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春待ちわびて、根雪踏む


上映会を終えて…

 朝カーテンを開けると、一面の雪景色。風もビュービュー鳴っていたし…ずっと前からこの日の晴天を祈ってきたから、何だか傷つきました。とにかく「やるしかない…」という悲壮な面持ちで犬の散歩をして、ボランティアさんが来るまで黙々と猫のごはん作りをしました。少し晴れ間が見えたかと思うと、雪がボタボタ降ってくる天気で、もっと降っているところから来てくれるはずの人達のことも心配になりました。しかし、一方では、今日のこの日を私と同じように心待ちにしてきた人達が居るということに、心が満たされてもいました。

 会場に着いた頃は、雪が降り積もって時折吹雪いて、荷物を持って舗道を歩くと滑って転びそうでした。解錠に来てくださったホールの管理者も気の毒そうな顔をしていましたが、ホール使用の確認をして、施錠の時間も延長していただきました。自分1人残ってでも、時間を気にせずに持って来た物をちゃんと整理して片付け、会場も清掃してから帰りたいと思ったからです。どれだけ人が入ろうと入らなくても、私にとってこの映画は震災後の軌跡であり、様々な出逢いと奇跡にも行き合えたドキュメンタリーです。宍戸監督に「これも撮って欲しい、この人も取材した方がいい…」と注文をつけ、撮った物を見れば「これじゃわからない、伝わらない…」と文句を言い、時に彼の目に怒りや涙が浮かんでくると、「もうこの人はここへは来ないかもしれない。それなら、今伝えておかなきゃ…」と必死のバトルも踏んで生まれたドキュメンタリーが、何回も何回も練り直されて角度や切り口を変えて、東京へ出て『犬と猫と人間と』の飯田監督のプロデュースで、映画らしい映画になって、故郷に帰ってきた…この晴れ姿を是非多くの人に観て欲しかったのです。

 開場後まもなく、宍戸監督とわざわざ東京から駆けつけてくださった石塚さんが到着しました。石塚“おけいさん”は雪景色にはしゃいで、「石巻で、パウダースノーの上映会は最高のシチュエーション!」と喜んでいました。この人は司会者なのに、1月の東京での完成上映会の時、私の隣の席で体を揺らして大泣きして、椅子の背もたれの激しい振動に、私は「地震が来た!」と慌てたエピソードがあります。この日も、おけいさんの不遇を満喫する天然ぶりに、私も笑顔になっていました。

 会場に椅子を並べました。願いを込めて置けるだけ150席並べました。徐々に手伝いのボランティアさんも来てくれました。私は映画の上映会場と通路の仕切りになる掲示板に、五井さんのイラストを飾りました。彼女が作ってくれた《地域猫》のパネルも掲示しました。

 アメリカからサラ・イタミさんが送ってくれたキルトのタぺストリーも飾りました。犬と猫の絵と「命を助けてくれてありがとう」と描かれています。両面に大きく猫の顔が描かれたフェルトのバックには、春を先取りした美しい花々を生けてもらいました。 サラさんとは、私の著書『動物たちの3.11』を読んで、心のこもった手作りのタぺストリーを送っていただいて、私が感激したのがお付き合いの始まりです。本当に人と人のつながりは、何がきっかけになってどう発展していくか…風で運ばれた種が芽吹いて伸びて、どんな花を咲かせるかが楽しみです。

 正午の開場の30分も前に来てくれた家族がいました。私はすっかり忘れていましたが、10年以上も前にアニマルクラブからもらった犬を若くして死なせてしまったこと、その時に私に病院に送迎してもらったこと、病気に気づくのが遅れた自分達には動物を飼う資格がないと思ってきたこと…奥さんは、何年も胸にしまってきた思いを語って、やっと笑顔になりました。痛みを抱えたまま年月を重ねてきた心は、人と会うことで傷を埋められるものなのでしょうか…。私は、「3月9日の三陸河北新報社ホールでの里親探しに来てみませんか?」とお誘いしました。

 開場近くなると、お客さんが一組、また一組と入って来ました。皆さん、五井さんのイラストを真剣に、そしてまた慈愛溢れる眼差しでゆっくり見てくださいました。画集もたくさん買っていただきました。また、シカゴから空輸されて来たサラさんのお散歩バックも多くの方が買ってくださいました。 そして、上映会が始まる頃には、用意した椅子が足りなくなって入り口近くまで追加しました。東京で一度観ていた私は、会場を出てロビーで待機して、遅れて来た方々の対応をしました。悪天候にも関わらず満席にしていただいた喜びで、ガラス越しに見える風に舞う雪も朝と違って新鮮に映りました。

 上映会の後は、宍戸監督、飯田プロデューサー、私もご挨拶させてもらい、最後は、皆さんから感想や動物ドキュメンタリーへの要望などを聞いたアンケートを集めました。「良い映画だった」「是非多くの人に観てもらいたい」「まず知ること、そして動くことだと感じた」 …励まされる感想をたくさんいただきました。貴重なご意見は、宍戸さんに託しましょう。

 皆さんがお帰りになった後、私だけ残り、施錠に来てくださる方を待ちました。その日お手伝いくださったボランティアさん達は、一つ先の路地にあるお好み焼き屋『竹林』で打ち上げを始めています。私は「無事に終わって良かった」、「こんな天気なのに来てもらってありがたかった」…としみじみ感慨に耽り、トイレ掃除をしながら、管理者の到着を待ちました。そして、一足遅れてみんなと合流。映画のポスターにもなってるお好み焼き屋の看板娘、猫の“みーちゃん”が順々にお客さんの膝に乗って甘えています。映画の冒頭ではカメラを向けられると逃げ出した野良猫でした。震災を生き延びたマスターとみーちゃん、そして、みーちゃんが生んだ“ムサシ”はしっかり家族になっていました。

 山形から駆けつけた加藤さんが芋煮鍋と芋餅をこしらえて、絶賛を受けていました。勿論、マスターの作るお好み焼きも絶品です。山芋たっぷり、下味の染み込んだこんにゃくやイカなど手をかけた具沢山のヘルシーなお好み焼きと、チーズやシーチキンも入ってこっくり香ばしいもんじゃ焼き…『竹林』のお好み焼きは、石巻人として自慢の味です。

 会場から引き上げて来た荷物でいっぱいの車が店の前に停まっていましたから、お酒は飲めませんでしたが、ほろ酔い気分で帰途につきました。あとは、この映画が劇場公開されて、沢山の人に観ていただけることを願います。どんな掛け声や祈りより、本当にあったことと、そこで動物たちに寄り添う人間の生きざまを観て欲しい~観た人ができる一歩を踏み出してくれることが、動物たちを救います。

五井さんが作ってくれた「地域猫」のパネル。「どの子も愛されて幸せになるように」が彼女の夢でした。

五井さんの描いたイラスト原画展。みなさん、丁寧にじっくり見て、読んでくださっていました。

写真5

映画の始まりとなった震災後まもない石巻の泥まみれの街を駆ける野良猫「みーちゃん」は、今ではお好み焼き屋さんの看板娘になりました。

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ほーら、こんなにも甘え上手なみーちゃん。お客さんからチップをもらうこともあるそうです。

医療とお金の問題

 前回写真を掲載した行き倒れて死にかけていた猫と、ケンカで重症を負った猫の現在の姿です。適切な治療を施すことで助かる命はたくさんあります。特に外傷の回復には目を見張る場合が多いので、人知れず苦しんで死んでいく野良猫は可哀想でなりません。

 上映会の1週間前にも、留守番電話に市内のショッピングセンターの駐車場に子猫がいると伝言だけ入っていて、すでに3時間余り経過していたので、気になって捜しに行ってみましたがわからず、ナンバーディスプレイに残っていた番号に電話をかけて聞きました。すると、電話をよこした時点で、子猫は衰弱して動けなかったそうです。そんな状況を見ながら、自らが手を差し伸べなかったのは、無関係な自分が責任を取ることになるのが嫌だったからのようでした。大勢の人が行き来する場所ですから、他にも見た人はいたでしょう。気になっても“見て見ぬふり”してしまうのは、日本では手を出した人が1人が解決しなければならないから、自分の生活を秤に掛けてしまうのだと思います。

 「この寒さだもの、とにかく病院に運んで、それから相談して欲しかった。命つないでこその相談でしょう」と、防寒ジャンパー着ていてもかじかむ手で握りしめていた携帯電話に向かって言うと、「どうしていいかわからなくて…迷惑かけてすみません」と謝られました。同じ所をぐるぐると何度も見て回りましたが、もうそこに救うべき命の姿はありませんでした。「誰かが救ってくれたってこともあり得るよ…」と、私は痺れてきた指に息を吹き掛けるしかありませんでした。

 日々様々な相談が来て、相談者が主体的に助ける努力をする場合には協力する、というのがアニマルクラブの基本姿勢です。私が聞いて放っておけなくて動いてしまった時は、自分が出会った子だと思うようにしています。治るものなら治してやりたいのが人情ですが、すべてにお金が必要なのが世の常です。前回紹介した糖尿病の『クロ』がとうとう死んでしまいました。相談を受けて2ヵ月足らず…28万円余りの費用をかけても、助けてやることはできませんでした。

 しかし、その治療は無駄だったのでしょうか?それを無駄と言うなら、多くの人々が人生で使うお金のかなりの割合が無駄遣いになると私は感じます。医療は施したいけれど、際限なく出せる財源はない、というのがアニマルクラブの答えです。新年明けて2ヵ月で50万円余りの医療費…これでは皆さんから送っていただいたカンパが特定の数匹のためだけで消えてしまうから、私は曹洞宗の教えに習って「まず生かせ、ものの命と人の知恵」を実践して方法を考えます。そして、その道のりで遭難も破産もしないように、二・二六事件で生き延びて首相となった鈴木貫太郎の「正直に腹を立てずにたわまず励め」を心がけて世間と付き合っていこうと思います。

写真1

瀕死の状態で発見されたが、入院して治療と栄養補給、人間の看護を受けて人慣れもしました。
山の麓で行き倒れていた「ふもと」は、丸々と太って我が家の一員になって生き直しています。

写真2-2

ケンカで大けがをした猫も適切な処置を受けて、日に日に元気になって、すっかり甘えるようになりました。体も肝も太いから、名前は「ふとし」くんに、、、