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夢破れても仲間あり


 前回の活動報告で、不幸な動物を助けるには、医療の力が不可欠だと力説しました。あの時、私の頭にはその夢を実現するプランがありました。家の近くに、津波被害を受けてから閉まったままの店があり、そこを借りて不妊予防センターを再興しようと考えていたのです。しかし、持ち主が、大金をかけて建て直して貸し店舗にすることに難色を示しました。市に申請して無料で取り壊し、駐車場に貸した方が元手がかからないからです。「貸すのはいいけれど、建て直すのは自分で」という話になりました。もちろんそこまでの資金が出せるわけはありませんが、今度はスタッフを派遣してくれている動物病院が建物を建てて貸してくださる話が出て、設計図までできました。

 “誰もお金を払ってくれる人がいない動物でも、必要な治療や手術が受けられる病院”の開設は、私の人生の集大成のように思えました。アニマルクラブから犬や猫をもらった里親さんはじめ、ちゃんとお金を払ってくれる飼い主さんからの収益を野良猫や迷い犬に回すNPO法人の動物病院がうまくいけば、やがて日本中に同様の動物病院ができて、人知れず病んで傷つき苦しみ抜いて死んでゆく動物たちが救われる世の中になる…。それは、人間も昔は貧乏な人は医者にかかれなかったことを知った小学生の頃から、「動物にも健康保険に代わる共済制度が作れないだろうか…」と真剣に考えてきた私の“人生の課題”でした。

 私は石巻市で誰よりもたくさん猫を飼っていると思いますが、同時に石巻市で最も多く動物病院に行ったことがある人間だと思います。「こうだったらいいのに…」という経験を生かして、動物と連れて来た人が楽になれる病院、納得できる病院を作れるだろう、という自負もありました。設計図にも理想を反映した提案も上げ、待合室を病気予防の知識と、看護と介護のノウハウ、動物愛護の啓蒙の発信地にしようと張り切っていました。

 ところが、大金がかかるプロジェクトです。協力を申し出てくださっていた病院の経理担当から、そこまでの資金提供は難しいという判断が下りました。

 とても残念でしたが、この夢にはここで一区切りをつけなければなりません。話を進めてくださっていた土地所有者の親戚の設計士さん宅を訪ねた日、私の右の頬は大きく腫れ上がっていました。設計士さんのこれまでの骨折りにお詫びして、退散した帰り道、視界がおかしくなって、不安が込み上げました。

 病院に行くと、歯医者でも眼科でも、真っ先に「疲れてますねー」と言われました。何に疲れたのか…他人の畑に自分の夢の種を飛ばして、天を仰いで雨乞いするような生き方にかもしれません。「大輪の花でなくていいよ、小さくても大地にしっかり根付いた夢を咲かせよう」と反省しました。

 そして、私は近所の空き家を借りて、自分の荷物を全て移して、我が家の庭に建つプレハブで不妊予防センターを再開する準備を始めました。震災直後からずっと山形から大工仕事のボランティアに来てくださっている加藤さんが、黙々と改造工事をしてくれています。一緒に動物病院で働くつもりでいた若い獣医さんも、小さな病院でも使える医療機材の選定をしてくれています。プレハブ3棟のツギハキ病院ですが、皆さんからのご寄付を生かして、必要な最先端の機材を揃えるつもりです。小さいなりにも、夢の花は育っています。今後とも応援ください。

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2008年4月1日、フジコ・ヘミングさんからの寄付100万円でプレハブと機材を揃えてスタートした「不妊予防センター」

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多い日は、1日に10匹もの手術を実施。週1回の開院では間に合わず、10年1月より週2回の開院となる。

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フジコさんが挿し絵を描いた絵本『青い玉』の作者沓沢小波さんが、不妊予防センターに銅製の猫型プレートを掛けに来てくれた記念写真。

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動物も飼い主も一緒に病気と闘う。たとえ負けいくさでも、その時できることを考えてやる…(ムクの看護に疲れはて寝てしまったところを不覚にも、宍戸監督に撮られた1枚)

付録…マンガになりました!

宍戸監督の紹介を受けた漫画家のたちばないさぎさんが、アニマルクラブの震災後の活動を『猫たちの大震災』というタイトルで描いてくれました。現在コンビニなどで販売中の『ねこぷに』という漫画雑誌に掲載されています。大変ありがたいことに、私もダンちゃん(《ほんかわ》の中の『幸せになった猫、DANZO』のモデル)も若く可愛く描かれています。一方、宍戸監督は“ほのぼの…じいさん”になっているので、面白くありません。そんな裏話も笑えるマンガには、私の著書『動物たちの3.11』に登場した猫たちが続々登場します。よかったら、コンビニで探してみてください。

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たちばなさんが描いてくれたダンと私。

2013年4月5日