出逢いの春

『はるひ』

 命は連続する営みです。ムクがお骨になって帰って来た翌日、庭で洗い物をしていたボランティアの幸雄さんが「あんれ、猫がへぇって来たぞー、おがしない猫だぁ~」と叫びました。
 私は洗濯物を干していましたが、特に呼ばれなかったので、干し終えてから階段を降りて行きました。例の猫はごはんをもらったらしく、「腹減ってたんだなー、ペロッとたいらげたぞ」と幸雄さんが歓声を上げていました。近所の猫が迷い込んで来たのだろうと思って覗き見た私は唖然としました。“おがしない顔”は、重度のカイセンのせいで目も殆ど塞がっていたのに、どこからどうやってここに来たのでしょうか?頭から首までガサガサの甲羅に覆われたようになり、象の皮膚のように硬くなって縦皺が寄っていました。

 「伝染る病気だよ」と私が言うと、猫を取り巻いていたボランティアさん達がサァッと引きました。大勢抱えているところでは、伝染する病気が一番怖がられます。確かに、2~30年前までは、カイセンで命を落としていく野良猫がたくさんいました。ひとたびその地域で蔓延すると、次々に同じような姿になって、長いこと苦しんだ末に死んでいくのです。手の施しようがないから安楽死しようとした獣医さんが、皮膚が硬くて注射の針が入らなかったことを、四半世紀過ぎた今もよく覚えています。
 「今は良い薬ができたから、治療すれば治るから。パルボみたいに命取られる伝染病でないから、気をつければ大丈夫だよ」と言い直しましたが、念のためこの子の世話は私が一人でやることにしました。 「猫会議で、ここさ来たら助けてもらえるよ、って聞いて来たんだべか」、「家の前は防犯カメラあるから、誰か近くに放して行ったんじゃないのかなぁ~」とボランティアさん達が噂するこの猫は、春のある日突然来たから『はるひ』と名付けました。

 カイセンは馴れていたし、まだ体にまでは広がってはいなかったこと、食欲・元気があったことで、私もさほど心配はしていませんでした。早速クリニックに行き、特効薬の駆虫剤の注射を受けました。足に何ヵ所も噛まれ傷があり、一つはかなり深くえぐられて化膿していました。猫エイズにも感染していて、首輪をしているこの猫が家を出てから幾多の困難に遭って、ここまでたどり着いたことが推測できました。検便したら回虫卵が山ほど出たので、帰宅して下痢が始まっても、そのせいだとばかり思っていました。食欲は旺盛で、「欲しい欲しい」と大鳴きするので、下痢用の療法食を与えましたが、ペロリと平らげました。

 翌日は不妊予防センターの日だったので、手術や治療に来る猫や犬に万が一感染しては…と考慮して、はるひを連れて行くのは遠慮しました。夜8時頃に帰宅して、急いでごはんを作って持って行きましたが、隔離してるプレハブに近づいても、いつもの鳴き声が聞こえません。ドアを開けたら、ケージの中のペットヒーターの上にうづくまって動きません。トイレだけでなく、ケージの中に敷いたペットシーツにも下痢していました。体がすっかり冷たくなっていました。あわててエアコンの温度を上げて、ストーブも点けました。美味しい缶詰めに換えても、殆ど食べません。病状急変の原因は、昨日注射を打ったからだろうか、と悩みました。「から元気だったんだ。最後の力を振り絞ってここまで来たのに、これ見よがしに強い薬を注射して…命あっての治療なのに…」と後悔しましたが、果たして私の反省が間に合うのか…ホッカイロで直接温め、砂糖水をシンンジで与えて、朝を待ち、クリニックに行きました。
やはり低血糖、そして体温計で計れないほどの低体温…「生き延びるかどうかは、この子の運と体力」と言われました。もう“汚い”なんて言っていられなくなりました。24時間点滴に、グルコースや抗生物質を注射器で追加しながら、「何とか生きて欲しい。そしたら、後は悪いようにはしないから」と、またしても私は、瀬戸際をさ迷う命と、願掛けのような約束を交わしていました。

 「はる~はる~」と付けたばかりの名前を呼びながら、暖めて飲ませて掃除して点滴を続けて3、4日後、『はるひ』は甦りました。見えない目で光を追って、「食べ物おくれ~」と大声で鳴き始めたのです。「やった~!」とりとめた命を慎重に治療して、長い間の苦労で蝕まれた健康を少しずつ取り戻すように努めました。
 ドロドロと膿が出てきた目も、抗生剤の目薬で洗うように点眼するうちに、わずかに開いてきました。ガラスのような水色でした。シャム猫系の白い猫だから、以前は綺麗な姿をしていただろうと思いました。飼い主は、この子がこんな苦境に落ちたことを知りません。見つけた私も、そのことを飼い主に知らせる術を知りません。だから、代わりに、ホームページを見てくださる方々に、「猫は外に出さない、ワクチンと避妊・去勢をする、迷子札とマイクロチップを装着して守ってください」とお願いします。

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保護されてまもない頃の『はるひ』。首から上がガサガサの甲羅状で、目も塞がって体中に噛まれ傷がありました。

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カイセンの注射を受けて、低体温、低血糖に陥り、死にかけた時。

『豆蔵』

 4月の第二週に、地元の新聞社のホールで、“猫の島”として有名になった田代島の猫の写真展が開催されました。最終日の前日の13日、会場にて、犬と猫の里親探しをしました。飼い主が老人ホームに入ってしまった子、病院に入院させたまま引き取りに来てもらえなかった野良猫…わけありの猫達が参加しました。
 さらに、もう1匹、交通事故で右後ろ足と尻尾がちぎれた猫が連れて来られました。その子は、大ケガをして近所の住宅の縁の下に逃げ込んでいたところを、警察に引き渡されました。日本という国は、不慮の事故に遭い痛み苦しんでいる生き物を、落とし物として扱い、持ち主が出て来なければガス室に送るシステムです。それを仕事としてこなしていかなければならない人達がいます。
 対応した若い婦人警察官は、その猫を「とりあえず動物病院に」連れて行きました。事情を聞いた獣医さんはほとんど料金を取らずに、傷口を消毒して抗生剤の注射を打って、応急処置をしてくれたそうです。週末の出来事でした。月曜日になれば保健所に渡されることになりますが、“今、自分にできること”として、彼女は昨日猫を病院へ運び、今日アニマルクラブのイベント会場に連れて来てみました。
 動物達の惨事に関わる公務員が「何とかなりませんか?」と相談をよこすことはこれまでにも何度かありました。猫や犬を飼っていた一人暮しの老人や生活保護受給者等が入院したり警察に身柄を拘束された時に、留守中の世話を依託され、「こちらも協力しますから、そちらもできることやってください」と答えると、「公務じゃないからでき兼ねる」などと言い、「じゃあ、一個人として参加してください」と頼めば、 「そんな時間はない」とか「なぜ私がやらなきゃないんですか」と逆ギレされたこともあります。つまり、口では「かわいそうだから、何とかなりませんか?」と持ちかけてきましたが、正確には「かわいそうだと思うんなら、何とかしてくださいよ」というのが本音で、現状の公務では対処しきれないデリケートでハードな問題はボランティアに振って、「自分はお願いしたから、あとはそちらの判断です」と逃げるのでした。
 しかし、彼女は自分にできることをして、ここまで 来ました。会計課に配属されて、行き場のない命に関わるようになり、昨年も1匹引き取り、寮に入って飼えない自分に代わって実家で飼育してもらっているそうです。連れて来られたのは、まだ生後3、4ヵ月の白黒のオスの子猫でした。右側の大腿部が切れた異様な姿をしているのに、ゴロゴロと甘えてきます。目は生き生きとして、元気そうでした。「こちらで預かり、病院に連れて行くから」と私が言うと、彼女は財布からありだけのお金を払おうとするので、1万円だけもらうことにしました。

 我が家の『団蔵』と同様に、右後ろ足と尻尾をなくしているから、『豆蔵』(まめぞう)と名付けました。豆蔵の傷は化膿が酷く、一度は手術を断念して延期。3日間点滴入院をして体調を整えて再チャレンジして、無事成功しました。順調に回復して退院後に我が家に来た豆蔵は、付け根から切断された足の縫い跡は痛々しいのですが、いたって元気で態度も大きく、先住猫を圧倒しています。

 退院の知らせをした時、警察官の彼女は、電話の向こうで泣いていました。これからも彼女は、“落とし物”として届く命を殺処分のシステムに流す任務に、葛藤し、抵抗していくでしょう。震災の時も、届いた犬や猫を保健所には送らずにアニマルクラブに相談してきた警察官がいました。しかし、アニマルクラブが助けられたのは、たまたま偶然の2、3匹です。だからこそ、その中の1匹の実話を皆さんに伝えています。社会のシステムと国民の認識が変わらなければ、不幸な動物は跡を絶たないからです。

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里親探しの会場に連れて来られた『豆蔵』。右後ろ足がちぎれて化膿していましたが、本人はいたって元気なので、なおいじらしい姿でした。

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右後ろ足を付け根から切断する手術を受けた後の『豆蔵』。翌日からごはんをせがむ生命力には感服。

『メグとうるた』

 震災直後、人間同様に動物の死骸も沢山見つかっただろうけれど、どう処理されたのだろう、と考えたことがありました。通常の生活の中でも、一年に何度かは不遇な死を遂げた命に行き逢い、埋葬します。人知れず消えていく命はどれほどあるのでしょうか…。
 はるひが命を取り留めてほっとしたら、今度は家の外の野良猫『うそじゃ』の小屋の中に子猫が入っていました。家から電源を引いてホットカーペットを入れてあるので、寒くて潜り込んだのでしょう。最初は後ろ姿しか見えなかったけれど、ガリガリに痩せて、ボロボロに汚いことはすぐにわかりました。捕獲器を仕掛けて出かけた私が帰って来たら、ボランティアのまゆみさんが「子猫、入ったよ」と教えてくれました。「どんな猫だった?」と聞くと、「う~ん、めぐさい猫」という返事。“めぐさい”は“可愛くない”の方言です。「あら~、はるひといい、今年は不作だね~」と答えながら、捕獲器を見に行くと、三角の顔に小さな目と鼻だけ大きく目立つ、確かにめぐさい子猫が、その容姿以上にあっと驚く汚さで、捕獲器の中でちんまりとうずくまっていました。生後3ヵ月くらいに見えましたが、栄養不良で小さいのかもしれません。
 泥がついていたと思った下半身の広範囲のガビガビ汚れは、下痢便が幾重にも固まったものでした。肛門から股は赤くただれて腫れ上がり、最初の数日はオスだと思い込んでいましたが、メスでした。名前は自ずと『メグ』ちゃんになりました。クリニックには、パルボの患者が出始めていました。電話で病状を伝えると、来院前にパルボチェッカーを渡されました。家で検査して陰性でほっとしたものの、風邪も引いていましたし、エイズキャリアでした。親から病気を引き継ぎ、飢えと寒さに苛まれ、誰からも気づかれることもなくゴミと化すたくさんの小さな命…メグはそこからたまたま這い上がってきた難民の少女です。器量は良くないけれど、10日もすると喉を鳴らして甘えるようになり、気立ての良さは天下一品。こんな素質を持った子供が命をつなぐことができて、本当に良かった。やはり猫会議で、ここを聞いて来たのでしょうか?お調子者のうそじゃが吹聴しているならいいのですが、人間が捨てて行くのは困ります。これからここで不妊予防センターを再開する不安の一つは、捨てる命を生ませない活動が、捨てられて続かなくなることです。

 同じ頃、生後6ヵ月位のキジトラの坊やも引き取るはめになりました。飛び込みで「去勢して下さい」とクリニックに連れて来た70代の母親と40代の娘は、ドクターに、「去勢すれば鳴かなくなるんでしょう?」と詰め寄り、昨日保護したこの猫がうるさくて我慢できない、と言うのです。私が居ることを知ると「去勢しておとなしくなるまで預かってもらえないか?」と持ち掛けてきました。「飼う人の家に慣れなければ意味ないんだから、日にちをかけて…」と説得しても、「それなら、ゲージを借りておとなしくなるまでガレージに置く」と言うので、この人達は動物と暮らすことはできない、と判断して、健康チェックとワクチン代を負担してもらって、お引き取りいただきました。『うるた』と命名されたこの坊やは、いたって普通の少年で、我が家に来ても2、3日はゲージの中で鳴いていたけれど、やがて新しい環境にも馴れました。あの親子には「あなたは子供を生む時に、泣かないか?言うこと聞くか?って約束させてから生んだのですか?」と聞きたかったです。ああいう感覚でペットショップで買い物をする人達もいるのだろうな…と感じました。

 先週、津波被害の甚大だった港の堤防工事現場に捨てられた子猫5匹が3日後にやっと拾われて、クリニックに連れて来られました。助けてくれたのは遠くから仕事で来ている男性。いつまでもここに居られるわけでもないし、子猫は現場のプレハブに置くしかないということでした。気になって2日後に見に行くと、子猫達は風邪を引いていました。ゴールデンウィークが明ければ、頻繁に作業員が出入りして、子猫も外に飛び出して行きそうでした。よく見ると子猫の大きさが違います。生後2ヵ月半が2匹に1ヵ月が3匹といった取り合わせでした。しかし、顔はそっくり。おそらく親猫が母娘か姉妹なのでしょう。不妊手術をしないでどんどん増やして、人も住まない工事現場に捨てるなんて、愚かで残酷なことをその飼い主はまた繰り返すのでしょうか?そういう人達には、どうしたら不妊予防センターに足を運んでもらえるのか…発想の転換を促す術を知りたいです。

 子猫達を連れて来ました。風邪も回復して、5月11日土曜日に、市内の住宅展示場の事務所を借りて開催する里親探しに参加します。すでに15匹もの参加が予定されています。その後も毎日のように、捨て猫や野良の子猫を拾った人からの相談が相次いでいます。法律を作ったのだから、警察は「動物の遺棄は50万円以下の罰金」を、交通違反みたいに取り締まって欲しいです。

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誰に聞いてここまで来たのか、、、助けを求めに来た『メグ』ちゃんは、ボロボロに汚なかったけれど、ゴロゴロとのどを鳴らして甘えるけなげな女の子。

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手前のキジトラが『うるた』。大勢の先住猫に最初はちょっとビビりましたが、数日で仲間入り。気難しい「ちゃーちゃ」おばちゃんにも、何とか受け入れてもらいました。

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食欲旺盛!この子達はオジサンが保護してくれた2日前からそこに捨てられていたそうです。ちょっと風邪を引いてはいましたが、無事でいてくれて良かった。命を捨てて平気な人が動物を飼っている現実とどう向き合っていけばいいのでしょうか、、、、

『ジミー』

 望まれなくても生まれてくる命があれば、いくら生き延びることを望んでも叶わない命もあります。

 ジミーに出会ったのは、10年ほど前です。「家の犬小屋の中に白い子猫が入り込んでしまった」という相談に、可愛い子猫なら貰い手もあるだろう、と迎えに行ったのですが、すでに歯も欠けて舌を出したガチャ目の中高年で、エイズ持ちでした。「騙された~」と思いましたが、とても味のある面白い子で、性格も温和で誰とでも仲良くして、震災前は、エイズの猫だけのプレハブ『ジミー部屋』の部屋長でした。そして、今年になって、各部屋に分散していたキャリアの子達が、ようやく納戸だった小部屋に集まって、ジミー部屋が再結成されたところでした。

 最大の思い出は、4年ほど前にプレハブから逃亡した時。近所を捜し回り、新聞で『たずね猫』と呼び掛けても何の手がかりもなく、3週間ほど過ぎたある夕方、車を走らせても15分かかる魚町の水産加工場から「お宅の電話番号を首輪に付けた猫が駐車場にいる」と電話が来たのです。
 嬉しくて心配で、夕方のラッシュがもどかしくて仕方なかったことを昨日のことのように覚えています。心配をよそに、ジミーは家にいた時より一回り太って、体にはダニを沢山付けていました。どうやら山を越えて、大きな道路を二つ渡って、水産加工場が立ち並ぶこの町にたどり着いたようでした。体がすっかり魚臭くなっていました。
 津波であの町は壊滅しました。「ジミー、あの時帰って来て良かったね」と言っていたのに…、あんなにタフだった猫の命の火が、まもなく消えそうです。エイズが引き起こす口内炎の治療には月に2回ずっと通っていたのに、先週末突然食べなくなって、「食いしん坊かおかしいぞ…」と2日目に病院に行ったら、「腎不全」と診断されました。24時間の点滴、3時間ごとの追加注射…色々やってもオシッコは作られず、体の別なところに水が溜まっていくばかりです。さぞ苦しいでしょうに、最後の力を振り絞って私の側に寄り添うので、私もまた床に毛布を敷いて添い寝生活です。

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決して誰とも争わず、穏やかな甘えん坊。いざという時は知恵と勇気を駆使して生き抜いた『ジミー』。1匹1匹の命の軌跡は、感動と希望を与えてくれます。

5月8日