くて辛そうな大きな犬が来て、アニマルクラブは騒然。頼み込んで預けた先からも拒まれて…万事休す。

 

 

この子を救えるのは、トリマーさんの手。シャンプーしてもらうと、気持ち良さそうに、おとなし~くしていました。

 

スッキリしたんだね~爽快にスキップして、「遊ぼ、遊ぼ」と誘って来ました。おじさんの小屋に居た時の、浮かない顔とは別犬です。

 

年々、夏の暑さが深刻になってきました。自宅の一番暑い部屋のエアコンが壊れて、扇風機を4台回しましたが、温度計は32℃から下がらず、子猫と老猫は別の部屋に移し、私のスナックの常連客だったエアコン屋さんに、またしても…強引な《早く来てコール》を送りました。アニマルクラブにも不妊予防センターにも…動物が居る所には各室エアコンが必需品なので、トラブルが起きる度に、私はこの人を急かして呼び出します。のんびり屋の気の良いおじさんで、黙ってサービスしてくれたりもします。今回も忙しい中…3日後には新しいエアコンを設置してくれました。この夏、エアコンのない外や室内に居る動物達はどんなにか辛いだろう、命も危ういかもしれない…と改めて痛感した3日間でした。

8月に入り最初の土日に、今年は3年ぶりに石巻の川開き祭りが開催されましたが…私は年中無休なので、「犬も猫も花火大会の音が怖くて、ごはんを食べなくなるなぁ~」くらいしか頭に浮かびませんでした。
祭り前日、知らないおじいさんから、私のスマホに電話がかかってきました。たどたどしい口調で、「7月5日から入院しているが、復興住宅の部屋に猫を2匹置いてきた」と言うのです。「なぜ私の電話番号がわかるのですか?」と聞いたら、「震災前にアニマルクラブの病院で手術してもらったから」と応えました。「その時の猫が部屋の中にいる子なの?」と尋ねると、「その猫は震災で死んで、今居る子達は、震災後に飼った7歳と5歳」だと答えました。なんと、どちらも避妊手術は受けていないそうです。
「今は誰が面倒を見てくれているの?」と尋ねると、「隣の松本さんだと思う」という曖昧な返事。「松本さんが鍵を持っているのね?」と聞くと、「鍵は甥っ子が持っている」と言い出したので、甥っ子さんの電話番号を聞き出しました。
甥っ子さんに電話をすると…「この叔父には迷惑のかけられ通しで付き合いをしていなかったが、市役所から連絡が来て、叔父から鍵を受け取り、やむなく住んでいた復興住宅に行った。私は入らなかったが、隣人の松本さんが中に入って、猫が居るのを確認してくれた」との説明でした。この人も宛になりそうもないとわかり、「松本さんと話したいので、電話番号を知らせて欲しい」と頼みました。

震災後、市内あちこちに復興住宅が建設され、敷地の大きな団地には、ペットと住める棟があります。このおじいさんも松本さんも、ペット可住宅の8階に住んでいました。7月初めに救急搬送されたおじいさんは一人暮らしで、猫を2匹飼っていました。やっと宛になりそうな、松本さんと連絡が取れました。偶然にも、中学校まで同級生の幼なじみでした。
「おじいさんが入院した後、猫は、出入りしていた女の人が連れて行ったようだという噂が流れ、誰もそれを確認もしなかったねぇ。ところが、8月に入って、猫の鳴き声が聞こえて、玄関脇の台所の網戸から中を覗くと、1匹の姿が見えたんだ~。でも、その時はおじいさんが退院して来るから、預かっていた人が置いていったんだと思ってしまったの。ところが、2、3日経ってもおじいさんはいないし…もしかしたら猫達はずっと置きっ放しにされていたんじゃないかと気づいて、住宅公社に連絡したの。週末だから、週明けに行くと言われたから、人間だったらそんな対応しないでしょう、早く鍵開けてください、と言って、来てもらっのよ~。おじいさんの甥っ子という人が鍵を持ってきたのだけれど、汚くて臭いからって、中には入らないから、私が入って、2匹の姿を確認して、ウンコを拾い集めるとゴミ袋に1つあったよ。何を食べていたんだろうと見回すと、買い置きがあったんだね、ドライフードの袋が2つ食い破られて、1つは空だった。水は殆ど空っぽでした。エアコンはなくて、窓はみな閉まっていたよ。住宅公社の人は、おじいさんの入院後に一度入ったけれど、その時に猫は居なかったと言い訳していたけれど…猫だもの、隠れていたのさ」と話してくれました。

 

復興住宅の玄関脇の台所の小窓。飼い主が入院してから1カ月後に、隣人はこの窓から、中に猫が居ることを確認しました。

 

おじいさんは人工透析が必要なのに、病院に行かないで倒れたそうです。去年も1週間入院して、その時は松本さんが鍵を預かり、猫の世話を頼まれたそうです。今回は急な入院ではあったでしょうが…数日して落ち着いた時点で、なぜ看護士さんなどを通じて松本さんと連絡を取ろうとしなかったのか?そしてまた、携帯電話に私の電話番号が入っていたのであれば、なぜもっと早くにアニマルクラブに相談しようとしなかったのか…不思議です。
松本さんと電話で打ち合わせして、おじいさんの部屋に仕掛けてもらう捕獲器を届けました。玄関の表札にも『ちゃちゃ姫、さくら姫』という名前が書かれて、独り暮らしのかけがえのない家族であったように見えます。それなのに…猫達は丸一カ月も、人知れず室内に放置されていたのです。
「猫はどうするんだ?と聞いたら、保健所にやっていいと言った。自分が助かることしか考えてないんだよ」と甥っ子さんが言いました。おじいさんの本心かどうかはわかりませんが…おじいさんの願いは、おじいさんの力では叶えられず、願いをつなぐ努力さえしなかったのは…認知機能の衰えなのか?と推測しました。しかし、『おじいさん』と呼んでいたこの飼い主は、意外にもまだ70歳前後とのことでした。「昔から人に迷惑ばかりかけている、自分勝手な人なんですよ」と甥っ子さんが言うのを聞くと、そういう人は親戚や友人とも疎遠になり、言葉を話せない猫や犬を寄せ集めて家族ごっこをしていても…何か問題が生じると、投げ出す、逃げ出す場面に幾度も遭遇してきました。
ともあれ、祭りが終わったら捕獲開始です。二段ケージを置く場所を作るために、またまた自転車操業を開始しました。

 

 

8月9日、私が入った時、サクラはコタツの中に、ちゃちゃ子は押し入れの中に隠れていました。

 

その3日前に隣人が入った時は、糞便だらけだったそうです。買い置きの餌がなかったら…と思うとゾッとしながら、捕獲器を並べて仕掛けて来ました。

 

知らなかったけれど…今年の花火大会は、私の住む町内から丸見えの場所から上がりました。通りには、大勢の人が集まっていました。そんな中、暗くなってもアニマルクラブと自宅を往復して荷物運びをしている私を見て、自宅前に椅子を出して、花火見物していた向えのおじちゃんが「何やってんだ~花火でも見でろ~」と呆れ顔で言いました。
そう言えば、小中学生の頃も…家業の寿司屋が年に一番のかき入れ時の川開き祭りの夜は、ずっと手伝いで、家々の屋根の間から、遠い花火を垣間見ていました。10時頃解放されて、人気もなくなった街に出て…道に散らばった七夕飾りの切れ端や転がっているかき氷の紙カップや風に舞う綿菓子の袋を見届け、さっきまで満天の輝きで人々を魅了した暗い夜空を見上げて、それなりに納得して帰って来たものでした。アニマルクラブの活動を始めてからは…納得のいかないことばかりです。

おじいさんの部屋に捕獲器を2台並べて仕掛けてきた時、こたつの中と押し入れの中に、1匹ずつ隠れていた猫達を見ました。痩せてもおらず、元気そうでした。
翌朝、松本さんより「1匹入ってたよ~」と電話があり、朝ごはん作りで、すぐには行けなかったので、昼に行く約束をしました。できれば、もう1匹にも入って欲しかったし…。そして、約束の時間、エレベーターの前で待っていてくれた松本さんは、「もう1匹が隠れている場所はわかったんだけどね~」と言いました。
捕獲器に入っていたのは、若いサクラの方で、シャーシャー怒っていました。キジトラのちゃちゃ子は、様々な物が突っ込んである収納戸棚のカゴの中で固まっていました。温和しそうだったので、持参した洗濯ネットを被せて捕まえることができました。これで、2匹揃って連れて帰れます。松本さんと1匹ずつ車まで運ぶ道すがら、共通話題の認知症の母親の悪口に花が咲き、別れ際「サクラとちゃちゃのこと、よろしくお願いします」と言われました。笑顔で手を振って帰って来ましたが…あっちからもこっちからも「よろしくお願いします」と頼まれる肩の荷を、私はいつまで持ち堪えられるのでしょう。しかし、現実は回っていくから、アニマルクラブに到着して、花火の中を運んだケージに、サクラとちゃちゃ子を移して、翌日の不妊予防センターの準備に取りかかりました。

 

意外にも元気印の『サクラ』は気が強くて、シャーシャー威嚇しっぱなし~でも、可愛いです。

 

一方、ちゃちゃ子はおっとりさん。痩せ細っているのかと心配しましたが、立派な体格で、こちらも丸い目と体が可愛いらしい。

 

折しも、手術の予約を入れていた野良猫のうち、捕獲器に入らなかったり、前々日に出産したりして…3匹キャンセルが出ました。サクラとちゃちゃ子は血液検査の結果も異常なく、食欲も元気もあったので、この日に手術まで進みました。可愛い顔して、すぐに懐きそうな子達ですので、早速里親募集を始めたいと思います。私が心掛けることは、先々を憂え自制することではなく、《思い立ったらすぐやる課の実践班長》です。

 

血液検査も太鼓判。思いがけず…避妊手術までもう済んで、《第二の猫生》のスタートを切る準備はできました。迎えてくれるお宅からの連絡を待っています。

 

今年は町内の班長当番にもなったので、配布した『市議会だより』を何気なくめくってみたら…不妊予防センターに何度か野良猫の避妊手術に来てくれた、桜田市議が公園設備担当の委員長だとわかりました。早速、現在市内の公園に設置されている『野良猫が増えて困っています』という看板では、メッセージが不明瞭でインパクトがないから、「こんなふうに変えたら良いのではないでしょうか?」というデザイン案を、アニマルクラブお抱えイラストレーターの平川さんに作成してもらって、即日送りました。桜田さんも早速、環境課を訪ねて提案してくださり、11月の環境フェアに、アニマルクラブの展示ブースを設けるよう、セッティングもしてくれました。
こうやって一歩ずつ、地に足が着いている人達と、地道な歩みを進めていくしかありません。皆さんも、それぞれができる応援を早速実践してください。

 

石巻市にプレゼンした、公園等に設置する看板のデザイン案。果たして、石巻市役所も、すぐやる課対応してくれるでしょうか…。

 

 

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コロナ禍になって、「人の集まる場所に貼って下さい」とお願いに行く機会を失ってしまい、一昨年製作したポスターセットの在庫が沢山あります。学校でも、会社でも、町内会館でも…貼ってくださる所には、無料で差し上げようと思います。動物達の現状をより多くの人々に知らせることは、重要な活動です。学生でもできることなので、担い手になってくださる方は、遠慮なくご連絡ください。お送りします。

 

今回はここで終わりにしようと思っていたら、田んぼの中で作業中のトラクターに巻き込まれて大ケガした野良猫の相談が舞い込みました。送られてきたファックスには、『あごの骨、前足の片方がつぶれている。後ろ足は両方動きません。大人のオスの黒猫です。』という惨状が記され、電話をかけると、その状況で一夜過ごしたと聞いたので…とにかく動物病院に運んでもらいました。
その翌日、病院から「命は取り留めたと思うが、治療は時間を要し、手術も含め費用はかなり高額になる」との連絡がきました。後遺症も残るかもしれません。連れて行った人からは、「自分が出せる位の費用負担しかできない」と言われました。早速《ハナクロ基金》の出番です。私達もハナクロにしてやれなかった介護を、まだ見ぬこの黒猫にしてあげる覚悟ですので、皆さんからのご協力もよろしくお願いいたします。

 

2022年8月15日