春は名のみの風の寒さよ…

犬ぞり隊長不在の冬

 

石巻も今年は雪が多いです。私はいつも3~4頭の犬を一緒に散歩するのですが、去年の今頃は、今回の津波で亡くなった『リコ』が雪が降ると嬉しく なって、“犬ぞり隊長”のようにみんなを引っ張るので、転んでは大変と、「ゆっくりー!ゆっくりー!」と怒鳴りながら坂道を駆け降りたものです。

言うこと聞かないと怒ってばかりいた『リコ』と『マメコ』と、ケージが倒れ津波を被って亡くなった『クララ』のお墓も今は、雪に埋もれています。例年の緊張感がないからか、私は先週、坂を降りきってから凍結していた地面で滑って転び、額と唇を擦りむきました。

去年の冬の思い出。犬ぞり隊長リコの勇姿

ご寄付の生かし道

とりあえず先日、3ヵ月ぶりの活動報告を書きましたが、この間にもカンパや物資をお送りいただいた方々がいたのに、とうとうお礼状を送るところま で行き着く前に、11ヵ月が過ぎようとしています。『ふんばろう東日本』や『ボランティアプラットホーム』経由で佐々木聡子さん宛てに送っていただいた物 資には、しっかり者の彼女がお礼を伝えてくれているようです。私は動物にばかり目が行ってしまうので、先日もイオンモールのトイレで、化粧した高校生の娘 と真正面で会いながら、気づかないような無頓着ですので、何卒ご容赦下さい。

送っていただいた物資のうち、うちで使うものはいただき、そうでない物は預かりボランティアさん宅や、犬や猫をたくさん飼っていてフード をもらうと助かるお宅に配っています。療法食は病気の猫や犬を抱える方に差し上げると、「高価なものなので助かる」と喜ばれますが、これは同じ病気でも好 みがあるので、こちらがリクエストしている物以外は、わざわざ購入してまでは送ってもらわなくていいと思います。尿道結石症など罹患率の高い病気用フード が余分にある時は、欲しい人が複数いますから、行き先があると思います。

お金の使い道についても、大まかな報告はしておかなければならないと気になっていました。アニマルクラブとして是非欲しいのは、動物を収 容するスペースです。家の敷地内にある猫を入れていたプレハブ2棟に津波が入り、猫たちを全て自宅2階に移しました。プレハブは修理して、大きい方には私 の服や持ち物を運び出して家を空けました。小さい方は犬部屋にしました。その後次々と入って来た被災犬猫は、1階のリビングとかつての私の部屋を交互に工 事しながら収容していき、遂には1階の2部屋のみならず洗面所、台所にまでゲージを組み立てる日々が続きました。現在私が使えるのは、元のリビングに、夜 にようやく布団1枚敷くスペースだけです。辛かったのは、体調が悪かった時。世話はボランティアさんにお願いしても、横になるスペースもないから、寝袋を 積んで車で日和山公園の駐車場まで行って寝たこともありました。

近所の家々は取り壊しが進み、空き地ばかりなので、理想をいえば土地を購入して建物を建てられればいいのですが、それには大金がかかる し、自分のお金と合わせてやるにしても、このことにばかりお金を使うわけにはいかない、と結論を出しました。私も仕事に復帰できていないし、この先の状況 が読めないからです。家をどうにか建て増しできないか、近く大工さんに相談に乗ってもらうつもりです。

毎週月曜日と木曜日にイオンモールの動物病院に間借りして開院している不妊予防センターには、震災後保護した猫や犬を連れて来る人達や、 震災で家を失ったり、収入が減って生活が大変になった人達も猫や犬を連れて来ます。慢性の病気や先天性の疾患を抱えていて連日の通院や手術が必要な子達 は、ご協力いただいているワイワイペットクリニックや若林救急動物病院で対処してもらうようになります。3割引にはしていただいているのですが、難しい手 術や長期入院となれば、1頭あたり10万円~15万円の支払いになることもしばしばで、しかも、慢性病がある子は、今後も継続してお金がかかっていきま す。

例えば、被災後、津波被害が甚大だった湊地区に迷って来たメス猫が産んだ2匹の子猫の1匹『忠太郎』は、ひどい脱腸で大手術を受けまし た。手術はうまくいったのですが、腎臓の機能が悪くて、1日おきに点滴、血液検査に通院しています。保護してくれたのは、年金暮らしのおじいちゃんとおば あちゃんです。ありがたいことに、手がかかっても、お金が大変でも「この親子が来てくれて、いろんなものを失った私達の気持ちが救われた」と言ってくれま す。こうした人と動物の絆を守るために助成金を出しています。

皆さんからいただいたお金は、私が関わった事例の範囲で“それがあると助かる、あるいは楽になれる命のために”そのつど出せるくらいづつ必要なところへ回していますが、ご意見や要望があればメールをください。

難病を抱えていても、愛に包まれて、懸命に生きる『忠太郎』。

 

津波が運んだ奇跡

助けを必要としている猫や犬はあちこちにいます。家の辺りよりさらに寒い雄勝の浜辺に行って来ました。きっかけは、被災から8ヵ月を経て再会した 愛猫を、不妊予防センターに連れてきた小松久美さんとの出会いでした。小松さんは雄勝町水浜在住でした。あの大きな地震の後、久美さんは幼い息子と犬の 『しゃく』と猫の『シャナ』を車に乗せて避難しようとした時に、パニックになっていたシャナに逃げられて見失い、「津波が来るぞ~」と急き立てられて、泣 く泣く高台に上がったそうです。

警告通り、避難先の保育所の庭まで上がってきた津波は小松さん達が住んでいた集落を飲み込み、家々を跡形もなくさらっていきました。その 後、小松さん一家は石巻の市街地に引っ越しました。時々シャナを探しに行きましたが、何の手がかりも見つけられませんでした。11月になって、ご主人がた またまネットで写真検索していたら、シャナが写っているものを発見したそうです。写真を撮影したフリーライターの方と連絡を取り、撮影場所を聞くとなんと 対岸の部落で、車でも20分近くかかる距離があるため、瓦礫に乗って津波に運ばれたのだろう、という推測が立ちました。野良猫がエサをもらっている場所を 探して、再会にこぎ着けました。

シャナを不妊手術に連れて来た久美さんから、「そこには他にも猫が大勢いて、シャナのように人懐こくてどこかの飼い猫と思われる猫もい た」と聞いてから、私は雄勝のその浜辺に行ってみたいと思っていました。『動物たちの3.11』の執筆がようやく最終校正に入った1月末、震災後の動物た ちのドキュメンタリー映画を撮っている宍戸さんと、小松さん一家の案内を受けて現地へ向かいました。話には聞いていましたが、雄勝は何もかも破壊され流さ れて、変わり果てていました。街の中で床屋さんをしていた里親さんが被災後しばらくしてから、「仮設住宅に入れることになったから、知人宅に預かっていた 犬の『コロ』を引き取るためにゲージを借りたい」とうちを訪ねて見えたのですが、改めてその情景を目の当たりにすると、「よくぞコロを連れて逃げてくだ さった」と感謝の念が湧きました。公民館の屋上にバスが持ち上がったままになっていました。本当に信じられない大惨事がこの町を呑み込んだのです。震災後 からボランティアに来てくれるようになった小田さんは、家の中で暮らしていた猫、保護して里親を探していた子猫、外で養っていた野良猫たち、20匹近くの 命を一瞬に失ってしまいました。石巻の駅近くのアパートに引っ越しましたが、仕事で留守にする間、猫だけ置くのが怖くなり、また飼う気にはなれないそうで す。

小松さんに案内された立浜で、雪が降り指が凍えて持参したカップ入りのウエットフードの紙の蓋を開けることも容易でない寒風にさらされな がら、懸命に生きる猫たちに会いました。居合わせたオジサンから、エサを与えてくれている人がいること、シャナ同様に飼い主が探しに来て、連れて帰えられ た猫がいること、人懐こくて連れて行かれてどこかの飼い猫になった子もいることを聞きました。そこに来合わせたオバサンから「おらいの息子がさー、津波の 後に、泳いでこごさ渡って来た猫ば5匹見たって言ってたよ」という話も聞けました。そのオバサンのお友達が猫たちにエサを与えてくれているそうなので、私 はかじかむ手で「不妊去勢手術に協力したいから、連絡ください」とメモを書いて託しました。

翌日、その方から連絡をもらうことができました。そして先週、不妊予防センターに、彼女がそこから連れて来て仮設住宅で飼っている1匹を まず手術に連れて来ました。今後の捕獲と手術の相談をしましたが、この寒さと縄張り争いから、私達が行った時より野良猫の数は減ったこと、一方、生まれた 子猫で育っている子もいるという情報を聞きました。小松さん夫妻も協力してくれるというので、費用はこちらで持つから、手術を受けさせて欲しいと話しまし た。できることなら、なつく子には里親を見つけて、あそこで生きるしかない猫達には小屋を建ててやりたいと思っていました。あまりにも寒いし、雨や雪を ちゃんと避けられる場所がないのです。しかし、猫を連れて来たオバサンには、「エサやりに反対している人達は、保健所にやればいいとしか言わない。地域猫 なんて話しても聞く耳持たないよ」と言われてしまいました。前途多難ですが、できることからやっていきます。また報告します。

『シャナ』は向かい岸から流されて来た。
瓦礫に乗って運ばれ、泳いで陸に這い上がったと言われる被災猫たち。
たくましいが、寒さが厳し過ぎる。春に向けての出産も心配だ。

ロッシーの最期

3月、倒壊家屋で人の捜索をしていた警察官が見つけて連絡をよこして、我が家に最初に来た被災猫の『ロッシー』が1月27日に亡くなりました。去 勢済みの年を取ったロシアンブルー、穏やかで甘えん坊、人懐こい子でした。最初からよく吐き、慢性の下痢があり、寒くなってからは首を振る神経症状が出 て、CTを撮るために麻酔をかけたら心停止したので、あわてて麻酔を醒ました、と報告を受けました。

今年になってからは食欲がなくなり、肝臓の数値が悪く入院しました。皮膚が黄色くなり、黄疸がみるみる進みました。これまでにも何回か肝 臓病末期の猫を見ていますから、病院で死なせたくはないと思い、夕方迎えに行って夜は家で点滴して、午前中に病院へ送って行く数日を過ごし、最後は腕の中 で看取ることができました。引き取った時は混乱時で、他にも大勢いたから、なかなか構ってやれませんでした。時折2段ゲージの中から堪りかねたように鳴く 声に切なくなりながらも、次々ある用事に追われてエサを与えて掃除するしかできませんでした。最後だけは、寂しい思いをさせたくないと思い、ロッシーの側 で原稿を書き、ご飯を食べました。眠るような最期でした。これまでたくさんの死を見送りましたが、こんな穏やかな死に顔は見たことがありませんでした。飼 い主さんは倒壊家屋の中で亡くなったのでしょうか…。ロッシーもそこに行って、甘えられますように、と祈ります。

そして、ロッシーの最期の時間を共有して、ことさら実感したことがあります。ペットと暮らす人はその一生の終わり方を病院に委ねるのでは なく、その子がどうして欲しいのかを考えて、自らが選び実践するべきだということです。私は週に2日動物病院で仕事をしていますが、病院で最期を迎える子 を見る度に思います。病院は痛みを軽減したり、水分や栄養を補給したり、呼吸を楽にしたりはできますが、死にゆく命が最も欲する“愛された記憶”を与える ことはできないからです。「何とか生かして欲しい」と無理な他力本願を繰り返す間にも時間は過ぎていくし、「苦しむところを見たくない」なんて我が身を庇 うより、死ぬしかない命を今、思いやらずしてどうしますか?と言いたいのです。

病院で点滴を受けるロッシー。「家に帰りたい…」
ロッシー最期の顔。腕の中でいつの間にか息を引き取りました。

動物病院スタッフ募集

被災地から大勢の人間が流出してしまいました。不妊予防センターに協力くださっている動物病院でも、スタッフの生活環境が変わり引っ越した方が多 数出て、人手不足になりました。そのため建物は復帰しても、以前のように我が家の敷地内にスタッフを派遣してもらう余裕がないのです。さらに、週に2日の 開院が減る事態も憂慮されます。動物逹を救う活動の中で、医療が果たす役割は非常に大きく、不妊予防センターがあることでどれだけの猫と犬、関わった人々 が救われたか…何としても“命をつなぐかがり火”を灯し続けたいです。読者で、看護師や獣医師の資格を持つ方がいたなら、一考いただければ幸いです。