「多難で多忙が育てる実り」

「里親探しもふりだしへ」

 10月最後の土日はイベントに参加して「犬と猫の里親探し」を開催しました。“犬と猫”といっても、ほとんど猫です。土曜日は高速道路を使っても 1時間以上かかる町まで行ったのですが、個人のお店の企画だったので、あまり人出はありませんでした。でもそれはいいのです。例え1匹でも良い里親さんに 巡り会えれば、時間やお金に換算できない収穫です。

 気をつけなければならないのは、企画した側の動物と動物愛護団体への考え方と対応です。アニマルクラブはこれまでたくさんのイベントに参 加してきました。企画する側は、お金と労力を使って集客目的で計画を立てます。利害が絡むのは当然です。こちらも、ホームページに掲載して待つよりチャン スが増えるし、人物に会って確認できる機会を生かしたい。しかし、企画者に動物に対しての「寒かろう、暑かろう」「疲れないか、ストレスがかからないか」 といった配慮があるかどうか、動物愛護団体の趣旨や活動に理解や応援する姿勢があるかないかということは重要です。それがないと、企画の不備が招くアクシ デントにも、全てこちらが対処して責任を取らなければならないからです。

 土曜日は思いつきで里親探しを企画した店のオーナーに、「命あるものを安易にイベントに借り出すと、店の前に動物を捨てられたりのリスク も負うことになりますよ」と苦言を呈してきました。日曜日は雨に降られ強風に煽られ、車やエレベーターの中に猫と犬を避難させながら、それでも来てくれた 方々と幾つかの縁を繋ぎました。

 震災前は市内の呉服屋さんの貸しホールを月に1回無料でお借りして、里親探しをしていました。地元紙にも週1回『ペット情報』コーナーを 連載して里親募集などの情報をリアルタイムで発信していました。長年の活動で築いてきた社会との関係も震災で失われ、回復しないから、里親探しをするに も、初期の頃の苦労を味わっています。定期的に屋内で実施させてくれる場所が欲しいです。

 夏に生まれて貰い手のつかない子猫がたくさんいます。23(祝)24(土)25(日)は仙台市若林区で開催される「ねこ祭り」に参加します。バザーもやるので、来れる方はどうぞいらしてください。

ねこ祭りで販売する『座布団ちゃこブー』

「海と夕日」

 11月最初の土日は、嵐の中の里親探しに来て申し込んでくれたお宅に家庭訪問に回りました。廃屋で生まれた野良の子猫達も、不妊手術を受けた後も 隠して子育てしていた野良ママの子猫達も、安住の家を得ました。犬も、飼えなくなった前の飼い主から荷物のように九州から空輸されて来て、次の飼い主は精 神病で入院したという不遇なポメラニアンが、津波で愛犬を失ったお宅に迎えられました。そして、多頭飼育の近親交配による両後ろ足の膝のお皿の変形と欠損 で歩けなかった子犬は、左右2回の大手術を受けて、片足を上げたまま猛スピードで走り回るまでになったのですが、半年以上もオファーはなし。しかし、その 『ちびめ』にも、塩釜市から手伝いに来てくれた仲間が里親の名乗りを上げてくれたのです。

 週明けの水曜日は、我が家にいた『雪音(ゆきね)』を送って行きました。真っ白なメスの子猫が望まれた先は、市内の侍浜(さむらいは ま)。行きの道すがら、私は頭の中で「竹浦、桃浦、月浦、荻浜、蛤浜、十八鳴浜…」と海辺の集落を数え上げていました。震災前に里子に出した子達のことを 思い出していたのです。津波に流された子、里親さんが連れて逃げてくれた子、安否確認ができていない子…時間だけが過ぎて、私自身がまだ毎日やることが終 わる前に時間切れになる暮らしの中にいることを感じながら。震災以来、初めて子猫を浜のお宅に里子に出すことになることへの感慨からでした。

 浜への道のりは、くねくね曲がった細い山道。未だに震災で崩れた道路が工事中で、片道交互通行でした。そして、道しるべに従い、目当ての 浜へと下って行くと、目の前に海が広がっていきます。以前はこの上なく美しい光景に見えましたが、その日はもの悲しい情景でした。震災から四十九日目に、 五井さんの遺体が流れ着いた荻浜や、飼い主にはぐれ津波を被ってひどい風邪を引いた『キタ』が、災害ボランティアの青年に保護された桃浦を通って行ったか らかもしれません。

 外に出て雪音が着くのをを待っていたおばちゃんは60歳。家も猫も流されて、今は兄弟所有の古家を借りて一人暮らし。時々息子さんが泊ま りに来てくれるそうです。ご主人に先立たれ「年金とカキ剥きのアルバイトで生活している」と言ってました。家の前で鉢植えで野菜を作り、「畑がやりたくて ねー」と笑っていました。前の家で丹精込めて作っていた物も…津波はその人の生活を全部さらってしまうことを、今更ながらに感じました。しかし、命を取り 留めた者は、新しい生活の糧を見つけて生きていかなければならないのです。

 雪音は野良猫にエサを与えていたおばあさんを「子供生んで増えていったら大変だよ」と諭し、本人には5千円だけ負担してもらって不妊手術 を受けさせた母猫と、一緒に捕獲された子猫でした。ワクチンをして子猫だけ返そうとしたら、「家で面倒見る気はない。寄越すんなら外に放す」と言い張るの で、やむなく引き取りました。この子とおばちゃんが家族になり、被災の浜で寄り添って生きていくことで、どちらも幸せになることを祈りました。「週末には 孫たちが猫に会いに来る」と嬉しそうに話していました。

 帰り道、山のくねくね道から、海を染める夕日を見ると以前と同様に綺麗でした。街に戻り、今度は支援物資で送られて来たキャットフード を、不妊・去勢手術を進めている多頭飼育の家に届けに行くと、日が暮れていました。通り慣れた橋の上から、かすかに紫色の余韻を放つシルエットだけの風景 は、震災の傷跡を覆い隠し、以前の町並みを彷彿とさせました。“似て非なるものに変わってしまったのか?”、“いつか戻れるのか?”…わからないけれど、 私達は“今できることをやっていくしかない”のだと想いました。

やっと安住の家を得たポメラニアンの『チィーコ』

三本足でお転婆しまくり、マイペースの『ちびめ』
被災の浜で 里親さんと生き直す『雪音』

「医療の成せる業」

 決壊した堤防の代わりに土嚢が積み上げられた北上川の川辺のギャラリーで、今年の夏の終わりに『マザーテレサ展』が開催されました。私もその日は 時間を作って出かけました。帰り道に痛感したのは、「難民を救うためには、病院が必要だ」ということでした。餓えや孤独を埋めることは我々にもできます が、病気を治療する、伝染病を予防するということは動物病院でないとできないことです。不幸だった子が幸せに生き直すためには、まず命を繋がなければなら ないのです。

 10月下旬、不妊予防センターに、歩けなくなった秋田犬が運び込まれました。たまたま親戚の方がそのお宅を訪ねて、犬の状態にビックリし て連れて来てくれたのです。14歳の老犬で、飼い主だったその家のお父さんが亡くなってからは、庭の片隅に繋がれたままだったようです。「散歩に連れて行 ける人がいない。もう年だから…」という言い訳は、「この犬が早く死んでくれて事なきを得たい」と言っているようにも聞こえました。

 腰の辺りの広範囲の床擦れからできた傷や瘡蓋から、ウジ虫がうじゃうじゃと湧き出てきました。診察台を低くして横たえて、若い男性看護師 が2人がかりでバリカンをかけてくれましたが、汚れと化膿でたちまち詰まって動かなくなります。その度にバリカンの歯の掃除をして、作業は3時間に及びま した。何百匹というウジ虫が犬の体を食い荒らしていました。可哀想に、肛門や膣の中にもいたから、私は、内臓が食い破られるのではないかというおぞましい 想像に金縛りになりながら、犬の体から落ちるウジ虫を拾って、塩素を入れたバケツに落としていきました。

 飼い主の70代の母親と50前後の息子は互いのせいにして、連れて来てくれた親戚の方だけが「申し訳ない、恥ずかしい、もっと早く気づい てやればよかった」と萎縮していました。毛を刈り、洗えるところは洗って帰した後も、スタッフ一同「あの犬、死ぬんじゃないかな…」と不安でした。

 ところが、秋田の老犬『ハナ』ちゃんは甦ったのです。そして、もっと驚いたのは、飼い主の変わり様でした。毎日点滴のため通院して、家の 中に置いて面倒をみているのだそうです。母子でハナの話をしながら、ニコニコ笑っていました。 ハナが死にそうになって、ハナを可愛がっていた昔に心が帰ったのでしょう。「間に合って良かった…」と感じました。ハナが誰にも看取られずに、敷地の片隅 でウジ虫に集られ無惨に死に絶えて、飼い主が罪の意識でハナから目を背け、「仕方がなかった」と言い訳して、「もう生き物はたくさんだ」などと、お父さん がハナを大事にしていた思い出までもが葬られる事態にならなくて、本当に良かったです。そして、ハナが幸せを取り戻すことができたのは、看護師と獣医師の 貢献があったからです。医療は傷や病気を治すだけでなく、その周囲までも癒し、明るく照らします。照らされた人間は、優しい気持ちや広い心を取り戻すので す。

 私もまた、ハナちゃんに、人を許す心を教わった気がします。震災の時、たくさんの人がペットを家に置いて、人間だけが避難して、動物達が 死にました。『動物たちの3.11』を執筆した時、福島の浪江町から避難して二本松市の仮設住宅に移り住んでいた主婦の方を取材しました。彼女は迎えに来 たお巡りさんに、猫5匹も一緒でないと避難しないと主張して、パトカーに猫も乗せてもらって避難しました。彼女が「人間が避難しなければならない所にどう して動物を置いてゆくの?すぐに帰れるなら、人間も避難する必要ないじゃない」と言った時、まさしく同感でした。しかし、アニマルクラブの里親さんの中に も、我が子同様にしていたペットを家に置いて来た人達がいました。想定外の大惨事に遭って、気が動転したり麻痺したり、他の人の指示に流されてしまった 人々が大勢いたことを知りました。その人達の心の奥ひだにある悔恨や悲しみは、他の人間には察し得ないことなのかもしれない、と思うようになりました。

 取り返しのつかないことを責めたり悔やんだりするより、後悔しないこれからを動物たちと生きていくことの力になりたいと考えるようになりました。飼い主がいる子だけでなく、どの子にも必要な治療や予防を施せる病院を作れないかを考えています。

「人生設計の変更」

 しかし、不妊予防センターを再興して、動物病院にスキルアップするということは、私の人生も投資しなければならないということです。店の再開は諦 めなければなりません。動物がらみの深刻な問題を抱えていても、夜8時に開店するスナックは、私の生活の換気扇の役割を果たしてくれていました。「また一 緒に飲んだり歌ったりしよう」と待ってくれているお客さんもいます。高校3年生の娘が来春上京すれば、できればこの先は気楽に暮らしていきたいのは山々で すが…今チャンスがあるのなら、生かさなければもうこの先の人生では叶わない夢です。

 状況を見ながら、病気にならない程度に悩んでみます。前回の風邪騒動は完治まで1ヵ月近くかかり、呆然となりました。お医者さんに、今ど き「栄養失調」だと言われました。福島の警戒区域に入って、牛の死骸の山を目の当たりにしてから肉が食べられなくなり、ちゃんとしたベジタリアン料理も作 らず、疲れるとリンゴやバナナ食べてその辺で寝てた生活のツケが回ったのですね。スナックをやっていた時は、毎日つまみを作るのが日課だったのに、生活が 一変しました。東京の友人が韓国料理のレトルトの詰め合わせを送ってくれました。サムゲタンという袋を温め器に移したら、怖くて 思わずその場から逃げました。鶏肉は、足先に癌ができて付け根から切断した猫の『トラ』が喜んで食べました。私はスープで雑炊を作って食べたら、友達が言 うように体かポカポカ暖まりました。

 前からそうでしたが、震災後は特に、たくさんの方々の善意に支えられて活動しています。この度、ようやく『五井美沙作品集』の出版に漕ぎ 着け、ご支援くださった皆さんに送ることができて、肩の荷が少し降りました。メール便で送ったので、“転居先不明”などで戻って来てしまった分もありま す。届いていない方は、五井さんの作品を見ていただくことが供養だと思って、どうかお知らせください。

サムゲタンで元気になった、前足切断した『トラ』

平成24年11月9日