今年もありがとうございました。~お礼も伝えずご無礼しました。

『運ついて年越し』

 あと数日で今年も終わりですが、石巻はここ数日、この冬一番の寒波到来で、道路がツルツルに凍って、朝の散歩は帽子とネックウォーマーで目だけ出して、「すーべってーこーろんだぁーら、やることできなくなっちゃうよ~」と、自分に掛け声かけながら、必死で犬達のリードを引いていました。元栓を閉めていても外水道は凍り、ヤカンでお湯を沸かすところからスタートです。

 それなのに、交通事故と熱中症の後遺症で目が見えず、時々痙攣起こして感覚も麻痺している『ニヤーゴ』は、毎日のようにウンチを踏んで、ケージに塗りたくります。シャンプータオルで足を拭くと、やみくもに噛みついてきます。

 犬の部屋に行けば、16年前に成犬で保護した『チッチ』が、夜中も排便に連れ出したにも関わらず、サークルの中で、これまた“糞踏んで”足の裏にベッタリ付けていました。まず片方の前足を持ち上げて、足の裏に付着したものを拭き取ろうとすると、まさに痴呆老人のように、収拾のつかない暴れようです。先ほどニヤーゴに噛まれた手首に、今度はウンチの破片が飛び付きました。

 年末年始は主婦のボランティアさんは忙しくて休むことが多いから、私は2013年も元旦から“ウンが付いて”縁起が良いかもしれません。

『いまだ被災地です』

 震災から2度目の年の瀬も、あわただしく過ぎていきます。除夜の鐘が鳴る頃には、テレビの前に座ることができるのか、あるいは力尽きて寝転がり、寒くて目覚めると新年なのか、わかりませんが…昨年の今頃は『動物たちの3.11』の執筆にも追われていて、「来年の今頃はもっと余裕ができて、人間らしい暮らしができているだろうなー」と期待していました。しかし、現実はあまり変わりなく、むしろ昨年より疲れが溜まって、頑張りが利かなくなりました。

 離婚の慰謝料と養育費の先払いで10年前に購入した家でしたが、すっかり猫と犬に明け渡しました。皆さんからのカンパで駐車場に建てたプレハブの中には、私のベッドもあるのですが、水道とガスがまだ通らないことと、病気の猫が続出で側を離れられないため、私も引っ越し班の猫達もまだ移動できないで年越しとなりました。

 昨年、被災地慰問に来た人が、気づく筈もなく土足で入って来た場所に、今も夜はゴザと布団を敷いて寝ています。収容動物の増加により、かつてそこにあった私の生活は消えました。ボランティアさんが帰った夜、コーヒーを淹れて一口飲んだ時、生臭くてびっくりして、よく見ると、ずっと大事にしてきたピーターラビットのスプーンに魚がこびりついていて、猫缶を分けるのに使われていたことを知りました。その時、「震災後被災って、プライバシーとプライドが削がれることだな~」と感じました。

 「なぁーに、そんなこと…」と、笑って済ませられるのが人間性なら、それを維持できるのが、生活の安定とこの先の希望だとも感じます。私自身は震災当日に店を失い、無職無収入のままここまで来ました。昨年は被災者に分配された義援金や保険会社の地震保険支給で賄い、今年は受験生の娘の学費を離婚した夫に負担してもらうようにお願いしたことで、いくらか貯めてきたお金を自分達の生活費に回せました。幸福の王子の銅像のように自分が丸裸になっては、ボランティアも続けていけないし、側で一生懸命に動いてくれたツバメまで巻き添えにすることになります。来年こそは収入の道を確保しなければなりません。

『ボランティアって…』 

 新聞やラジオで、有名人や普通の人々も「東日本大震災が起きて被災地の映像を見た時、居ても立ってもいられなくてボランティアに向かった」とコメントするのを何度も見聞きました。『何かできることをしよう』という行動力があってこそ事態は変わっていくのだから、その想いは尊く、被災地を支え続けています。ただ、その行動が自分のやるせなさを晴らすためでなく、社会が良くなることへの一環であって欲しいと願います。

 アニマルクラブにも、被災直後から今も、山形から通い続けてくれているボランティアさんが2人います。世間が大工さん不足で長い順番待ちの中、うちは加藤さんが何から何まで作ってくれました。加藤さんは時間が取れた時に来て、して欲しいことの優先順位に従って、その日できる区切りの良いところまで作業してくれます。つまり、まだ続きがあっても、「ここまでやっておけば、明日からも支障なくここを使える」状態にして帰る『一話完結型』の仕事をします。

 もう1人の石山さんも時間が空くと「何をしましょうか?」と連絡をくれて、仕事量が多いとお父さんや娘さん、親子三代で掃除用具持参で来てくれます。この方も『ニーズに合わせてフル回転』して、跡を濁さず帰って行きます。

 一方、今年になってから、動物のボランティアをしているという何人かの女性から、“相談”の電話がかかってきました。それぞれ別の土地の別の団体に所属しているのですが、雰囲気も主張することも似ていて、類型化できそうな人達でした。

 彼女たちは、思い詰めた電話やメールで、見聞きしてきた可哀想な被災地の動物達の話を延々とします。そして次に、自分が所属していた団体はもう手一杯で引き取れないとか、今の自分は個人で活動しているとか…、そして、その不幸な猫に関わっている被災地の人々も何もする事はできない、さらに、自分は遠方にいるので思うように動けない…と、できない言い訳を並べます。つまり、誰に対しても従順で同情するけれど、問題解決は他人に頼むことだと考えている人達です。現状の事実関係すら把握してなくて、自分は何をどこまでやれるのかも不明確で、その後の経過も尻切れトンボ…。アニマルクラブも、対応しきれない現実の中から、何とかできることに一つずつ取り組んでいるのに、いかに残酷な現実があるか…気仙沼や雄勝の不幸な猫達のことを聞かせられても、胸に刺さって虚しくなるばかりです。知った以上は、救済の手立てを模索したりもしますが、パイプ役が心もとなく、現地に動いてくれる人がいないと、現実には難しい話です。

『ねこまつりの効用』

 全てを助けることはできないのだから、私は、自分が関わった命だけは、確実に救っていくことを目標にしています。今年は夏生まれの子猫になかなか貰い手が見つからず、大きくなった子がたくさん残っていたことが、悩みでした。だから、前回の活動報告に書いたように、期待をかけて『仙台ねこまつり』に参加して、2日間里親探しをしました。

 大勢の人が訪れ、里親探しも期待以上の成果があり、20人余りの申し込みがありました。翌週からは1軒1軒里親希望者宅を訪問して、家庭環境を見せてもらい、家族の方々と面談しました。先住の猫や犬との相性を見たり、家の中の危ないところを注意したり、里親さんが心配していることに、できる範囲でアドバイスしたりしました。

 1度のお見合いでは、カップリングがうまくいかないこともあります。子猫を迎えた里親さん宅でも、様々なドラマが始まります。気の弱い先住猫がすっかりビビってしまったお宅からは、やんちゃなオスは返してもらって、兄弟と離れて寂しくなったメスの子猫を連れて行ったら、うまくいきました。人馴れしていない兄妹を「可愛い!」と引き取ったものの、マンションで一晩中鳴かれて、翌日あわてて返しに来たご夫婦は、その後その子達が気になって、日曜日度に会いに来て少しずつ距離を縮めています。年末年始の休みに、再びこの兄妹と同居して、家族になれるか、トライアルするそうです。

 人の気持ちは不思議なものです。どこが良いんだかわからないけれど好きになったり、このことだけは何とかやり遂げたくなる。でも、それが利害関係のない動物に向けられるものなら愛だと思うから、正直な人の迷いには、お付き合いします。その過程で、里親さん家族の人柄に触れて嬉しくなったり、安心したり…だから、1匹ずつ納得して送り出せるのです。
『ねこまつり』では、残留組の『ちゃこブー』も活躍しました。“1日店長”を勤め、来場者に撫でられ、抱っこされて上機嫌で、自分の人形を十数個売りました。エサ代2ヵ月分位は稼いだのではないでしょうか。津波で亡くなった飼い主さんご夫妻に、「ちゃこはわがままで、猫とは仲良くできないけれど、甘え上手で皆に可愛がられて、たくましく生きていますよ」と伝えたいです。

ちゃこブー

『ねこまつり』で1日店長を勤めたちゃこブー。自分の人形を売りました。


ちゃこブー2

抱っこが大好き。うっとりしています。「毎日店長やりたいなー」と思っていることでしょう。

『虹の橋に続く写真』

 ねこまつりの会場は小さな空き店舗でしたが、階段の途中の壁にスペースがあったので、『地域ねこ』のパネルを掲示しました。この5枚の大型のパネルは、五井美沙さんの手書きです。「野良猫も愛されて幸せになれますように」と、彼女が一生懸命に作ってくれました。そして、『五井美沙作品集~余儀なき別れの後で…』は反響が大きく、全国から注文をいただいています。

 さらに、この年末になって、嬉しいサプライズがありました。あの本に収められている五井さんの写真は、22年の夏、ペット新聞に、私が彼女の作品展を開催する記事を書くために、ボランティアの高橋くんに頼んで撮ってもらいました。五井さんはシャイで、普段は写真を撮らせてくれるような人ではなかったのですが、「アニマルクラブの絵描き展を宣伝するためだから」と私が口説き落として、撮影に漕ぎ着けました。

 あの大惨事の後で、家も家族も失い、写真1枚さえ残っていない五井さんのお父さんと妹さんが、彼女のゆかりのものを求めて、我が家を訪ねて来ました。とりあえず家の仏壇に飾っていた、犬のミータンの絵(『五井美沙作品集』の表紙の絵です)を手渡した後で、私は高橋くんに、あの時撮った写真が欲しいと伝えました。ところが、高橋くんのパソコンは水没して、データはダメになったと言われたのです。そこで、もう営業していなかったペット新聞の会社に連絡を取って、彼女の写真を探してプリントして送っていただいたのです。

 たった1枚しか残っていないと思っていたリアルタイムのポートレートでしたが…数日前に、高橋くんが「データが残っていました!」と、ペット新聞に送るために撮ったあの日の、何枚かの写真を持って来てくれたのです。

 びっくりしました。不思議でした。そこには彼女と共に、『リコ』、『マメコ』、『ドロンパ』、『ピョンタ』…虹の橋を渡った子たちが写っていたのです。ボランティアのまゆみさんが、「五井さん、今も天国でリコとマメコとこうして散歩してるんじゃない…」と目を細めました。「そうだといいな~そんな世界があって欲しいな…」と私は思いました。

リコとマメコと散歩する五井さん。虹の橋もこうして歩いているかなぁー。リコとマメコと散歩する五井さん。虹の橋もこうして歩いているかなぁー。

リコとマメコと散歩する五井さん。虹の橋もこうして歩いているかなぁー。

ドロンパと。里親さん宅は流失。震災後に電話した時、「人が逃げるので精一杯だった」と言われました。ドロンパと。里親さん宅は流失。震災後に電話した時、「人が逃げるので精一杯だった」と言われました。

ドロンパと。里親さん宅は流失。震災後に電話した時、「人が逃げるので精一杯だった」と言われました。

五井さん、ピョンタをよろしく頼みます。かまってやれなかった分、いっぱい相手してやってください。五井さん、ピョンタをよろしく頼みます。かまってやれなかった分、いっぱい相手してやってください。

五井さん、ピョンタをよろしく頼みます。かまってやれなかった分、いっぱい相手してやってください。

 『できる努力と届かぬ想い』

 五井さんと写っている中の『ピョンタ』だけは、津波で命を奪われたのではなく、その年の12月に亡くなりました。忙しさのせいにして、ちゃんと見ないで、真剣に考えないで、せっかく19歳まで生きたのに、気づいた時にはヒーターからも離れて、冷えきって…寂しい最期にしてしまったことを、今も悔やんでいます。その後悔を教訓として、それからは老齢の子や持病のある子には、いろんな想像力を働かせるようにしています。

 震災後には、整わない環境やストレスの中で、人間もたくさん亡くなりました。私の伯母もその1人で、伯父は今も毎日お墓に通っているそうです。元船乗りの無口な人なので、つい最近になって聞いたのですが、震災当日の夜、伯父は、避難していた高台から自分の家が心配になって、懐中電灯を手に、膝までの水の中を歩いて見に行ったそうです。その時、家の近くで、板切れから半分体を落として溺れかけていた猫を見つけたそうです。掬い上げて見ると、隣家の飼い猫でした。隣の家はおばあさんの一人暮し。勿論どこかに避難していません。伯父は隣家の雨戸を外して、幸い鍵がかかっていなかったので、猫を家の中に入れてやったそうです。

 その猫『ノンコ』は生き延びて、おばあさんが避難して帰らない間は、私の友人が餌を続けてくれました。そうやってその時々で行き合わせた人間がつないだ命は、その陰で消えていった多くの命が果たせなかった、当たり前の日々を生きています。

 我が家に通って来ていた3匹の野良猫のうち、『ジャイアン』は津波の犠牲になったようです。震災後、まるでその代わりのように、よく似た“うそジャイアン”が現れたので、『うそじゃ』と命名しました。人なつこいので、容易に去勢やワクチンも済ませ、家の中に入りたがるので、「土足禁止だよ」と言うと、素直に足も拭かせます。前回の活動報告で、足の不自由な犬の『ちびめ』に里親が見つかったと報告しましたが、残念ながら、先住犬がストレスで具合が悪くなって、出戻りしてきました。うそじゃを追い回してちよっかいかけるのですが、“百戦錬磨の野良猫オジサン”は相手にしません。そのくせ、時間が長くなるとソワソワして外に出たくなくのは、野良の性でしょうか。我が家の裏には、灯油のポリ缶等を入れるストッカーを改造した、野良猫用の個室が3つあり、家の中から電源を引いてペット用のヒーターも入れてあります。家から出たうそじゃは、ヒーターカバーの毛布の袋の中にとっぷりと入り込んでいます。

『トムとジェリー』みたいに、追いかけっこして、疲れて眠るちびめとうそじゃ。

『トムとジェリー』みたいに、追いかけっこして、疲れて眠るちびめとうそじゃ。

ちょっと気取って、メリークリスマス。何年も前からここにいるみたいです。

ちょっと気取って、メリークリスマス。何年も前からここにいるみたいです。

そのくせ、お外が恋しくなってテント生活。ヒーターのカバーにすっぽり入って眠ります。

そのくせ、お外が恋しくなってテント生活。ヒーターのカバーにすっぽり入って眠ります。

 こんなことを書き綴っていたら、雄勝のまもなく取り壊しになる小学校に住み着いていた被災猫を、保護してもらうようにゲージを貸していた青年から電話がきました。彼はその近くで働いていて、猫に食べ物を与えていました。1週間前に彼にゲージを渡した時は、エサをねだっていた猫が「翌日から姿が見えなくなった」と聞いていたのですが、昨日、小学校の教室の段ボールの中で死んでいるのを見つけて、山に埋めてきたそうです。「そこには、前に死んだ猫も埋めたから…」と言っていました。

 「間に合わなかったね、残念だったね。ご苦労様」と電話を切ると、会う前に逝ってしまった命が不憫で、申し訳なく、そしていとおしく感じました。その子にしてやれなかったことを想いながら、ドアの前で鳴いてた、うそじゃと仲の悪い野良猫の『にせお』を家の中に入れました。震災後は“猫可愛がり”になりました。誰の命もいつ、どうなるか、わからないと思うようになったからです。

 助けてたくても、次から次に…という訳にはいきません。自転車操業の毎日だから、特にルール違反されると、計画がコケてしまいます。深夜に家の前に、成猫を捨てられました。住所を公表しないのはこのためです。防犯カメラは取り付けていましたが、相手にわからせないと…と思い、「カメラ作動中」のプレートも貼りました。

 捨てられた猫は、穏やかで人なつこい子でしたが、白血病のキャリアでした。貰い手はないだろうと諦めましたが、ちょうど白血病キャリアの猫を飼っているお宅から里親の申し込みが来たので、この子『くりまん』のことを話してみました。お見合いして気に入られて、今、里親さんの仮設住宅で、先住猫とお試し期間中です。

 そして、カイセンでボロボロになって死にかけていた“貧乏ニャンコ”の『ビンちゃん』(8月の活動報告参照)も、見違える美少年に進化した後、今はエイズキャリアの『タロウちゃん』宅で里子修行中です。タロウちゃんも元は“貧乏ニャンコ”でしたが、今の飼い主さんが助けて、持病の皮膚炎の治療に、不妊予防センターに2年以上も通い続けてくれています。この方が「子猫も飼いたいなぁ~」と言い出したので、「このお宅なら幸せになれる!」と私が見込んで、ビンちゃんを売り込みました。

家の前に捨てられた猫。栗饅頭みたいにきょとんと困った顔したから、『くりまん』に…。

家の前に捨てられた猫。栗饅頭みたいにきょとんと困った顔したから、『くりまん』に…。

ビンちゃん、立派なマンションに行き、ニットのパーカーなんか着ちゃってる写メが届きました。

ビンちゃん、立派なマンションに行き、ニットのパーカーなんか着ちゃってる写メが届きました。

 悲喜こもごもで、2012年も過ぎていきます。年の瀬でも、留守番電話は赤ランプが点滅しています。「昨日、猟の帰りに通りかかったの田んぼの中で、捨て猫を見た」と言う方に、探して連れて来るように促しましたが、電話が来ないまま夜になりました。「人なれした野良猫が家に入り込んで来て困る」と言う人には、「病院で健康チェックやワクチンして、里親を探すから、とりあえず保護して欲しい」と頼んで、納得してもらいました。できるのは、助けられる命に、精一杯向かうことだけです。

 2013年も、きっと愛想なしで、礼儀知らずな私でしょうが、許してもらえるならば、よろしくお願いいたします。

平成24年12月30日