残暑お見舞い申し上げます。

またまたお久しぶりです。忙しいだけじゃなくて、今回のご無沙汰期間中は、だいぶ神経をすり減らすことが重なりました。裁判所に呼ばれるは、警察に訴えられるは…海山乗り越えて、やっと報告できるところまでたどり着きました。

 

裁判所で証人喚問

前回報告した、留置所に入れられたオジサンの裁判に証人として出廷しました。前回は裁判前でしたので詳細部には触れませんでしたが、オジサンは義 援金を受け取ると生活保護が差し引きになることの説明不足だったと、カッと短気を起こして市職員に暴行した一件で、公務執行妨害の罪で逮捕されました。家 族も親戚もないので、「今から連行しますので」と警察官から突然電話が来て、その日からアパートに残された猫と犬の世話に、東松島市まで通わなければなら なくなったのです。

アパートの管理人をしていたオジサンは、敷地内で犬を飼う許可を得ており、管理している不動産屋さんの紹介で、平成22年秋、飼い主が飼 えなくなった中型犬を預かってもらいました。そして、震災後にもう1匹、津波で飼い主が亡くなった秋田犬を預かってもらいました。それにオジサンの愛犬も 入れると、駐車場に残されたのは秋田犬2匹と、唸って吠えて馬鹿力で引っ張る『ソラ』。部屋の中にはシーズーの老犬と猫5匹。シーズーは置いておけないと 判断して、うちに連れて来ました。

不妊予防センターの開院日は私は行くことができません。メンバーのまゆみさんに交代してもらいましたが、どう猛な面持ちで吠えまくる『ソ ラ』が最初は怖くて、小屋の前に食器を置くこともできず、紙皿に入れて棒で押して与え、散歩にはご主人に付いて行ってもらったそうです。一方、シーズーの 『シロ』は、洗面所にも廊下にも先客がいたから、台所の冷蔵庫の前にゲージを置きました。冷蔵庫を開ける度に、ゲージの向きを変えなければならない不自由 な生活の上に、耳に刺す声で人に命令する傲慢な態度には疲れ果て、怒る声も上げられませんでした。

被害者に怪我はなかったと聞いていたので、数日で解放されると高をくくっていた私達でしたが、予想以上に罪は重かったのです。不幸中の幸 いは、担当弁護士が、3月に仮設住宅で暴れて逮捕された人が、10日も木箱サウナに閉じ込めていた猫『ウナ』を救出した際に知り合った方であったこと。こ の方に教えられて、私が身元引き受け人になり、保釈請求をしました。『ソラ』が毒物を食べて瀕死の重症で入院して以降は気が気でなく、他の犬猫の安全確保 も不安だったし、連日朝夕の出動となると、私達も疲労困憊で、オジサンに1日も早く戻って来てもらわないと、身が持たない気がしました。しかし、大金おろ して申請した保釈は2回却下されました。オジサンには下着や着替えの差し入れだけでなく、留守番をしている犬や猫達の写真も届け、“反省・改心”を肝に命 ずるように促しました。

やっと裁判の日を迎えました。そこで明らかになったことは、オジサンには十数年前まで、お酒を飲んだ上での前科が幾つもあったことでし た。本人の「反省しています」「もう二度としません」だけでは検事や裁判官の心を動かすことは無理でした。焦点は、本人以外の周囲の人間、“監督者”がど のようにして更正させていくのか、再犯を防ぐためにはどうしたら良いのか、ということになり、まるで私の裁判のように弁護士と検事から質問され、「今後あ なたはどのような存在になって見守っていきますか?」という質問に至っては、「娘のように…」とはさすがに抵抗があり、苦し紛れに「姪のような態度で、叔 父さんを手伝ったり注意したりしていこうと思います」と答えたことが、傍聴席にいた宍戸監督に大ウケで、後で散々からかわれました。

保釈が認められなかったのは、「証拠隠滅のおそれがあるため」でしたが、裁判の後は隠滅する証拠もなくなるので、保釈される筈と聞いてい ました。私は黄色い風呂敷を切って、古新聞をくくる紙紐に結び付けて、高倉健を迎える倍賞千恵子みたいに、アパートの部屋から犬小屋まで、“幸せの黄色い ハンカチ”をたなびかせました。

しかし、その日の帰還は叶わず、翌日も朗報は届きません。50日近く会えなかった動物達との再会を撮ると張り切っていた宍戸さんも、私も 待ちくたびれてうつらうつらしていた夕方、保釈を知らせる電話が入りました。イオンモールの駐車場まで弁護士さんに送ってもらったオジサンは、サンタク ロースのような大きな白い袋を肩に引っかけて、キョロキョロしていました。私を見つけると飛び上がるようにして手を振り、満面の照れ笑いをしました。

私は参加できませんでしたが、その夜は、幸雄さんのアパートに、留守中の動物の世話をしてくれたまゆみさん、千恵さん、高橋くん…みんな オジサンとは初対面なのに、赤飯、刺身、メロンにケーキなど持参して、保釈のお祝いをしてくれました。“迷惑千万”だった『シロ』も返すことができて、私 もほっとしました。それまでは、犬を2匹預かってもらっているお礼に、オジサン宅の犬や猫の分もフードを届けたり、去勢もワクチンもしないで飼っていたか ら、無料でしてあげたり…くらいのおつき合いで、メンバーは、オジサンの存在さえ知らなかったのだから、事件がオジサンとアニマルクラブの距離をぐっと縮 めました。オジサンにとっては“身近にある幸せとコミュニケーションの喜び”を身に染みて感じた日であったと思います。「俺はもう1発2発殴られたって、 決して怒んないよ」と繰り返すので、宍戸さんが「3発4発殴られたらわかんないんでしょ~」と茶化すと、真剣になって「懲りた、懲りた。もう二度と入ると ころじゃねぇよ」と言っていたそうです。

そうは言っても、検事は懲役1年を求刑しています。3週間後の判決がどう出るのか…。オジサンがまた拘束されたら、ここの犬と猫を守り切 ることができるのかどうか…。保釈後、アニマルクラブに掃除や洗濯のボランティアに来て、せっせと働くようになったオジサンの姿を見ながら、「今、人と出 会い、守るべきものを得て、大切なことに気づいたこの人をどうか社会から隔絶しないで欲しい」と願うばかりでした。

そして、判決の日を迎えました。宍戸さんと私は傍聴席に座っていました。裁判官が、「本人も十分反省しており、ボランティア活動で社会に 貢献し、今後はコミュニケーションを取れる仲間や見守り導く人がいることを考慮して、」執行猶予を3年付けてくれました。テレビや映画で観る判決は、感情 を捨てたような冷徹な雰囲気ですが、この日の判決には裁判官の人情を感じ、心なしか検事さんも苦笑いして退席されて行きました。

それからのオジサンは、まゆみさんの車に同乗して週に4、5日はボランティアに来てくれ、千恵さんに「自分の部屋もきれいにしらいん よー」とどやしつけられ、強制的に古いものを捨てられ、生活も生き方も一新しました。社会から置き去りにされてきた人は知らないことも多く、掃除機のスラ イド式のスイッチを押しながら「なんだ~壊れてんなー」とか、洗面所の水道のレバーを「出ない、出ない」といきなり回して壊し、噴水事件を起こしたり…こ れまでの人生でも、人に素直に聞くことができずに、力任せに無茶をして失敗をしでかしてきたことが察せられました。動物も人間も「生きてさえいれば、出 会ったところからやり直せる。とにかく命をつないでいかなければ…」と思いを新たにしました。

アニマルクラブに来て献身的にボランティア活動をしてくれているオジサン。

訴えてやる~

アニマルクラブの留守番電話に「病気になり、チワックス(小型犬)が飼えなくなった」という伝言が入っていたのが始まりでした。中年の女性で、 「体調が悪いので、早く引き取って欲しい」と言うので、入院する日が決まっているのかと思い、尋ねれば「そうではないけど…」とはっきりしないので、末期 癌とかの重病かと思い、「どこが悪いのですか?」と聞いてみました。「偏頭痛」と言われたので、心の病の人なのかなぁーと感じました。案の定そうで…何回 も何回も「まだ見つかりませんか?」と電話やメールが来ました。思い余って捨てられたり、変な人に渡されたら…と不安になり、3週間後、預かってくれる人 を探して引き取りました。犬を連れて来た時は、ご主人とお子さんも来ました。今年分のワクチンとフィラリア予防をしていないことを確認したので、やって欲 しいと頼んだら、「お金を持ってない」と言われたので、経済的にも困窮しているのかと感じました。

幸い、すぐに良い里親さんが見つかりました。ところが…貰われたその日に、「返してください」とメールが来たのです。私は何とか諦めても らおうと、犬は良いお宅に行き、何の心配もないことを丁寧に書いて送りました。すぐに逆上した電話が来ました。「預けただけなのに。こんなに早く他所にや るなんて知らなかった。子供が泣いてるんですよ。…撤回したんだから、早く返してください」と話にならないので、あとは電話に出ませんでした。

3日ほど経ち、突然石巻警察署から電話が来ました。「アニマルクラブに犬を取られた」と訴えられたのです。事情を話してわかってもらいま したが、翌日は市民相談センターから電話が来て、こちらも説明すると同情され、「私からも説得しますから」と言われましたが効き目はなく、その次は「弁護 士に相談して法的措置を取る」というファックスが来ました。彼女が「里親はまだ見つかりませんか?」「早く連れて行ってください」と何度もよこしたメール は残っているから、こちらは法を犯していないことを立証できます。しかし、動物の問題は、どちらが正しいかでは済まない、“人の心の問題”なのです。彼女 は、不妊センターが間借りしているクリニックにも来て、私の家を教えて欲しいと頼んだそうです。アニマルクラブの動物達やメンバー、クリニックに迷惑がか かっては困るし、この人がまた新しい犬を買う心配もありました。どうすべきなのか、悩みました。里親さんにはありのままを伝え、とにかく飼育環境と事情を 知るために、そのお宅を訪問しました。

「虎穴に入らずんば虎児を得ず」なのか、「君子危うきに近寄らず」なのか…ケースバイケースですが、事実関係がわからないと、方策の立て ようもありません。ボランティアは、相手が足りないことには力添えやアドバイスはできます。しかし、相手が嘘をつくと、良かれと思った判断がマイナスに なったり、苦労して協力したつもりが水の泡になったりします。同時に、私は混乱し、消耗して、落ち込むこともあるので、深入りして後を引く痛手を負わない ことが肝心です。

この事件と時を同じくして、我が家には常連の預かり犬がいました。柴犬の『ユキ』は年に数回、飼い主が入院する度にホームステイに来ま す。彼女の飼い主は長年の精神病で、周期的に不調になり、何もできなくなって入院します。2ヵ月ほど経つと、人が変わったように元気になって「退院したの で、ユキを連れて来てください」と電話をよこします。3年ほど前、私は「ユキちゃんに里親を見つけた方がいいのではないか」と提案しました。この人には家 族もなく、生活保護で暮らしていました。ユキには皮膚アレルギーもあり、シニアになろうという年齢だったから、ますます医療費がかかることも予想されまし た。そして、いつも突然“明日明後日から”と頼まれますが、こちらもいつも預かれるわけではないからです。

退院してきた日、朝には猫なで声で、昼には強気で、夕方には乱暴になり、夜になると、「返さないんなら、これから10人で殴り込むから なー」と脅迫染みた電話をかけてよこしました。彼から犬を取り上げることは無理だと悟ったので、それ以降は友人に迎えに行ってもらい、その家で預かるふり をして、うちに連れてきてもらっています。「お前には二度と頼まねぇ」と啖呵切っても、他に頼めるところなどないことを知っているからです。

理屈や正義で割り切れない、しかし、とても強欲な人間の感情に翻弄される動物達の、ベストは選べない、ベターな選択を守っていくのも活動 です。チワックスが飼われていたお宅は、予想と違って、ニュータウンのきれいな家でした。経済的に大変でもなく、ご主人は平謝りでした。「頭痛がひどいの に、被災した家の工事で人が入り、犬が吠えてうるさかったから…」手放そうと思っただけだと言い、執拗に返還を迫ったのは、「いなくなって大切な存在と気 づいたから」だそうです。こうした自分のことしか考えていない人達が、往々にして動物を飼っています。動物は言葉を話さないから、可愛いがるのも、嫌いに なるのも人の都合で合理化できるからでしょう。何も納得したことなどなかったけれど、里親さんが同意してくれたので、犬を返すことにしました。条件は「今 後のワクチンなども不妊予防センターに来て様子を知らせ、もしも本当に飼えない状況になったら必ず相談する事」でしたが、果たして守ってもらえるかどうか は、この一件を忘れた頃にならないと判らないでしょう。

全ては救えないから…

助けられる子は精一杯助けていく―それが震災からの毎日で一番大切なことだと感じています。先週も、犬の散歩に行く山の麓に、野良猫の子と思われ る子猫の死骸が、聞けば、丸一日以上放置されていました。交通事故なのか…小さな体からはるか1メートル以上も離れた場所に腸が飛び出した遺体は、“かわ いそう”より“気持ち悪い”なのか…誰にも片付けてはもらえずに、ハエがわんさとたかっていました。太陽に照りつけられて、干からびて地面にへばり付いた 腸も剥がして、段ボール箱に入れた時に、「何のために生まれて来たのだろう?」と思いました。

不妊予防センターの日、クリニックには、野生動物に襲われたと思われる子猫が運ばれてきました。頭に牙が刺さったような穴が2つ開き、血 だらけでした。連れてきてオバサンは「エサをあげていた野良猫の子供だから、助からないなら安楽死して欲しい」と言いました。千葉院長が「助かるかどうか わからないけれど、我々はできる限りのことをやります。誰だって、死ぬことは苦しく辛いことです。安楽な死なんてありません」と跳ね返しました。私は、待 合室で泣くオバサンに、野良猫に不妊手術を受けさせて、不幸の種を撒かないように勧めました。

瀕死の重症でしたが、命は繋がりました。オバサンはあれきり来ないそうなので、退院したらうちに連れて来なければないかと腹をくくってい たら、新米看護師の女性が引き取ってくれると言いました。彼女は春にも、エイズキャリアで、肝臓の数値も悪くて退院できずにいた野良猫を引き取ってくれま した。こういう若い人達が動物病院のスタッフになってくれるのが、一番嬉しいです。

しかし、喜んだのも束の間、次は「エサをあげている野良の子猫が皮膚病になったが、お金は出せない」という相談がきました。おばあさん だったから、「治療費も出さなくていいし、送迎もするから、きちんと面倒をみることを約束して欲しい」と言うと、「家の中には入れられないよ」と言うか ら、とにかくボランティアさんに迎えに行ってもらいました。

その姿を見て、唖然としました。目の所在もわからないほど皮膚が垂れ下がったカイセンの末期症状…しかも子猫です。体長からすると生後 3~4ヵ月にはなっていますが、体重は800グラム足らず。骨と皮ばかり…栄養失調でした。この時点で、おばあさんには返せないと判りました。30年位前 には、この病気の蔓延で野良猫が徐々に無惨な姿になり、やがて死んでいくという事態を何度か目撃しました。皮膚に皺が寄り、垂れ下がって目も隠れ、硬く なった皮膚には注射針も入りませんでした。長く苦しんで、やっと死ねることを猫も人も待つような残酷な病気でした。

しかし、その後、よく効く薬が出て、昔のように甲羅を背負ったようなカイセン末期の猫は見ることはなくなったのに…やはり治療などしても らえない野良猫の世界では恐るべき皮膚病でした。子猫の腹部はベタベタして、肛門からは膿のようなものが出て、化膿臭があり、二次感染も起こしているよう です。あまりにも貧乏臭いので『びんちゃん』と名付けて、今後の転身に期待をかけました。

家に連れて来て、元の不妊予防センターのプレハブに隔離しました。食欲はありましたが、自力で排便しきれず、度々採便してやらなければな りませんでした。そして、6日後の夜のことでした。肛門から半分便を出した格好で、すっかり体が冷たなって動けなくなっていたのです。明日からお盆という 猛暑の中、私はホッカイロで体を温め続けました。このまま死ぬのかと思いました。2時間ほどして少し動くようになりましたが、立ち上がることはできませ ん。大便を出そうといきんだことで、力尽きるほど体力がないのかと、まず水をスポイトで飲ませてみました。飲めたので次はミルクを、そして上半身だけ起こ して、スープの多いウェットフードを自分で食べました。

翌朝、『びんちゃん』は自分で立てるようになっていました。病気そのものではないことで命を奪われることのないように軟下剤を追加しても らいましたが、今度は下痢になり…難しいところです。しかし、カイセンそのものは治療の効果が見えて、今は体の4分の1くらいの毛が抜けました。一度全て の体毛が汚ならしい瘡蓋と共に抜け落ちてくれないと、皮膚は再生されません。長い道のりを『びんちゃん』と頑張っていきます。

山の麓で死に、屍も放置されていた子猫。
咬まれて大ケガを負い、九死に一生を得た子猫。
不妊予防センターに連れて来られた日の『びんちゃん』。
仮死状態から甦り、一生懸命食べる『びんちゃん』。

「動物たちの大震災」試写会

試写会に間に合わせようと、五井さんの作品集の準備を駆け足で進めていました。実は、作品集を作るために額から外して絵をスキャンする過程で、他 の絵の後ろに隠れていた絵を2枚発見しました。1枚はすぐにわかりましたが、もう1枚が…うちにはよく似た猫がいて、どちらなのか、ギリギリまで迷ってい ました。片方の『ペタ』の絵はすでにもう1枚あります。考えたあげく、「最初に描いたペタの絵が自分としては納得できなくて、提出しないで描き直したのだ ろう」と判断して、その絵は「ペタもう一枚」というタイトルで掲載する事にしました。

もう明日に、印刷会社に送るデータに加工してくれる翔太くんに渡すという夜のことでした。例の如くうたた寝した私の目の前に、堤防が見 え、みるみる水位が上がって、海が堤防を越えようとしています。まるで誰かの目に写った景色のように見えました。夢の中で、「津波を見ていない私が何でこ んな夢見たんだろう?」と思っていました。そこではっと目を覚ました瞬間、「あの絵はペタじゃない。ムーだよ」ってわかったのです。震災の日の朝方にも、 私は2年前に老衰で死んだ『ミータン』によく似たビーグルが、井戸のような水溜まりの中で死んでいる夢を見ましたが、「怖い夢を見た」としか思わず、怖い 現実が起きることに気づきませんでした。今度は、夢から教えられました。翌朝、ボランティアに来たまゆみさんに話したら、「間違って本に載りそうだから、 五井さんが違うよ~って教えたんじゃない」と言われました。

“彼岸此岸、遠くて近き虹の橋”だなーと想った時、試写会に間に合わせようとばかりしていたことを反省しました。もう絵を描くことができ ない五井さんにとって、この作品集は最初で最後のものになります。それならば、必要な時間はかけて納得のいくものに仕上げようと考えを改めました。ゆえ に、発行が少し遅れます。カンパや支援物資をお送りいただいた方々への感謝を込めて送るつもりでしたが、また延期になり申し訳ありません。この機会に、匿 名や名前のみで送ってくださった方もご住所をお知らせくださると嬉しいです。

宍戸監督も青息吐息のラストスパートのようです。今回は試写会。観てくださった方々の意見も聞いて、被災地での悲しみや無念も教訓に、守 り抜いた命や助け上げた命の重さを糧として、いざという時に動物達のことも考えてもらえる国になるように…まずは、8月26日14時から多賀城文化セン ターで開催の「犬と猫と人間と2~動物たちの大震災」においでください。小ホールでは、五井さんのパネル展と全国で上映会を行っていくためのバザーも開催 する予定です。

福島の牛を応援するキャンドル~試写会会場のバザーでデビューです。