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震災後の受難


情けは役所のためならず

相変わらず、いつ始まっていつ終わったんだかわからない毎日を重ねていました。大学生ボランティアに計算してもらって、先月末に税務署、県税事務 所、市役所に確定申告の書類を提出してほっとしたのも束の間、今月末までに県と法務局に提出書類がありますが、毎晩机たどり着く前に“限界”に追いつかれ ます。

私の知らない人や市役所からの“紹介”だと言う人達から次々電話がきますが、大学病院ではないので、紹介状は何の効力もありません。石巻市には、 平成8年にペット条例制定を求めて8400人余の署名を提出して以来、何度か請願に行っていますが、何一つ叶いませんでした。それなのに、市民に「飼えな くなったペットを保健所に渡して殺されるしかないのか?」と迫られると、「アニマルクラブに相談したら…」と答えている現状は、あるべき『受け皿』の不備 を示しています。それを後れ馳せながら準備していくのでアドバイスして欲しい、とでも言ってくるのなら喜んで協力します。しかし、公務員が、無報酬のボラ ンティアに問題を丸投げしたことで、私の家は動物で溢れ、仕事を再開することもできません。どこの被災自治体も動物のことは後回し。命に順番をつける行政 は、人間にも順位をつけていると私は感じます。

しかし、放り込まれる石文に当たってケガすることもあれば、開いて助けられる命もあるので、協力できることには、対応するようにしています。学校のテストと同じで、難問の前で立ち止まっては、何とかなることのチャンスも逃すからです。

ところで、手に負えない難題に思えた、福島で生き残った牛の牧場の存続の危機に今日朗報があり、胸を撫で下ろしたところです。“被災牛を生かして いく牧場”の牧場主が病いに倒れ、60頭余りの牛が殺処分になるかもしれないと聞いても、目の前の課題でいっぱいの私にできることは殆どありません。しか し、国が未だに餓死させた家畜の命に痛むことなく、贖罪も考えてはいないとしたら、国民が願いを行動に変えていくしかありません。今回、この問題に多くの 人が関心を持ち、ブログ上で「牧場を続けて欲しい」と嘆願したことで、他の牧場が立ち上がることに功を奏したようです。応援者はどうか掛け声だけに終わる ことなく、できる支援を実行してください。巨大な牛を目の前にして、どうしたら動かすことができるのかもわからないことに気づいた時、私はこのプロジェク トは“牛飼い”の方々がいなければ一歩も進まないことを痛感しました。牛を知っている人達だから抱えるこの先の不安を、国民のテーマとして、それぞれがカ ンパやボランティアという援助で続けていってください。アニマルクラブもできる限りの支援を継続していきます。

 

置き去りにしてごめんなさい、飢え死にさせてごめんなさい―
懺悔の牧場を存続させていく一員になってください―

 

閉ざされた場所と心の恐怖

一昨日は台風の接近により、石巻市の各地に避難勧告が出ました。私の住む町も地盤沈下しているので、大雨が降る度に「避難」「避難」と市役所の広 報車が連呼して回ります。震災から1年余り過ぎてもここは被災地で、津波から生き延びても過酷な状況のままで、命を落としていった犬や猫も少なくはありま せん。

6月初旬、アニマルクラブに塩竈市の男性から相談のメールが来ました。近くのアパートに住んでいた人が猫を10匹以上飼っていたが、震災後に自分 だけ違うところに引っ越した。前は餌やりに通って来ていたが、だんだん来なくなったので、部屋の中で餓死したり共食いも起きた。保健所、市役所に相談し て、飼い主を呼び出して飼い方の指導をしてもらったが、変わらない…。という、大変ショッキングな内容でした。

早く対処しなければ犠牲者が増えると思いました。私は、5月後半より犬4匹と猫5匹残して、傷害罪で留置場に入ったオジサンの家の動物の世話にも 毎日通っていたので、とりあえず現場近くに住む知人にメールを転送しました。相談者に連絡を取って現場に行って現状を知らせて、できることをして欲しいと 頼みました。

今回協力をお願いしたのは、その少し前に塩竈市の隣町、利府町の町内会で野良猫の駆除騒動があった時、アニマルクラブに相談をよこした主婦の方々 です。私は町内会長さんに、すでに捕獲されて宮城県動物愛護センターに送られた3匹に関しては、無料で不妊手術やワクチンを施すので、『地域猫』として見 守って欲しいと頼みました。静岡県から、『Cat28』の溝渕さんが利府町役場や県に抗議の後押しもしてくれました。彼女たちは愛護センターから猫を返還 してもらい、石巻まで不妊手術を受けに来ました。その後も野良猫を手術に連れて来て、耳にV字カットを入れて『地域猫』を実践しています。

その行動力を見込んで協力をお願いしたのです。早速現場に駆けつけてくれました。猫たちはアパートの二階の通路に、二段ケージにギュウギュウ詰め に入れられていた、と写メールが来ました。毛も抜けて、下痢まみれになっているというので、そこから近い不妊予防センターの系列の病院に連絡を取り、診て いただけるようにお願いしました。

彼女達は、ゲージに入っていた9匹の猫全員をその日のうちに動物病院に運んでくれました。全員が栄養失調、キャンピロバクターによる下痢と真菌の皮膚病で、1匹は衰弱がひどく入院したものの、翌朝亡くなりました。

その後私も現地に行ってみて、わかったことが色々ありました。一つは、「このまま死んでいくのは見ていられない、犠牲を食い止めたい」と相談して きた近所の男性が、自分は就職活動で忙しいとか、病気の猫に触ったら肺疾患の父親に猫の病気がうつるかもしれないなどと理由をつけて、手伝う意思はないこ とでした。長年こうした“相談”を聞いていると、現状がいかに悲惨で、自分がどれほど悲嘆にくれているかを綿々と訴えてくる人は、そこで終わっていること も多いものです。本当に「居ても立ってもいられない」なら、まず食べさせ、幾らかでも片付けるはずです。自分の目の前で起きている問題を他の人に解決して もらうことにだけに躍起になる人は、“悲惨な現実を見たくない”自分のために、一生懸命になっているに過ぎないのです。

それから、動物虐待で捕まっても当然だと思っていたオバサンもまた、気の毒な人であったことを知りました。オバサンの話によると、「震災後、どこ かの飼い猫だったと思われる猫達と野良猫が集まってきたので餌を与えた。そのうちに、飼い主が捜しに来てくれるのではないかと思っていた」そうです。なる ほど、今、ゲージの中にいる脱毛して下痢してる猫達の中にも、昔はさぞ綺麗な長毛だったのだろうと思われる純血種が何匹かいました。あの子達の飼い主は、 愛猫はもう死んだと思い込んでいるのでしょうか…?

猫が集まってきた当初は、今回の通報者の男性も一緒に餌をあげていたそうです。しかし、オバサンのアパートも地震で壊れて修理しなくてはないた め、市内の実家に引っ越しました。居候になるので、自分の飼い猫しか連れて行けなかったそうです。オバサンは夜間お弁当製造の工場で働いていて、震災後と ても忙しく疲れて体調も悪くなり、家と職場の往復で精一杯になり、なかなかアパートに通えなくなったそうです。しかし、まだ寒さもあり、猫達が台所の換気 扇を壊して室内に入り、中を荒らし、板を貼って塞いでもまた入るので、今年5月にケージを買って室内にいた3匹を閉じ込めたそうです。ゲージに閉じ込めり しなければ、“餓死”“共食い”などと言われる最悪の事態までには至らなかったと思います。

その後、オバサンは帯状疱疹にもなり、2週間余りアパートに行かなかったようです。この人に、困った時に助けてくれる友人がいたら、こん な惨劇は起きなかったとも思いました。その間、アパートからは猫の鳴き声が聞こえ、近づくと悪臭があったそうです。窓をあけて中を覗き見た近所の男性が、 ゲージの中に、死体一つと、骨と毛の付いたしっぽだけになったもう一体を発見して、市役所と保健所に通報した、という経緯のようです。猫達は、その後呼び 出されたオバサンと市役所職員の手で、部屋の前の通路にゲージを置いて、その中に次々に入れられたそうです。

そして、ボランティアとして動き出した主婦の方々の尽力で、今、猫達は新しいゲージに分散して置かれ、アパート周辺でまだうろうろしていた猫達 も、捕獲されてケージに入れられて、適切な餌と水も充分に与えられ、薬も飲んで通院もしています。私はなかなか行けないから、せめて1匹分でも負担を軽く するように、弱くて食べ損ねていた三毛猫を連れて来ました。後でオバサンに聞いたら、その子が部屋の中に閉じ込められて、唯一生き残っていた三毛猫だそう です。名前を「唯(ゆい)」にしました。臆病ですが食欲は旺盛、下痢も治りました。

現場に駆けつけた人が送ってくれた、ゲージに詰め込まれて汚物まみれになっていた猫たち

 

被災地で暮らしているということ

そのことは、遠くの人にはなかなかわからない状況なのだと思います。私自身も最初の離婚をして自立してから、こんなに働いていない期間が長いのは 初めてです。高校生の娘も私の実家に行ったきりになり、顔を合わせる時間もめっきり少なくなりました。生活が一変したのは、私だけではありません。困って いる人がまだまだいるから、被災地を離れ難くて留まっているボランティアさんもいます。彼らはそれぞれのやり方で生計を立てながら、支援を続けてくれてい ます。

私が執筆した本『動物たちの3.11』に対して、「売り上げは動物のために使われるんですよね?それなら、販売に協力します」という申し出があり ました。その質問への答えは、「本を販売しているのは出版社です。私に入るのは印税で、今収入のない私の生活費に充てるつもりでした。しかし、それだと販 売に協力してもらえないなら、1冊に付き100円ほど入る印税分を、売っていただいた冊数分アニマルクラブに入金しますので、被災地の動物達のドキュメン タリーを広めてください」です。“動物のために”と一概に言っても、その動物の世話をするのは人間です。その人間が働きたくても働けないことは、普通の生 活をしている人には想像できないのだと思います。しかしまた、本を読んでくれた方から「毎月2万円を1年間だけですが、有志で運営している支援金制度があ るので、受け取ってくれませんか?」と連絡をくださいました。かつては昼夜働いて活動費を稼いでいた時代もあったのに、天変地異は私の生活も一変させまし た。ありがたくご好意を受けることにしました。

私は貧乏になりましたが、アニマルクラブには昨年度たくさんのカンパをお寄せいただきました。この支援を必要としている動物達と、今後動物たちの ためになるだろう試みのために回していくたことに、あとしばらくは私の時間を使おうと思っています。私も津波で、親しくしていた人々と家族だった動物を亡 くしました。メンバーの五井さんはまだ二十代でした。それを想えば、老後のために貯めていたお金が減るなどと嘆く気にはなりません。

彼女の作品集の自費出版だけは、何とか8月26日の『犬と猫と人間と2―動物たちの大震災』の試写会までに間に合わせたいと心がけています。

 

同志がいるから…

犬4頭と猫5匹を残して知り合いのオジサンが警察に連れて行かれたと聞いた時、秋田犬2頭とオジサン以外人には唸って吠える中型犬『ソラ』の散歩 なんてできるのだろうか、と不安になりました。しかし、事情を知って、新入りの猫2匹の貰い手を見つけてくれた人がいました。散歩を手伝ってくれた方もい ました。 ところが、4日前の日曜日昼頃行くと、ソラが小屋の周りを吐血と下血だらけにして、小屋の中でうずくまっていたのです。昨日の夕方まではいつも 通りの無頼漢でした。病院に運ぶと、「薬物中毒ではないか…」と言われ、その日は立ち上がることもできなくて命も危なげでした。

しかし、日に日に回復して、毎日の注射に看護師さんが手を焼いています。今度は私が不妊予防センターに来た猫に噛まれて、両手が腫れ上がってしま いましたが、友人が散歩を引き受けてくれました。本の読者から届いた手紙の「救える命にも限りがあることを自分自身に言い聞かせ、精神的にも肉体的にも追 い詰められないようにしてください」という一文が心に染みました。

九死に一生を得たソラ。今後は監視カメラを付けて守ります。
オジサン宅の2匹の猫はいつも隠れているから、美味しいところ一人占めの図々しいナレオ。
オジサンの“愛娘”のハナちゃん。寂しいのか、とても甘えてきます。