『27日夜、石巻市災害ボランティア会議に参加しました』

大学生の聖くんと出席しました。
東京から来た獣医さんのおはからいで、石巻獣医師会と協力して活動していくことになりました。会場には、今日1日支援物資を届けたり、炊き出しをした り、泥が入り込んだ家屋の清掃を手伝ったりのボランティア活動をしてきた人達が集まって、報告会をして、明日やるべきことの意見交換をします。

「新しい参加グループは自己紹介を」と言われて、私が皆さんの前で、動物のために活動してると挨拶したら、同じ動物救済グループの方が、私の袖を引っ 張って、言うなって合図しました。小声で「人間が先なんですから」と。命に順番をつけてしまったら、他人より身内、外国人より日本人といった差別が生じま す。この非常時、助けられるところから助けていくべきだと私は認識しています。愛犬、愛猫を置き去りにしてきてしまった自責の念に苦しんでいる人、はぐれ て必死に捜している人、亡くなった子を火葬もできずに持ち続けていた人…犬や猫はかけがえない家族なんです。命に順序つけたら、誰のためのボランティアな の?って問い返したくなりました。

考えや立場の違いがあるので、アニマルクラブは獣医師会とは別個に登録して、協力し合えることはするってことにしました。石巻社会福祉協議会に、災害ボ ランティアの登録をしてきました。福祉協議会の方も、会議に参加したボランティアさん達も、動物は後回しなんて、目くじらを立てる了見の狭い人はいないよ うに、私は感じました。

今日、ずっと気になっていた、甚大な被害を受けた女川町の浜に住む里親の鈴木さんが、愛犬のミルを連れて我が家を訪ねて来ました。家を流されながらも、 ミルを守ってくださり、感謝しています。仙台の息子さんのマンションに身を寄せ、落ち着く間、ミルを預かって欲しいと言われて、引き受けました。私の店の 女川町のお客さんも電話をよこして、女川の小さい避難所も案内するよ、と言ってくれました。

昨日は岡さん夫婦が来て、家の前の堀の水をホースで汲み上げ、自家発電気で、家の中、猫が入っていたブレハブ、不妊予防センターに溜まっていた泥を流して くれました。今日は仙台から宮川さん夫妻、井上さんが来て、泥まみれのゲージやキャリーや猫トイレを洗ってくれました。夕方には、店のお客さんが風呂場の 泥を流して、浴槽に水を溜めてくれました。まだお風呂には入れませんが、心置きなく水が使えます。遠くの仲間達からも、支援物資を送るよ、と連絡いただい ています。

女川町の避難所までフード届けに行ってくれていた千恵さんが、風邪でダウンしてしまいました。どこまでも歩いて、頑張り過ぎだったから。私は服上5~6 枚、下も3~4重ね着して、普段の3倍位食べてしまっています。うちの老犬達も、普段は残しているドックフードやパンをガツガツ食べています。体が自然に 要求するんでしょうか…。

悲しい報告もあります。私達の仲間の五井美沙さんが行方不明で、おそらく家もろとも津波に流されてしまったのだろうということです。大津波警報を見た東 京の妹さんが、「すぐに逃げて」と電話した時、彼女は「寝たきりのお祖母ちゃんと足の悪いお母さんを連れては逃げることはできない」と言ったそうです。動 物達にもとても優しくて、控え目だけどしっかりした人でした。娘のような年頃ですが、敬服したくなるほどの人格者で、私は彼女が大好きで、心から信頼して いました。奇しくも、あの日は、翌日から多賀城市民会館で、彼女が描いた我が家の犬と猫のイラスト展をするための準備中に、私は地震にあいました。本当は 上京して絵の道に進みたかった彼女の才能、センス、絵から伝わる愛情を多くの人に見てもらいたくて、『アニマルクラブの絵描き展』を、昨年11月より開催 してきました。

未曾有の地震と津波で私達はかけがえないものを失いました。しかし、私達は生き残り、考えて動くことができます。そして、多くの方々が応援してくれてい ます。その気持ちと力に支えられて、アニマルクラブはアニマルクラブらしく、自分達ができることをできる限り続けていきます。それにしても、ガソリンで す。ガソリンがあれば、あちこち回ることができるのですが…。