三度目の夏が来ました

「交通事故がもたらすもの」

どうしてなのかわかりませんが、ここ1ヵ月、不妊予防センターにも、お隣のクリニックにも、交通事故の猫が続けて運び込まれ、しかも重症ばかりです。
動物病院で仕事していると、交通事故ほど虚しい痛手はないと痛感します。野良猫なら致し方ないとしても、飼い猫を外出自由にして事故に遭い、足を切断したり、骨盤骨折で排尿・排便障害が出たりすると、口惜しくてなりません。病院には、病気の予防もきちんとして、大切に育ててきても、生まれつきの障害や難病で早逝したり、苦しい治療を続けている子達も通院したり入院したりしているからです。
交通事故は、家から飛び出した等の突発的な原因以外は、外出自由にしていた飼い主には予測できた事態です。私は猫の里親希望の方には、「外に出すなら、交通ルールも教えて下さい。それが無理なら、出してはダメということです」と話しています。「前の猫は事故になんて遭ったことがない」なんて、変な自信を持っている人には、「前の猫とは別な猫です。この子には何も教えてないので、車が怖いことわかりません」と釘を差します。「外に出さないとストレスたまるでしょう?」と食い下がる人には、「ストレスより安全です。命がなくなっては、ストレスも感じられません。家で楽しめるような工夫してください」とやり返します。

しかし、外に出してしまう飼い主はいます。「出たくて鳴くから、可哀想になって…」と言い訳する人は、事故に遭ったらもっと可哀想になるということを想像できないのでしょうか。「車に轢かれたら、それも運命だ~」なんてうそぶく人は、“交通事故=即死”と思い込んでいるようですが、そうとは限りません。
骨が折れ肉がちぎれ飛んだらたらどれほど痛いか、オシッコもウンチも自力ではできなくなるということがどれだけ大変なことか、失明したり、脳障害で感覚がなくなってウンチまみれになったり、度々痙攣起こす姿を見ても、そんなこと言えるのか…そうなる前に考えて、予防すべきです。ちゃんと考えないことを、『運命』なんて言葉で誤魔化す人は、余儀なき運命に大切な家族を奪われた被災地の人を思い出してください。

豆蔵
4月に、里親探しの会場に、若い婦警さんが連れて来た、交通事故で後ろ足をなくした子猫は、しっぽと右足を付け根から切除しました。すっかり同じ障害を持つ、アニマルクラブ随一のお利口さんの『団蔵』にあやかって『豆蔵』と名付けました。爆発的な食い意地で諸先輩を圧倒する、天真爛漫な世渡り上手です。

「判断と本心」

飼い猫が交通事故に遭った人から電話がありました。5日前の夜に出て行ったきり帰らず、一昨日の朝に姿を見せた時には、左前足がちぎれてなくなっていたそうです。しかし、怯えて興奮している猫はまた逃げて姿を隠してしまい、翌朝再び現れたところをやっと捕まえたら、左目も「死んだ魚の様になっていた」と言うのです。命に関わる重体だというのに、飼い主は「費用はいくら位かかりますか?」と聞きます。

「いくらかかっても治るものなら治してやらなければならないじゃないですか。支払いは分割で構いませんから」と私は答えました。「分割でも、大金は払えないんです。お金ないから…」とその奥さんは言いました。ここまで言い切る人とお金の話をしても、良い方向にはいきません。「とにかく猫を連れて来てください。診なければ何もわかりません」と促して、電話を切りました。入院・手術となると、間借り状態の不妊予防センターの手には負えず、先生方の病院での対応になります。支払いが困難な人には3割引までしていただき、それでも払えない(払わない)場合は、アニマルクラブでお支払いするようにしています。

その猫、『キナコ』ちゃんが連れて来られました。飼い主が言っていた通り、左前足は肘の上でちぎれ、真っ黒くなっていました。目はまさに“死んだ魚”の様に、光を失い乾いて、もう目の機能は果たしていませんでした。開口一番、飼い主が「家族で相談したのですが、なかなか大変な状態であれば、安楽死をしていただきたいのです…」と言ったので、私も「外に出していたからこんなことになったのだから、助けるためにできるだけのことをするのが飼い主の責任ですよ」と言いました。

飼い主の奥さんの表情は真剣で、真面目な人だとわかりました。支払いにルーズな人は、ここまで費用を気にしません。そして、突然の大惨事に気持ちが動転しているのだと感じました。大津波警報におののいて、家にペットを置いて、人間だけ避難した判断に似ています。「動物を連れて行ったら、周りの人に迷惑だから」と家族の誰かに言われて従ってしまった人のように、『キナコ』の飼い主も、ここで目先のお金に負けて、愛猫を見捨てるようなことをしたら、一生後悔するだろうと感じました。だから、「今から診察や検査して、できる限りのことをしてもらいますから、連絡いくまで待っていてください」とだけ言って、帰ってもらいました。

『キナコ』はまだ1歳半で、不妊予防センターには不妊手術とワクチンのセットを受けに来ただけでしたが、きな粉色の毛色と大きな目の美人さんで、見覚えがありました。麻酔をかけて傷口を見ると、既にウジ虫がウジャウジャうごめいていました。左前足を肩から切断する手術は、3時間近くかかりました。非常に大きな無惨な傷痕でしたが、無事に麻酔から目覚め、よろめきながらも気丈に立ち上がろうとしました。翌日からは食べる意欲も見せてくれました。
そして、4日後、今度は“腐った魚の目”の摘出手術を受けました。『キナコ』はまたも頑張りましたが…手術後は、血膿を排出するためにストローのような管を縫ったところに差し込まれて、痛々しかったです。しかし、面会に来る飼い主の表情は日に日に明るくなっていきました。1週間経って退院する時は、晴れ晴れとした顔で、請求金額にも動じませんでした。カードで3回払いで了承してもらえたので、アニマルで立て替える必要もなくなりました。
一時の不安定な迷いに翻弄されて、命の可能性を踏みにじらないでよかった…飼い主の人間性と自信を失うようなことにならないでよかった…と感じました。人は弱く不安定だから、時に判断を間違うけれど、“生きてさえいればまたやり直せる”のです。

『キナコ』は思いやる飼い主がいたけれど、誰にも愛されない猫がまた不妊予防センターに連れて来られました。「公園に箱に入って捨てられていた」と言うから、てっきり子猫かと思ったら、鼻水と涙目でグショグショの老猫で、しかも後ろ足を骨折していました。飼っていた人が捨てた、というより、動けなくなっていた猫を見つけた人が誰かに助けて欲しくて、公園に置いたのだと思います。そして、拾った人は、すぐさまアニマルクラブに電話をかけ、留守番電話だったから、留守電のアナウンスからここを突き止め、間借りしているクリニックまで猫を連れて来て、「子供が拾って来たが、家では飼えない」と繰り返すのです。持て余されている猫は、痩せこけて薄汚れながらも、人に甘えていました。こうやって助けを求めているというのに、関わった人々は救済を委託することにばかり懸命です。
カルテを作るのに、名前を尋ねると『すて』と言われました。診察した獣医師から、風邪がひどく、足の骨も折れてプラプラしていることを説明されると、お金は一切払えないと言い出しました。「それなら、何ができますか?」と聞いたら、「治ってからなら預かってもいいけど、家の猫に伝染る病気があるのは困るから、まずシャンプーして欲しい」と言われました。重度の風邪を患っていると診断されたのに、洗って欲しい、と自分側の都合を口にするので、がっかりしました。さらに、調べると、猫エイズのキャリアでした。アニマルクラブが救えるのは、ごく一部の命です。「捨て猫がいるから、引き取りに来て」と保健所代わりにかかってくる電話に、レスキュー対応はできません。だから、まるで薄氷を踏むように、薄情けを繋ぎ合わせてたらい回しにされた命が、私の手の届くところに来た時は、救い上げることが巡り合わせだと感じています。デリカシーのないネーミングには反発しましたが、「すて」と呼ばれると反応するので、“捨てられても吉を掴むように”『捨吉』に改名しま
した。

1週間入院して、我が家にやってきた『捨吉』は、穏やかで甘えん坊です。それに引き換え、カイセンも治り『エイズ部屋』に放された『はるひ』は、ステンレスの丈夫な網戸を2回も壊して、その穴から逃げてしまった『ココ』を捕まえるのに、私も梯子掛けて屋根まで上がる羽目になりました。助けた命がやらかすことに付き合っていくのも活動です。

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『キナコ』のちぎれた前足。真っ黒く見えた傷口を覗くと、ウジ虫がうごめいていた。
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左前足切除の手術直後。傷痕の大きさに呆然…。
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眼球摘出手術後。傷口に差し込まれた血膿を排出するための管が痛々しい。
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頑張った『キナコ』ちゃん。もうすぐ退院です。繋いだ命の重みをどうか、忘れないで。
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ヨレヨレだけど、スリスリと甘えてくる『捨吉』。幸せに生き直させてくれる里親さんはいないだろうか…。

「五井さんの自画像」

津波に流されて亡くなった私達の仲間、五井美沙さんの形見のイラストの複製を作りました。お預かりしていた原画を、お父様が一間の仮設住宅からもっと広い住まいに引っ越したら、お返しするからです。震災からの活動もパネルにして、合わせて貸し出しをしていくつもりです。
石巻は人が多いところから、ニーズがあるところから、少しずつ復興してきていますが、人が住まなくなった町は津波の傷痕を遺したまま、手付かずです。五井さんの家があった南浜町には、震災のメモリアル公園が建つそうで、その付近から住居の残骸が撤去されて、以前目印にしていた二階がぶち抜けた住宅がなくなって、入り口がわからなくなりましたが、何とか久しぶりに五井さんの家があった場所に行くことができました。
家々が消えた南浜町の、生い茂る草むらに残る割れた皿やぬいぐるみや学用品こそが、あの日から時間が止まったこの町の、言葉にできないメモリアルに思えました。自分の家があったところなのでしょう…花が置かれていたところも何ヵ所かありました。「ご家族を亡くしたのだろうか」と想いながら、川向かえに渡る『日和大橋』を眺めると、すでに陽は沈みかけて、動いている車もシルエットになっていました。震災後しばらくはこの橋に夜になると亡霊が出ると噂になりましたが、無念を遺して逝ったのだから、さもありなん…と想いました。ここで命を奪われた誰もが、もっと生きてしたいことがあったはずです。そして、残された人達も、悶々とした無念を抱えて生きていくのです。
『動物たちの大震災』にも出てきたお好み焼き屋さんに時々行くのですが、まだ寒い時季に、カウンターで独り飲んでたおじさんをマスターに紹介されました。五井さんが勤めていた、ウエットスーツの縫製会社の同僚でした。私が誰だかわかると、「…地震収まって、外さ行こうとするから、どこに行くんだ~って俺、声掛けたんだ。そしたら、五井さん、アニマルに行く、って答えたからさー、てっきりお宅にいたんだと思っていたのさ。お宅に居れば、死ぬことなかったのになー」と振り絞るように言いました。

だから、私は私が知っていた、津波に未来をさらわれた中の1人、五井美沙さんがこの世に存在していたことを、今この時代を生きている人々に伝えたい。穏やかで心優しい彼女が存在していたことを、会ったことがない人々にも覚えていて欲しいから、「どの子も愛されて幸せになりますように」と望んでいた彼女の願いを、遺された絵に込めて伝えていこうと思います。

そして、震災直後のあわただしい片付け中に紛れ込んでしまったのか…サプライズがありました。2010年秋から市内のギャラリーやスーパーの催事場で始めた『アニマルクラブの絵描き展』。そのことを告知したペット情報紙に載った彼女の写真付きの記事も展示したら、彼女が恥ずかしがって、いつの間にか自分が描いた似顔絵に擦り変わっていたことがありました。その絵がパネルから落ちて、思いがけないところから出てきたのです。彼女が描いた彼女自身の似顔絵が加わることで、五井さんの作品展は、よりいっそう血の通ったメッセージになると思います。水没したと諦めていた高橋くんのパソコンの中で、五井さんが亡くなったリコやマメコと散歩したり、もらわれ先で津波にさらわれた子猫のドロンパを抱いて微笑む写真も残っていました。
これから、『犬と猫と人間と2~動物たちの大震災』の自主上映会も、各地で開催されていくことでしょう。「動物好きだから可哀想で観れない」という人達もいると聞いています。そうした心優しい方々を動員するためにも、その方々と何ら変わらなかった五井さんの作品展は、一歩を踏み出す後押しをしてくれるのではないでしょうか?希望者は、連絡ください。

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「五井さんの家族が使っていた食器かもしれない…」。ついそんな目で見てしまう。
06
このぬいぐるみの持ち主だった子は、生き延びたのだろうか…残された生活用品の一つ一つがメモリアル。
07
手向けられた花が、「ここには家があり、家族が暮らしていたんだよ」と、教えてくれます。
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五井さんが描いた自画像。天国でも,こうして猫に囲まれて笑顔でいて欲しい。
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「人が逃げるので精一杯だった」と家に置いていかれたドロンパ。虹の向こうでまた五井さんに抱かれていればいいな…