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最後の居場所


 仙台新港の土管の中で生まれた生粋の野良犬で、最初の飼い主を噛んで威嚇して、動物病院に相談したら「安楽死」という言葉が出たと、我が家に来られた暴れん坊が、年老いて病に倒れ、まもなくその命を終えようとしています。
 誰より手を焼いた犬でした。一日中吠えまくるので、無駄吠え防止器を首に付け、吠えて電撃を受けパニックになったら外してやるために、サッシ1枚隔てた場所に布団を敷いて、騒いだら飛び起きて、なだめたものです。幼かった娘と甥は、何度も噛みつかれました。訓練士さんから教わった、膝の上に仰向けにして前足と鼻面を抑える『拘束制止法』を辛抱強く繰り返して、矯正しました。近所の人は眉をしかめて陰口を言い、うちの母親には「こんな迷惑な犬を生かしておいて誰のためになんの?保健所さやったらいっちゃ」とまで言われました。
 頭にきたので、『めいわくムック』と題して、アニマルクラブ初めてのドキュメンタリー写真絵本として自費出版した『それでも生きていく命のために』の巻頭に収めました。1000冊完売したので、その後はホームページの《ほんかわ…本当にあった可愛い話と悲しい出来事》に掲載しています。あの“顔も頭も性格も悪いめいわく犬”が、実家の庭で年月を重ね、味のある面白い犬になり、震災時、外の犬小屋に繋がれていたリコもマメコも津波に命を持っていかれた中で、泥まみれになりながら唯一生き残って、私の帰宅を待っていてくれました。震災後は口内におびただしい数の腫瘍ができたりもしましたが、手術翌日にはごはんを請求して吠える豪傑ぶりは“老いてますます盛ん”な勇姿だったのに…。

3月18日の朝の散歩の時、ムクの様子が前日までとすっかり変わって、歩くのもやっと、いつもなら散歩から帰るとごはんを請求してうるさいのに、声一つ上げず、一口も食べません。ただ事ではなかったから、すぐに病院に向かいました。車の中でも呼吸は乱れ、胸が大きく膨らんだりへこんだりして、とても苦しそうでした。いったい何が起こったのか…わかりませんでした。レントゲンを撮ると、肺水腫を起こしていました。元々心臓病があり、夏場は呼吸が苦しくなるので、今年はエアコンのある部屋に置いてやらなくては…と思っていましたが、事態はもっともっと深刻なところまでいっていたことに、全く気づいていませんでした。容態はどんどん悪くなり、鼻からの出血を見た獣医さんは「非常に危険な状態です」と顔を曇らせました。
しかし、病院で注射や点滴を受けるうちに落ち着いてきました。病院で死なれるのは嫌だったから、入院はさせずに連れて帰りました。震災後に寄せられた皆さんからのカンパで、酸素室を購入しました。うちには慢性鼻気管支炎の猫も大勢いるし、心臓弁膜症の猫もいます。今回、ムクはこのICUボックスのおかげで、自宅看護できました。温度と酸素を一定に保ってくれるから、人の目が届かない夜間は、この中で寝せることができました。
 昼間は目の届く室内で自由にさせて、日に3度の投薬。何も食べようとしないのに、不思議に薬だけは飲んでくれました。痴呆も始まり、くるくる回ったり、狭い所に入り込んで、そのままうつらうつらしてしまうのでした。
 毎日夕方病院に通いました。気丈な犬で、イオンの駐車場に着くと、歩いてクリニックに向かいます。体重は日に日に減ってゆき、何を食べさせようとしても全く受け付けず、やがて水も飲まなくなりました。病院で注射と哺液を受けて帰ると、いつも夜です。助手席にムクを乗せて、車のテールランプの列なりを見つめていると、私は決まって「♪何でもないよなことが幸せだったと思う~何でもない夜のこーとー、二度とは還らない夜~」と歌っていました。助手席にムクを横たえて出発するこのドライブは、いつも忙しくてほったらかしだったムクとの濃密な時間となりました。“最後の居場所”がどこになるか、誰と過ごすかは、動物にとっても大事なことだと感じました。先生から「心臓の音が微弱でまばら…いつ亡くなってもおかしくないよ」と言われてからは、夜も添い寝しました。もう酸素より、愛情だと思ったからです。
 そんな宣言を受けてからも、ムクは車の中で、突然天を仰いですっとんきょうに吠えだしたり、窓から外を見る瞳が生き生きしているので、「もしかしたら…」と思いつき、ミニストップに立ち寄ってソフトクリームを買い、ムクの口に入れてみたり、狭い所に潜りたがるムクが、走行中に突然運転席の足元に入り込んで焦ったり…ムクは病んでも、命の瀬戸際でも、犬という動物が本来持つ生命力と自己主張を見せてくれました。そこまで来ても、飼い主というものは、“奇跡が起きること”を信じているのだということも、身を持って知りました。
 17日目…とうとう立って歩くことができなくなり、それでも立ち上がろうとする体を支えるとオシッコをして、そのまま崩れました。しかし、18日目にはまた歩き出して、あちこちぶつかって危ないから抱き留めると、必死の力で「行くんだ、行きたい」と抵抗するのです。そして、やがて力が抜けて、腕の中で寝息を立てるのでした。
 そして、18日目の午後、とうとうムクが苦しみだし、今、注射を打たれて眠っています。この世とあの世を行ったり来たりしながら、だんだんとあの世に近づいています。今夜が最後のドライブになるかもしれません。

「別れに…」

そうか…
懸命に生きようとした
きみもとうとう逝くのか

わたしはまだここに残り
きみらの願いを社会に架ける橋を作る

時々はくたびれて
時には悲嘆に暮れながら…
そんな時は夢の川原で舟に乗り
死者の街を歩いて来よう

懐かしい顔が、あの頃と変わりなく挨拶してくれる
こんな犬もいた
あの猫にも会えた…

その通りを、何年もきみと歩いてきたように散歩して

夢から覚めたらまた橋を作ろう
いつか私もあの街に行き着く日まで…

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突然の病に倒れたムク

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添い寝して見守るうそじゃ

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毎日の通院ドライブも半月余り…

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時には機嫌良く景色眺めたり、遠吠えしたり…

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すっかり痩せ細り、立てなくなった日

《『めいわくムック』に飛ぶ》

2013年4月4日