「やっと書けます!」

感無量です

《中洲が水没した北上川…10ヵ月前までここには料亭がありました。》

 

ご無沙汰しました。こうして携帯電話の画面を見ながら、活動報告を打つと 懐かしさが込み上げてきます。震災後まもなく、まだ電気も止まっている中 で、被災地の動物たちの現状を伝えたくて、活動報告を携帯で打ち、メールで 電気が使えるところに住む人のパソコンに送り、ホームページに掲載してもら いました。それ以来、活動報告は携帯で書いてメールで送ることがパターン化 して、不思議と携帯の画面を見ながらだと、指が活発に動くのでした。携帯な らどこでも使えたから、ご飯を食べながら、動物病院の順番待ちの間、不妊手 術したい野良猫の捕獲器を仕掛けて隠れて待機している車の中…私はこの電話 1本で、会ったこともない支援してくださる方々と繋がっているような気持ち になって打ち続けました。いつしか、活動報告書きが娯楽のなかった慌ただし い日々の楽しみになっていました。

10月に執筆をスタートしてからここまでの道のりは長かったです。最初は 12月半ば位で自分の手からは離れるものと思っていましたが、1冊の本ができ るまでって私の想像を絶するプロセスがあり、例の如く沢山の方々に助けてい ただきました。執筆依頼のきっかけは、アニマルクラブのホームページが、あ る編集者の目に止まったから。秋に家までおいでいただき、一緒にあの夜から の軌跡を歩き語り、東京の出版社にも2度足を運びました。感じたことをあり のままに伝えたい思いと、読み手に分かりやすい書き方の融合を模索するため にです。震災からのことのみならず、動物愛護センターで処分されている動物 達や、売られるペット達、私の30年余の活動と人生まで書き綴ったこの本は、 この活動報告から産まれ出た思いと願いの結晶です。出版は3月初めの予定 で、1ヵ月前から告知できるそうなので、次回の活動報告で出版社やタイトル 名を公表できると思います。パリにいるフジコ・ヘミングさんが推薦文を書い てくださるという嬉しいおまけ付きです。

ニューフェイスと…

さて、何からお話しましょうか?秋にたくさんいた子猫達は共に暮らしてい く家族を見つけて里親さん宅に巣立って行きましたが、今も私が夜に布団1枚 敷くスペースしかないほど、その周りは子猫と、目が離せない病気猫に囲まれ ています。片目がない子猫が2匹います。野良猫の子供ですが、鼻気管炎から 角膜炎を拗らせ失明して眼球摘出手術を受けました。こうして、野良猫の子供 達の多くは、人知れず死んでいくのだろうと思いました。

この子達にはエサをくれるおばちゃんはいました。目の上にピンポン玉位の カサブタが盛り上がり膿が滴り落ちるようになると、「一回は診せてやるべと 思って…」と不妊予防センターに連れて来ました。“一度だけ病院に連れて行 く”のは、猫を助けるためではなくて、“やるだけのことはやったのだから、仕 方なかったんだ”という自分への言い訳のためだと思います。最初おばちゃん は、「もう大丈夫だ~先生に治してもらうからなー」と、子猫に話しかけてい ました。しかし、診察した獣医師が「もう目はダメになっています。腐った眼 球を取り除かないと…」と言うと、おばちゃんは「あらー、そんなら保健所行 きだわなー」と言ったので、先生も看護師さんも唖然としていました。しか し、私はこのおばちゃんが嫌いではありません。この人は正直なのです。 「ん だって、ワタシ好きで飼ってるわけではないよー。野良猫が、家の犬の残した エサ狙って来るようになったから、可哀想で庭にエサ置いてやったんだよ。寝 床に箱も置いてやったし、馴れてる猫は避妊もしてやった。この子らの 親は捕まらないんだもの、どうしようもないっちゃ…」と自分を正当化できて います。

この人には、何を手伝えばいいのかが見えてきます。捕獲器を貸して、庭に 来る野良猫全てに不妊去勢手術を施すように働きかけました。これまでも何匹 かは自費で手術したということは、出せる範囲のお金は出してくれる人だとも 思います。しかし、子猫は見るも悲惨な状態になりながら家の中に保護しなか ったのだから、子猫についてはおばちゃんに任せておけないと判断して、引き 取りました。そして時々、大勢の猫を抱えている上に、子猫の面倒までみるの は大変だとアピールするようにしています。預かる余力のあるところだと勘違 いされないようにです。恩に着せて、「これ以上産ませては絶対ダメ!」と、 真剣に捕獲するように繰り返し伝えます。

私の布団周りにいた、被災家屋に野良猫が産んだ子猫3匹『しろくまトリオ』が、うちのボランティアさん、クリニックの獣医さん、申し分のない里親 さん宅にそれぞれ引き取られ、久々に安堵を感じました。しかし、場所が空け ば次が控えています。眼球を切除して縫い合わせ片目になったキジトラの『梵 天丸』の兄弟が気になって、おばちゃん宅を訪ねました。6匹生まれた子猫の うち、3匹はこの家の前を通る高校生達が貰い手を見つけてくれました。寒い 日、あと2匹残った子猫が、ブロック塀の上で日向ぼっこしていましたが、1匹 は梵天丸同様左目がダメになり、もう1匹も眼球が白く濁り、涙と鼻水を垂ら しまだ風邪も続いていました。警戒して逃げるので、ゲージと捕獲器を貸し て、おばちゃんに不妊予防センターに連れて来てもらうことにしました。

こうして2匹引き取ってまもなく、年末から相談が来ていた、やはり津波が 入り使えなくなった家の一階に住み着いて子供を産んだ野良猫の相談を受けて いた別なおばちゃんから、「言われた通りに親猫は避妊して、待っているのに アニマルクラブの人は来てくれない。子猫が大きくなってきたから、貰い手を 早く見つけてもらえないと、不安で眠れない。猫を保護したせいで、家族とも うまくいかない…」と、一気に喋って涙声になる電話がかかってきました。震 災以来、精神のバランスが崩れた人が大勢います。寂しさもあり、同情心も高 まって動物を寄せて、必要以上に明るく前向きな事を言ってたと思ったら、た ちまち不安に追いつかれ、藁にもすがる襲来を受けることもあります。運転中 や不妊センター開院日に追撃は勘弁して欲しいので、親猫にフードの差し入れ を持って、捕まえるのも一苦労の子猫を迎えに行きました。里親を探してくれ と言われても、まず『怖くないよ』を教えるところからのスタートです。

目は神経が多く通っているところなので、非常に痛いが、頑張った「梵天丸」。
梵天丸の妹も、目が同じことになっていました。手術後馴れてきました。

震災余波

震災があってから、アニマルクラブは、まるで行政の施設のような位置付けを されて、動物保護要請が来ます。現在も、被災地障害者センターから、3ヵ月 間入院する人の猫の預かりを頼まれました。連絡をよこす人はそれを仕事とし て給与をもらっている職員なのでしょうが、こちらはボランティア活動で、所 在地も我が家です。当然のように「預かってください」と要請され、返事をも らうまで何回も連絡がきます。“あって当然の施設がない”行政の不備をボラン ティアがどこまで補えるか…私は仕事も再開できず、家には居住空間がなくな りました。

一昨日も「独り暮らしの友人が心筋梗塞で急死して、猫が残されたが、引き 取ってもらえないか?」と携帯に電話がきました。どこから番号を聞いたのか と尋ねると「警察」という答えが返ってきました。プライバシーの侵害じゃな いかとも思いましたが、その警察官も保健所に送って処分されるのは可哀想だ と思って、教えたのでしょう。確かに、飼い主が亡くなったから、ペットも死 ななければならないなんて、残酷で理不尽です。でも、そう感じる人が動かな い限り、動物を救えないのが現実です。

身よりのない人の遺体は警察署に安置されているのだそうです。部屋の片付 けには市役所から人が来るそうです。よく聞くと、亡くなった女性は生活保 護を受け、電話をよこした男性はそこに同居していました。それを役所に知ら れると困るので、私が何か尋ねると要領の得ない曖昧な返答をしていたのでし た。その男性自身が住む場所がなくなるのであわてていたのです。夫婦みたい に暮らしていたのでしょうに、情けない話でした。それにしても、亡くなった 人も全然手持ちのお金がないというし、家賃もちゃんと払っていなかったか ら、明日にも明け渡すように言われている借家に集まっていた50~60代の男 女3人のどの人も、猫を預かれないばかりか、車で病院に運ぶこともできない し、去勢やワクチンの費用も払えないと言うので、相談にも何にもなりません でした。猫は7歳の体格の良い臆病なオスで、里親もなかなか見つかりそうに ありません。

そこから戻ると、とてつもない疲労感に襲われました。人も猫も、命の扱わ れ方にこんなにも差があることがショックでした。また、可哀想と言う ばかりで何もしようとしない、事実何もする事ができなくて、嘘ついたり逃げ 隠れするばかりの人達は何を目的に生きているだろうと虚しくなりました。そ して、孤独な人の家族として飼われながら、何の配慮も残してもらえずにガス 室に送られようとしていた猫を想うと…「法や社会のシステムがなってない」 と非難したところで、死に瀕している目の前の命は助からないことを痛感しま す。

数日前、東京で開催された動物問題意見交流会で久々に「Cat28」の溝渕さ んに会いました。私が短歌を付けた写真集「捨猫」のカメラマンです。震災後 は特に心配してくださり、色々お心遣いを送ってくださいました。帰りの新幹 線に乗る前に東京駅で話しましたが、「阿部さん、もうこれ以上増やしちゃダ メだよ」と言われました。その翌週に、成猫が3匹も増えることになりまし た。

明後日には、「津波で両親が亡くなり、生き残った猫を今までは兄の家に預 けていたけど子供がアレルギーになり、自分はペット禁止のアパート住まい だ」という人の猫が来ます。今後もこうした被災ペットのその後の相談は続く でしょう。震災から10ヵ月余り経ち、同じ市内に住んでいても、以前に近い 生活を取り戻しつつある人々と、まだまだ復興には程遠い人達と…被災者の暮 らしぶりに格差があるように、ペット達の境遇はなおのこと天地の差がありま す。それを知れば、ゲージ一つ置ける場所を見つければ、暖かい部屋に置いて やりたくなるのが人情です。

今は風呂場に入るにも、洗面所に置かれた大きなケージに阻まれてカニみた いに横歩きです。この次はどんな悲しい話を聞いても、引き取る場所はありま せん。不幸なドキュメンタリーは動物愛護センターでも、路地裏や仮設住宅の 周りでも延々と続いているのだから、溝渕さんのように行政や警察に直接抗議 する術を持たない私は、せめて関わった命にできる限り寄り添い、こうして伝 えることをしていきます。

亡くなった女性が残した「チャコ」。同居の男性は、行方がわからなくなりました。

シンデレラ・ボーイ

“不条理との闘いと自分の能力への挑戦”の日々を支えてくれているのは、ボ ランティアさんと、支援者の皆さん、そして里親さんです。保護した子達が良 いお宅に引き取られていくことが、活動の希望になります。

被災後まもなく、津波被害が甚大だった渡波から我が家に来た子犬の兄妹。 妹の「ナミちゃん」はお利口で春には優しい里親さん宅に引き取られ、お嬢様 になりました。一方、兄の「シンちゃん」は成長と共に自己顕示欲の固まりと なり、通訳すると「ボクを見て」「ボクに触って」「ボクにかまってくれなき ゃ、こうしてやる~」と、掃除機の蛇腹ホースを食いちぎり、温風ヒーターの コードを細切れに分断し、戸棚の扉を壊して猫缶に噛みついて食べていまし た。この“アニマルクラブの問題児”をずっと見守っていたご夫婦がいました。 彫刻機が津波に流されたことを知り、迷子札の製作とマイクロチップのナンバ ープレート作りも引き受けてくださった東京の佐藤さんです。佐藤さんは被災 地に支援物資を届けるボランティアをしています。その道すがらうちに寄って シンちゃんと遊ぶうちに、「甘えん坊だから、1頭飼いなら言うこともわかる だろう」という結論になり、かくしてシンちゃんは『佐藤心』になり、年末に 「オラ東京さ行くだ」ツアーは実現しました。佐藤邸は各部屋に“心ちゃんスペ ース”が設けられ、公園デビューも果たし、「今日はシャンプーと爪切りの予 約を取っています」なんてメールがくる“お坊ちゃまくん”になった、出世頭で す。こうして“縁は奇なもの”で、辛酸をなめざるを得ない日々に笑顔を運んで くれる“味なもの”なのです。

 

掃除機を噛み壊し、現行犯逮捕のシンちゃん。
シンちゃんに噛みつかれた椅子と分断された温風ヒーターのコード。
東京に送って行く車中で、ちょっと不安げなシンちゃん。
「佐藤心ちゃん」になって、幸せ一人占め生活のスタートです。