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愛と勇気と医療をください。


上映会前夜

 一昨年の3月11日、家屋が倒壊し、車や船が流れ込み、人も動物もたくさん犠牲になった石巻市中央に昨年末にできたホールで『犬と猫と人間と2~動物たちの大震災』が上映されます。会場のアイトピアホールは、震災前は生協石巻中央店。私も店に行く前によく買い物に寄っていました。宍戸監督が石巻に来て、最初にカメラを向けた野良猫ミーちゃんとお好み焼き屋さんもすぐ近くにあります。お馴染みさん、懐かしい顔、新しい出会いも運んでくれるかしら…上映会が楽しみです。5月からは劇場公開ですから、各地で大勢の方々に是非観ていただきたいです。

捨て子たちのその後

 年末年始に捨てられた子猫たちは4匹に里親さんが見つかり、5匹が残留です。次のチャンスは、3月9日(土)午前10時から、石巻市千石町の石巻河北ビル1F「かほくホール」で、里親探しと五井美沙さんの作品展を開催します。(里親探しは16時まで、パネル展は18時まで。)焦らず、悲観せず、安心して託せる里親さんを探します。

 家の近くで3匹生まれ、1匹は凍死、1匹はカラスに襲われ、唯一生き延びた『ノビ』は、震災で愛猫を亡くしたお宅にもらわれました。最初そのお宅では「好みは言わないけれど、黒白だけは避けたい」と思っていたそうです。なぜなら津波で死んだ『くろ』を思い出すから。でも、ノビを見たら、自然とくろの思い出が家族それぞれの口から出て…しかも笑顔になっていたから、「命は連続する営みなのだなー」と感じました。くろの思い出は、ノビの仕草や表情の中で息づいて、くろにしてやれなかったことは、ノビにしてやることで、家族もくろへの悔恨や無念から救われる…そんな想いで、微笑ましい光景を見守っていました。

 「ノビ、幸せになるんだよ」と祈りながら帰宅した私は、ノビ達が生まれた空き地に行ってみました。震災前はここに家があり、12匹の猫が出入り自由の気ままな生活をしていました。今いるのは、人馴れしていない5匹。2匹は我が家に来ていますが、あとの5匹は津波の犠牲になったのだと思います。今は、飼い主のおじさんがベニア板で作った小屋があるだけです。前から気になってはいたのですが、私が入り口に掛けられた布を捲り上げた途端に、猫達が寒空に飛び出すことを連想し、飼い主のおばさんに言われた「寒くないようにちゃんとしているから大丈夫」をある程度は信用していました。ところが、天気の良い日を見計らってその中を見て、びっくりしました。新聞紙の上にアルミの保温シートが1枚敷かれていただけでした。これでは、生まれた子猫も凍え死ぬわけです。
 出かける予定を延ばして、早速小屋の補強作業に入った私は、「おばさんは猫を可愛がっていたはずなのに、どうしてあんな嘘を言うのだろう?」「いや、嘘なんじゃなくて、あの人はこれでやったつもりになってる。自分だったらどうだろう?と考える想像力が欠如しているんだ…それはいつも本人には及びのつかない結末をもたらし、その人は自分自身を被害者に仕立てて、猫は二の次になるんだ…」と自問自答していました。
 『清十郎』を引き取った元旦に、飼い主にはプレハブを建てるように勧め、安く手に入る中古がないか業者の留守電にも入れましたが、2、3日後に飼い主より「前に買っておいた材料で寒さを防げる小屋を作るから、頼まなくて大丈夫です」と断られました。しかし、2月も末になるというのに、その作業も途中で止まったまま、ブルーシートには雪がたまっていました。
 薄いベニアの小屋の中に保温マットや毛布を敷き詰め、入り口も毛布とブルーシートで囲いましたが、原っぱにポツンと建つ小屋は、やはり寒々としています。小屋の中に残っていたドライフードも凍っていました。翌日、飼い主がまた我が家にお礼の果物を持って来ました。1日おきに、バスを乗り継いで1時間ほどかけて、仮設住宅からエサやりに通っているそうです。それなのに、「前にやったエサが少なくなっていたら足す」と言ったので、「残りは捨てて、新しいフードを置いてください」と言いました。自分が一昨日の冷やご飯をそのまま食べるでしょうか?やはり想像力が欠如しています。そして、生き方の根本が“けち臭い”。この人達は近くに何ヵ所か不動産を持っています。今、石巻には宅地を求めている人々が大勢いるのだから、早くお金に替えて自分達の家を建て、猫を幸せにしたいとなぜ考えないのだろうか、と口惜しくてなりません。せめて、うちにイチゴを買って来るお金で缶詰を買って、猫に与える思考回路を持って欲しいと感じました。

 寒風が吹き荒ぶ中、わずかな日だまりで、白黒の猫が体をくねらせ、その上に首に傷のある大きなキジトラが乗り掛かって交尾していました。白黒は、ノビの母親です。また2ヵ月したらここで出産してしまいます。私は家から捕獲器を持って来てその近くに仕掛けて、自分は車の中から遠巻きに見ていましたが、入らないので、今度は捕獲器を小屋の中に入れて、一度家に戻って、30分後に行ってみました。
 入り口に掛けてあった毛布を捲り上げると、捕獲器の中で白黒の猫が暴れていました。「ヤッター!」と思って、バッタンバッタン揺れまくる捕獲器を、両手で押さえながら車に運んで、乗せる間際に振り返ると、捕まった仲間をいぶかしげに見送る一団の中に、捕獲器の中の子とそっくりな白黒の猫がもう1匹いました。「あっちがノビのお母さんじゃないかなぁ…」と、頭によぎりました。
 やっぱりそうでした。翌日病院に連れて行って、麻酔をかけられて、オスと判明しました。去勢手術後2、3日はおとなしかったのですが、体力が戻るとケージの扉を開けた途端に威嚇してエサを引っくり返すので、5日後の今朝、傷の治りを確認して、連れて来た小屋の中に放してきました。捕獲作戦を続けなければなりません。

のびと里親さん

ノビと里親さん…運命の赤い糸で導かれたように、家族になりました。亡くなった兄弟と先住のくろちゃんの分も、ノビは家族と共に生きていきます。

高額医療費問題

 大ケガをした犬や猫の手術費用などが10万円を超えたことは何度もありました。でも、それは1回支払えば、段々良くなって費用はかからなくなります。しかし、慢性の重病は生きている間ずっとお金がかかります。先月、被災して飼い主とはぐれたと思われる人懐こい猫を保護した方2人が、同じ日に不妊予防センターを訪ねて来て、偶然にもどちらの猫も糖尿病でした。

 茶トラの『ダイちゃん』は、津波被害が甚大だった女川町で保護されました。逃げる時にはぐれないように、飼い主さんが付けてくれたのでしょうか?1匹でさ迷っているところを保護された時には、ゆるくなった胴輪がずれて、脇の下に食い込んで大きな深い傷を作っていました。
 ダイちゃんを保護してくれた家族は、病院に運んでくれましたが、傷はいつまでも治らず、検査をすると糖尿病であることがわかりました。毎日家でインシュリンの注射をして、傷の手入れと血液検査に通い続けるとどんどん出費がかさみ、治療を続けることが困難となり、アニマルクラブに相談が来ました。アニマルクラブで立て替えて支払うことで治療費を割り引きしてもらい、保護した方からは、自分が負担できる分を少しずつ出してもらっています。この家族は、糖尿病とのつき合い方を知っているし、ダイちゃんを我が家の猫として大切にしているので、獣医師と意思の疎通もできています。
 一方、もう1匹の『クロ』がいた石巻市の渡波も海のすぐ近くなので、大きな痛手を受けました。地震の直後に人も動物も高台を目指して逃げたようです。山の上のサンファンパークという公園にたくさんの猫が住み着いたと聞きました。避難者から餌をもらって生き延びた猫たちの相談を受け、無料で避妊手術やワクチンをしたこともありました。
 クロもそこから拾われた猫でした。体調が悪くなり病院へ来て、糖尿病と判明しました。しかし、ダイちゃんとは違うのは、連れて来たおばさんが無責任で、他力本願な人でした。面倒な病気だとわかると、自分の家が被災して大変なことや自分自身が病気持ちで本当は猫どころではないのだと逃げ口上ばかり。それでも、「費用は出せないけれど面倒はみるから助けて欲しい」と手を合わせるので、協力しました。
 しかし、おばさんは病気の説明にも自分本意な感情論でしか応えないので、実際には管理できていません。糖尿病は血糖値のコントロールが非常に難しいので、クロは家に戻ると体調を崩し、おばさんはすぐにオタオタして病院に駆け込むので、入院を繰り返しています。その結果、医療費がかさみ、3割引してもらっても先月分の支払い請求額は26万円になりました。それに対して、おばさんが「自分に払えるくらい…」と持って来た金額は2千円でした。
 この活動を続けていく中で時々、相談者の生活環境や知的レベルとの隔たりから繋がらない認識に、足をすくわれて進めなくなる時があります。

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長い間治らない傷に苦しんできたダイちゃんは、穏やかでお利口さん。

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調子が良い時はうるさいクロが、体調が悪くなるとどんより動かなくなるのが可哀想です。

慈善動物病院構想

 私はアニマルクラブの活動を続けてきたからこそ、いろんな現実、様々な暮らしを見てきました。「今の日本にこんなところがあったなんて…」と驚き、普通に暮らしていたら出会うことのなかった人達ともつきあってきました。
 ドラえもんの『どこでもドア』で東南アジアの貧民街に行ったのかと錯覚してしまうような場面もありました。ウイークデーの昼間なのに、けたたましく小型犬が吠えるアパートの一室に三家族位の大人が数匹の猫と戯れて、その中には骨折した足を割りばしで押さえられた子もいました。あるいは、鍋と猫のトイレが一緒に並ぶ古く傷んだ家の中には、目ヤニや鼻水で汚れた20匹以上の猫が繁殖を繰り返していて、片隅で子猫が死んでいました。
貧しいことや無知なことに絶望したのではありません。むしろそうした暮らしの人々にとって、動物がいかにかけがえのない存在かを痛感したし、力になりたい、教えてあげたいと思って行動してきました。その想いは相手にも伝わっていたのか…数年を経て、立て替えていた不妊手術代や治療費が返ってきた、ということも何度かありました。「いつかお金が入ったら、アニマルクラブに返さねば…」と思い続けてくれていたのだとわかると、「あそこにいた子達は不幸になっていない」と安堵しました。

 しかし、普通の動物病院は、治療費が払えない人の犬や猫を診ることを、ある時から断ります。「慈善事業ではない」からです。でも、アニマルクラブの動物病院がやろうとしているのは、慈善事業です。その事業を続けていくためには、同時に経営も成り立たなくてはなりません。経営は、ちゃんとお金を払ってくれる飼い主さんからの収入で回していかなければなりません。お金を出してくれる飼い主がいない子のために使うお金は、病院経営とは別収入の寄付で賄わなければならないと考えています。
 経営学など何もわからない、医療に関しても素人の私が漠然と夢見てることですが、不幸な動物を助けるためには、愛と勇気とそして、医療が必要です。マザー・テレサの寺院で、日本のオロナイン軟膏がとても重宝がられていると聞いて、友人と贈りました。その寺院に収容される人々と、私達は一生会うこともありません。でも、送ったお金や品物で助かる人や楽になる人がいることが願いです。動物たちのためにも、そんなふうに考えてくれる人々に協力してもらえたなら、慈善病院は実現できるような気がするのです。
 実現への最初の呼びかけを石巻での上映会でしてみようと思います。募金箱も作りました。協力してくれる人、私がわからないことを教えてくれる人がいたら嬉しいです。

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行き倒れて仮死状態だった猫も、酸素室に入れて点滴して鼻から栄養取らせて、生き返りました。

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ケンカでケガした、人なつこい野良猫。震災後エサを食べに来るようになった被災猫らしい。

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五井さんのイラストを入れて募金箱を作りました。お店などに置いてくださる方は、連絡ください。

幸せにやってます。~里親さん宅から

清十郎

清十郎(改めジュウちゃん)

くりまん

くりまん(改めクリ)

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びん(改め花子・・・・・♂ですが)

チーコ

チーコ(改めチビ)

2013年2月22日