『10年目の緊急事態宣言』

【 必死に舟を漕いでいました。】

たいへんご無沙汰いたしました。コロナ禍の動物達に沢山のご恩を受けながら、毎度お馴染みの礼儀知らずで、ご寄付のお礼もお伝えできぬまま…秋は駆け抜け、冬も行き過ぎようとしています。

「その間、何をしていたの?」と聞かれたら、私は起きている限りは手漕ぎの小船を漕ぎ続けるものの、やがて疲れて櫂を握りしめたままで居眠りしていました…悲しいかな「体と頭が、思いについて行けなくなりました」。今日やらなければならないことも1週間位かかり、早めにやるべきことも1カ月はかかり、近いうちにやった方が良いことにまでは手が届かないうちに、次の難題に翻弄されるのです。
震災後の忙しさがフラッシュバックしたように、お風呂で居眠りして湯船に沈んだり、歯磨き中に泡ぶくを何度も飲み込みました。そして目覚めて、やりかけのことに取りかかるのですが、やがてまたこくりこくりが始まって頭をぶつけたり、椅子から転げ落ちて、地震かと想うこともしばしばでした。

なぜそんなに疲れたのかと聞かれれば、介護と看取りが続いたからかもしれません。夏に活動報告を書いた後、アニマルクラブにいた『ジャズ』が「昨日から全然食べなくなった」と聞いて、私が暮らす別館に連れて来て、まもなく力尽きてしまいました。気づかないうちに、肝臓が大分悪くなっていました。

猫アレルギーがひどくなって仕事にも支障が出て死活問題だと言う人から、毎月養育費を送るからと、合計3匹の猫の保護を懇願されたのは13年位前のこと。仕送りは数か月で途絶えましたが、その時すでに高齢だった『ハル』と『ムー』は、20歳前後まで生きました。ジャズは享年16歳くらいだと思います。
壁にオシッコ掛けをするので、クローゼットを改造した個室に入れ、側面にペットシーツを張りめぐらせていました。姿が見えにくい分、体調の変化に気づくのが遅れたのかもしれません。
ジャズの死を機に、『先がない命が最優先』だと、介護に邁進する日々となりました。そこから今までで8匹看取り、今こうしているあいだにも、今度はチワワミックスの老犬『チッチ』の心臓が限界にきて、酸素テントの中で風前の灯し火です。

オシッコをかけるからと、個室に入れていたから、体の動きとか毛づやとか細かいところまで目が届かなかったかもしれません。何十年経っても、日々気づかされることばかりです。

 

お茶目で可愛かったジャズ。良い子だからつい放っておいたことを悔やんでも取り返しつきません。この後悔は次の子のために生かしていくしかないのです。

 

アル中の飼い主が道路で寝ると、近づく人を威嚇していたチッチ。その人も入院して、ゴミ屋敷に残されていました。 アニマルクラブに来て4年、持病の心臓病が悪化して、3月15日に皆に見守られて息を引き取りました。写真はその4日前の森さんとのメモリアル。

 


 

【 送り人稼業 】

8月にジャズを失って、9月1日、認知症になっていつも「腹減った~」と部屋をウロウロ徘徊していた『シマ』が、命の芯まで燃やし尽くして昇天しました。
前の夜から動けなくなり、深夜2時頃に呼吸も止まったように見えたのですが、『トラ』が添い寝をしていると、5時頃、体の奥からゴロゴロ音が聞こえて、シマが目を開けたのです。「シマ、シマ」と呼んで撫でると、私をじっと見ていました。1時間後には、目に薄膜が掛かっていたので、亡くなったことがわかりました。生き切ったといえる、穏やかな老衰~20歳を超えていました。

石巻市の観光名所となった漫画館建設が始まる前に前に、中瀬から連れて来た野良猫三兄妹でした。弟の『チャオ』が3年前に逝き、全然人馴れしなかった妹の『パニ』も一昨年、生涯最後の半年間だけ私に甘えるようになってから亡くなりました。そして、最後まで頑張った長兄のシマを看取って…私は自分に最も活気があって、未来を信じて、できる限り命を救い上げた時代の終わりを感じました。

 

2時に事切れたと思ったシマに、トラが添い寝していると、5時に目を開けました。しばらくそのまま名残り惜しんで、次はもう二度と起きませんでした。

 

手前がチャオで、後ろがパニ。シマが兄貴の三兄妹。天国でまた団子になっておやすみなさい。

 

さらに、前回の活動報告で紹介した『コロ』と『トラ』は、10月末に2日違いで息を引き取りました。
コロは10月初めから危うくなってきましたが、頑張って食べていました。前の週から歩けなくなり、その朝までシリンジでミルクを少し飲み、補液をするとどんどん入るので、怖いくらいでした。
ミルクがもう飲めなくて、ぬるま湯に換えて飲ませてみようとしたら、眠ったまま心臓が停まっていました。安らかな顔でこちらを見たままでした。
アニマルクラブに来て11年余…年齢はわからないけれど、老衰だと思います。穏やかな可愛い子で、誰とでも仲良くできる名人でした。

 

アニマルクラブ本館『コロ部屋』部屋長として11年余…誰からも好かれる優しい『お父さん』でした。

 

「コロちゃん、白湯にしようか?」と声を掛けたら、「もう大丈夫だよ」って、笑顔を残して昇天していました。

 

一方トラは、体中に腫瘍が広がっての壮絶死でした。何度も死にそうになりながら蘇りを果たしたトラでしたが、首にできた癌が日に日に大きくなり、かなりの老齢でもありました。
8年前には足先の癌で右前足を根元から断脚して、ここ2年ほどは頻繁にテンカン発作のようなケイレンを起こしたり、病気ばかりでしたが、死にゆく猫にいつも寄り添ってくれる『看取り役』でした。

首の腫瘍が日に日に大きくなって、臭い膿が出てくるので、9月まではバケツ風呂に入れて洗っていました。体重が1.5キロを割ったのに、腫瘍が鶏卵ほどになり、体力的にも生理食塩水で洗い流すしかできなくなり、腫瘍から出血するようになると、みるみる体力が衰えました。
やせっぽちでしたが、目力があり、それが生命力を物語り、亡くなる3日前まで食べていました。翌日も食べようとしましたが、もう食べることができなくなっていました。
力尽きて命枯れた最期~生き切ったなぁ~と感服です。

 

トラといえばこの目力。右前足を失い、激しいケイレンで何度死を覚悟したことでしょう。腫瘍に体を食われていく様は、生きることがきれいごとでは済まないことを伝えました。

 

命の雫枯れるまで生き抜いたトラの拾骨後、腫瘍があった喉の骨を分骨して、仏壇代わりの棚に置きました。みんなのお守りです。

 

さらに、11月末には、生まれてから、3度捨てられた時も、18年間ずっと一緒に生きてきた弟の『サク』に、昨年先立たれた『モモ』が、後追いの旅立ちをしました。
震災の翌朝、津波の犠牲になった『クララ』と同じプレハブに居た子達を2階に移す際、最後まで捕まえられなかったモモは、部屋に溜まった汚い水に落とすまいと、夢中でつかんだ私の手に思いっきり噛みつきました。瓦礫を片付ける時に、どんどん腫れてきて痛くて痛くて…不妊予防センターの薬棚から抗生剤を探して、凌ぎました。
モモの気の強さは亡くなるまで健在~最期までしっかりしていたから、亡骸は痩せぽちでも凜々しかったです。

 

いつもくっついていたモモとサク。気が強いようにしていても、サクを失ってから、モモは忘れ物を探すように鳴いていました。

 

「モモ、サクに伝えて。忙しくて、作品集がなかなか完成しなくてごめんねと。今年は必ず形にして、お世話になっている方々にお送りします」。

 

そして…我が愛娘『みつまめ』は、秋以降後ろ足が利かなくなって、斜めに反った体をよろめかせながら、それでも自力でトイレに行く気丈さで年を越しました。
ミルクを飲ませて育てた子猫が再び腕の中で、すっかり硬くなった体を預けて、ミルクを飲んで最期を迎えようとしていた時、そのミルクを欲しがって足元で鳴く子猫がいました。秋にアニマルクラブの近くで行き倒れていたのを発見、体をのけ反らせ冷えきって死ぬ寸前でしたが、奇跡的に生命回路が繋がった『たけし』です。

その光景は、18年前、ミルクしか飲めなくなった老猫『タマ』への授乳の度に、ちょっかいを出してきた子猫だったみつまめの姿に重なりました。歴史は繰り返され、命の営みは連続していくから、1月2日、みつまめが安らかに息を引き取った時も、不思議と悲しみはなく、すがすがしくさえ感じました。2月10日、NHKの『あの日わたしは』が放映された中で、みつまめにミルクを飲ませているシーンが出てきました。みつまめとの思い出を残しておけることが嬉しかったです。

 

みつまめといえば、何か文句ありそうな表情が定番でした。

 

取材に来たNHKの番組ディレクターの野村さんが撮ってくださった1枚。不思議なことに、死が近づくほどに、みつまめは幼ない時の顔になってきました。

 

その後も…猫風邪が蔓延していた多頭飼育の家から幼少時に4匹兄弟で連れ出したものの、2匹はまもなく亡くなり、角膜炎の後遺症と重度の鼻づまりで一生苦しみながらも、穏やかでがまん強かった『ルドルフ』が、1月末に腎不全で命尽きました。

ルドルフの後に同じ家から連れて来た『ねね』ちゃんは、ボランティアの岡さん宅に引き取られました。慢性の鼻風邪がひどくて不妊予防センターの常連でしたが…手厚い看護の末に、ルドルフより一足先に亡くなりました。それでも、あの家の物陰で命尽きていた幼子がいたことを想えば、よくぞ生き延びた16~17年間でした。

そして、時は人の心を洗い流し、気づかせてくれることがあります。あの子達が生まれた家も、あの後みんなに避妊・去勢手術を受けさせたので、年々数が減り、今では片手で足りる数になりました。ルドルフの母親は生き延びて18歳、腎不全の治療で不妊予防センターに通っています。飼い主の女性はかいがいしく介護して、アニマルクラブに寄付を送ってくれることもあります。

 

病むルドルフを一生懸命舐めてやる『おむすび』。誰かが辛そうだと、他の誰かが付き添うのは、自然と受け継がれていく絆です。

 

「鼻が詰まって苦しいね」ときめの細かい介護を受けるから、持てる命を精一杯生かせます。

 

そして、膵炎と闘っていた『にせお』は、何も食べなくなって1カ月以上、補液だけで生き延びていました。私の姿をずっと目で追い、甘えて甘えてすがりついて、最期は腕のなかにとっぷり入って、やっと動く体で私を見上げたり、頭を押し付けたり、前足の爪を立てたりして…私が共に居ることを確認しながら、撫でられながら逝きました。薬も効かなくなった、食べ物も受け付けなくなった命が最期に求めるのは…『ぬくもり』であることを、改めて教えられました。

出逢った時は野良猫で、やがて近所の一人暮らしのおばあさん宅に入り込み『しまたろう』と名付けられて平穏な生活を手に入れたのに、震災直後、おばあさんはご親戚が迎えに来て、県外の老人ホームに行ってしまって、また野良猫になったにせお。

再びアニマルクラブの勝手口に現れるようになりましたが、外暮らしが好きで、家の中に入れることができたのは4年ほど前です。山からタヌキが来て、外の猫小屋に入るようになったので、小屋を撤去、自由を謳歌していたにせおと親友の『うそじゃ』を家の中に閉じ込めたのですが、ストレスのせいか…半年後、うそじゃはFIPを発症して死んでしまいました。
取り返しのつかないものが命で、動物達の命は私達人間の手に委ねられていることを再認識しました。ありとあらゆる方角から見据えて、判断していかなければならない責任を痛感しました。うそじゃの分も手を掛けたにせおに、「お母さんは、うーくんに会いたいよ」と伝言しました。

 

私の手にすがりついて、「ここに居て」と意思表示していたにせお。

 

大好きなしのぶちゃんがお見舞いに来てくれたから、ご満悦のにせお。

 

私の《送り人稼業》がやっと小休止したのはにせおの火葬の日。その翌日に、大きな地震が起きました。そして、それは新たな、大きな社会問題との遭遇の日でした。

 


 

【 降ってわいた災難 】

2月13日の午後、知り合いの不動産会社から電話が来て、「前に子犬を虐待して大ケガさせた人がまた新しい犬を買って来たと聞いて見に行ったら、子犬は部屋の隅でガタガタ震えていたの。ごはんも食べていないというから、病院に診せると言って連れて来たんだけれど、ここに置いておくと連れ戻しに来られるかもしれないから、預かってもらえませんか?」と言われました。急なことでしたが、その男が会社に来て、騒がれたり脅かされたりしたら渡してしまう人もいるかもしれないと思い、用事を後回しにして迎えに行きました。
その会社が管理しているペットと暮らせるアパートに住む精神障害のある男性が、1月に飼っていた犬を虐待して大ケガさせたことを聞いていたからです。アニマルクラブにも捜しに来ないとも限らないし、その男性とは何のつながりもないお宅に避難させるのが安全だと判断して、昨年、愛犬を看取って今はペットはいない、犬の扱いはよく知っているボランティアさんに預かりました。

《保護までの概要》

精神障害とアルコール中毒のある50~60代男性。11月頃に市内の不動産会社に、市役所職員が付き添って、ペットと住めるアパートの申し込みに来たそうです。契約には、保証人が必要で、知人女性が保証人になりました。
早速、柴犬の子犬を購入しましたが、お酒が入ると攻撃的になるらしく、子犬を虐待していたそうです。
1月半ば、保証人が部屋に入り、こたつの中で動けなくなっていた子犬を発見。後ろ足がブラブラしていたので、動物病院に運ぶと3カ所骨折していたので、退院後はその人が引き取りましたが、飼い主にはケガが元で死んだと言ってあるそうです。

男性は2月初めにまた別の子犬を購入。そのことを知った不動産会社社員が保証人と共に部屋を訪ねると、前述の状況で「前の犬の二の舞になる」と判断して連れ出し、アニマルクラブに連絡がきました。

《犬の状況》

犬は極度に臆病で、音や振動にいちいちビビり、当初は歩くこともできなかったそうです。散歩をしたことがなかったからです。室内トイレを用意してもそこではしないで、漏らしてばかり…まめに外に連れ出して、やっと排便のしつけをしたそうです。しかし、玄関を開けて雨が降っていたり、風が吹き込んでくると、びっくりして茶の間に駆け戻り、そこでオシッコをしてしまうのだそうです
男性のアパートには1週間しか居なかったことを考慮すれば、この子にそこまで社会性がないのは、そこでの恐怖体験のせいだけではないと想いました。
「その柴犬って、長い間売れ残って、どんどん値下がりしていた子だと思うよ。店からいなくなったもの」と、ホームセンターに買い物に行く度に、気になって見ていたというボランティアさんが言っていました。
店のショーケースの中の生活しか知らないまま、もはや発情期を迎えます。人間なら、15歳位まで窓もない一室に閉じ込められて、季節の風物も人の温もりも受けずに育った状態です。身につけるべきだったことを取り返すためには、包容力と教育が必要です。精神障害のある人の手に負える犬ではなかったでしょう。
ボランティアさんのお宅で大切に扱われ、ひとつひとつ根気よく教えられて、子犬はその家族を拠り所にして、遅まきながら人との暮らしを学んでいるようでした。そして、もう犬は飼わないとも考えていたご家族にも、「この子を他に渡してまた怖がるのは忍びない」という気持ちが芽生えてきたようでした。

《予想外勢力の台頭》

2月25日、突然私の携帯電話に、「不動産会社から聞いた」と、アパートの保証人の女性から電話が来ました。私は虐待された最初の犬を引き取った方だと聞いていただけで、面識もありませんでした。「そちらに預けた子犬も私が引き取るので、返して欲しい。元々1週間だけ預ける予定だった」と言われて驚きました。

どこにも行き場のない犬だから、不動産会社がアニマルクラブを頼ってきたのだと認識していました。初めから引き取るつもりなら、なぜ自分が連れて行かなかったのか?1週間だけなら、ペットホテルに預けるべきだったと思います。
アニマルクラブは行き場のない動物には手を差し伸べ、助ける力がない人には協力しますが、人の便利のためのサービスを提供する余裕はありません。まるで、ちゃんと食事が摂れない子供達のために開くこども食堂に来て、「今日は私が外出するから、うちの子にもご飯をお願いします」と言うような…無神経な厚かましさを感じました。

その時点で、子犬がボランティアさん宅に行ってから12日が経過していました。例えこの方が本当に1週間だけ預かるつもりで、不動産会社がこちらにそれを伝えていなかったとしても、1週間と区切って預けたのなら、延期してもらいたい場合はその前に連絡をよこすはずです。子犬はもう男性のアパートで暮らした日数を超える時間を、今のお宅で生活していました。

それでも、その時は、その人を頭から否定する気持ちはありませんでした。時間をかけて、共通の目的である『犬が幸せに安定した生活を送るためには…』を検証していけば良いのだと考えていました
「お宅の場所は飼い主の男性も知っているんですよね?探しに来られるかもしれませんね」と聞くと、「前の犬は死んだと言ってあるから、来ることはないから」と言われ、「あの犬は、今どこに居るんですか?」と聞かれました。
預けたボランティアさんとは長い付き合いで、前の犬をどれほど大切にしていたか、アニマルクラブの子達の扱いもどれほど細やかかを熟知していましたので、敢えて彼女の家に行く必要もなかったし、住所は知りません。
もしも万が一、犬を虐待した男に刃物を突き付けられて脅かされるようなことがあっても、本当にわからないから答えらないので、知らない方が良いのです。「家の住所まではわからないんです」と言うと、彼女は「家もわからない相手に預けたの~」と怒り出しました。

私はボランティアさん宅に行ってからの状況を説明して、「今ようやく落ち着いてきたところなので、そっとしておいてください」と頼みました。すると、「会うこともできないの?」と言われたので、「いつか普通に車に乗って外出できるようになったら、避妊手術もしなくてはないので、その機会にでも会えるように考えます」と答え、「どうしているかと案ずる気持ちはわかるので、写真と近況をもらって送りますから」と約束をして、住所を尋ねると、すんなり教えてくれました。半分位は解ってくれたのかなぁ~と想いつつ、電話を切りました。

ところが、翌々日の27日から「初めから犬を取るつもりだったのだろう」とか「犯罪だから、警察に届ける」という伝言やショートメールが頻繁に来るようになりました。
メールの中には、「病気の人が動物買っていけない法律はない」という一文もあり、それには深く頷きました。買えたから、飼うことができたから、こんな問題が起きたのです。

私達が猫や犬を紹介した里親さんの中にも、心の病を持って学校や仕事に行けないお子さんがいるケースがありました。ご家族に飼育の責任能力があれば、お世話もしてきました。半年、1年を経て「おかげさまで娘が変わりました」というような、嬉しいお知らせも何度かいただきました。

しかし、密室で独りで暮らす人には、サポートする人間がいないのですから、危険です。
宍戸監督の『道草』というドキュメンタリー映画では、統合失調症などの疾患を持った人達の社会生活には、24時間ヘルパーが付いていました。ヘルパーが付いていても、突然コンビニのガラス戸を割った人もいました。
サポートもなしに、命を預けることになってしまう動物たちの身にもなってください。アパートの一室で何が起きても、誰も気づかない~人知れず、残酷な事態が繰り返されているかもしれないのです。

《行政の役割》

保証人の女性に犬の近況と写真が届いた3月2日、警察から電話が来ました。保証人から、不動産会社がアニマルクラブに渡したことを聞き、飼い主が「犬を盗られた」と訴えたようです。警察の相談係の方に事情を説明すると、「屋外で行われた動物虐待は、相手を特定するのが非常に困難であるけれど、個人の家の中で負傷した動物が発見された場合は、他人が入り込んでやったとは考えにくい」と教えられ、最初の子犬を虐待した事実を立証しようと思い、治療にあたった動物病院の獣医師に診断書を書いていただきました。

診断書には、下記のように書かれていました。

『2021/01/17初診
代理の方が連れて来院。代理の方が家を訪れたらコタツに押し込められていた。左後肢がおかしく立てない状況。元々「お風呂に入れて殺す」、「保健所に連れていく」などの発言もあったとのこと。

○検査所見
身体検査にて左後肢の挙上を認めた。
レントゲン検査にて左大腿骨頭の骨折を認めた。

○診断
外傷による大腿骨頭骨折
また、「相手に所有権はあるけれど、動物の命を護りたい気持ちは解るので、保健所に相談してみては…」とアドバイスを受けました。
動物愛護法はまた罰則が強化されましたが、《所有権》から動物の命や幸せに暮らす権利を守るためには、『虐待する人の所有権は、公序良俗に反する(国家・社会の公共の秩序と普遍的道徳に反する内容の法律行為は無効)』と判断してもらわなくてはないのだろうと思います。

《命を売る側の責任》

3月6日、不動産会社からの呼びかけで、会社から二人と、保障人の女性、アニマルクラブからも男性がいた方が良いと思い、岩手県に移住して熊の記録映画を撮っている宍戸監督を呼び出して、5人で話し合いの場を持ちました。
冒頭から、保証人は「私が犬を譲り受けることにしたから、早く連れて来て欲しい」と言いましたが、時系列でこれまでのことを検証させて欲しいと頼み、皆さんの了解のもと、宍戸さんが録音を担当しました。

その時、保証人から、最初の子犬が大ケガをする前にも、この男性が犬を怒ったり持て余したりするので、「それなら私が連れて行くからと、自分の家に連れて帰って来たことがあった」という話が語られました。しかし、まもなく自宅に警察官が来て「飼い主から通報があった。犬を返すように」と言われた。すぐには返さないでいたら、また警察官が来たので、やむなく返しに行った、というエピソードでした。
この保証人の女性と犬の飼い主の男性は、相対したり反目したりを繰り返し、最初の犬は死んだという虚偽の上で付き合っています。この女性の手に犬が渡れば、やがてまたその男性と「返せ、よこせ」の応酬が繰り返され、犬が再び男性の手に渡る可能性もあるような気もしました。

さらに、男性が2匹目の犬を買って来た時の話を聞きました。彼は酒を飲んで、タクシーでホームセンターに行き、衝動買いしたそうです。
また子犬を買って来た事を知り、「無理だから返した方が良い」と促すと了承したので、彼女が店に電話を掛けたそうです。すると、「犬は引き取ってもいいですが、お金は返せません」と言われ、「それなら犬も返さない」ということになり、女性は腹が立って「酒臭くなかったか?泥酔している人にも売るのか~と言ってやった」とも語っていました。

ペットを販売する店が全く客の選別を行なっていないのだとしたら、動物愛護法はスタートラインから機能していないことになります。紙にサインするような形だけの手続きてだけでなく、具体的な規制を科して、守らない店には、販売の許可を出してはいけないと思います。

昔々、近所でゴールデンレトリーバーを繁殖して売っている人がいて、1頭が町内のお宅に行ったものの、中古車置き場の番犬として、繫がれたままであまりに可哀想なので、「返してもらった方が良いですよ」と言った時、「お金もらったんだから、何も言えない」と言われてびっくりしました。その犬は、まもなく誰かに連れ去られました。あの姿に胸を痛めた人が助け出してくれたのなら良かったのだが…と、今でもその場所を通りかかると思い出します。
お金をもらったから言われた通りにしなくてはないとか、お金を出す相手なら誰にでも渡すなんて~お金ってそんなに不自由で汚いものでしょうか?私にとってアニマルクラブに贈られるお金は、動物達を喜ばせたり護ってくれる、限りなく自由で素晴らしものです。お金と知恵は使いようだと思います。

私も、ペットを求める人の中には「飼うならシーズー」だとか、「秋田犬を絶やしたくない」とか…種類にこだわる人がいることは承知しています。育てる側は費用がかかるのだから、それに見合うお金のやり取りが出てくるのは当然でしょう。
でも、お金のやり取りがあろうがなかろうが、相手を選ぶ権利はあるし、それを行わないで売ることは、無防備な子供を「当たるも八卦当たらぬも八卦」の生涯に突き放す、残酷な裏切り行為です。現行では信頼できるサポートもありません。一旦相手からお金を受け取れば、今回のような事態が発覚したとしても、『所有権』に阻まれて、すぐに救済することもできないケースも出てくるでしょう。

私達ボランティアは、野良猫が生んだ子猫であっても、里親希望者宅を家庭訪問して環境や飼う意識を確認、トライアルを経てから慎重に決めて、将来不都合が起きた場合は必ず相談することを誓約してもらっています。
「売れないと困る」販売店に、ペットを求めて来たお客様に対して、厳しいチェックをするように求めるのは、実際には無理があるでしょう。

それなら、動物を飼いたい人はまず、保健所を管轄する県の機関に申請をしてからでないと、ショップから購入したり、ネット上のやりとりで譲渡したりできないようになれば、飼ってはいけない人の手に堕ちる水際対策になるのではないでしょうか。
一律の年齢制限や単身者はダメという線引きがされると、責任能力はあるのに、申請が通らない方も出てくると思います。そういう方々は、アニマルクラブのような個別のきめ細かい面談ができる愛護団体に申し込めば良いと思います。
是非、宮城県議会で取り上げ、被災地からの命を護る取り組みの一つとして、全国に先駆けて方策を検証して、やがて日本全体で確立させて欲しい制度です。

《集合住宅を管理する側の責任》

今回の件で、ペットと暮らせる住まいを提供する会社は、虐待や放置、多頭飼育が起きていないか、チェック体勢を持たなくてはいけないと痛感しました。
精神障害がある人の場合、単身で住むことが多いアパートでは、病状が進んでも発見が遅れます。定期的な見守りを実施して、問題行動が出てきた場合、どこに連絡して協力を仰ぎ、どのレベルを超えたら退去してもらうというような、ガイドラインも決めておくべきだと思います。

そのためには、まず最初に市役所等の担当者から、場合によっては主治医からも聞いて、病名と大まかな症状は把握しておくべきだと思います。集合住宅に入る以上、酒が危険因子になるなら、制限も必要です。
ペット可物件を希望しているからといって、すぐにその部屋を提供するのは、早計だと思います。その人がまずひとり暮らしを満足に営んでいけるのか、気分に波がないか、近隣とトラブルを起こさないか…観察期間が必要だと思います。
同じアパートで虐待が行われていたことがわかったら、住民はショックだし、アパートのイメージも悪くなります。ペットと暮らせるアパートは、ペットを守れるアパートでなくてはならないことを、しっかりと認識してもらいたいです。

事態はエスカレートして、3月8日、今度はアニマルクラブに、飼い主男性と保証人女性が連れ立って現れたそうです。
2人が訪ねて来た時、私はトライアル中だった子猫の兄弟が里親決定となったお宅を訪問していました。
当番ボランティアさんから電話連絡を受け、電話口に出てもらい、「一昨日2時間も話して堂々巡りで、部長さんから、それぞれ持ち帰って検討しましょうと言われたばかり。今は何もお話できることはないですよ」と応えました。すると、「ある人の話を聞いて、アニマルクラブは預かりなんかしない、あそこへ頼んだら里親にやられるよって言われたの」と言い出したので、「会社から預かった最初のやりとりで、行き違いがあったことは解ってくれたんですね?今後保健所にも行って相談に乗ってもらうつもりだから、お待ちください」と頼みました。すると、例の如く「いつわかるの?」が始まり、「相手のあることですから、今はわからない」と答えると、「保健所も忙しいからね。でも、今月末にはわかるよね?」などと1人で納得していました。声を荒げることはなかったので、ホッとしました。
虐待事件を起こした当の本人も電話口に出ましたが、蚊の鳴くような声で「犬、早く返してください」と一言だけでした。対応したボランティアさんに後で聞いたら、「男の人はぼんやりして、すごくおとなしかった」とのこと。酒が入ると、人が変わるのでしょう。

この日は恐れていたほどのことはなかったと胸をなで下ろしたのですが、この前の電話の時と同様、彼女の怒りは、津波のように一度引いて、後で何倍にも増長して襲ってきます。
翌日、「あの時家にいたくせに居留守を使ったのは分かっている。アニマルクラブでは暖房もない寒くて汚い部屋に動物を入れている、あんなところだと思わなかった。保健所は、そんな話には入らないって言っていた。全く貴女は嘘つきです」というメールがきました。
これにはボランティアさんもカンカン~毎日午前も午後も夕方からも2~3人体勢の当番制で一生懸命働いて可愛がって…訪れた方々に「きれいにしてますね~全然臭くない。各部屋にカメラまで付けて見守られて、至れり尽くせりですね」なんて言われるのを誇りにしているのです。
本館、別館、不妊予防センターを合わせるとエアコン8台、温風ヒーター14台、時間で強さが変化する電気ストーブ1台、灯油ストーブ3台、ペット用のホットカーペットは50枚以上あり、「真冬は電気代と灯油代で20万円かかるね~」と話したばかりでした。
外に居て、見てもいない室内のことをなぜそんな風に言うのか…。これまでは私1人が対応してきた相手でしたが、この日を境にボランティアさんの間で、保障人の女性は「犬を渡して良い相手ではない」という連帯感が生まれたようでした。

 


 

【 保健所への相談、そしてこれから 】

そもそも面識もないこの女性から突然電話が来たり、今度は虐待事件を起こした本人まで連れて突然やって来たり…個人情報を勝手に教える不動産会社の認識の低さが、問題を混乱させたと言わざるをえません。

警察もその後相談した保健所からも、「その男性をアパートに住まわせたのも、犬を部屋から連れ出してアニマルクラブに預けたのも管理会社なのだから、今回の問題に対応するのはアニマルクラブではなく、会社が毅然たる態度で対処しなければならないと思います」とコメントされました。

この不動産会社からは、これまでにもアパートの住人が野良猫に餌付けして近所とトラブルになった時や、飼い主が警察に捕まって動物が放置された時など、『相談』が来ました。そして、病院に連れて行ったり、保護したり、経費も全てアニマルクラブが負担する結末になりました。そこにいる動物のため、何も言わずに引き受けてきました。
今度もてっきり丸投げされると思っていたのに、6日の話し合い以降は「保障人さんに返して欲しい」と意思表示をするようになりました。
所有権があるのは虐待した男性ですから、私達がアプローチしていくのは、この男性に所有権を放棄して、もう動物を飼わないように約束してもらい、守られるかどうかを行政にチェックもらうことだと認識しています。

保健所からは、「虐待された犬が被疑者宅に居るのであれば、あるいは保護されて、保健所に来ているのあれば、保健所の出番なのですが、今回は1匹目の犬も、2匹目の犬も保証人と不動産会社がそこから連れ出しています。
不動産会社から委託されて保護したアニマルクラブが、矢面に立つ筋合いの話ではありません。
犬を保護して1カ月、その間の保証人とのやり取りも含め、アニマルクラブ側が返還要請には応じられないと判断するのも理解できますから、不動産会社が思うように対応してくれない場合は、会社の弁護士と話すべきでしょう」とアドバイスをいただきました。

その話の最中に、電話がなり、チラッと見たら、懐かしい名前~30年も前に、この石巻保健所に勤務されていた獣医さんです。「おお、何という偶然!」と思い、駐車場に戻ってから、「お久しぶり~今どこにいたと想う?保健所に相談に来てたんだよ~。先生ー、どうしたの?」と電話しました。そしたら、またびっくり!「今日さーうちの病院に、前に石巻署に勤務していた方が来てね、貴女の話で盛り上がったから、電話したんだ~」と言われました。実はこの警察官の方にも、今回のことを相談しようと考えていたところでした。

この獣医さんはかつて私に、足腰が立たなくなったからと自衛隊から、不要犬猫の引き取り日に連れて来られたシェパードを殺処分する現場を見せてくれた人です。宮城県動物愛護センターができたばかりの頃でしたが、「苦しいまま運ばれて、怖い思い長引かせるのは可哀想だろう」という判断でした。

獣医さんが薬を取りに行っている間、私は必死で連れて来た若い自衛官に、「引き返して動物病院に診せるように」お願いしましたが、彼は「上官の命令だから」と首を振り、私が「自衛官である前に、この犬を世話してきた人間として行動してください、費用は私が出しますから」と食い下がると、彼は泣いていました。
そこに先生が来て、「この人が一番辛いんだよ。しっかり抑えててね。すぐ楽になっから」と言って、注射を打ちました。使われたのは麻酔薬ではなかったと想います。犬はケイレンを起こしてもんどり打ち、若い隊員は必死で抱きしめて、やがて命が尽きました。平成になったばかりの頃でしたが、「なんと哀しい光景だろう。日本はまだここなのだ」と見つめていました。

保健所職員とはぶつかったり、呆れて離れたりすることが多かったですが、「あんたも見ておいた方が良いよ」と言って、殺処分に反対する愛護団体の若輩者を、その現場に立ち合わせてくれたこの獣医さんとは不思議に馬が合い、転勤の時には花を届けました。『殺処分に当たっている人達の気持ちを考えて欲しい。誰のためにそんな仕事をしなくてはならないのか?』という思いが、後に『カイの行くはずだった場所』という本になりました。

そして、話題に出てきた警察官は動物愛護に関心があり、石巻署時代、アニマルクラブのポスターやチラシを署内に貼ってくれていました。
さらに、震災後は倒壊家屋で人の捜索中に出てきた猫や市内をさまよって警察署に届けられた犬達を「今警察は人のことでてんてこ舞いで、動物達をちゃんと面倒を見る余裕がない。治療が必要な子もいるようなので、そちらで保護してもらえませんか?」と連絡してきたので、協力しました。
私がプロデュースして、宍戸監督に作ってもらったDVD『動物達の大震災~石巻篇』には、この方と私が被災地動物を運ぶシーンも入っています。

今回の問題がどう展開していくのか…考えあぐねた時、私が尊敬するガンジーも中村哲さんも殺害されて人生を終えたから、「私が頭のおかしい人に逆恨みされて殺されたら、その事件を機に社会が、売られる動物達にはチェックもヘルプも必要なことに気づいて、生体販売に大改革が起こるだろうか?」と考えると、無理だと解りました。ならば、弁護士費用をクラウドファンディングしてでも、売られる動物達のことをちゃんと考えてもらう契機にしていかねばなりません。
若い人達に#(ハッシュタグ)なり、《拡散》なり…この事実を広めて欲しいと願います。

あとは、人知れずあちこちで起きているであろう動物虐待の発見と抑止に、警察、保健所、市役所も連携して対処できるように、まずは県議会で取り上げてもらえるように、アプローチしてみます。

 

 

 


 

【 回帰の道すがら 】

人生も折り返しを過ぎて終わりを意識するようになると、だんだんと自分が幼い頃に過ごした場所に還って行くような気がします。
最近、私を育ててくれた世代の方々が一人二人と亡くなっていきますが…一方で、出会った時にはまだ青々としていた人達が、開花して目の前に現れ、アニマルクラブの活動を助けてくれているのです

まずは、トリマーの『まりえ』ちゃん。彼女はみつまめが赤ちゃんだった頃に、アニマルクラブに通って来ていた学生ボランティア第1号です。
昨今では親が「うちの子がボランティアしてみたいって言ってるんですけど…」と連絡をよこし、車で送迎してくる『乳母日傘のボランティア』さんも多くなりましたが、彼女は学校から自転車で30分かけて帰宅すると、また30分自転車を漕いでやって来て、高校1年生から3年生まで、毎日のように来てくれました。

気が強い子で、北上川に犬の死体が流れて来た時にも、釣り用の大きな網で引き上げようとしていた私の前に入って加勢して、水から揚がった途端に、ふやけた白い毛がベロッと剥けて白骨が見えても怯むことなく引き上げました。
訓練士の学校に進みましたが、足に大ケガを負ってしまい、トリマーに転向しました。美容室と老犬介護に特化したホテルを経営して、軌道に乗ってきたからと月1回、アニマルクラブの子達のシャンプー・カットに来てくれるようになりました。

さらに、不妊予防センターにも、助っ人が来ました。
近年スタッフ不足で、手術できる頭数が減り、治療内容にも制約が出ていました。2008年4月にスタートして、カルテは6200番代となり、一昨年より宮城県の『飼い主のいない猫の不妊手術の助成金』の適応病院にもになって、これからより多くの野良猫に不妊手術を普及させることができる時流に乗れたというのに…「いつまで持ち堪えられるだろう」とため息をついてしまう状況でした。

しかし、この窮状を聞きつけて、助け船が漕ぎ出されたのです。10年以上前に、不妊予防センターで研修・実習をしていた獣医さん達です。あの頃は先輩の後ろで頼りなげだった若者も、今やそれぞれの職場を率いる、頼もしい先生に成長していました。
そして、その中には「自分の仕事の休みにボランティアで手伝いたい」と言ってくれる精神を持つ人達がいたのです。
院長先生が手伝いに来てくれることで、若い獣医さんの意識も高揚します。かつて不妊予防センターは先輩獣医師が後輩に実践で教える、学びの場でもありました。あの空気感が復活してくるならば、ここでやれることで救える動物達がまだまだいます。

猫の島として有名な田代島にも、毎年ドイツから来てくださっていた獣医さんがコロナのせいで、もう1年以上来れなくなっていると聞きました。都会からの移住者も多い天然リゾート、お隣の網地島にも野良猫は多いと聞いていました。
今回、助っ人先生の尽力で、製薬メーカーさんから、田代島と網地島の野良猫達のためにワクチン120本のご寄付を受けることができました。

こうやって自分ができることを持ち寄ると、実現できることが増えていきます。だから、小さくていいので力を貸してください。自分は何を担おうと考えて行動すると、背景も変わってきます。いつしか願いが現実になっていくまで、続けていけることが強さだと実感しています。

 


 

【 たけしくん、ニャン! 】

続けるためには、気分転換が必要です。震災前は小さなスナックを経営していたから、日常とは全く違うお客さんとの時間帯が、格好の換気扇になっていました。私が震災で喪失したのは、自分を愉しませたり甘やかしたりする風の通り道です。風穴がないと、感性は乾いて、心身は老いていきます。

私には、年齢よりずっと若く見える伯父がいました。フットワークが軽く、物怖じせず、ユーモラスでした。よく子供は親より三代前とか、伯父叔母に似るとか言われて育ちましたが、この伯父には、なぜか自分と相通ずる親近感がありました。

その前の代の私の祖父の弟は、戦前からの共産党員でした。幼い頃、様子を見に行く母に連れられて訪ねると、書物と埃にまみれた部屋で、一目で変わり者とわかる爺さんが、幼児相手によく喋っていました。最初の頃は布団に寝ているお婆さんがいて、それからはお爺さん独りになり、口数も少なくなっていきました。そうした変わり者の血筋は隔世遺伝で、私に引き継がれているのかもしれません
一方、祖父は穏やかな人で愛情深く、老いてから住み慣れた土地から引っ越しになってしまうと、私達孫に会うために、必ずチョコレートをお土産に持って、2時間も歩いて来ました。しかし、そのうちに認知症が進んで道に迷い、警察や市民の方に保護されたりして、外出禁止になりました。
たまに訪ねると、船大工の棟梁だった頃の「進水式の夢を見て、大声上げて夜中に飛び起きるんだよ~」と伯母さんが言っていました。99歳まで生きて、石巻の新聞にも載りました。

さて、その長男である伯父は、一昨年の白寿の祝いの席で「親父を超えて100歳以上生きる」と宣言したのですが…昨年9月、まさかの心筋梗塞で呆気なくこの世を去りました。9月15日がお葬式でした。

その朝は慌ただしくて、私は山まで行かなくてはならないバロンの散歩を終わらせると、近場を回れば良い、小型犬の散歩は、ちょうど来たボランティアの『みきちゃん』にお願いしました。そして、そそくさと別館に戻り、猫達のごはん作りをしていました。そしたら、みきちゃんから連絡が来て、「近くのお宅の駐車場に子猫が倒れていて、まだ生きてはいるけれど、動けない」と言うのです。
パルボかもしれないと想ったので、診察室にケージを用意して、手袋をして保護したら、ホッカイロを入れて温めるように頼みました。猫達にごはんを配ってから、行ってみると、子猫は体をのけ反らせ、四肢は冷たく、反応もありません。生後3カ月位の体長でしたが、痩せ細って紙切れのように薄いのです。

夏の暑さが行き過ぎて、急に冷え込んだ朝でした。この夏も近所で、親にはぐれて泣き叫ぶ子猫を保護しましたが、身近には助けを求めることもできずに、飢えて衰弱して消えていく命がまだまだあることを、目の当たりにしました。

 

9月15日午前10時頃。
その日は、たまたま犬の散歩を代わってもらったみきちゃんが、私とは違うコースを歩いて、近所の車庫に倒れていた子猫を見つけた。

 

 

エアコンも点け、ホッカイロで体を温めていたら、子猫はうっすら目を開けて、私と目が合うと聞こえないようなかすれ声で一回だけ、シャーと威嚇しました。愛も知らずに消えていくのが切なくて、ぬるま湯をシリンジで与えてみたら少し飲んだので、次はミルクにしました。せめて最期に「美味しい」を味合わせてから送りたいと思いました。口からダラダラとこぼれ落ちる方が多かったけれど、かすかに舌が動きました。

時間が来てしまい、私はみきちゃんに「まめにミルクをやってみてね」と頼んで、伯父の葬儀に向かいました。午前10時頃のできごとでした。

コロナの影響で、先にお葬式で、その後に火葬場に移動です。親戚代表でお別れの言葉を述べる役も解かれて式終了、やっとスマホに電源を入れました。午後1時頃のこと~あれから3時間です。子猫はどうなったでしょう~「亡くなった」という文字が出て来ることを恐れて開けた画面に、信じられない動画が出てきたのです。
あの、紙切れのような体を硬くのけ反らせていたキジ白の子猫が、むしゃむしゃとウエットフードを食べています。ミルクではなくて、パウチか缶詰です。
みきちゃんに聞くと、ミルクを与えているうちに体が動いて、起き上がったので、試しに子猫用パウチを置いてみたら、猛烈な勢いで食べ始めたそうです。

 

3時間後の仰天映像。
たけし爺さんの魂が乗り移った瞬間か…?

 

伯父さんの骨を拾い、花を捧げながら…私はこのミラクルに、この爺さんが関与しているような気がしてきました。
伯父さんは戦時下、衛生兵として戦地に派遣され満州で捕虜となり、シベリアに送られた元日本兵です。子供の頃、泊まりに行くと、朝に起床ラッパの口まねをしながら従姉の部屋に入って来て、次々と私達が寝ていた布団を畳んで押し入れにしまってしまうのです。

私はこの人ほど、戦争の時の話を明るく語る人を知りません。そしてもう一つの大きな不幸も、決して顔に出すことはありませんでした。末娘を震災で亡くしたのです。津波被害が甚大だった北上町役場に勤務していた従姉は、海上保安庁の船に引き上げられて、DNA判定で身元が確認されたと聞いていますが、それまでの間、80歳を過ぎた伯父が遺体安置所を回って捜していたそうです。

伯父は趣味が多く、ゲートボールの審判員も務めていました。アマチュアですが、地元ではカメラマンとして有名で、私もタウン誌の記者や企業のPR誌を手がけていた時代、随分写真を提供してもらいました。
まだまだ長生きすると思っていたから、伯父さんの写真を使って、震災のずっと前の漁業が盛んで活気溢れる石巻を紐解いて、そこで繰り広げられていた人情模様を書いてみたいと思っていました。

東京から駆けつけた従姉に「思い出話をしよう」と誘われましたが、断ってアニマルクラブに行くと、『ミラクル劇場』で大盛り上がり。玄関に入るなり、武地さんが「森さんがさぁ、阿部さんの伯父さんのご利益じゃないかって言ってたよ」と興奮気味でした。
実は森さんの亡くなったお父様もシベリア抑留組で、しかも伯父と同じ造船所勤務だったと、近年知り、伯父に「森さんを覚えているか?」と聞くと「あー、分かる、知ってっと。森さん、元気か?」と聞くので「元気なのはあんただけだよ~。今度、お線香上げに行こう」と話したばかりでした。
伯父はまだまだやりたいことがありました。コロナのせいで当分東京に行けないのが残念で、「今度行ったら…」と計画を立てていました。新幹線にも一人で乗って行きます。
「伯父さん、何ていう名前?」と武地さんに聞かれ、「たけしだよ」と答えると、「じゃあ、たけしくんに決まりだね!男の子だもん」と言われました。

私も、もしかしたらあの世に昇る伯父が最後に家族や親類を見回って、一番不安定な末妹の家が気がかりで、死にかけていた子猫の体を見つけて、入り込んだのではないか…と想像していたので、『たけしくん』という命名には、「ハイ!」と頷きました。

 

1964年頃 母の実家の前で、伯父が撮影した写真。祖父に抱かれているのが私で、その隣に立っているのが、震災で津波の犠牲になった従姉。

 

たけしはその後、里親募集した時期もありましたが、お見合いの朝に突然具合が悪くなったりして、結局うちの子になりました。私のフトコロに入ってカンガルーの親子のようにしていたのも束の間で、ものすごく食い意地が張っていて、ありとあらゆる作戦でゲットしようとひたむきです。どんなところにも上がり、入り込み…イタズラもハンパないから、「たけし、何やってんの~」と怒鳴りまくり、まるで昔、NHKでやっていたドラマ『たけしくん、ハイ!』みたいな日常生活です。

 

甘えん坊のお利口さん。可愛い時はあっという間に過ぎ去りました。

 

虎視眈々とイタズラの標的を探す悪童に成長。去勢も済ませました。

 

今回、降ってわいた事件に押されて、ようやく活動報告を書き上げようとしています。いつも活動報告を楽しみに待っていてくださるイラストレーターの柴本礼さんに、たけしの絵を描いてもらって、伯父から学んだ逆境の時代を生きぬく術を、これからの子供達に伝える本を書きたいなぁ~なんて、想っています。

 

2021.3.15   阿部智子

 

 

『おかげさまで元気です。』

皆様からのカンパで、前足の裏にできた大きな腫瘍を切除するために右前足を断脚した『乙姫』は、今もアニマルクラブ別館で生活しています。

「コロナのせいで仕事が減って、手術費用は出せないけれど、ガンを取り除いてもらえば、面倒をみていく」と言っていた若い女性は、いざ連れて行く段になったら、「家が狭くて、ケージを置く場所がない」と言い出しました。

乙姫が生んだ2匹の子猫のうち、1匹はとても良い里親さんが見つかり、仙台で幸せに暮らしています。もう1匹にも里親希望者を紹介しようとしたら、「自分で飼うことにした」との返事。ケージを置く場所がないのではなくて、乙姫を受け入れる心の余裕がないのでした。

いつも何かのせいにして逃げてばかりいる人は、重なり合う手で開く扉も、時の流れに磨かれる優しさも知らない人生しか送れません

「だって、なつかないし…」と言われた乙姫も、今ではこんなにくつろいだ表情を見せるようになりました。